前編
これは、二十数年前に○○県○○市で起こった連続怪死事件に関するものです。
当時の私は十歳でした。怪死事件は、その年の夏に起こった出来事です。
「なあ、明日からの夏休み、なにして遊ぶ?」
「宿題も登校日には答えが貰えるからそれを写せばいいし、夏休みは遊びまくろうぜ」
「流石にそれは怒られるよ……お母さんにバレたら、外に出られなくなるかも……」
当時の私には、特に仲の良かった友人が二人いました。私(呼び名を仮にAと称します)の問いかけに対し、悪びれる様子もなくズルすることを提案したのはB君(仮名)で、軽くたしなめるように答えたのがC君(仮名)です。B君はずる賢いところがある悪ガキで、三人の中では率先して行動を起こすリーダーのような立場の少年で、C君は気弱で自分から行動することが少なく、いつも私とB君の後ろをついてくるような少年でした。私はというと、自分から提案するけれど行動はせず、黒幕を気取っているような性格をした少年だったと思います。
「そういえば、この間いとこの兄ちゃんが遊びに来たんだ。なんでも大学生になって車の免許をとったからって言って。その時にMダム(仮称)にバス釣りに連れて行ってもらって、三十cmくらいのバスを釣ったんだけど……」
「すごいじゃん!」
「だけどいとこの兄ちゃんは、四十cmのやつを釣ってさ、帰りの車の中でずっと自慢してくるんだぜ。しかも、『大学の先にある川で、これくらいなら何度も釣ったことがある』って」
「その兄ちゃん、もっとすごいじゃん!」
当時の小学生の間では、ブラックバス(以下、バス)釣りが流行っていました。私たちはどれだけ大きなバスを釣り上げたかを自慢しては盛り上がり、自分の最高記録が塗り替えられるまでの間、学年内で威張っていたものでした。なので、B君が三十cm(当時の私たちの間では大物の部類でした)の話に興奮し、見たこともない四十cmのバスの話には、どこか別世界の出来事のように感じていました。
「でもさ、その兄ちゃんも流石に五十cmオーバーのバスは釣ったことがないらしくて、いつか釣ってみたいって言っていたんだ。だから、明日朝一で行こうぜ! でかいの釣って、兄ちゃんに自慢してやるんだ!」
「行くのはいいけどさ、どこ行く? Mダムだと、チャリじゃ遠いだろ? 近くだと小さいのしかいないし……」
「それが、でかいのがいる秘密の場所があるらしい」
B君は、俺の質問を待っていましたとばかりに笑みを浮かべました。
「苦労して聞き出したところだから、ちょっと耳寄せろ。他のやつに聞かれたらまずい」
そして私とC君に向かって手招きをして、小声で話し始めました。
「学校の上のところに、S池があるだろ? その奥のところで、二組のSがでかいバスを見たって自慢してたんだ」
「二組のSって言ったら、嘘つきで有名なやつじゃん」
「それが、その時にS以外にも見たやつがいたんだ。そいつにも聞いたら、確かにでかいのがいたんだってさ」
B君が言うには、Sは調子に乗りやすい性格で自分の見たものをかなり誇張して言う癖があるらしく、B君が少しおだてると簡単にその時の話をし始めたそうです。その話の中でバス(と思われる影)は一m程あったと言ったそうで、その半分だとしても五十cmはあっただろうとのことでした。
「でもさあの池、鯉もいるからそれと見間違えたんじゃない?」
C君はS池に行く事にあまり乗り気ではなかったようで、Sの勘違いではないかと言いました。ですがB君は『それでもバスの可能性はあるし、行ったことがない場所だから行きたい』と強めに言い、気弱なC君を半ば強引に説き伏せました。
そんな感じで翌日の予定が決まりかけた頃、
「あそこは立ち入り禁止って、先生が言ってたじゃない!」
突如、私たちを怒鳴りつける声が教室に響いたのです。私たちを怒鳴りつけたのはクラスの女子の中で中心になることが多かったIさんでした。Iさんは正義感が強く、男子相手にもはっきりと物事を言う性格だったため、一部のクラスメイトには嫌われていましたが、先生からの信頼度は高く、クラスの委員長のようなこともよくやっていました。
「A君! おばさんが遊んでばっかりだったら、今度ゲームや釣竿なんかを取り上げるって言ってたわよ!」
ちなみに私の近所に住んでいる幼馴染で母親たちの仲が良かったので、個人的な情報が母親経由でIさんに流れており、色々と弱みを握られていました。
「BもAも、そういうわけだから止めようよ」
C君が乗り気でなかった理由の一つに、先生たちによって小学生がS池に立ち入ることを禁止されていたからです。
