27.姉妹の笑顔
イレーネは耳を疑った。
最愛の妹がそんな事を言うなんて、夢にも思わなかった。
執着していた……とまでは思っていないが、フローラはこの国を治める事を目標にしていたはずだ。
国王を支え、彼の没後は民草を護る為に身を粉にしていた王妃の姿は彼女の誇りだっただろうに。
ならば、どうして先刻の発言に至ったのだろうか。
驚きで停止しかけの脳に活を入れ、自分の理解が及ぶ範囲での答えを導きだそうとする。
意中の殿方が現れた訳ではないならと思い浮かんだのは、王位継承権。
しかし、第一位であったアルマは既に継承権を剥奪されている。
現在、正当な継承権を持つのは自分とフローラのみ。
更に言えば、正室の娘であるフローラが優先されるのだ。彼女の前に障害はない。
「――この王宮が破壊された時のことを、覚えていますか?」
フローラは言葉を失っていたイレーネへ問う。
待ちに待った可愛い妹との再会なのに、どこか寂しさを孕んだ微笑みから物悲しさが伝播したようだった。
「もちろん。忘れられるはずがありませんわ」
イレーネの言葉に嘘はなかった。
無論、まだ一年も経っていないからではない。何年、何十年経とうとも忘れられるはずがない。
邪神の『核』を心臓に埋め込まれ、『傲慢』として覚醒した彼女が引き起こしたものなのだから。
「……はい。私の人生で、一番の過ちです」
「ですが、それは!」
表情に影を落とすフローラを照らすべく、イレーネは声を張り上げる。
頭では理解している。自らの意思でないにしろ、フローラが心を痛めるのも無理はない。
「フローラは何も悪くありません! 悪いのはビルフレストではありませんか!
死者だっていなかったんです、貴女は何も失っていません!」
リタとレイバーンの活躍もあり奇跡的に死者はゼロに抑えられた。
負傷者こそ少なくはなかったが、それもリタやストルが懸命に魔術で治療をしてくれていた。
壊れた物は直せばいい。フローラが気に病むものなどひとつもないのだと訴える。
けれど、フローラの顔に光は宿らない。
少しだけ困ったような笑みをまっすぐに向けられ、イレーネはまたしても言葉を失った。
「わたしたちも、同じように説得したんですけどね」
「オリヴィア……」
眉尻を下げながら、オリヴィアが声を漏らす。
物悲しさというより、寂しさを含ませた声は彼女の感情を代弁しているようだった。
オリヴィアの反応は、護衛だからというだけではないというのが伺える。
幼い頃から姉妹のように育ったフローラが王妃になるのを、心から願っていたのだろう。
「アメリア。アメリアは、どう考えているのですか……?」
「それは……」
同じ事はアメリアにも言える。一体、彼女はどう考えているのだろうか。
イレーネが問うと、アメリアの視線が微かに泳いだ。
その先にはフローラが居る。彼女を慮って言葉に出来ないということだろうか。
「皆がそう言ってくれます。ですが、私が民を傷つけた事実は変わりません。
私にはこの国を治める資格はありません」
「フローラ……」
きっとこの場に到着するまで、何度もこの押し問答を行ったのだろう。
アメリアとオリヴィアは無念さを滲ませながらも、フローラの言葉を受け入れている様子だった。
「フィロメナ様はよろしいのですか!?」
従者である二人は主の決定に逆らえない。
ならば、王妃はどう考えているのか。藁にもすがる思いで、イレーネはフィロメナへ問う。
「他でもないフローラ本人が考えて出した結論です。
私は、この子の意見を尊重してあげたいと思っています」
「フィロメナ様……」
フィロメナの言葉は、自身が納得した訳ではないと暗に語っているようでもあった。
それでも異を唱えないのは、きっとアルマの件があるからだろう。
一国の長が実の娘にだけ甘い判断を下すという判断を、彼女は良しとしなかったのだ。
「フィロメナ様……」
フィロメナの人柄はよく知っている。
フローラが妖精族の里に滞在している間、間近で見てきたのだから。
彼女の持つ高潔さは、イレーネにとっても憧れの対象だった。
けれど、今回に於いてはそれが裏目に出ている。
一体どうすれば、フローラは思いとどまってくれるのだろうか。
妹との再会に浮かれていた事などすっかり頭から消え去り、あらゆる可能性を模索する。
狼狽する姉の姿を見て、フローラはふっと柔らかな笑みを浮かべる。
現在の自分とは対照的な姿に、イレーネの混乱は加速する。
「イレーネ姉様なら、きっとこの国をより良くできます。
私も陰ながら協力いたします。ともに、ミスリアを支えていきましょう」
「……!」
フローラのその言葉で、イレーネははっと我に返った。
こんな簡単な話に、今の今まで気付かなかった程に動揺していたのだと思い知る。
第一王女は、先の戦いで命を失った。
第一王子は、継承権を剥奪された。
そして、第三王女が自ら王位継承権を放棄しようとしている。
