12.壊れて欲しくないモノ
32年前。
ベル・マレットは甲斐性のない男と邂逅する。
彼女はその日、発明家としての産声を上げた。
シン・キーランドとベル・マレット。
二人の出会いは時を経て、互いが知らぬままに再会を果たす事となる。
両者の間には強い運命を持つ者と運命に流される者という違いはあれど、確かな絆が存在していた。
……*
「アタシは耐久テストしてるつもりはねぇんだが」
並べられた激闘の遺物を眺めながら、マレットは大きなため息を吐いた。
魔硬金属でも耐えきれない出力で放たれた魔導砲は、銃身が粉々に砕けてしまっている。
マナ・フライトもそうだ。邪神の中へ突入した影響で、ほぼ原型を留めていない。
「悪いとは思ってる」
「お前、毎回それだよな」
シンからお決まりの言い訳を頂戴して、マレットはもう一度ため息を吐いた。
この男はいつもそうだ。耐久度を上げると、それ以上の出力でもれなく壊す。
最大出力が上がったと脳内で変換しているに違いない。
尤も。言葉では呆れているものの、マレットはそこまで怒ってはいない。
魔力による恩恵を受けられない彼が精一杯戦い抜いた証だと、知っているから。
「直すのは直してやるけど、急ぎじゃないんだろ」
戦いは終わった。それでもシンが魔導砲を求めているのは、万が一に備えてだろう。
本心では彼自身だって、使う機会が無い方がいいと思っているはずだ。
「ああ。マレットの都合に合わせてくれていい」
「あいよ。とりあえず、生きている部品だけ取り分けるか」
予想通りの回答を得られた。魔導石をはじめとした使える部品を確保して、残りはギルレッグに頼もう。
そう魔導砲の残骸に手をつける中。
「俺はこっちのスペースを借りるぞ」
シンが徐に、銃を分解し始める。
黒光りする鉄の塊は、魔導砲とは違う。
10年前。マレットがシンへ与えたものだった。
「なんだ、そっちも壊れたのか?」
ビルフレストと最後に向き合った際。彼が持っていたのは、慣れ親しんだこの銃だと聞いている。
最後まで悪意を振る舞い続けた男との戦いだ。ただの鉄の塊が壊れていても無理はないと、マレットは納得をした。
「何言ってんだ? ぶつけ合うわけでもあるまいし。
そう簡単に壊れるわけないだろ」
「お前、よくその台詞吐けたな」
だが、解答は全く違うものだった。
魔導砲や簡易転移装置は勿論。
乗り物であるマナ・ライドで大規模な爆発を引き起こした人間の台詞ではない。
普段の行いを忘れたのかと、マレットが若干だが苛立ちを見せる。
「手入れだよ」
だが、シンは彼女の反応を気を取られる様子はない。
淡々と言い放つと、慣れた手つきで次々と銃を分解していく。
「そうか。部品が混ざらないように気をつけろよ」
「わかってる」
普段と変わらない彼の様子に、マレットは今更怒るのが馬鹿馬鹿しくなっていた。
肉厚の手が油で汚れていく様を尻目に、マレットも魔導砲から部品を確保していく。
「しっかし、お前の使い方でよく10年も持ったな」
「俺としても、一番手に馴染んでる武器だからな。なるべく壊したくはなかった」
互いに手を止める事なく繰り広げられる会話。
武器は消耗品ぐらいに考えてそうなこの男から、こんな言葉が出てくる事が意外だった。
「まあ、なんどかぶん投げたりはしてるけど」
「したのかよ」
マレットは苦笑する。きっと、シンにとって「壊したくない」はあくまで努力目標だ。
本当に必要だと判断すれば、彼は躊躇しなかっただろう。
「けど、やっぱり思い入れはある。
銃のお陰で、俺は俺の戦いができた」
少しだけ神妙な面持ちで、シンは呟いた。
初めて人を殺めて。訳も分からないまま、フェリーを護る為だと言い聞かせて手を汚し続けた。
