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9.諍いは誓いとなりて

 彼自身は、どれほどの間眠っていたのかを把握していない。

 ただ、あまりにも重たい瞼によって、久しぶりの覚醒だという事は理解した。


 ぼやけた視界。混ざり合う色彩は、記憶のどの部分にも一致しない。

 指で目を擦ると、徐々に輪郭がはっきりとしていく。

 改めて両の眼で捉えた天井は、やはり知らないものだった。

 

(ここは……)


 身体を起こそうとするも、まるで力が入らない。

 寝床へ体重を預け、自分の置かれている状況を改めて整理する。


 懸命に首を動かし、部屋全体を見渡す。

 見覚えがないのは、天井だけではない。

 当然ながら家具、壁、扉。あらゆるものが、彼にとって初対面だった。


 どうしたものかと頭を悩ませている最中。

 視線の先にある扉が、徐に開いた。


 中から現れたのは、紅の髪を持つ女性。

 自分と同じその色に、男は見覚えがあった。


 いいや、忘れるはずがない。

 彼の瞳に映し出される女性の姿は、死んだ双子の妹と瓜二つなのだから。


「ト――」


 思わず、妹の名を漏らしてしまいそうになった時だった。

 ドサドサと音を立てながら、彼女は持っていた荷物を落としてしまう。


「スリット……!」


 次の瞬間。女は自分の名を読んでいた。

 驚喜の声を上げる彼女の様子は只事ではない。


 一方で、スリットにもひとつの可能性が浮かび上がっていた。

 期待を抱きながら、彼はその名を投げかける。


「トリ、ス……なのか……?」


 上手く声が出ない。どうやら、本当に寝たきりだったのだと改めて思い知る。

 だが、そんな事はどうでもいい。大切なのは、彼女の反応だった。

 

 彼女はトリスなのか。自分の妹なのか。

 もしもそうだとすれば、どうしてトリスは生きているのか。

 いや、むしろ自分が死んでしまったのだろうか。

 

 様々な憶測が頭の中でぐるぐると回る中。

 スリットの思考をクリアにしたのは、安堵の息を漏らすトリスの姿だった。

 

「ああ、ああ……! そうだ、その通りだ!

 私は、トリスだ。お前の、妹だよ……!」


 トリスの目元から一筋の雫が流れる。

 いつも互いと競い合って、決して弱音を吐かない妹。

 彼女が涙を流した姿を見たのは、いつぶりなのか。


 それすらも判らないスリットだが、構わなかった。

 妹が生きている。ただそれだけで、十分だと思えたのだから。


 ……*

 

「そうか。もう、五年も経っているのか」

「ああ」

 

 トリスの口から語られる言葉は、驚きの連続だった。

 まず驚いたのは、現在の暦が法導暦0522年だという事実。

 自分は五年間もの間、眠っていた事となる。

 更に、ここが妖精族(エルフ)の里だというのだから驚きは倍増だ。


 死んだと思っていたトリスは、カタラクト島でラヴィーヌに命を狙われたという。

 逃げる手引きをしてくれたのが、『怠惰』の適合者であるジーネスだというのだから、また驚きだ。


「そこから先は、私自身も驚きの連続だった」


 彼女の言葉に偽りはなかった。

 ティーマ公国で起きた吸血鬼族(ヴァンパイア)との戦い。

 神器である賢人王の神杖(トライバル)に認められたという事実。


 その後はミスリアと共に、世界再生の民(リヴェルト)との戦いに身を置いた。

 同時期にビルフレストがアルマを切り捨て、世界再生の民(リヴェルト)の長となった。


「そんなことが……」


 この辺りから、スリットの眉間に皺が寄る。

 自分は何も知らされていなかった。ビルフレストにとって、都合のいい駒に過ぎないと言う事実が突き付けられていく。


「結局。あの男は他の誰も信用していなかったのだろう。邪神の適合者でさえも」

 

 そうでなければ、ジーネスを手に掛けるはずがない。

 彼は反旗を翻すつもりなど、持ち合わせていなかったのだから。


「結局、私がお前と逢えたのは空白の島(ヴォイド)に辿り着いてからだ。

 その時には既に、マーカスの手に堕ちていたが……」

空白の島(ヴォイド)で……?」


 存在しない記憶を前に、スリットは狼狽する。

 一方でトリスは、彼の反応から人造鬼族(オーガ)となっていた時の記憶が残っていないと確信を得た。

 ただ、それでいいと思う。自分が化物になっていた記憶なんて、残っていて欲しくはなかったから。


「いいんだ。私も生きていて、お前もこうして戻って来られた。

 それだけで、いいんだよ」

「あ、ああ……」


 頭の中が混乱しつつも、スリットはトリスの言葉を受け入れる。

 心からの安堵を見せるトリスに、それ以上何も言えなかったからだ。


 トリスの話はまだ続く。

 マーカスの手に堕ちたスリットを救う為、賢人王の神杖(トライバル)を用いて延命措置を行った事。

 いつか完全な快復を目指して、マギアの誇る天才発明家。ベル・マレットに委ねた事。

 そして、目が覚めるまでに五年を要した事を。

 

