29.審査官フローラ
ミスリア第三王女。フローラ・メルクーリオ・ミスリアは自分の眼前に積み上げられた書類の山をひとつまみする。
まず視界に入るのは、色鮮やかに描かれた肖像画。
魅力を目一杯伝えようとしているのは解るのだが、フローラの興味を唆るものはない。
逆説的に考えてしまうのだ。これだけ彩るという事は、相当に美化されたものであるだろうと。
そう思うと、以前にサーニャが描いたシン・キーランドの似顔絵は大したものだ。
本人曰く殴り書きらしいが、とても似ていた。何より、着飾らない雰囲気が彼のイメージに合致していたからだ。
フローラが求めていたものは、そんな素の一面を覗かせるものだった。
「これはダメ。これもダメです。ああ、こちらもいけません」
どれもこれも理想とは程遠い内容がつらつらと書き連ねられ、流石のフローラもうんざりとしてきた。
もはやアメリアの縁談を台無しにしているのではと疑われても仕方がないぐらいに。
だけど、肖像画といい調子のいい事ばかり書かれても信用できるはずがない。
特にミスリアの貴族だ。先の戦いで風見鶏のように状況を眺めるだけの者が自分をよく見せようとするのは頂けない。
全く無関係だった者までがあれだけ力の限りを尽くしたのに、甘い汁を啜ろうなど認められるはずがない。
かと言って、決して妥協は出来ない。
万が一にもアメリアが後悔するような事態に陥る事は許されないのだ。
フローラは己の胸に、そっと手を当てる。
かつて自らに宿った邪神の分体。『傲慢』から救う為、アメリアは蒼龍王の神剣を自分の心臓へ突き立てた。
主君に刃を突き付けるという行いは、彼女にとっても辛い選択だっただろう。
もしもの場合。アメリアは自らの命を絶つ覚悟だった。
当時は彼女の優しさに安堵したのは嘘ではない。けれど、ほんの少しだけ怖かった。
自分がではなく、アメリアがこの世界からいなくなる事が。
誰よりも優しく、誰よりも気丈で、誰よりも清廉。
フローラにとってのアメリアは、かけがえのない存在となっていた。
だから、彼女の幸せは自分の幸せよりも大切なのだ。
「あの、フローラ様」
次々とアメリアの縁談を却下していくフローラに、侍女が恐る恐る声をかける。
「はい? どうかしましたか?」
「いえ、アメリア様のご縁談も結構ですが……」
申し訳なさそうに促された先には、似たような書類の山が積まれている。
肖像画に経歴。アメリアに向けられたものとはまた違った、高貴な者の自己紹介の束だ。
「ああ……」
つまらなさそうに、フローラは若干のため息を吐いた。
侍女としては、自身に向けられた縁談にも目を通して欲しいのだろう。
あまり食指は動かないのだが、放置する訳にもいかない。
パラパラと適当にめくってみるが、やはりフローラの心は動かなかった。
それもそのはず。
フローラにとって、伴侶の理想像はかなり明確に出来上がっている。
彼女はアメリアのように強く気高く、優しい人間が好みだった。
「お母様には申し訳ないのですが、全て断っておいてもらえますか?」
結果。フローラは、アメリアに寄せられた縁談の十分の一にも満たない時間で自らの縁談を全てを見終える。
困り果てた侍女は目頭を押さえながら「かしこまりました」と答えるしかできなかった。
……*
一方で、大量の縁談を持ち掛けられその全てを破棄されている張本人。
アメリア・フォスターは無心で剣を振るっていた。
大きな戦いが終わったとはいえ、自分が剣を置く事は生涯ないだろう。
イルシオンやテラン、アルマだってそうだ。皆が少しでもこの国を正す為に戦っている。
そう思うと、自分に縁談が持ち掛けられているからと現を抜かす訳にはいかなかった。
「アメリア。疲れてんのか? 動きがぎこちないけど」
尤も。いつものように振舞えていると思っているのは自分だけだった。
動きにキレがないと見たヴァレリアが、声をかける。
「そ、そうですか? 自分ではわかりませんが……」
「明らかにいつものお前とは違ってるよ」
自分では全くの無意識だった為、アメリアは彼女の言葉に動揺を隠せない。
両手で顔を覆い、隠すように大きく息を吐く。
「ま、平和の証ってやつかもしれないな。アタシはいいと思うけどな」
「ありがとうございます……」
アメリアにはフォローに聞こえた言葉だが、ヴァレリアにとっては嘘偽りのない本心だ。
あのアメリア・フォスターが腑抜けているのではなく、安心していると感じ取れる。