そのS池は小学校から近いのですが森の中にあり、すぐ近くの道は人通りが少ないため、何かあった時に危険だからというのが理由でした。ですが、小学校から一番近い場所にある釣り場だったので、私たちや情報源のSのようにこっそりと釣りに行く小学生がいたため、夏休み前ということもあり、全校集会でもS池に行かないようにと厳しく言われたばかりだったのです。
危険だからという以外にも誰かの私有地だからといった理由があったそうですが、詳しくは覚えていません。
「うるせぇなぁ! 俺たちがどこに行こうと、お前には関係がないだろうが!」
B君とIさんは反りが合わなかったようで、よく喧嘩をしていました。もっとも、流石に悪ガキと言われていたB君も、女子に手を出すのはまずいと思っていたらしく口喧嘩ばかりでしたが、小学生くらいの年齢だと男子より女子の方が口喧嘩が強いことが多いのか、いつもB君の負けで終わっていました。
その日もいつも通りB君が言い負かされたところで先生が教室へと入ってきて喧嘩が終了したのですが、運悪く先生が教室の雰囲気がおかしいことに気がつき、入口付近にいた生徒から理由を聞き出した結果、私とB君とC君は居残りで怒られることとなりました。おまけにB君は、禁止だと言ったばかりのS池に行こうした首謀者ということで、げんこつまでもらってしまったのです。
今でこそ教師によるげんこつは体罰として問題になることも多いのですが、当時はそういうことはそこまで厳しい時代ではなかったので、悪ガキであるB君は先生のげんこつの餌食になることがよくあったのです。
「くそっ! Iのやつ、先生の前じゃいい子ぶりやがって!」
「あいつのせいで、帰るのが遅くなったな」
「Iは、先生の前で猫かぶるのが得意だから」
厳密に言えば怒られる原因を作ったのは私たちであり、その中でもB君は元から先生たちの印象も悪い方だったので自業自得とも言えますし、Iさんが直接先生に告げ口したわけではないのでIさんを攻めるのはお門違いなのですが、当時子供だった私たちにはそういったふうに考えることはできず、学校からの帰り道で先生やIさんへの不満や悪口を言いながら帰りました。
「でもよ。このまま先生に怒られたからって、別に言うこと聞かなくてもいいよな? どうせ明日からは夏休みだし、先生とは登校日まで会うことがないしさ」
B君は先生にげんこつをもらっても懲りていなかったようで、帰り道の途中でS池に行く計画を始めました。私も先生の言いつけ通りにするのは負けたみたいで嫌だったので、積極的にその話に乗ったのですが、C君はやはり行きたがりませんでした。
しかし、B君はC君だけ行かないというのなら夏休みの間絶対に遊ばないと半ば脅して、無理やり連れて行こうとしていました。C君はとても嫌そうにしていましたが、私とB君以外にどこかに遊びに行くほど仲のいい友たちがいなかったので、最終的には頷いていました。
「じゃあ、明日の朝十時にS池の入口で待ち合わせな」
「オッケー!」
「わかった」
S池までは、自宅から自転車で十分もかからないところにあったので、現地で集合することになりました。言い出したB君は、既に大物を釣ることが決定しているかのごとく上機嫌で分かれ道から走って帰り、C君は少し肩を落としながらトボトボと重い足取りで歩いて行きました。
私はB君ほどではありませんでしたが、もしかしたら大きなバスが釣れるかもしれないという期待感から、家の近くで私の様子を見ていたIさんに気が付くことができませんでした。
次の日、待ち合わせ場所へと少し遅れ気味にいくと、既にB君とC君がS池の入口で待っていました。
「悪い、遅れた」
「おせぇよ! もしかしたら、Sが先に場所を独り占めするかもしれないだろうが!」
B君は遅れてきた私に文句を言うと、すぐに目的の場所に行く為にS池へと続く坂道を下り始めました。
S池は山の中を通っている道路から坂を少し下ったところにありました。その坂はかなり急で、斜面に生えている木をつかみながら降りなければなりませんでした。今思えば、そういったことも学校から禁止されていた理由の一つだったのでしょう。
四~五分で三人とも無事に坂を下り終えると、B君はSから聞き出したという場所へと歩き始めました。その場所はいつも釣りをしている場所とは反対の方にあるらしく、道なき道を歩いていくような感じでしたが、大きなバスを釣ることができるという興奮からか、私とB君は特に気にすることなく先へと進んで行きました。
「ちょっと待ってよ~」
