表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その魔女に祝福を アフターストーリー  作者: 晴海翼
雫は泉へと混ざりゆく
2/27

2.思い出に蓋をして

 妖精族(エルフ)の里へと戻ってから三日。

 段々と広くなっていく部屋とは対照的に、オリヴィアの胸は締め付けられていく。


 ひとつ、またひとつ。

 自分が妖精族(エルフ)の里に居たという痕跡が、片付けられていく。


 もう二、三日もしないうちにこの家はもぬけの殻となるだろう。

 そこから先は、また侍女(メイド)に囲まれる日々。

 

 時には書斎で夜を明かす日もあるだろう。

 頬をべったりと机につけて、淑女らしからぬ朝を迎える。

 たったひとりで。


「誰も、起こしてはくれませんよね」


 妖精族(エルフ)の里での日々を思い出すかのように、ぽつりとオリヴィアは呟いた。

 今の生活では、独りぼっちの朝があるなんて考えられない。

 

 (アメリア)の訓練に混じる傍らで、悲鳴を上げる少年(ピース)

 皆のお母さん(イリシャ)に教わった料理を試したくてうずうずしている主君(フローラ)

 心地よい喧騒が鼓膜を揺らし、覚醒を果たす。


 例えそうでなくとも。

 研究チームの皆が、自分を起こしに来てくれる。

 持ってきてくれるのだ。沢山の楽しい事を。


 大変だったけれど、楽しかった。嬉しかった。

 こんなにも充実した毎日を送れたのは、初めてだったから。

 

(大丈夫……)


 ミスリアへ帰ったからと言って、交流が途絶える訳ではない。

 これからも、何かと協力する機会はあるだろう。

 だからそんなに落ち込む必要はないと、オリヴィアは自らに言い聞かせる。


 口をきゅっと引き締めながら、オリヴィアは部屋の片づけを進めていく。

 この最高の日々を忘れないように。思い出の欠片さえも溢さないようにと。


 


「アメリア、どう?」

「いつもの様子……とは言い難いですね」

「そう……」


 そんなオリヴィアの様子を見守っているのは、ふたつの影。

 姉であるアメリアと、主君であるフローラ。二人の姉が、沈む末妹を心配していた。


 定期的に吐き出されるため息。余韻に浸るかの如く止まる手。

 妖精族(エルフ)の里に未練があるのは、誰の目から見ても明らかだった。


「やはり、皆さんと離れるのが辛いようですね」


 三人が集まる時。ムードメーカーの役割を果たすのはオリヴィアだった。

 妹という立場を存分に楽しんでいたとも言えるが、気の許せる相手が限られている事が原因だろう。

 

 五大貴族という立場と、物怖じしない性格。

 何よりその才覚が、周囲との間に自然と壁を生み出していた。


 その行動も、オリヴィアなりに必死だった結果なのかもしれない。

 第三王女(フローラ)派は、第一王子(アルマ)の誕生以後明らかに勢いを失っていた。

 端から見れば茶会で遊んでいるように見えても、彼女はきっちりと己の役目を果たしていたのだ。

 主君であり、姉のような存在でもあるフローラを護り通すという、大切な役目を。


 元を辿れば、妖精族(エルフ)の里を訪れたのもその延長線上にある。

 けれども、この場所でオリヴィアが至福のひと時を過ごしたのは間違いない。

 あんなにも活き活きとした彼女は、初めて見たのだから。


「やはり、皆さんとの研究が楽しくて仕方なかったのですね……」


 オリヴィアの行動を振り返りながら、フローラが声を漏らす。

 朝から晩まで。下手をすれば、研究所に籠り切りで帰ってこない日すらあった。

 

 明らかにミスリア時代よりも苦労をしている。

 それでも、彼女の表情からは確かな充実感が読み取れた。

 なにせフローラがイリシャに料理を学ぼうと考えたのも、彼女の熱に中てられた結果なのだから。


「ええ。オリヴィア自身にとって、いい経験をしたのは間違いありません。

 いえ、私たちにとっても……」

「そうねぇ……」


 妖精族(エルフ)の里へ訪れて良かった。

 胸を張ってそう言えるのは、何もオリヴィアだけではない。

 アメリアやフローラも名残惜しくないかと問われれば、嘘になる。


 けれど、戦いはもう終わった。これから先、魔術大国ミスリアの王女として成さねばならない事は山ほどある。

 それに、妖精族(エルフ)の里を離れるのは何も自分達だけではない。

 シンやフェリーだって祖国(マギア)へと帰る。いつかはトリスも、ティーマ公国へ赴く日が訪れるだろう。

 

 数えきれない程の幸福に触れた、妖精族(エルフ)の里での日々は終わりを告げたのだ。

 これは各々の道を歩む為に。新しい日々を送る為に、必要な別れ。


 勿論。「残ってもいい」とオリヴィアへ伝えるのは簡単だ。

 しかし、アメリアもフローラも決して口にはしない。

 命令だと受け取られてしまえば、それこそ彼女から自由を奪ってしまうから。


(……なんて、私もオリヴィアに甘えていますわね)