怖かった。血に染まっていく自分の両手が。
精神が折れてしまいそうだった。
マレットから銃を手渡されたのは、そんな時だった。
引鉄を引けば、命が失われる。手に肉の感触も、血の臭いも残らない。
代わりに、痺れる手の感触が命を奪った証となる。
それは他者から見ればより簡単に、効率的に命を奪っているように見えたかもしれない。
けれど、シンにとっては違っていた。自分が命を奪うのは何の為か、向き合えるだけの猶予を生み出した。
その後もシンは数えきれない程の引き金を引いた。比例して、多くの命を奪った。
同じ数だけ、考えた。悩んだ。けれど、彼は立ち止まらなかった。
自分とフェリーが納得する結末を迎える為に。護られていると、感じていたから。
シンにとってこの銃は謂わば、自分の軌跡だ。
きっと死ぬまで、この感触を忘れる日は訪れないだろう。
「……そうか。お前が満足してるなら、アタシはそれでいい」
柔らかな笑みを浮かべながら、マレットが返す。
彼が満足しているのならばそれでいいと、作業に集中しようとした彼女の手に、とある魔導具の部品が触れる。
「こいつは……」
魔法の腕輪。
30年以上も前に流行った、ミスリアが作った魔導具。
魔石の中に魔術をひとつだけ保管出来るこの魔導具は、フェリーの中に潜む不老不死の原因。
ユリアン・リントリィに対して絶大な効力を発揮した。
だが、基本的には過去の遺物。既に型落ちの魔導具である。
シンも持っていたからこそ、偶々活用したに過ぎない。
ただ、ベル・マレットにとっては違う。
きっと世界中の誰よりも、魔法の腕輪に思い入れがあるだろう。
法導歴0485年。32年前に会った、甲斐性のない男。
その男は見た目とは裏腹に、腕っぷしは強かった。
誘拐されようとしていた自分を瞬く間に救い出し、挙げ句の果てに神器の継承者と互角の戦いを繰り広げたのだから。
幼かったマレットは、その戦いに強い興味を惹かれた。
いつかあの戦いに負けないような魔導具を作りたいというのは、彼女のモチベーションのひとつだった。
魔導具の発明に於いてメキメキと頭角を現していくマレットだったが、全てが順風満帆という訳ではない。
魔石を効率よく活用する為に発明した魔導石は、画期的であると同時に多くの悲劇も生んだ。
やさぐれていた彼女を救ったのは、冒険者になったばかり。それも、デビュー早々に大失敗をした少年。
彼の言葉によって、マレットの精神は壊れずに済んだ。
彼女の人生を左右した、二人の恩人が同一人物だと知ったのは、つい最近の事だ。
因みに今は、自分の隣で銃のメンテナンスをしている。
互いが互いを支え合った結果、肩を並べる事ができた。
けれど、戦いは終わった。新しい人生が幕を開ける。
きっと彼は、整備を終えると研究所を足早に去っていくだろう。
それはそう遠くないうちに妖精族の里を発つ事を意味していた。
無論、マレットに引き止めるつもりはない。彼にはマギアでやるべき事が残っていると理解しているから。
ただ、こんな言葉が漏れてしまったのは後ろ髪が引かれる思いだったからなのかもしれない。
「なあ、シン。マギアについたら、連絡よこせよ」
「ああ」
ぶっきらぼうな会話が繰り広げられる。
数秒の沈黙に耐えられず、マレットは続けた。
「カランコエ、復興まで時間がかかるだろ。
家が建つまではアタシの屋敷を使っていいぞ」
「助かる」
実際、野宿ばかりでは疲れるだろう。
ゼラニウムまで向かう必要はあるが、寝床としてはちょうどいいはずだ。
「そもそも、二人でなんとかしようとすんなよ。いつでも手伝ってやるからな」
「そうだな。俺とフェリーだけだときっと難しいからな。
そう言ってもらえると助かる」