「なんだよCのやつ、おせぇなぁ」
「まあ、Cは運動が苦手だから、仕方がないのかもね。あそこで待ってようか」
私とB君がいる少し先に、数人が座れるような平らな場所があったので、そこでC君を待つことに決めました。
「そうだな。お~い、C~。少し先で待っててやるから、早く来いよ~」
「……返事がないな……まあ、答えるだけの元気がないのかもな」
B君はCの返事を待たずに先へ進み、私はCが見えないかとその場で少し待っていましたが、すぐにB君の待つ場所へと行きました。
私がB君に追いつくと、B君は四角い石に腰掛けて待っていました。
「聞いた話だと目的地はもう少し先らしいから、少し休憩だな」
B君は、Sから聞いたという秘密の場所を簡単な地図にしてきたそうで、今いるこの場所もSから聞いていたそうでした。
「秘密の場所は狭いらしくて、同時に釣りが出来るのは二人が限界だってさ。だから、先に俺とお前が釣ろうぜ! Cは俺たちのあとでいいだろう」
B君はC君に対し、時折子分のような扱いをしていましたが、別に私が困ることではなかったので口出しすることはありませんでした。むしろ、三人の中で一番最初にバスを釣ってやると思っていた私にとってはありがたい話だったので、黙ってB君の言葉に頷きました。
そんな話をしていると、後ろの方で誰かが歩いてくる音がしました。
「やっときたか。おせぇぞ、C!」
私たちはC君がようやく来たと思い振り返ったのですが、そこにはC君のほかにもうひとり、予想外の人物がいました。
「あんたたち、あれだけ先生に怒られたのに全然こりていないのね!」
そこにいたのは、気まずそうな表情をしたC君と、怒った顔をしたIさんでした。
「なんでお前がここにいるんだよ!」
「昨日、A君が浮かれた感じで帰っていくのを見たのよ。怪しかったから、朝A君の家に行ったら、A君は釣りに行ったっておばさんが言うから、ここだと思って急いできたってわけよ。A君、帰るわよ。B君もC君も、先生にもお母さんたちにも言わないから、早く戻るわよ」
私が原因でIさんにバレるとは思ってもおらず、どうしようかと少し悩みましたが、今なら誰にも言わないと言うIさんの言葉を聞いて、今日のところは諦めることにしました。Iさんに真っ先に見つかったC君は、私よりも早く戻ることを決めていたみたいでしたが、B君だけはバス釣りを諦めきれていないようでした。
「うるせえ! なんでIにそんなこと言われなきゃならないんだよ! 別に俺たちの勝手だろうが!」
B君は目的地を目の前にして引き返さなければならないという事に納得ができなかったようで、すごい勢いでIさんを罵倒し始めました。そんなB君に対し、いつものように反論していたIさんでしたが、B君の勢いまとまらず最後には、
「なら勝手にしなさいよ! その代わり、このことは先生やおばさんたちに言いつけてやるから!」
とIさんは叫び、手に持っていたハンカチをB君に向かって投げつけました。ハンカチは汗で重くなっていたのか、それなりの速さで飛んで行きましたが、B君は簡単に避けました。そのハンカチは、B君が座っていた石に当たってその近くに落ちましたが、Iさんはハンカチを拾うことなく去って行きました。
「イライラする!」
B君はIさんが去っていっても怒りが収まらないようで、先ほどIさんのハンカチが当たった四角い石を蹴りつけました。
B君が蹴りつけた石は意外にも簡単に倒れ、B君の怒りが収まるまで足蹴にされ続けました。
「くそっ! 今日はやめだ!」
石を蹴り続けて多少冷静になれたらしいB君は、このままでは先生や親に告げ口されると気がついたらしく、私とC君を置いてS池の入口へと歩き始めました。
私は慌ててB君の後を追おうとしましたが、C君がB君の蹴り倒した石を起こそうとしているのに気がつきました。
「C、何してんだ。Bに置いていかれるぞ」
少しイラっとした感じでC君を問い詰めると、C君はビクッとしたあとで、
「いや、その、なんだかこの石、墓石みたいで、このままだと悪いかなと思って……」
ようは、B君が蹴り倒した石が墓石ではないかと思ったそうで、罰でも当たるかも知れないから、なんとか元に戻そうとしているとのことでした。
なんだか気の弱いC君らしい話だなと思いながらも、墓石かも知れないと聞いたせいで私も気味が悪くなり、C君に協力して元に戻すことにしました。
C君は私が手伝うまで、何度かその石を倒してしまい、涙目になっていましたが、私が手伝って元に戻すと、ほっとした表情を浮かべていました。