 

 などと理由を並べてはいるものの、本当は自分もオリヴィアと離れたくない。

 だから口に出せないのだと、フローラは自嘲気味に笑みを浮かべて見せた。

 

 尤も、オリヴィア自身の気持ちを優先させてあげたいというのは本心だ。

 妖精族(エルフ)の里を離れるまでに、彼女の気持ちが変わるようであるならば。

 その時は背中を押してあげようと、二人の姉は頷いた。

 ただひとつの疑問を残しながら。

 

「それにしても、転移魔術もあるというのに。やけに元気がありませんわね」

「転移する時間さえも惜しいということでしょうか?」


 自分達も寂しくないと言えば嘘になるが、今生の別れになるとも思えない。

 何せオリヴィア自身がミスリアと妖精族(エルフ)の里を繋ぐ転移魔術を完成させてしまっているのだから。


 だから、彼女がここまで落ち込む理由が判らないと、アメリアとフローラは顔を見合わせる。

 オリヴィアが直向きに隠していたからというのもあるが、二人の姉は気付いていなかった。

 彼女のため息。その源泉が、恋心に由来しているという事は。


 ……*


 執務室に漂うインクの匂い。静まり返った空間に、カリカリとペンの走る音だけが響く。

 これはストルにとっての日常。妖精族(エルフ)の里に帰った以上、生真面目な彼は自らの職務を放置など出来ない。

 或いは、気を紛らわせるかの如く。彼は一心不乱に、成すべき事へと向き合った。

 

「ストルよ。ミスリアの者は、そろそろ帰るようだが。

 オリヴィア・フォスターに気持ちは伝えないのか?」


 ストルの手が、ぴたりと止まる。

 彼へ質問を投げかけたのは半妖精(ハーフエルフ)の女性、レチェリ。

 かつてストル本人から、恋愛の相談を受けた張本人だった。


「……そういう状況ではない。私も仕事が溜まっているし、オリヴィアもミスリアへ帰る準備で忙しい。

 会話する時間さえ、作れるかどうか」


 戦いが終わった直後の決意は何処へ行ったのやら。

 レチェリと視線を合わせないまま、ストルは弱音を吐くように言葉を漏らす。

 

「そんなもの、いくらでも作れるだろう。何なら、私が仕事を受け持ってやる。

 ああ、いや。リタ様もだ。すぐに抜け出す悪い癖を矯正するいい機会だ」

「ベルにも言われたよ。『時間なら、研究チームでも作ってやれる』と」

「ふむ?」


 ここで一度、レチェリは首を傾げる。

 まさかマレットの名前が出てくるとは思ってみなかった。

 

「ベル・マレットにも相談をしていたのか?」

「いや、気付かれていた」

「そうか……」

 

 つまり、それだけ判り易い態度だったという事だろうか。

 レチェリは研究所でのストルの態度をあまり知らない。

 ましてや、恋慕を抱く相手に対しての振る舞いもだ。


 ストル本人からの申告しか知らないレチェリは想像しきれず、現状の把握に頭を悩ませる。

 もしも判り易い態度を取っていたのなら、オリヴィア本人にも気付かれていないだろうか。


(待てよ。露骨に好意が漏れていればリタ様が背中を押すか)


 他人の恋愛話に興味津々なリタならば、何も動かないとは考え辛い。

 ましてや人間と妖精族(エルフ)の恋愛だ。共生を望む彼女にとっては、これ以上ない後押しとなる。

 そんな動きが見当たらない以上、マレットの観察眼が優れている。レチェリはそう判断をした。


「まあ、なんだ。ベル・マレットも背中を押してくれるのなら丁度いいじゃないか。

 人の厚意は素直に受けておくべきだぞ。私が言うんだから、間違いない」


 リタやマレットの厚意により、自分という存在を確立させる事が出来た。

 レチェリは彼女達に感謝する一方で、想いを素直に享受する事の大切さをストルへ説く。


「しかしだな……」

「しかしも何も、黙っていればオリヴィア・フォスターは帰ってしまうだろう」

 

