11.妖精族の里のたこ焼き屋さん
窓を開けると、新鮮な空気が無遠慮に入り込む。
まるで待ち伏せでもされていたように、肺の中へと入り込んで行く。
尤も、嫌だという気持ちは微塵もない。朝日を浴びて、目を覚まさせる一連のルーティンがピースは気に入っていた。
「んんーっ!」
四肢を力いっぱいに伸ばし、少年は覚醒を果たす。
妖精族の里に住むと決めてからの二年間。いつもと変わらない、普段通りの朝が訪れた。
「いやぁ、今日も清々しい朝だな」
晴れやかな顔で、ピースはぽつりと呟いた。
高い濃度を持つ魔力がそうさせているのか。
アルフヘイムの森は、いつも穏やかな日々を送っている。
この世界に転生を果たして三年。
突如行われる命のやり取りに、驚きもした。
魔術の存在に胸を躍らせもした。
様々な出会いを前にして、一丁前に正義感を抱いたりもした。
ピースは今でも『もしも』について考えてしまう。
ただ新たな人生を迎えるだけでは、きっとこうは行かなかっただろう。
不安と期待を抱きながら、目立たない一生を送っていたような気がする。
簡単に奪われる命を目の当たりにして、事情も知らず激昂したりもした。
その後。彼らが懸命に誰かを護ろうとするから、自分も出来る事をしよう。
ごく自然に、そういう考えに至っていた。
「我ながら、案外肝が座ってたんだな……」
自画自賛をするように、ピースは肩を竦める。窓枠に体重を預けると、僅かに軋むような音がした。
生まれ変わってら今まで、徐々に成長している様を実感させられる。
邪神を巡る戦いも、不老不死の少女を巡る旅も終わりを迎えた。
少しは役に立てただろうと自負する一方で、『これから』を考える事も少なくない。
無論、妖精族の里での生活に不満がある訳ではない。
妖精族は勿論、小人族や魔獣族との共同生活は毎日が刺激的だ。
何より、ここにはマレットがいる。空想、現実を問わず前世の知識を 具現化してくれる彼女からは目が離せない。
「社畜に戻る必要もないし、もうちょっとのんびりしてもいいかな」
折角平和になったのだ。もう少しはこの平穏を噛み締めるのも悪く無い。
汗水を流して日々を過ごしていたピースにとっては、十分過ぎるほどの贅沢だった。
しかし、大海原とて常に凪の状態でいるはずもない。
彼は忘れかけていた。いつだって、嵐は唐突に訪れるものだということを。
……*
マレットの命を受け、ピースはイリシャの元へ朝食を受け取りに行く。
シン達が去って以降、食に関して彼女は専らイリシャの世話になっている。
尤も、身寄りのない子供達を世話しているイリシャにとっては誤差の範囲らしいが。
「はぁ、研究の手伝いじゃなくてパシリとは……」
大きな欠伸と愚痴を溢しながら、ピースはイリシャ達の住む屋敷へと足を進める。
異変を感じ取ったのは、屋敷の直前。庭で泣きじゃくる子供達と、狼狽するコリスの姿を視界に捉えたからだ。
「コ、コリス? どうしたんだ!?」
「ピースさん……!」
いつもなら、コリスは子供達の遊び相手になっている時間だ。
笑顔で溢れる空間のはずが、正反対の地獄絵図。何かあったと勘繰るまでもなかった。
「イリシャちゃんが、イリシャちゃんがぁ……!」
ピースの足元へ縋るようにしがみつくのは、一人の少女。
いっぱいに溜め込んだ涙は瞬く間にピースのズボンへ吸われてしまったが、気にしている余裕はなかった。
「イリシャさんに、何があったんだ!?」
事態を把握するべく腰を下ろし、少女と目線を合わせるピース。
彼女は自分で言っていた。不老ではあっても、不死ではないと。
万が一はあり得るのだと、胸騒ぎがした。
「イリシャちゃんがあ……」
しかし、この場において彼の剣幕は逆効果だった。
少女は怯え、再び涙を浮かべている。止めどなく漏れる嗚咽が、状況の把握を許さない。
「ああ、ごめん。怒ってるわけじゃないんだ。
ただ、イリシャさんの様子を教えて貰いたくて……」
焦りを怒りだと誤解させてしまったと、ピースは謝罪をする。