「その間に……」

「ああ。世界再生の民(リヴェルト)との戦いは終わった。

 邪神はもう居ない。無論、ビルフレストも」

「そうか……。結局、おれは最後まで蚊帳の外だったわけだ」


 とんだ道化だと、スリットは自嘲した。

 邪神に適合するわけでもなく、重大な任務を与えられるわけではない。

 ただの実験動物(モルモット)として扱われ、目が覚めれば既に戦いが終わっている。

 悔しいや悲しいといった感情を通り越して、情けなくなってくる。


「いいや、違う。少なくとも、私にとっては心の拠り所だった」

「トリス……」


 しかし、トリスは首を左右に振る。

 骨と皮だけになったスリットの手を取り、彼女は告げた。


「私はただ、運が良かっただけなんだ。ジーネスに、ベリアに、ライル殿――。

 いいや。私を見てくれた全ての人が居なければ、ここにはいない。私自身は、何も変わらないんだ」


 思えば、合わせ鏡のような存在だった。

 意地を張り合って、競い合って。

 才能の差に劣等感を抱いたり、本家の人間に嫉妬したり。

 これまで道程は、全く同じだったのだ。


「だから、私はお前に生きていて欲しかった。

 私が世界再生の民(リヴェルト)を裏切った時、お前がどうなっているのか知りたかった。

 お前が苦しんだのは、私のせいだ。すまない、スリット……」


 手を握る力が、自然と強まる。

 トリスはずっと、責任を感じていた。

 マーカスの実験動物(モルモット)として選ばれたのは、自分のせいだと。

 自分のせいで兄が死んでしまったらと考えると、気が気でなかった。


 だから、こうして目を覚ましてくれてよかったと心から思える。

 ほんの少しだけ早く生まれた。けれど、同じ日に生まれた大切な兄妹なのだから。


「お前のせいじゃない。おれの方こそ、お前が死んだと聞かされて気が狂いそうだった。

 ミスリアを許せないと、誤解したままだった。生きていてくれてありがとう、トリス」

「スリット……」


 スリットはそっと、手を重ねる。

 自分の方こそ、妹の命を狙った組織に属していたのだ。

 あのまま駒として生涯を終えていたらと思うと、背筋が凍る。


「おれもお前も、こうして生きている。おれは、それだけで十分だ」

「……ああ。私もだ」


 やせ細った顔で作った笑顔は、とても健康体には見えない。

 けれども、久しぶりに兄の笑顔が見られた。トリスには、それだけで十分だった。

 

 ……*


 スリットが目を覚ましたと聞きつけ、現れたのは栗毛の髪を一本に纏めた白衣の女性。

 やや目つきがきついながらも、美人の部類に入るだろう。

 彼女がベル・マレットだと名を明かした時。スリットは驚きで、声が裏返っていた。


「良かったな、トリス。無事に兄貴が目を覚まして」

「マレット博士には、なんとお礼を申し上げればいいのか……」

「やめろやめろ。こっちだって、研究を手伝ってもらってたんだ。お互い様だろ」


 深々と頭を下げるトリスを、マレットは手で制する。

 その様子を眺めていたスリットは、マレットの視線が自分へ向いている事に気が付いた。


「それに、大変なのはこれからだ」


 言葉の真意が判らず、訝しむスリット。

 マレットは説明するよりも判り易いと言って、適当な魔導具を彼へと手渡した。


「それに魔力を込めて見ろ」

「は、はあ……」


 言われるがままに、魔力を込めるスリット。

 しかし、魔導具は反応を見せない。どれだけ力を込めても、沈黙を保っている。


「そういうわけだ。お前の魔力は、殆ど枯渇している。

 これから元に戻る保証もない。アタシは本当の意味では、お前さんを救えていないんだよ」


 ばつが悪そうにしながら、マレットは頬を掻いた。

 どうしてスリットの魔力が枯渇する事態に至ったのか。その経緯を、彼女は語り始める。


あの中年(マーカス)が打ち込んだクスリは、お前の魔力に結びついて身体を変貌させた。

 トリスが賢人王の神杖(トライバル)を通して進行を止めていたが、治療までには至らない。

 お前の体内で魔力が生成される度に、結びついていくからだ」

「なるほど……」


 永遠に増殖し続ける病原菌のようだと、マレットは顔を顰める。

 確かに、そんな特製を持っているのなら体内から薬が消える事はないだろう。

 

「でも、今はやせ細っていますが。少なくとも、人造鬼族(オーガ)に変貌するとは……」

「ああ。多少強引だが、出来る限りの手は打った」

 

