3.水面は次第に揺れていく
意を決してオリヴィアへ想いを伝えたストル。
一方でオリヴィアは、彼の気持ちに応える事は無かった。
その一部始終を、彼女と近しい二人の女性が目撃してしまう。
(……! ア、アメリア!)
偶然ではあるが、衝撃的な場面を目撃してしまった事によりアメリアとフローラは言葉を失っていた。
屋敷の影に隠れながら、互いの視線を交差させる。
アイコンタクトだけで繰り広げられる不自由極まりない会話だったが、不思議と意思の疎通に齟齬は無かった。
(ま、まさかストル様がオリヴィアのことを想っていたなんて……!)
(え、ええ。私も驚きました)
ストルは照れくさそうにしながらも、はっきり「好きだ」と伝えた。
自分に向けた言葉ではないと知りつつも、フローラは思わず両手で口元を抑える。
恋愛結婚派であるフローラは、強く憧れているのだ。真っ直ぐと好意を向けられる夢のような光景に。
(ですが。オリヴィアはどうして……?)
アメリアもフローラと同じく、一度は憧れた事のある光景を目の当たりにし、羨ましいという感情を抱く。
ただ、今はそれ以上にオリヴィアの様子が気掛かりだった。
(わかりませんわ。オリヴィアも、決してストル様が嫌ということはないでしょうに)
同様の疑問はフローラも抱いている。
オリヴィアとストルの仲は傍から見る限りは良好だった。
恋愛感情とは違うのだと言われればそれまでだが、答えとして適切ではないような気がした。
(そうですね……)
アメリアはそっと唇へ指を当てながら、妖精族の里でのオリヴィアの様子を振り返る。
最初に誘ったから。とりわけ、中心人物だったからか。彼女はマレットの話題を出す事が多かった。
けれど、ストルも負けてはいない。
魔術式の構築もそうだが、自分の『羽・銃撃型』に魔法陣を仕込む時も彼に相談を持ち掛けている。
精霊魔術を訪ねるのであればリタという選択肢もあったのに、彼女はストルの名を挙げたのだ。
これはオリヴィアがストルを認めており、信頼に値する存在だという証明に他ならない。
勿論、恋愛感情へこじつけるにしては聊か強引すぎるとアメリア自身も理解している。
自分だって頼りにしている仲間は数多く居るが、恋慕を抱いているかどうかといえば別の話だ。
(そうなると、オリヴィアはあくまで仲間として信頼しているだけなのでしょうか?)
状況だけを鑑みれば、そういう結論へ至っても何らおかしくはない。
やはり、彼女の意思を尊重するべきなのかもしれない。
ストルには悪いが、彼の後押しは控えよう。そんなアメリアの気持ちがひっくり返されるのは、直後の事だった。
(アメリア、あれ!)
(ええ……)
壁の向こう側から、顔を覗かせる二人。
そこには何度も顔を上げては、既に去ったストルの背中を追うオリヴィアの姿が眼に映る。
何度も視線を上下に動かす様子から、未練を感じ取るのは容易だった。
(やっぱり、オリヴィアもストル様のこと……)
(ええ、恐らくは)
フローラがそう結論付けるのも、無理はない。
どうにかならないかと頭を抱える彼女を尻目に、アメリアはある決意を胸に秘めていた。
……*
「ストル! えと、あの、その、元気だして!」
その頃。
研究所では、妖精族の男性が口を半開きにしながら虚ろな眼で天井を見上げている。
今しがたオリヴィアにフラれたばかりのストルは、生真面目という自分の長所すらも投げ棄てる程に落ち込んでいた。
リタが懸命に励ますも心在らずと言った有様で、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ありゃ、フラれちまったのか」
「うっ!」
「ベルちゃん!」
出来上がったばかりの傷を深く抉られ、ストルが顔を強張らせる。
頑張って慰めようとしていた努力が水泡に帰し、リタは眉を下げながらも声を荒げた。
「アタシの見立てでは、分が悪いとは思わなかったけどな」
別に傷を抉るつもりはないと、マレットは弁明をする。
事実、あれだけ尻込みしていたというのに、きちんと行動に移した点は評価に値する。