何度も自分へ落ち着くように促しながら、状況の把握を優先した。
「あの、イリシャさんは……」
そんな中。草臥れた様子のコリスが弱々しく声を上げる。
足元をふらつかせながら、彼女はピースの欲しかった答えを提示した。
「風邪をひいてしまったみたいで……。寝込んでます……」
「風邪ぇ?」
気の抜けた声と共に、地べたへと座り込む。
最悪の事態でなくてよかったと安堵のため息を漏らすが、すぐにその認識が誤りだと気付いた。
「待ってくれコリス。じゃあ、子供たちの世話は――」
「き、今日は私一人です……」
涙声を若干入り混じらせながら、コリスが頷く。
皆のお母さんであるイリシャが動けない。その苦労を想像しながら、ピースは顔を引き攣らせていた。
……*
泣きじゃくる子供達を宥めながら、ピースはコリスの話に耳を傾けた。
イリシャは今、別室で寝込んでいる。伝染ってはいけないと隔離している状況が、子供達の不安に繋がっているようだった。
コリスはというと、朝食は前日に用意していた下拵えのお陰でなんとか用意できたらしい。
ただ、昼食にまでは手が回っていない。掃除や片付けに着手する余裕すらないという。
「急なことなので、混乱してしまって……」
コリスは膝を抱えながら、イリシャのようにうまく行かない事を気に病んでいた。
まだ世界再生の民との戦いが続いていた頃も、イリシャが不在の日はあった。
しかし、彼女は無責任な人間ではない。なんだかんだで、周囲に協力を頼んでいた。
今回は急病だったが故に、要請出来ていない。そっくりそのまま、負担がコリスへと流れてしまった形だ。
「要領が悪くて……」
「いやいや、そんなことはないだろう」
「ですけど……」
加速度的に自信を失っていくコリス。否定をするピースの声すら、届いているかは分からない。
このままでは彼女も潰れてしまう。最悪の事態を回避すべく、ピースは己の持つ知識をフル回転させる。
「コリス。とりあえず、目下の懸念は飯なんだな?」
「え、ええ」
「ふむ……」
子供の数は10人を超えている。丁寧に食事を作る時間はない。
考え抜いた結果。ピースはある結論へ辿り着く。
「よし、それはおれがなんとかする」
「え……?」
「コリスは、外にテーブルを並べておいてくれ。
大丈夫、きっと上手くいく!」
きょとんとするコリスへ説明を果たさぬまま、ピースは踵を返す。
訳が分からないとしつつも、コリスは彼の言葉を信じると決めた。
……*
数十分後。ピースは大きな荷物を抱えて戻ってきた。
彼が取り出したのは、半球状の窪みが無数についた、奇妙な形をした鉄板。
「あの、これは……?」
「ギルレッグさんに、作ってもらったんだ。これがあれば、なんとかなる!」
「本当ですか……?」
用途すら分からない鉄板を前に、自信満々のピース。
流石のコリスも訝しんだが、緊急事態に変なおふざけをする人間ではないと知っている。
若干の不安を感じながらも、この場を彼に託すと腹を括った。
「心配すんなって」
ピースはそう言うと、熱された鉄板に生地を流していく。
小麦粉と出汁を溶いた生地は瞬く間に表面を焦がし、香ばしい匂いを周囲に撒き散らしていく。
そこへ一口サイズに切り分けた具材を放り込み、金属の串でひっくり返していく。
小さなボール状となった不思議な食べ物を前にコリスは勿論、子供達の視線も釘付けとなっていた。
ピースが作った料理は、彼の前世では何も珍しくないもの。たこ焼きだった。
具材は急遽揃える事は出来なかった。というか、タコすら用意できていないが構わない。
あくまで今回の目的は、迫る昼食を恙無く迎える事なのだから。
たこ焼きならば、出来たものから順次渡していく事で待たせる必要もない。
満腹になった者から皿を引っ込めて貰えば、無駄に作り過ぎる心配も要らない。
この状況を打破するのに最も適した料理だと、ピースは判断した。
「ほら、熱いから気をつけるんだぞ」