「おい、A、C、何やってんだよ!」
私とC君がついて来ていないことに気が付いたB君が、だいぶ離れたところから大声で私たちを呼びました。
「今行くよ!」
私とC君は、軽くその石に向かって手を合わせると、慌ててB君のところへと急ぎました。Iさんの投げたハンカチのことは忘れて。
急いでB君と合流し、何度か足を滑らせながら坂を上り自転車のところへと向かうと、そこには自分の自転車にまたがって私たちを待っていたIさんがいました。
「今日のことは誰にも言わないけど、もし次おんなじことをしたら、先生やおばさんたちに言いつけてやるからね!」
そう言い残すと、Iさんは勢いよく自転車をこいで、私たちから離れていきました。
私はIさんに心の中で感謝しながらこっそりと他の二人に目を向けてみると、B君は苦々しい表情をしながらも、先生や親に怒られなくてすむとほっとしているようで、C君はわかりやすく安堵の表情を浮かべていました。
しかし、B君は先生や親たちへの心配がなくなると、今度は私に突っかかってきました。
「お前のせいでIにバレたんだぞ! どうするつもりだよ!」
「仕方がないじゃないか、まさかIが帰る途中の俺を見つけて、今日のことに感づくなんて思うはずがないだろうが」
始めの方こそちょっとした言い争い程度だったのですが、次第に両方とも興奮してしまい、最後には取っ組み合いの喧嘩寸前まで行ってしまいました。
「もういい! お前とは絶交だからな!」
「それはこっちのセリフだ!」
B君の絶交宣言に私も引っ込みがつかなくなり、その捨て台詞とともに私とB君は反対方向へと自転車をこいでその場を去りました。B君に背を向けた瞬間、一瞬誰かに見られている感じがして後ろを振り向きましたが、そこには私と同じようにこちらを振り向いたB君と、オロオロとしているC君がいるだけでした。
「おい、A。Iちゃんが帰ってきていないらしいが、何かお前知らないか?」
B君と喧嘩をした後、私は家に帰りふて寝をしていたのですが、いつの間にか寝入っていたようで、私の部屋に入ってきた父の声で目を覚ましました。
時刻はあと少しで七時になる頃だったと思います。Iさんの門限が六時だったそうで、門限を過ぎても帰らないIさんを心配したIさんの母親が大通りまで出て待っていたところに会社帰りの父が通りかかり、Iさんが帰っていないことを聞いたそうです。
「Iちゃんのおじさんもお友たちのところに電話をかけたそうだが誰も知らないらしく、今は公園なんかを見て回っているそうだ」
当時は携帯電話を子どもが持つということはなく(少なくとも、私の周りで持っている人はいませんでした)、電話と言えば備え付けの家庭用電話か公衆電話が一般的な時代でした。そのため、Iさんに直接連絡を取ることができず、知り合いの家に電話をかけて探すか、直接動き回って探すしか方法がなかったのです。
寝起きで頭の回らなかった私は、しばらくの間父の質問の意味が分からずボーっとしていましたが、やがてしびれを切らした父が焦っている感じで私の体を強く揺すったことで、何か重大なことが起きているのだと理解しました。
「Iの行き先って言っても、俺は何も……ん?」
「何か、心当たりがあるんだな!」
父の迫力に、私は思わずS池でB君とIさんの間で起こったことを話してしまいました。もっとも、禁止されているS池で起こったことではなく、あくまでS池のすぐそばの道での話としてでしたが。
それでも父は、現状ではIさんの唯一の手がかりだと判断し、急いでIさんの母親のところへと向かいました。そこから事態は急変します。
Iさんの捜索は、私が思っていた以上に大掛かりなものだったらしく、Iさんの両親に私の両親だけでなく、近所の人々や数名の警察官まで動員されていたそうです。
そんな中で、私の情報によりIさんがS池付近にいる可能性が出てきたということで、警察を中心にした捜索隊がS池がある山へと向かい、そこでIさんを発見したそうです。S池の中心付近で水に浮かぶ、変わり果てた姿をしたIさんを……
Iさんの死因は溺死で、病院で死亡が確認されたその翌日に通夜が行われました。最初は私をはじめとしたクラスメイトも、Iさんの通夜に参加する予定だったのですが、何故か急遽参加を見送られ、後日行われたお別れの会だけの参加となりました。
そのことについて私の両親は長い間、私にIさんの葬儀に関する話は一切しませんでしたが、私が高校を卒業する少し前くらいに、酒に酔った父がふと思い出したかのように、Iさんの葬儀への参加が中止になった理由を話してくれました。その理由とは、Iさんの表情にあったそうです。