一方で、自分の思い描いたものとは違う結果で終わった事については彼女も納得をしていない。
余程ヘタクソな告白でもしたのだろうかと、邪推をしてしまう。
「だよね。よくストルとオリヴィアちゃんで、魔術の話をして盛り上がってたのに」
「それはオリヴィアが、転移魔術の構築と精霊魔術に興味を示していたからでしょうね。
現に、魔術以外の話はあまりした記憶がありません……」
オリヴィアとの思い出を振り返るストルだったが、段々と声のトーンが下がっていく。
あくまで自分とは、魔術を語り合う相手に過ぎない。
仲のいい友人の一人だと、突き付けられているような気がしたからだ。
「また元気がなくなってきちゃった……」
「慰めの言葉すら逆効果だな。こりゃ」
いくら励まそうとも、結局同じところに帰結してしまう。
どうしたものかとリタが頭を抱え、マレットが眉を顰めた時の事だった。
「リタ」
研究所の外から、リタの名を呼ぶ声が聴こえる。
窓を開けるとそこには、夜に溶け込む鼠色の巨体を持つ者。リタの恋人でもある魔獣族の王が、研究所へと訪れていた。
「レイバーン、どうかしたの?」
「シンやテランが研究所へ向かうと言っていたのでな。
余もストルの様子とリタの迎えを兼ねて、顔を出したというわけだ」
レイバーンの言葉が指し示す通り、間も無く研究所の扉が開く。
冷たい空気と共に研究所へ足を踏み入れたのは、シンとテランの二人だった。
「よう。こんな夜中にどうしたんだ?」
「僕もミスリアへ帰ることになったからね。色々と荷物を纏めて置く必要が出来たのさ」
マレットの問いに、やれやれと肩を竦めてみせるテラン。
台詞の根底から、どうやら彼の本心はミスリアよりも妖精族の里へ暮らしたいという思いが強いようにも感じられた。
「シンは?」
「フェリーがイリシャのところへ顔を出しているから、ちょっと寄ってみただけだ。
……じゃなくて、これはどういう状況なんだ?」
マレットから同様の質問が投げかけられ、反射的に答えたシン。
彼も彼で、目の前で繰り広げられている異様な光景を訊かずには居られなかった。
視界に映るのは、すっかりと意気消沈をしているストル。
どちらかと言えば、落ち込んだリタの方がしていそうな体勢だと考えながら、ストルをじっと眺めていた。
「ええとね、これは……」
「ストルがオリヴィアにフラれたんだ」
「ちょ、ベルちゃん!」
自分の口から言ってもいいものかと逡巡しながら、リタはストルの顔色を窺う。
今の彼は非常に傷つきやすい。追い撃ちは避けたいという優しさを覗かせる。
尤も、マレットは間髪入れる事なくストルが失恋したという事実を三人へ伝えた事で台無しとなってしまったのだが。
「隠したってしゃあねえだろ。ていうか、隠しきれないだろ」
「そうだけど、言い方が色々と……」
こういう時、マレットの性格は諸刃の剣に近い。
何度も「フラれた」を強調されて、ストルは無事でいられるのだろうか。
「い、いえ。構いません、リタ様。これはきっと罰なのです。
リタ様とレイバーン殿の仲を快く思っていなかった頃の、私に対する……」
ストルは少し前までの、妖精族以外の種族を忌避していた頃の自分を思い出す。
リタがレイバーンへ抱き続けていた淡い恋心を、彼は快く思っていなかった。
より親密な仲へと進展する前に。関係性が変化する前に、そのまま自然と消えてはくれないだろうか。
泡が消えるように、一時の気の迷いだったと自覚してもらえないだろうか。
最低な考えを抱いていた自分が居たと言う事実が、今はただただ恥ずかしい。
そんな自分が、同じく他種族である人間へ恋心を抱いたのだから笑い種だ。
リタとレイバーンが許しても、きっと愛と豊穣の神は許さなかった。
罰が当たったのだ。信仰心の高さ故か、ストルはそう考え始める。
「ストル、怒るよ」
しかし、ストルが自嘲気味に呟いた言葉はリタにとって受け入れ難いものだった。
彼を慰めようとしていた態度から一変。少しばかりの怒気と、沢山の優しさを含めながら彼女は諭し始める。