 それでも、ストルは煮え切らない。現状維持で良しとしようとするのは彼の悪い癖だ。

 レチェリがいい加減に苛立ちを覚えようとした所で、執務室の扉が勢いよく開かれる。


「話は聞かせてもらったよ!」

「リタ様!?」


 勢いよく部屋へ飛び込むのは、妖精族(エルフ)の女王。

 リタ・レナータ・アルヴィオラが、鼻息を荒くしながらストルへと歩み寄る。


「リ、リタ様……。聴こえていたのですか?」

「うん。レイバーンが、ばっちりと」

「うむ。聴こえたのは余だな」


 窓の外では、部屋に入りきらない巨体の影が大きく頷いている。

 そんなに大きな声で話していたつもりはないと訝しむストルだったが、魔獣族の耳なら仕方がないと合点がいった。


「それより、ストル。オリヴィアちゃんに好きって伝えないのは勿体ないよ。

 折角、好きって思える人に出会えたんだよ!? 伝えなきゃ、損だってば!」

「損得で動くつもりはありませんが……」

「ものの例えだよ!」


 憤慨しながらも、リタはめげない。

 チラチラと窓の外を窺っては、雄弁に語り始める。


「ずっともどかしい気持ちが残ってたらね、何をしててもため息が出ちゃうよ。

 伝えてみた方がすっきりするよ、絶対に!」


 想いを伝える事の素晴らしさを熱弁するリタ。

 流石は何十年も恋慕を熟成した者の言葉だ。重みが違って見えた。


「ですが、例え上手く行ったとしても……。

 オリヴィアがミスリアへ帰る以上は、離れ離れに……」

「お前がミスリアへ行くという選択肢もあるだろう」

「ベルにもそう言われたが……」

「え゛」


 思いもよらぬ言葉を前に、ずっと上がり調子だったリタの動きが止まる。

 ストルとオリヴィアがくっつけば、自動的にオリヴィアは妖精族(エルフ)の里へ残ると思っていた。

 思いもよらぬ展開に、なんともいえない表情のまま固まってしまう妖精族(エルフ)の女王。


「私は族長として、居住特区の長としてやるべきことが山積みだ。

 己の感情だけで妖精族(エルフ)の里を出るわけにはいかないだろう」

「だ、だよね!」

 

 躊躇うストルに、コクコクと頷くリタ。

 職務を鑑みても、自分は妖精族(エルフ)の里から動けない。

 告白の成否に関わらず、オリヴィアと離れる事は避けられない。

 時間の経過と共に頭が冷えたというのもあるが、こういった面が彼に後ろ髪を引かせる理由にあった。


「そんなもの、いつまでもお前がやるわけにはいかないんだ。引き継ぐ日が早まるだけだ。

 リタ様は愛と豊穣の(レフライア)神を強く信仰しておられる。

 現にお前が気持ちを伝える後押しをしていたじゃないか。私には、あの言葉が嘘だとは思えなかったぞ。

 先のことをお前が考える必要はない。リタ様がきっとなんとかしてくれる」

「だ、だよね!」


 今まで仕事を押し付けて来たツケが回ってきたというべきだろうか。

 内心で泣きべそをかきながら、またもリタが頷く。


 けれど、ストルとオリヴィアが恋仲になって欲しいというのは本心だ。

 ストルはずっと自分を支えてきてくれた。幸せになって欲しい。

 その為に自分が力になれる事は、全てしてあげたい。

 彼が安心して、自分の為の決断が出来るように。

 

「ストル。妖精族(エルフ)の里も、族長のお仕事も、居住特区も気にしなくていいよ。

 ちゃんと自分の気持ちに正直でいないと。大切なものを、見失っちゃダメ」

 

 少しだけ強い口調で、リタはストルへと諭す。

 本当に大切な想いを、誤魔化してはいけない。

 掛け替えのない仲間達と出逢って、リタが学んだ事だった。

 尤も、今まさに自分自身の邪な想いは少しだけ誤魔化してしまっているのだが。


「……解りました。リタ様、レチェリ。感謝します」

「いえいえ」

「気にするな」


 しかし、リタの発した真摯な願いはストルへと届く。

 僅かばかりの逡巡を経て、彼は決心をしたように顔を上げる。

 リタとレチェリは顔を見合わせながら、優しく微笑んでいた。


 ……*


「すみません! とても嬉しいですけど……。

 ストルの気持ちには応えられないんです!」


 その日の夕暮れ。

 オリヴィアの元を訪れたストルは、言葉を失っていた。

 無理もない。告白をした次の瞬間には、フラれてしまっていたのだから。


 眼前で手を合わせて謝罪する彼女の姿が霞む。

 意を決して伝えた言葉がどんなものだったかは、もう覚えていない。


「い、いや……。気にしないでくれ……。

 時間を取らせて、悪かった……」

「あ、ストル……」

 

 恥ずかしい。

 頭が真っ白になりながらも、ストルは一秒でも早く彼女の視界から消えようとする。

 

「その、ええと……」

 

 彼へ手を伸ばそうとするオリヴィアだったが、届く事は無かった。

 自分から断っておいてそんな資格はないという後ろめたさが、細い指を空中で泳がせる。


「私だって、ほんとうは……」


 思わず本心が漏れそうになる口を、オリヴィアは慌てて噤む。

 罪悪感を胸に抱きながら、彼女はふらふらと蛇行するストルの背中を見送り続けていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