20.愛と豊穣の神に誓う言葉
「お、お、おかっ、お母さんっ!?」
妖精族の女王であり、高位妖精族の末裔である少女。
リタ・レナータ・アルヴィオラは渦中の存在でありながら、ただただ困惑する事しかできない。
「ちょっ、えっ、ほんとのほんとの、ほんとなんだよね!?」
心の整理が追い付かない状況に胸を痛めていたと思えば、今度は頭の整理が追い付かない。
現実なのだろうかと、思わず頬をつねる程だった。
「愛と豊穣の神様に誓って、嘘は言っていないわ」
愛と豊穣の神に誓って。
リタは知っている。これが母にとってどれだけ大きな意味を持つ言葉であるかを。
父と母は誰よりも深い祈りを愛と豊穣の神に捧げて来た。いや、今も捧げ続けている。
数百年物間、真摯に。自分達が信仰する神と向き合って来たのだ。
だからこそ重みが違う。
女王であるリタや族長であるダスクでさえも、彼女の言葉を疑う事は出来ない。
「だから、貴方の心配は杞憂というわけ。分かったかしら?」
「う、ぐぐ……」
ダスクの意気が消沈しているのは、誰の目から見ても明らかだった。
高位妖精族の血脈を途絶えさせたくはないという主張はエリアナによって否定された。
リタとレイバーンの婚姻を認めない理由は、無くなったのだから。
「授かった命が男の子か女の子かは分からないけれど。
ダスク、私は貴方にも祝福して欲しいの。新しく生まれてくる、この子のことを」
糾弾するかのような強い口調から一転。
とても穏やかな声色で、エリアナは語り掛けた。
――まだ私の娘を、悲しませるつもりなのか。
と、目一杯の笑顔の中に強い威圧を含めながら。
これは『警告』だ。娘をまだ傷付けるようなら、容赦はしないという。
「……承知いたしました」
エリアナの意図を即座に理解できない程、ダスクも愚かではない。
妖精族の女王が魔獣族と婚姻を結ぶという事態を阻止出来なかった点は悔やまれるが、高位妖精族の血脈は紡がれる。
いつしか大勢の見物人が周囲を取り囲んでいる。
ここが落としどころなのだろうと観念したダスクは、首を縦に振った。
「高位妖精族の心配は無用のようですし、私はお暇させて頂きます。
エリアナ様、ウィレス様、リタ様。そして、レイバーン殿。お騒がせしたことを、お詫び申し上げます」
どこまでが本心かは判らない謝罪の言葉を述べ、踵を返すダスク。
砂利の擦れる音に呼応し、人の壁が左右に避けていく中。妖精族の老人は、姿を消していった。
「終わった……のか?」
「た、たぶん」
目まぐるしく変わる状況に圧倒されていたレチェリが声を漏らすと、イリシャが首肯をする。
自信がある訳ではないが、恐らくダスクがこのような手段を採る事はないだろう。そんな予感だけは、感じ取れた。
「さ、これにて一件落着ね」
「じゃないよ!」
僅かに残った緊張感を解すべく、両手を重ねるエリアナ。
柔らかな笑みを浮かべる彼女に待ち受けていたのは、困惑を交えながらも怒るリタの姿だった。
「お母さん! 確かに私はレイバーンと結婚したいし、子供も欲しいと思ってるよ!
でも、こんな方法で丸め込むのはダメだってば! 生まれてくる弟か妹のことも、考えてあげてよ!」
あくまでリタのみの幸せを考えるのであれば、エリアナのやり方は正しかったのだろう。
けれど、妖精族の女王であるリタ自身が受け入れられなかった。
高位妖精族の末裔として、血脈を紡ぐ。
祝福されて生まれるべき生命に、運命を強いる事になるのだから。
それも姉である自分の我儘が原因となれば、尚更だ。
「リタ、母さんはだな――」
「お父さんも! お母さんは言い出したら聞かないんだから、止めないと!」
母の本心を伝えるようとする父だったが、娘の剣幕に気圧される。
きちんと産まれてくる子供の心配をしてくれる優しい娘に育ったのは喜ばしい限りなのだが、如何せん状況が悪かった。
久しぶりの再会とは思えない、粗ぶった娘の声にウィレスはたじろいでしまう。
「リタ、落ち着きなさい。それに、あまりお父さんをいじめないの。
私は何も、お腹の子に高位妖精族の血を紡がせるなんて一言も言ってないじゃない」
「落ち着いてなんて居られ……えっ?」
エリアナが「もう」とため息を吐く傍らで、リタは目が点になっている。
母の言った意味がまるで理解できず呆然とする中で、エリアナはもう一度ため息を吐いた。
「私はリタだけが高位妖精族の末裔ではなくなるって、事実を述べただけよ。
お腹の子に、産まれる前から『ああしなさい』だとか『こうしなさい』だとは言うわけないじゃない。
貴女同様に、好きに生きて欲しいと思っているわ」
