21.ライラスのお見合い
魔術大国ミスリア。
その名が示す通り、魔術師達は日夜研究に勤しんでいる。
現存する魔術を組み合わせ、一歩前へ進めようとする者。
全く別のアプローチから、新たな魔術を生み出そうとする者。
人によって違いはあれど、彼らは寝る間も惜しんで魔術と向き合っていた。
尤も、ミスリアの強みは魔術師だけではない。
強い魔力を用いて自らの肉体を強化した騎士団は、他国とは一線を画している。
刃を研ぐかのように、彼らは早朝から自らの肉体と技術を鍛えていた。
「縁談んんんんっ!?」
そんな騎士団の一日が始まる時間。
騎士団長であるヴァレリアの驚嘆と困惑の入り混じった叫び声が、普段とは違う事を告げる。
「お前にか? 冗談にしても、もうちょっとマシなヤツ考えろよ」
眉間に寄った縦皺を指の腹で戻そうと試みるが、すぐに戻ってしまう。
瞬きの回数も尋常ではない。相当困惑しているのだと自覚しながら、ヴァレリアは眼前の人物をまじまじと見つめていた。
「冗談ではないし、いくらなんでも失礼すぎるだろう。
自分だって五大貴族だぞ。縁談のひとつやふたつ、あってもおかしくないだろう」
「それはそうなんだけどな」
しかめっ面をしながら、筋肉質な男が異を唱える。
明らかに不機嫌な声色が、言葉にせずとも異議を申し立てていた。
「で、その物好きはどこのどいつなんだ?」
こほん。と咳払いをし、ヴァレリアは一番興味のある点を訪ねる。
「それが――」
僅かに戸惑いの表情を浮かべながら、ライラスが相手の名を口にする。
直後、ヴァレリアの眉間により高い縦皺が刻まれていた。
……*
「砂漠の国の皇女ぉ!?」
反芻するかの如く、ヴァレリアと全く同じ反応を見せたのはオリヴィアだった。
「またか」と若干の不満を募らせながら、ライラスは新たに加わった五大貴族の子息に状況の説明を再度行っていた。
「うむ……。和平を結ぶためということで縁談が持ち上がったそうだ」
事の発端は、砂漠の国が仕掛けた戦争にある。
ビルフレストに焚きつけられたとはいえ、砂漠の国側に侵略の意図があったのは明確だった。
ミスリアに完膚なきまでに打ちのめされた結果。
砂漠の国が採った選択は降伏と和平の証として砂漠の国の第二皇女を嫁がせるというものだった。
「完全に政略結婚じゃないですか」
「同じ理由で、フィロメナ様は断りを入れたらしいのだが……。
砂漠の国側がどうしてもということで、自分が見合いをする運びとなったのだ」
その背景には、フィロメナが世界再生の民とビルフレストの存在を世界へ宣言した事が関係している。
侵略行為はあくまで砂漠の国の意思であって、世界再生の民とは無関係だというポーズを取りたい。
彼らは戦争に負けた結果の落としどころとして、今回の縁談という形で手打ちにしたいのだ。
「砂漠の国からすればそれが最適解なのだろうが……。
オレたちからすれば聊か自作自演感が拭えないな……」
事の発端は世界再生の民。つまりは、ミスリアに蔓延る悪意から始まっている。
無論、砂漠の国もあわよくばミスリアを手に入れたいという色気はあっただろう。
それでも、やはり決め手はビルフレスト・エステレラを『悪』だと断じたタイミングだったはずだ。
もう少し。いや、もっと早ければ砂漠の国とその皇女の運命は変わっていたかもしれない。
邪神を巡る争いを終えてもまだまだ問題は山積みなのだと、イルシオンは実感させられた。
「砂漠の国の第二皇女といえば、サフィーヤ様だね」
「テラン、知っているのか?」
「期待に添えず申し訳ないけれど、名前だけだよ」
少しでも皇女の情報が欲しいのだろう。
喰いつきの良いライラスに対して、テランは「すまない」と首を横に振る。
「私はフローラ様の護衛でお会いしたことはありますけど。
物静かで、落ち着いた印象の方でしたよ」
「その時点でライラス……さんとは合わなさそうですね」
「どういう意味だ」
三年前の話ですが。と最後に付け加えながら、アメリアがテランの話に補足する。
途中でオリヴィアが茶化すものの、アメリアのため息を察知して口をきゅっと引き締めていた。
砂漠の国第二皇女、サフィーヤ・ファラガ。
アメリアとテランの話に偽りはなく、彼女はあまり民衆の前に姿を現さない。
故に情報も少なく、ライラスは困り果てていた。
「正直、そんな状態で見合いをするのは気が引けるのだが……」
色んな思惑が絡み合った結果、回避出来る様な状況ではない。
かといって、相手の事を何も知らないのは不安が勝る。
年長者でありながらも、ライラスは情けなく頭を抱えていた。
「っ! そうだ! テラン、自分の代わりに見合いをしては貰えないか!?