カランコエに行っても迷惑ではない。
そう解釈したマレットは、少しだけ気分を良くした。
「つっても、たまにはこっちに顔を出せよ」
「ああ。そのつもりだ」
彼は嘘をつけるほど、器用ではない。
疎遠になる事はないだろうと安堵したところで、マレットは我に返る。
(……何言ってんだ、アタシ)
これではまるで、寂しくて駄々を捏ねているようではないかと顔を紅潮させる。
今までも数年間、顔を見ない事もあった。だが、あの時とは事情が違う。
自分はゼラニウムで待つ側で、帰ってくると分かっていたからだ。
理由がなければここまで不安になるものなのか。
これではフェリーの事を笑えないと、マレットは下唇を噛んだ。
マギアを出てから、ベル・マレットは多くの仲間に恵まれた。
それでも、やっぱりシン・キーランドは特別だった。
適切な言葉が見つからないが、一番近いものが『親友』なのかもしれない。
不意に手元を見ると、壊れた魔法の腕輪の部品を取り除き終えていた。
自分の魔導具ではないからか、無意識でも仕分けるのが容易だった。
魔法の腕輪は使い捨てだ。もう、使い道はない。
この取り分けられた部品も、通常ならば廃棄される。
それでは忍びないと感じたマレットは、らしくない懇願をシンへと行う。
「なあ、シン。魔法の腕輪の残骸、アタシが貰ってもいいか?」
「は? 別に構わないが……」
意外な頼み事に手が止まるが、シンとしても断る理由はない。
訝しみながらも、二つ返事で彼女の願いを了承した。
「修理か改造でもするのか?」
「いいや。初心を忘れないようにするためだ」
意味が分からないと首を傾げるシンへ、「魔導石の参考にした」と告げる。
嘘は言っていないし、彼も納得をしてくれたので問題はない。
マレット本人としても、センチメンタルな理由で持っておきたいとはとても言えない。
過去に逢っていた事さえ、墓場まで持っていくつもりなのだから。
これから先も、シンとの関係性は変わらないだろう。しかし、状況は変わった。
だからだろうか。彼に感謝を述べるなら今しかないと感じたのは。
(こう、なんか。気取られないように……)
とはいえ、過去の事を察せられるのは勘弁願いたい。
上手い言い分を考えようとマレットが頭をフル回転している最中だった。
「マレットには本当に感謝している。出逢えていなかったらフェリーのことも、邪神のことも、俺自身のことも。
きっと何も成し遂げられなかっただろうから。ありがとう」
「……」
銃を組み終えたシンの口から、スラスラと出てくる感謝の言葉。
忘れていた。この男はこういう人間だ。
マレットは反対に、出そうとしていた言葉を思い切り飲み込んでしまう。
「お前、本当にさあ……。空気読めよ、そういうとこだぞマジで!」
「何がだよ!?」
代わりに出たのは、深いため息と怒りを滲ませた言葉。
シンは意味が分からないと眉を顰めるが、マレットは説明する気など毛頭ない。
むしろ、墓まで持っていくという気持ちをより堅固なものへと変えてしまった。
「これからだって、いくらでも付き合いはあるんだ。
今更礼なんて言う必要ないってことだよ。腐れ縁なんだからよ」
そっぽを向くマレットだが、口元が僅かに緩んでいる。
否定されなかった事が、本当に嬉しいのだ。
多くの奇跡が混ざり合って、自分達はここにいる。
もしかすると、シンはこれからも自分の発明した魔導具を壊すかもしれない。
けれど、壊れたモノにも意味がある。
同時に、壊れないモノも確かに存在している。
自分の原点と、彼の原点。
魔法の腕輪と銃を交互に見ながら、マレットは天を仰ぐ。
どうかこれからも、一番大切なモノが壊れないようにと、柄にもなく神へ祈りを捧げていた。