24.交錯する想い(後編)
明日の訓練に向けて、準備をしなくてはならない。
夕食を済ませたヴァレリアが準備室へ向かうと、そこには一人の少女が立っていた。
「あ、ヴァレリア先生」
「イディナか」
いつものように、イディナは元気いっぱいの声を響かせる。
対するヴァレリアはほんの少しだけ複雑な表情を見せながら、彼女の笑顔に応えた。
(お節介というか、横槍というか。悪いことをしたよなぁ……)
理由は明確だ。昼間は彼女の感情に踏み込み過ぎてしまった。
まだ若いというのに、イディナは自分より余程物事を考えている。
そう思うとなんだか申し訳なくなってしまい、ヴァレリアは己の頭をボリボリと掻いた。
尤も、イルシオンとイディナの仲が深まって欲しいという大前提は変わらない。
イディナは健気だ。どうにかして、彼女の恋心を成就させてやれないだろうか。
訓練も始まるというのに慣れない事へ思考を費やしている中。
ふと、小首を傾げるイディナの姿が視界に映った。
「あれ?」
彼女は眉間に皺を寄せて視線を送っている。
その先にあるのは、訓練で扱う木剣が並べられていた。
「どうかしたのか?」
「えっと、木剣が一本足りないんです」
ひょいと上から、ヴァレリアが覗き込む。
イディナの言葉を受け、視線を滑らせながら頭の中で本数を数える。
確かに彼女の言う通りだった。在るはずの木剣が、一本足りない。
「誰かが、片付けをサボりやがったか……?」
彼女にとって、この状況は由々しき事態でもある。
騎士として、剣は自分や祖国を護る相棒だ。
訓練用の木剣とはいえ、その管理の大切さをヴァレリアは日々説いていた。
犯人を見つけ次第、説教をしてやらなくてはならない。
握り締められた拳が掌へぶつかり、乾いた音を鳴らした時だった。
「なっ、なんだぁ!?」
轟音と共に、閉じた扉がその身を軋ませる。
扉の向こう側に存在しているのは、訓練室。
今日の訓練はとうに終了している。
誰かが自主的に訓練をしているのだろうか。
だとすれば感心なのだが、響き続ける音はそうだと言ってはくれなかった。
「ヴァレリア先生……」
「ああ」
ヴァレリアとイディナは互いに顔を見合わせ、深く頷く。
伝わる音と振動の原因を探るべく、二人は訓練室へと繋がる扉へ手を掛けた。
……*
単調にならないよう走り回りながら、ディダは魔術を放ち続ける。
手が止まらぬようにと詠唱を破棄しながらも、きちんと威力は保たれている。
それは間違いなく、彼が研鑽を積み重ねた証だった。
(ディダの奴、ここまで――)
イルシオンは感心すると同時に、木剣に魔力を込めては放たれた魔術を弾き返す。
思考を介さず、反射的に起きた行動は負けず嫌いから来るものなのか。それとも、他の感情に依るものなのか。
今の彼には、明確な答えが出せなかった。
「こっちは全力でやってるってのに」
魔術が返される様に、ディダは歯痒さを覚えた。
イルシオンが手に持っているのは訓練用の木剣だ。紅龍王の神剣ではない。
にも関わらず、いとも容易くいなされる。
納得はしている。イルシオンだって、ずっと研鑽を重ねて来た。
ずっと見て来た。実力差が縮まっていない事ぐらいは理解している。
けれど、それは諦める理由にはならない。
もしも彼が本気でなくとも土をつける事が出来れば、自分にとって大きな自信となる。
惚れた女を護れるぐらいの強さは持っていると、胸を張って言える。
だから、全力で戦う。
自分が今絞り出している力は、イディナへの想いの大きさだと言わんばかりに。
「これならどうだ!? イルシオン・ステラリード!」
魔力によって生成された石柱から放たれるのは、無数の石の矢。
大きな魔術を扱う事を好むディダにとって、手数を増やすにはこの方法がやり易かった。
瞬時に現れた石の塊がイルシオンの視界を覆う。逃げ場はない。
尤も。戦いに於いて、想いの強さが結果に結びつくとは限らない。
或いは、イルシオンが表に出さない感情がディダ以上だったのか。
魔術が放たれたとほぼ同時に、決着はついていた。
「なッ!?」
イルシオンは石の矢を諸共せず、最短距離を駆ける。
魔力を足に込め、加速をする。矢の雨へ直進をする姿は、自傷行為にしか見えなかった。
あくまで、ディダの視点ではの話だが。
イルシオンにとっては無謀な行動でもなんでもない。
直感的に「出来る」と判断したからこそ、この手段を採ったに過ぎない。
紅龍王にも称された類まれな魔力を用いた身体操作の才を、彼は如何なく発揮する。
迫る石の矢を木剣で砕きながらも、その足は前へ進む事を止めない。
数秒もしないうちに、木剣の先端はディダの喉元を捉えていた。
「勝負あり……。だな」
言い淀めながらも、イルシオンは己の勝利を宣言する。
自分はディダの恋心を打ち砕いた。その結果が正しいかどうかを、悩んでいた。
「……やっぱ、アンタ強えや」
苦虫を噛み潰したような顔をするとイルシオンとは対照的に、ディダからは笑みが零れる。
惚れた女が惚れている男が強くて、心底安心をしている顔だった。
「で、アンタの気持ちはどうなんですか?