年も近いし、きっとエステレラ公もお喜びになるだろう!」
「待ってくれ。僕は世界再生の民の人間だったんだ。
皇女との縁談を受けてしまえば、それこそ陥れたと思われるだろう」
「そ、そうか……。そうだな……」
自作自演の相談には乗れないと断りを入れるテランに、ライラスはがっくりと肩を下ろす。
彼が次に目を付けたのは、同じくサフィーヤと年齢の近い少年だった。
「なら、イ――。あだっ!?」
イルシオンの名を挙げようとした瞬間。ライラスの脛に激痛が走る。
何事かと視線を下げようとした矢先に、彼の首元はヴァレリアによって強く握りしめられていた。
高身長のライラスにとって同じ目線から女性と向き合う機会は、それほど多くない。
普段なら少しでも気分が高揚する場面なのだろうが、この時ばかりは違っていた。
瞳に映るヴァレリアが、鬼の形相をしていたからだ。
「おい、ライラス。お前、なに言おうとした?」
「な、なんでもない……」
彼女の表情に、ライラスははっとさせられる。
イルシオンは、ヴァレリアの妹であるクレシアを想っていた。
両家の家族さえも公認していた二人だったが、先の戦いでクレシアは命を落とした。
彼女を喪った傷が完全に癒えていない中、政略結婚に巻き込むのは配慮が足りないと言わざるを得ない。
王妃もイルシオンの気持ちを考慮したからこそ、ライラスへ縁談を持って来たのだろうから。
「すまなかった、ヴァレリア嬢」
姉であるヴァレリアからしても、気分が良いとは言えないだろう。
逆の立場であれば、きっと自分も同じ怒りを抱いたはずだと、ライラスは素直に頭を下げる。
「分かればいいんだよ」
ため息をひとつ吐きながら、ヴァレリアはライラスから手を離す。
彼女が怒った理由はクレシアの他にもうひとつあるのだが、それはまた別の話となる。
「確認なのですが、フィロメナ様もこの縁談に積極的な訳ではないのですよね?
そのまま成就という話でもないでしょうし、お会いしてから考える形でも良いのではないですか?」
「う、ううむ。確かに、アメリア嬢の言う通りかもしれないな」
王妃と相手の顔を立てる為にも、出席自体はした方が良さそうだ。
相手をよく知らないが故の不安は拭えないものの、アメリアに諭されてライラスは漸くこの縁談に出席しようという気になる。
「ま、要するにムリする程のことでもないってこった。
行くだけ行って、断ったって誰もお前のことを責めたりはしないさ」
「ヴァレリア嬢……」
ポンとライラス肩に手を置き、ヴァレリアがカラッとした笑顔を見せる。
「面倒だからさっさと決めてこい」とでも言って突き放しそうな人物がアメリアの意見に同意するのは、彼にとっては驚きだった。
思えば彼女との付き合いも長い。「よもや」と、ライラスの脳裏にひとつの可能性が頭に過った。
「お前とビルフレストがいつまでも独り身だったから、アタシも実家の追及を躱せたんだ。
むしろ結婚されちまったら、防波堤が無くなるしな」
一切悪びれる様子もなく、ヴァレリアは屈託のない笑顔をライラスへと向ける。
縁談が持ち上がろうとも、断り続けたビルフレスト。
蒼龍王の神剣。正しくは神器を手元に戻したく、当主の都合で縁談が持ち上がらなかったライラス。
尤も、後者はそれ以前にビルフレストの影響であまり数が多くなかったのだが。
兎にも角にも。五大貴族の跡取りが二人も結婚をしなかった状況は、同い年のヴァレリアにとって非常に都合が良かったのだ。
「ああ、そうか。ヴァレリア嬢はそういう性格だったな……」
一瞬でも気があるとでも考えてしまった自分が馬鹿だったと、ライラスは深いため息を吐く。
結果はさておき、アメリアやヴァレリアの言う通り縁談を受ける流れは変わらないだろう。