残る継承権を持つ人間は、イレーネ自身のみ。
王位継承権でいえば最下位だった自分のみが、残ってしまった。
「フローラ! 私は――」
「イレーネ姉様は、戦火に巻き込まれることも覚悟してミスリアへ残っていました。
どれだけの兵士が、民が、その姿に励まされたかは想像に難くありません」
きっと口から出てくるのは「王位を継ぐつもりはない」という言葉なのだろう。
フローラは言葉を遮り、彼女の背中を押そうとする。
「意思は固いのですか?」
「はい、考え抜いた末の結論です」
想定内のやり取りだと、フローラは黙って頷いた。
イレーネだって、今は突然の出来事で混乱しているだけ。
必ず理解してくれると。そう信じていた。
「フローラ――」
だが、フローラの思惑通りに事は運ばれない。
向き合った先にいる姉の姿は、ぎこちなく眉を吊り上げていた。
慣れていないのが見て取れるが、向けられている感情が怒りだというのは伝わる。
「ね、姉様……?」
ここでフローラが、初めてたじろぐ。
見た事のないイレーネの表情に、どうすればいいのかと困惑していた。
「フローラ、ちょっと来てください!」
「イ、イレーネ姉様!?」
返事を待つ前に、イレーネは妹の腕を掴む。
そのまま手を引くと、速足で玉座の間を後にした。
「イレーネ様!?」
当然ながら、同席していたアメリアやオリヴィア、ロティスにも動揺が走る。
慌てて追いかけようとする護衛を制したのは、フィロメナだった。
「二人で話をさせてあげましょう。
きっと、その方があの子たちも納得すると思うから」
「フィロメナ様……」
誰が王位を継ぐ事になったとしても、決断は子供達で決めるべきだ。
口から出た言葉は、間違いなくフィロメナの本心だった。
……*
「あ、あの……」
連れ出された先で、フローラは困惑していた。
眼前には淹れたての紅茶が波打っている。
「どうですか? 私も、紅茶を淹れるのが上手くなったと思いませんか?」
自身たっぷりに胸を張るイレーネ。
確かに湯気と共に立ち昇る香りは、どこか安心感を漂わせていた。
口に含むと、フローラは身体が芯から温まっていくのを感じていた。
「はい、とても美味しいです」
「やっと笑ってくれました」
「やっと……?」
呼応するようにイレーネが笑みを浮かべると、フローラは目をぱちくりとさせる。
先刻までも笑顔を浮かべていた。そのはずだと、小首を傾げる。
「あんな無理をして作った笑顔なんて、数のうちに入りませんわ。
私はこう見えても、貴女の姉なのですから」
幼い頃から遠巻きにずっと見ていたのだ。本心からの笑顔かどうかぐらいは、すぐに判断できる。
首を左右に振りながら、イレーネはそう答えた。
「フローラ。貴女の考えは解りました。けれど、私が知りたいのは貴女の本心です。
ここなら二人きりですから、思う存分に話してくださいな」
妹へそれだけ伝えると、イレーネは自らも紅茶を一口含む。
今日は特段上手に淹れる事が出来たと、自分でも思う。
「……」
一方で、本心を問われたフローラは沈黙を貫く。
それは同時に、王位継承権の放棄が彼女の本心ではない事を表していた。
尤も、イレーネとてこの状況を良しとはしていない。
彼女をここへ連れ出したのは、自分の気持ちを伝える為だ。
「フローラ。私もね、王位を継ぐつもりはないんですよ」
カップを置き、穏やかな笑みを浮かべながら。
イレーネは自らの本心を告げた。もちろん、嘘偽りのない本心を。
「なぜですか!?」
姉の口から告げられた言葉に耳を疑ったフローラは、思わず立ち上がってしまう。
見下ろした姉の姿は、落ち着き払っていた。それどころか、自分の様子にくすりと笑みを浮かべてすらいる。
「だって、私。そんな準備をちっともしていなかったんですもの」
あっけらかんと話すイレーネの姿に、フローラは面を食らう。
「生まれた時にはバルバラ姉様がいたでしょう?
それから貴女が産まれて、アルマが産まれて。
私の王位継承権はずっと一番下だったのですから、仕方ありませんね」
指を唇に当てながら「支持してくれていた皆には、内緒ですよ?」とイレーネは続ける。
その仕草で、フローラは察した。ああ、これは嘘なのだと。
ここまで他人を慮れる彼女が、慕ってくれる従者を蔑ろにするはずがない。
けれど、そう思われてまでも自分に王位継承権を棄てて欲しくない。姉の優しさが、垣間見える。
「……そうですか、それなら、仕方ありませんね」
「ええ、仕方ありませんの。だから、フローラに頑張ってもらいたいのです」
フローラは腰を下ろすと、姉の入れてくれた紅茶を再び口へと含んだ。
とても温かく、安心する味だった。
「わかりました。では、一緒に頑張りましょう」
「ええ!」
心からの笑顔を前にして、イレーネの頬も緩む。
幼い頃から夢見てきた光景を前にして、彼女は幸せを享受していた。