「わあ……!」
熱々の球体を前に、子供達は目を輝かせる。
舌を火傷しないように齧った次の瞬間には、歓喜の声で満ち溢れていた。
「チーズだ!」
「こっちは、コーンが入ってるよ!」
「どうだ? 宝箱みたいだろ」
タコを用意できなかった代わりに、ピースは様々な具材をランダムに入れている。
宝探しの要素も交わる事で、子供達を夢中にさせる作戦は上手く行った。
「ほら、コリスも」
「あ、ありがとうございます……」
子供達の評判に驚きながら、コリスもたこ焼きを口にする。
直後。口元を押さえながら「おいしいです」と笑顔を溢していた。
……*
「ふう。みんな、お腹は一杯になったか?」
「はーい!」
ピースが子供達に尋ねると、元気いっぱいの声が轟いた。
満足してもらえたようで何よりと頷きながら、彼の作戦は次の段階へと移行する。
「じゃあ、皆はお家の掃除をしような」
「ええー!」
食後は遊ぶつもりだったのだろう。子供達からは不満の声が溢れ出た。
おろおろするコリスを手で制しながら、ピースは彼らを諭していく。
「こらこら、イリシャさんはしんどいんだぞ。
治ってすぐに無茶をさせちゃったら、また風邪をひくかもしれないだろ。
そうなったら、皆だって嫌だろ?」
「うん……」
大好きなイリシャちゃんが、また寝込んでしまう。
それは嫌だと、子供達は次々に首肯していく。
彼女がいかに慕われているかを、強く実感した。
「ここで皆が掃除を完璧にしておけば、イリシャさんやコリスお姉ちゃんはきっと喜ぶぞ。
それに。おれもご褒美のおやつを作っておくから。
終わったら、皆で食べような」
「おやつ!」「食べたい!」
わかりやすい飴と鞭だったのだが、素直な子供達に『おやつ』という単語はよほど魅力的だったらしい。
次々に目を輝かせながら、箒や雑巾を手に取っていく姿は微笑ましかった。
「ピースさん、ありがとうございます。
ですが、おやつなんて作る時間は……」
子供達を操る手腕に感謝しつつも、コリスは困ったような顔を見せる。
作り置きのおやつは残っていない。今から作るにも、掃除が終わるまでに出来上がらないのではないか。
様々な不安を抱く彼女へ、ピースは鉄板を指差してこう言った。
「大丈夫だ。おやつもこれで作るから」
「え……」
またしてもきょとんとするコリスを前に、ピースは笑みを浮かべる。
甘くアレンジされた球体が子供達の皿に並べられたのは、掃除が終わった直後の事だった。
……*
「そう、ピースくんが……」
「はい。おやつの後は、子供たちと遊んでもくれました」
「今度、ちゃんとお礼をしなきゃいけないわね」
気怠い身体を起こし、自分が調合していた風邪薬を飲み干しながら、イリシャは安堵の息を漏らす。
話を聞く限り、子供達は勿論。コリスの負担も大分減ったようで本当に良かった。
「迷惑をかけたわたしが言える立場じゃないけれど……。
コリスちゃんも、良かったわね。ピースくんといっしょに一日を過ごせて」
「……は、はい」
二度、三度。視線を泳がせるコリスだったが、頬を染めながら肯定をする。
偶にでいいから、彼女へのご褒美として手伝いに来てくれないだろうか。
微笑ましい光景を見ながら、イリシャはくすりと笑みを浮かべていた。
……*
「終わらねえ……」
一方、ピースは大量の洗濯物を前に根を上げていた。
桶一杯の水を、風の魔術でかき混ぜていく。
膨れ上がる泡を前にして、思わず言葉を漏らしていた。
「今度マレットに、洗濯機作ってもらうか……」
冗談混じりの発言ではあるが、きっとマレットは目を輝かせるだろう。
自分にとっても騒がしくも楽しい日々が訪れるのが、楽しみで仕方なかった。
新たに与えられた幸運を胸に、ピースは今日も生きていく。
新たな故郷となった、この世界で。
彼の言葉を受けて造られた魔導具は、魔導洗濯機と名付けられる。
その便利さから妖精族の里だけに留まらず、世界中で求められるヒット商品となるのはまた別の話であった。