ならば、自分には何が出来るのだろうか。
あまり思慮を巡らせる事を得意としない中。ライラスは見合いまでの数日間を、ただただ悩み続けていた。
その中で彼は、あるひとつの決断を下す。
……*
見合い当日。
形式的な挨拶を終え、ライラスは見合い相手のサフィーヤと二人きりの時間が設けられた。
「こう畏まって二人きりにされると、やはり緊張してしまいますね」
ぎこちない笑みを浮かべながら、ライラスは砂漠の国第二皇女、サフィーヤへと声を掛ける。
間を置いて行われた肯定の頷きが、二人の距離感を現わしているようだった。
(き、気まずい……)
サフィーヤは想像以上に大人しく、ライラスは困り果てていた。
亜麻色をした彼女の前髪は長く、表情が読み取り辛い。
(だが、やはり皇女というべきだろうか)
ただ、気の重さを差し引いてもライラスが彼女を美しいと感じ取るのは容易だった。
皇女らしく、所作の隅々にまで注意が払われている。
大人しいと言ったが、本来の彼女は慎みのある女性なのだろうと確信が持てる程に。
だからこそ、余計に感じざるを得ない。
彼女は決して、この縁談を望んでいないだろうと。
「サフィーヤ様。不躾ながらひとつ、お尋ねさせてください。
貴女はこの縁談を、どうお考えなのでしょうか?」
刹那、サフィーヤの身体が強張る。
ライラスは「しまった」と心の中で後悔をしながら、必死に彼女へと取り繕う。
「決して他意があるわけではありません。
どうお答えしようとも、他言は絶対しませんから!」
彼の言葉に嘘はない。
急な縁談で混乱しているのは自分も同じだ。
国としての思惑を抜きにした、彼女の本心を知りたいだけだった。
「……わたくしにとっては、良い話だと考えています。
隣国であるミスリアと良い関係を築く礎になれるのですから、光栄です。
父も、民も。きっと祝福してくださる。その誉れを胸に、わたくしはミスリアへ嫁ぎたいと思っています」
ライラスの言葉を受け、サフィーヤは丸まっていた背筋を伸ばす。
彼女は声こそは小さいながらもはっきりとした意思を伝える。
長い前髪の奥から覗かせる強い眼差しが、本心である事を訴えているようだった。
「そうですか……」
「ライラス様は、わたくしではご不満でしょうか?」
言葉をそっくり返すように。今度はサフィーヤがライラスへと問いかける。
不安が脳裏を過ったからなのか。先刻よりも言葉尻は弱く、尋ねるというよりは伺いを立てているようにも感じ取れる。
「そういうわけでは……」
「そうですか、良かったです」
戸惑いながらも否定するライラスに、サフィーヤはホッと胸を撫でおろす。
結婚の意思があり、相手に拒絶されていない。
確かに彼女にとっては喜ぶべき状況なのだろう。
けれど、ライラスの受け取り方は違っていた。
(彼女はあくまで、砂漠の国の民を想っているのか)
心の機微を読み取るのは得意でない。けれど、考えようともしないのは相手に失礼だ。
ライラスはこの数日、慣れないながらも必死にサフィーヤの事を考えていた。
故に気付けた。彼女は決して、自分の幸せを口にしていない。
国王の為。民の為。彼女は確かにそう言った。誉れだとも言った。
けれど、自分が幸せだという可能性には触れていない。役割を果たす為だと考えている節が見受けられる。
それほどまでに強く祖国を愛している者の自由を、奪っても良いのだろうかと自問自答をするライラス。
(いいや。良いはずがない)
尤も、答えは考えるまでも無かった。
既に可能性のひとつとして考えていたのだから。
この見合いで自分が好かれる可能性もあったが、都合の良い妄想に過ぎなかった。