ただ、心と身体を休ませられているかどうかは別問題となるのだが。
それを加味しても、戦いの方に意識が引っ張られないのは良い傾向だ。
平和の兆候が見て取れるのだから。
「で、ぶっちゃけお前的にはどうなんだ?」
徐に近付いたヴァレリアが、そっと耳打ちをする。
言わんとしている事の意味を理解したアメリアは、気まずさから言葉を噤ませた。
「どう、とは……」
「わかってるだろ?」
とぼけた振りをしても、ヴァレリアは逃がしてくれない。
しかし、彼女もからかっている素振りではない。むしろ、どこか真剣さを滲ませている。
「お前はさ、結婚願望とかあるのか?」
茶化すような口調ではなく、はっきりとヴァレリアは問う。
アメリアが回答に戸惑っていると、彼女にだけ話させるのは公平性に欠けると感じたのか彼女は続けた。
「いや、ウチもさ。実家からそこそこ圧を向けられててな」
ハッとしたように、顔を向けるアメリア。
瞳に映るのは、むず痒そうにガシガシと頭を掻くヴァレリアの姿だった。
ヴァレリアは二人の妹を、邪神との戦いで喪った。
エトワール家の後継ぎはもうヴァレリアしか残っていない。
彼女に縁談が持ち上がるのは必然とも言える。
「アタシはさ、今まであんまり意識してなかったんだよ。
まあそのうちなるようになるかって。けどな――」
そこから先は、聞かなくても判る。
彼女の母である、セシルの気持ちも。
たった一人。残された娘であるヴァレリアには幸せになって欲しい。
そのひとつが、生涯の伴侶を見つけてほしいという事なのだろう。
家だなんだというのは、後付けの理由だ。
「――だから、まあ、いい相手がいればなとは思うんだよ。
けどなぁ、なんつうか……。貧弱そうなのが多いっていうか……」
セシルの気持ちを理解しているからこそ、ヴァレリアも前向きに考えている。
ただ、波長の合う相手がいるかどうかは別問題だと言いたいらしい。
「士官学校の同期とはか、ビルフレストに群がってたけどな」
「すごい人気だったみたいですね」
過去を振り返り鼻で笑うヴァレリアに、アメリアは苦笑いで返した。
アメリアは直接知らないものの、士官学校始まって以来の傑物として扱われたビルフレストの人気は凄まじかったらしい。
「もう周りの奴らも『アイツには敵わない』なんて言い出しやがるしさ。
最後まで張り合ってたのなんて、アタシとライラスぐらいなんじゃないか?」
後にライラスは五大貴族の一員としての矜持から、敗北を認める訳にはいかないと語っていたらしい。
ならばヴァレリア本人はどうだったのかと問うと、「スカしてて気に食わなかった」部分が大きかったという。
彼女らしい理由だと思って、アメリアはくすりと笑った。
「つうわけで、縁さえあればと思うんだけど。
ナヨナヨしてるのはごめんだし、強かったら強かったで張り合うからなぁ」
難儀な性格をしているんだと、ヴァレリアは自嘲気味に言って見せた。
「私も、そうですね……。そういった願望がないと言えば、嘘になりますよ」
ヴァレリアの正直な気持ちに触れ、アメリアも自らの気持ちを語り始める。
オリヴィアやフローラにも語った事のない本心を。
先の戦いで、たくさんの互いを想いやる気持ちに触れてきた。
矛盾しても傍にい続けた。一途に彼女の事を諦めなかった。
自分が初めて恋をした男性は、そんな人間だった。
そして彼に想われている女性も、同じように彼を大切に想っていた。
二人が結ばれるのは必然だった。自分ではなかった事も納得している。
彼らだけではない。イリシャとユリアン。リタとレイバーン。
人を愛する気持ちというのは、すごい力が湧くものだと間近で見てきた。
だから、憧れを抱いてしまうのは無理もない。
そういう意味では、生涯と共にする相手を見つけられたオリヴィアは幸せ者だと思う。
ひとつだけ思うところがあるとすれば。これらは皆が自然に紡いで、育てていった縁だ。
それらを見てきたからこそ、未だに恋愛というものを諦めきれない。
フローラが片っ端から縁談を断っているのは、ある意味では助かっている。
きっと自分なら断り切れない案件も、いくつかあっただろうから。
「なんか、お互い難儀な性格をしてるよな」
「ええ、本当に」
今の居心地の良さを変えたくないという感情が働いているのだろう。
ぼんやりと将来の事を考えているのに、動けない。
困ったものだと顔を見合わせながら、二人は苦笑をした。