その言葉に偽りはない。エリアナとウィレスはどちらかというと、放任主義だ。
リタが妖精族の女王となって以来、直ぐに隠居したのが何よりの証拠でもある。
彼女がお腹の子に高位妖精族の末裔としての重圧を押し付ける気がないのは本当だろう。
「で、でも! それだとダスクさんが納得しないんじゃ……」
尤も、あくまでそれはエリアナの理屈だ。
ダスクは生まれてくる子供に高位妖精族の血脈を紡いでほしいと思っているに違いない。
少なくとも、そう認識させる事でこの場は収めたのだから。
「リタ。納得は貴女がさせるのよ」
「え?」
僅かに強くなった口調と共に、エリアナの白く細い指がリタへと向けられる。
「これは猶予よ。お腹の子が大きくなって、自分の生き方を自分で決められるように。
貴女もまた、妖精族の女王としてこれから皆の考え方を変えていくの。
居住特区が、きちんと皆に理解してもらえるように」
「お母さん……」
「貴女の様子はずっと光の精霊や土の精霊から、教えてもらっていたもの。
妖精族も護って、沢山の友達を作って、世界まで救って。お父さんもお母さんも、とても鼻が高いわ。
リタなら出来るわ。アルフヘイムの森に居る妖精族全てに、リタの理想が理解してもらえる。お母さんは、そう信じているわよ」
「母さんだけじゃない。父さんだって、リタなら出来ると信じているぞ」
「お父さんまで……」
娘へ送る両親からの声援を前に、リタの瞳が潤む。
赤くなった顔を見られないように。上擦った声を誤魔化しながら、少女は深々と頷いた。
「よかったな、リタ」
「レイバーン……」
膝をつき、高さを合わせようとする彼の腕をリタは強く握りしめる。
本当は不安だった。添い遂げられなかったらどうしようと何度も考えてしまった。
「お父さんとお母さんが来てくれただけじゃない。
レイバーンのおかげでもあるよ。妖精族の問題に何度も巻き込んで、ごめんね」
「リタの問題だ、余が出ないわけにはいかぬ。
ただ、あまり役に立てなかったと反省はしておるが」
「そんなことないよ。来てくれて、嬉しかった」
彼の優しさに触れ、リタの眼から涙が零れ出る。
泣きじゃくりながら首を左右に振るリタの頭を、レイバーンは大きな手で包み込んでいた。
「リタの言う通りよ」
泣きじゃくるリタはレイバーンへ任せたまま。
可愛い娘が嫁ごうとしている男の元へ近寄るのは、彼女の両親。
両親との対面は初めての経験であるが故、粗相が在ってはならない。
身体を強張らせるレイバーンだったが、その必要がないぐらいに二人は穏やかな笑みを浮かべていた。
「貴方のことも、光の精霊や土の精霊から教えてもらっていたわ。
ずっと一途にリタを想ってくれて、命まで差し出そうとしてくれたことも。
今回だってそう。ずっとリタの味方で居てくれて、本当にありがとう」
「エリアナに全て言われてしまったが、私も同じ気持ちだ。
どうか私たちの娘を、リタをよろしく頼む」
「お父上、お母上……」
干渉こそしなかったものの、娘の様子は離れてからもずっと気に掛けていた。
今ではその選択は間違っていなかったと、心から思える。
愛する娘を任せるに相応しい男が、こうして彼女と巡り合う事が出来たのだから。
「余の方こそ、感謝の言葉しかありません。
生涯の全てをリタに捧げることを、愛と豊穣の神に誓わせてもらいます」
「それはとても光栄だわ。ありがとう、レイバーンさん」
慣れない敬語を使いながら、二人に負けないほど深々と頭を下げるレイバーン。
ぎこちない仕草さえも彼の愚直さを現わしているようで、エリアナとウィレスからは笑みが零れた。
恋人と両親とのやり取りを前に、リタが照れくさそうに顔を上げる。
そんな彼女の様子に気付いたレイバーンは、改めてリタと向き合った。
きちんと伝えなくてはならない言葉を、伝える為に。
「リタ、この場で改めて伝えたい。
時間の許す限り、余と共に人生を歩んでくれはしないか?
余は、リタのことを愛しているのだ」
「私もだよ。ずっと、ずっと、一緒に居てね。愛してるよ」
次の瞬間。周囲が歓声に沸く。
この日。正式に、妖精族の女王と魔獣族の王は婚姻を結ぶ事となった。
約半年後。
アルフヘイムの森に、新たな高位妖精族の産声が鳴り響く。
それから更に一年後に、もうひとつの産声が上がる。
妖精族の女王と魔獣族の王との間に生まれた子供は、褐色の肌を持つ女の子だった。
ここから妖精族の里は、新たな歴史を刻み始める。
種族の壁を越えた理想郷を作るべく奔走する女王の姿を、愛と豊穣の神は常に見守り続けていた。