ジブンを失恋させたんですから、納得できる答えなんでしょうね」
木剣とはいえ、喉元に切っ先を突きつけられながらもこの胆力だ。
ディダは本当に強くなったと、イルシオンは改めて感じていた。
「ああ。オレは、イディナを好いている」
一拍の間を置いて、イルシオンは自らの気持ちを答えた。
ディダにとっても納得のできる答えが、訓練室にこだまする。
「だったら、なんでそんな顔してんスか」
だが、ディダはまだ腑に落ちない。
未だイルシオンの顔が、重く苦しいものだったからだ。
「……分からないんだ。オレの中で、まだクレシアへの気持ちがずっと残っている。
それなのに、イディナに好意を抱いてしまっている。
こんな浮ついた男だったのかと、自分が嫌になるんだ」
もう口にしてしまったのだからと、イルシオンは己の気持ちを吐露する。
彼はクレシアを愛している。現在に至るまで、彼女を忘れた事は一日たりとも無い。
それなのに、イディナへ好意を抱いてしまっている。
クレシアは自分を護って命を落としたというのに。イディナを代わりにして、心の隙間を埋めようとしているのではないか。
許されない感情なのではないか。許されるべきではないのではないかと、イルシオンは考えるようになっていた。
「すまなかった。オレが勝ったのは、ただイディナを取られたくないだけなんだ。
本当はオレに、お前の恋路を邪魔する権利なんてないのに」
イディナの幸せを何も考えていない行為。
本当に自分勝手だなと、イルシオンが自嘲気味に笑みを浮かべた時だった。
訓練室と準備室を繋ぐ扉が、勢いよく開かれる。
「そんなこと考えてたのか。成長した分、無駄に悩みやがって」
「ヴァッ……ヴァレリア姉!?」
現れたのは、髪を短くまとめた長身の女性。
見間違うはずもない。クレシアの姉であるヴァレリア・エトワールその人だった。
それだけでも赤面するイルシオンだが、この場に居合わせたのは彼女だけではない。
「す、すみません。ぼくもいます……」
「イディナまで!?」
扉からはもうひとり。ばつの悪そうな顔で、イディナが姿を見せる。
口をあんぐりと開けるイルシオンとディダ。一体どこから居合わせていたのかと、思考を巡らせても答えは解らない。
「ご、ごめんなさい! 盗み聞きするつもりはなくって……!」
「イディナは気にしなくてもいい。こいつらが勝手に訓練室を使ってたんだから」
ペコペコと頭を下げるイディナだが、ヴァレリアは全く意に介していない。
彼女の言う通り、勝手に訓練室を使っていたのは自分達だ。文句を言う権利は持ち合わせていなかった。
「団長の言う通りです。ハイ……」
もっと時間と場所を考えるべきだったと反省する一方で、ディダはある事に気が付いた。
しきりに頭を下げるイディナの顔が、僅かに紅潮しているのだ。
それを受けて、彼は少しだけ余裕を取り戻していた。
(よかったな、イディナ)
ずっとイディナを見て来たからこそ、知っている。
彼女の視線は、常にイルシオンを探し求めていた。その感情が恋慕だというのも、確信があった。
経緯はどうあれ、彼女は結果的にイルシオンから好意を向けられている事に気付いたのだ。
ウジウジしている男次第だが、確実に種は撒かれた。
「じゃ、ジブンはこれで……」
ただ、これ以上この場に留まるのは居た堪れない。
イディナより深く頭を落としながら、そそくさと立ち去ろうとした時だった。
「ディダ」
「はひっ」
頭上から自分の名前を呼ぶ声は、厳しい団長のものだった。
訓練でたっぷりと刷り込まれたからか。脊髄反射的に背筋が伸びる。
「ありがとな」
また叱られるのかと遠い目をするディダの鼓膜を揺らしたのは、意外な言葉だった。
ヴァレリアの意図を汲み取ると、ディダは一度大きなため息を吐いた。
「ジブンは決闘に負けて、しかもフラれただけの情けない男ですけどね」
ディダが目配せをした先には、照れた顔をするイルシオンとイディナが立っている。
どこかむず痒いと同時に、羨ましい光景。
「いいや。今までで一番男らしかったさ」
「……なんスか、それ」
目を細めながら、ヴァレリアはぽつりと呟く。
訓練の時とはまるで違う彼女の様子に、ディダは苦笑をした。
「言っときますけど、ジブンこれでも本気の失恋なんで。
あんまり明日はいじめないでくださいね」
「しょうがねぇな。特別だぞ」
少しだけ涙声になったディダを、ヴァレリアは敢えて見送らなかった。
彼に改めて感謝を示しつつ、目線はイルシオンとイディナを捉える。
「イディナ。その、すまない。君を困らせるつもりはなくて」
しどろもどろに弁明をするイルシオン。
気の多い男だと幻滅されただろうかと焦る傍ら、操を立てていないとクレシアへ心の中で謝罪も行う。
感情はぐちゃぐちゃで、とても整理の出来る状況ではない。
「い、いえ! イルさんがクレシアさんを好きなのは知っていますから!」
対するイディナも、とりあえず言葉で繕ってみるものの考えはまるで纏まっていない。
ただ知っている情報を肥大化させているだけだ。
イルシオンはクレシアを好いている。これは大前提で、絶対だ。
彼が自分へ向けてくれている好意はクレシアが居ないからであって、彼女を越える事はない。
嬉しいというのに、自信の無さが足を引っ張っている状況だった。
「……はぁ」
その状況を受けて、ヴァレリアが一際大きなため息を吐く。
折角、イルシオンもイディナも素直になる好機だというのにまるで活かせていない。
これではディダの玉砕が意味のないものになってしまう。
誰も幸せにならない結果へと流れかねない事に、辟易していた。
「イルシオン。イディナ」
同時にヴァレリアは悟った。
ここから先は、自分の仕事なのだと。
「次の休み、ラットリアに行くぞ」
「……は?」
突如ヴァレリアから提示されたのは、ラットリアへの帰還。
イルシオンとイディナは揃って目を点にしながらも、声を重ねていた。