「愛と豊穣の神様はそんなに器の小さい神様じゃないよ。
色んな人の『好き』を形に変えてくれたし、ストルだって変われたじゃない。
罰を与えたんじゃなくて、導いてくれてたんだよ。ちゃんと他の種族同士でも、好きになれるって」
「リタ様……。すみません、私が間違っていました」
誰よりも愛と豊穣の神に祈りを捧げている者からの言葉に、ストルは己の考えを改めた。
リタの言う通りだ。リタの恋心が叶ったからこそ、自分もオリヴィアに恋慕を抱くきっかけが出来たのだ。
上手く行かなかったからと言って、神に八つ当たりをするなんてもってのほかだと、ストルは愛と豊穣の神へ懺悔をした。
「まぁ、結局は何でフラれたか解らないままだけどな。
お前らも、なんか心当たりとかあったりするか?」
しかし、状況は何ひとつ変わってはいない。
結局、オリヴィアにとってストルは仲の良い友人に過ぎないのか。
少しでもヒントの欠片が無ければ先へ進めようがない。
大した期待を抱く事なく、何気ない言葉でマレットはシン達へと問う。
「ベルちゃん、それはいくらなんでも無茶振りが……」
確かに行き詰ってはいるが、雑に振り過ぎだとリタが嗜めようとした時だった。
「――ある」
意外な返答が、研究所に響き渡る。
声を上げたのは、シン、レイバーン、テラン。
つい先刻、研究所へ三人全員が確かにそう告げた。
「えっ……」
「本当か!?」
「へぇ」
重なる声にリタは言葉を失い、ストルは思わず目を見開く。
とても他人を茶化しそうにない三人の言葉に、マレットは感心をしていた。
……*
|妖精族謹製の果実酒から放たれる芳醇な香りが、鼻腔を擽る。
紅玉のように美しい液体が波打つ姿はとても魅力的で、オリヴィアは思わず生唾を呑み込んでしまう。
「珍しいですね。お姉さまの方から、お酒を飲もうだなんて」
ぐるぐるとグラスを回し、一際香りを際立たせる。
香りで果実酒を愉しみながらも、視線は注いでくれた姉へと向けられていた。
アメリアは普段、自分から酒を呑もうとなどは言い出さない。
だからといって、酒に弱い訳ではない。むしろ、強い方だろう。
あまり飲まないのは、悪酔いしてしまう自分を嗜める為だとオリヴィアは思っている。
だからこそ、意外なのだ。
こうして彼女が、お酒を注いでくれた事が。
「頂いたお酒をお土産として持ち帰るにしても、数が多すぎますからね。
荷物を減らすため。それとこれまでの労いを兼ねて、今日は特別です」
「お姉さま……!」
優しい笑みを浮かべる姉の姿に、感動を覚える妹。
慈しみの心に感謝をしながら、オリヴィアは果実酒を舌で転がしていく。
(アメリア、今日は騎士の顔だわ……)
一方で、アメリアから考えを聞かされていたフローラは何度も瞬きをして二人の顔色を窺っていた。
表向きこそはいつもの優しいアメリアだが、いつもの恋愛話に頬を赤らめる可愛らしい彼女の姿ではない。
その美貌と凛とした佇まいでミスリア国内に於いて絶大な人気を誇る騎士の姿が、垣間見えた。
流石はオリヴィアの姉というところだろうか。
いや、次期当主として様々な荒波に立ち向かってきたからか。オリヴィアよりも一枚上手かもしれない。
現に、あくまで表面上は姉の顔をしたままでいるのだから。
「さあ、フローラ様も」
一人緊張感を走らせるフローラをよそに、アメリアは彼女のグラスにも果実酒を注ぐ。
空洞を満たしていく液体が、感情の解放を促しているようにも見えた。
「え、ええ。ありがとう、アメリア」
促されるままに、フローラも果実酒を口へと含んでいく。
それでも緊張感は収まらない。アメリアはオリヴィアへ、どんな言葉を掛けるつもりでいるのか。
ただ、フローラの胸の内に不安や心配といったものは存在していない。
彼女は知っている。アメリアがどれだけ、オリヴィアの幸せを願っているかを。
アメリアだけではない。フローラ自身も、当然オリヴィアの幸せを願っている。
だから、まずは彼女の気持ちを紐解いていかなくてはならない。
他の誰でもない。オリヴィア自身の為に。