 だが、スリットの姿は元通りだ。

 人造鬼族(オーガ)へと変貌する予兆も感じさせない。

 その仕組みは、引き続きマレットの口から語られる事となる。


「イリシャ……。妖精族(エルフ)の里にいる薬師から助言を貰った。

 後は、お前さんもよく知っている人物。テランやサーニャだ」

「テランとサーニャが……」


 かつて世界再生の民(リヴェルト)に居た者の名前を耳にして、スリットの眉が動く。

 トリスから話こそ聞いていたが、一連の話が事実だったのだと再確認させられる。


「テランは義手。サーニャは義眼……。まあ、要するに魔導具と身体の一部を接続する感覚を共有してもらった。

 お前さんの命が保証できる範囲で投薬できる、特効薬(ワクチン)を作るために」

特効薬(ワクチン)ですか……」


 スリットが何気なく腕を摩ると、指先に引っかかりを覚える。

 視線を下げると、いくつか注射をされた形跡が残っていた。


「お前に打たせてもらった特効薬(ワクチン)は、マーカスに打ち込まれたクスリより先に魔力を吸着している。

 だから、人造鬼族(オーガ)へ変わるために必要な魔力量が確保できていないんだ。

 ただし、副作用でお前さんも魔力が扱えなくなっている」

「それで……」


 マレットの話を受けて、スリットは自分の置かれている状況を把握した。

 自分の魔力は体内で生成されると同時に消費されている。

 だから先刻も、魔導具に魔力を流し込む事が叶わなかったのだと。


 ここまでが、スリット・ステラリードの置かれている現状。

 マレットは今から、これからの話をしなくてはならない。

 

「お前にはこれから先。ふたつの選択肢がある」


 指を二本立てながら、マレットはスリットへ選択を委ねる。

 彼がどちらを選ぼうとも、その意思を尊重するつもりだ。


「まずは、このまま投薬治療を受ける。

 あの中年のクスリも、結びつく魔力が無ければいつか完全に消えるだろう。

 ただ、その間魔力は一切扱えない。いつ終わるかも、解らない」


 つまり、いつ終わるかも解らない治療を受け続けるという事。

 彼女は暗に、一生このままだという可能性を突きつけている。


「もうひとつは、トリスの賢人王の神杖(トライバル)で抑制してもらう方法だ。

 こっちは根本的な治療には至らない。だが、きっとお前は自由に魔力を使えるだろう」


 ふたつめの選択肢は、トリスによってマーカスの薬そのものを抑制し続けてもらうというもの。

 魔力は吸着されていないのだから、その分は自由に使えるはずだとマレットは述べている。

 

「おれが選んでもいいんですね」

「ああ。お前の願いを言え」

 

 魔術大国ミスリアの人間として、魔力の有無は死活問題だった。

 現に、目覚めてからもずっと身体が気怠い。如何に魔力の恩恵を受けていたかが、よく解る。


「なら、治療をお願いします」


 だが、スリットは迷わなかった。

 自分の身体を蝕む悪意を根絶する道を、彼は選んだ。


「きっと、苦しいぞ。それでもいいんだな?」

「はい。よろしくお願いします」


 再度マレットが問うも、気持ちは変わらない。

 深々と下げられた頭は、決意の重さでもあった。

 

 自分は世界に悪意をばら撒いた。

 この報いは、受けてしかるべきだと言う覚悟。


「スリット。本当にいいのか?」

「ああ」


 トリスが問うも、答えは変わらない。

 当然だった。この選択は自分だけではなく、彼女の為を思ってのものなのだから。


「トリス。おれはトリスが生きていてくれたことが嬉しい。

 でも、それだけじゃ駄目だ。さっき話してくれた、ティーマ公国の貴族。

 おれのせいで、彼の元に行けないなんて御免だ。お前は幸せになるべきだ」

「っ! だが、スリットを置いたままでは!」


 自分だけが先に幸福を得る事に負い目を感じているのか。

 逡巡するトリスを手で制しながら、スリットはこうも言った。


「おれはもう起きた。皆のお陰だ。トリスが繋いでくれた縁が、おれのところにも来たんだ。

 それだけで十分だ。おれは必ず、元通りに治して見せる。

 だって、そうしないとおれの敗けじゃないか。おれはまだ、諦めていないぞ」


 敗ける。

 その言葉を聴いて、トリスに懐かしい記憶が蘇る。

 

 幼少期に、いつも意地の張り合いをしていた。

 互いに負けず嫌いだったものだから、終ぞ決着はつかなかった。

 そう。今もまだ、決着はついていないのだ。


「……そうか」

 

 子供の頃の話を今更持ち出すなんて。

 などと思いつつも、トリスは嬉しかった。

 よく知る兄が、戻ってきたと実感できたのだから。


「しかし、お前が停滞している間に私は幸せになってみせるぞ。

 悔しかったら全力で追って来い、スリット!」

「丁度いいハンデだ。すぐに、追い付いてやるよ」


 他者への劣等感と嫉妬で、いつしか互いの顔を見る余裕すらも失っていた兄妹。

 二人の想いは、視線と共に再び混じり合う。


 今日の誓いは、始まり。

 いつかの未来で、より大きな幸福を掴む為の第一歩。

 トリスとスリットは、そう確信をしていた。

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