モテる男と何が違うのだろうか。ほんの少し自らへの謎を増やしながら、ライラスはサフィーヤへと語り掛ける。
「不満はありません。ですが、自分ではきっと貴女を幸せには出来ないでしょう」
「え……?」
自分との結婚を望んでいないのであれば、この縁談は断ろう。
それが考え抜いた末に、ライラスが出した結論だった。
戸惑いを見せるサフィーヤをよそに、彼は続けていく。
「まず、自分は他人の感情を察するのがヘ……苦手です。
知らず知らずのうちに、怒らせてしまうことも少なくない」
突然の宣言に、呆気にとられるサフィーヤ。
何度も瞬きを行う彼女を尻目に、ライラスは己の右手に着けられた手袋を外していく。
覗かせるのは、魔硬金属で造られた人造の手。
前髪に隠れた視線が一直線に向けられるのを受け、ライラスは眼の前へと翳して見せた。
「右手もこの有様です。ある程度は自由に動かせますが、細かい動作で不便を感じることはあります。
一緒に生活をするうえで、サフィーヤ様に負担を与えてしまう恐れがあります」
「で、ですが!」
尤もらしい理由をつけ、あくまで自分に原因があるという体で縁談を断ろうとするライラス。
だが、それでは困るとサフィーヤが身を乗り出す。
清楚で大人しい印象の彼女が見せた、本気の焦り。
理由を考えるまでもない。
砂漠の国の民を思えば、何としてもこの縁談を成就させる必要があるのだから。
「サフィーヤ様、ご安心ください。砂漠の国のことでしたら心配無用です。
不利益が被らないよう、自分に出来ることは全てやってみせますから。
これでもミスリアの中では、それなりに権力を持っている方ですので!」
元々、王妃も砂漠の国に対して何かをしようという気は持っていない。
若くて美しい皇女が、望まぬ結婚に自分の人生を捧げる必要はないのだ。
「しかし、ライラス様にメリットが……」
「では、自分はやや気品に欠けるところがありますので。
残った時間でお茶を楽しみながら、それを教えて頂ければ」
自分は若く美しい皇女とお茶を楽しむ時間が出来る。
それだけで十分だと、ライラスは胸を強く叩いた。
……*
「よう、ライラス。昨日の見合いはどうだったんだ?」
翌日。
いつものように早朝の訓練を行う前に、ヴァレリアはライラスを呼び止める。
大人しく気品のある人物だったとフローラが語っていた事を、オリヴィアから聞いている。
贔屓目に見てもライラスとは合いそうにはない。どんな会話をしたのだろうかという、興味本位の問いかけだった。
「ヴァレリア嬢か。それがだな――」
「あん?」
しかし、ライラスの様子がおかしい。
浮かない表情というよりは、困惑混じりの様子だ。
伝えたい事が読み取れず、釣られてヴァレリアの眉まで下がってしまう。
次に彼が口にした言葉は、予想外の結果だった。
「どうやら自分は、気に入られてしまったようなのだ……」
「…………マジか?」
「マジのようだ」
困惑混じりでライラスは答える。彼の態度から、嘘を言っている様子はない。
義手となった右手の事を含め、真摯に向き合った態度。
砂漠の国の民だけではなく、皇女であるサフィーヤ自身を慮る言葉に彼女は強い感銘を受けたという。
ただ一人の人間として、関係を深めていきたい。
その申し出を受けたのは、見合いが終わった直後の事だった。
「自分も困惑しているが……。ヴァレリア嬢も、良い相手が見つかるといいな」
「ああそうだな……。って、うるせぇ!」
困惑した態度とは裏腹に嬉しそうなライラス。
隠しきれない喜びの中で出た軽はずみな発言を前に、ヴァレリアの怒りが訓練場にこだました。
その日の訓練中。
ヴァレリアが「なんであんなにデリカシーのないヤツが……」とブツブツ呟いていたのはまた別の話となる。