S池から引き上げられたIさんは、形容しがたいほどの恐怖を体験したかのような表情のまま亡くなっていたそうで、引き上げられた直後になんとか目だけでも閉じさせようとしたそうですが、固い石のように顔の筋肉が固まってしまっており、一mmも動かすことができなかったそうです。そのため、なにかの間違いで私たちがIさんの死に顔を見てしまわないようにとの配慮から、参加が取りやめになったとのことでした。
父はその話をしたあとで、こう続けて言いました。
「あの時、ほんの一瞬しか目に入らなかったはずなのに、柩に収められたIちゃんの顔が脳裏に焼き付いてしばらくの間まともに眠る事が出来なかった……今でもふとした拍子に、あの時のIちゃんの顔が頭の中に浮かんでしまう」
と……
この余りにも衝撃的なニュースは地元だけでなく、全国的にも取り上げられました。そして、私の通っていた小学校では、夏休みに入ってまだ数日しか経っていないというのに急遽臨時の登校日となり、体育館で全校集会が開かれました。
その時の私(もしかすると、B君とC君も)は、Iさんの死を悼むよりも、Iさんの死の原因が少なからず私たちにあるということがバレて、皆から責められるのではないかという恐怖を感じていました。
もっとも、それは杞憂に終わったのですが、数日の間はまともに自室から出る事ができず、トイレなどの最低限のこと以外は部屋の中に引きこもり、家族ともまともに顔を合わせませんでした。両親はそんな私を幼馴染が亡くなったショックでそうなっていると思っていたようで、特に何も言われることはありませんでした。
Iさんが亡くなってから十日以上が経った頃、ようやく私は家の外へと出ることができていました。ただ、外に出れるようになったと言っても、それは玄関から一、二歩外に向かって歩くことが出来るというもので、それ以上進もうとすると足がすくみ、吐き気やめまいに襲われてしまうのでした。
そんな私がまともに外を歩けるようになったのは、夏休みの終盤に入ってから……確か、残り二週間を切った頃だったと思います。しかし、足を動かせるのはS池のあるのとは反対の方向のみで、S池の方角へは家から数m先くらいまでしか足が進みませんでした。
ちなみに、S池がある方角には小学校やIさんの家があり、無理にその道を通ろうとするとひどい吐き気や頭痛に襲われ、気を失いかけることもあり、私はあの事故以来、一度もIさんの家の前を通って学校へと向かう道を歩くことはできませんでした。
夏休みの終盤ともなると、Iさんの事件はテレビや新聞などで見かけることはなくなりました。丁度その頃でしょうか、学校の周辺ではある奇妙な噂が流れ始めました。それは、Iさんが亡くなったS池の付近で、見慣れない老婆が度々目撃されたというものです。
それだけなら、ただ単に目撃者が自身の知らない老婆を見かけただけのように思えますが、目撃者の中には学校の周辺に古くから住んでいる方たちも含まれていたのです。
複数の目撃者の証言をまとめると、『古いボロボロの服を着た見慣れない老婆がいつの間にか現れ、少し目を離したすきにいつの間にか消えている』というものです。だいぶ昔のことなので、細かなところは間違えているかもしれませんが、概ねそんな感じだったと思います。
そして目撃されるのは、決まって周囲が薄暗くなり始めた頃……IさんがS池で発見された前後の時間帯でした。
そういったことから、Iさんの死とその噂の老婆を関連付けたような話を、チラホラと耳にするようになりました。私はそんなIさんの死を面白がるような話を聞いて、子供ながらにやり場のない怒りのようなもの感じ、心がぐちゃぐちゃになってしまいそうになったことを覚えています。私ですらそうなったのです。大切な我が子を亡くしてしまったIさんのお母さんに至っては、そんな話がささやき始めた頃を境に、心が壊れていってしまったのだそうです。
もっとも、Iさんのお母さんがそうなってしまったのを知ったのは、つい最近のことですが。
そんな無責任な噂に心を乱されていた頃、更なる不幸が私の周囲に訪れました。
「ごめんください。A君はいらっしゃいますか?」
あと数日で夏休みが終わるという頃、夕方に私を訪ねてきた人がいたのです。
「あら、B君のお母さん。お久しぶりです。Aに何か用事ですか?」
あまり人に会いたくなかった私は、家のチャイムが鳴った瞬間に部屋に鍵をかけて引きこもったので、代わりに母が出迎えたのでした。
しばらく母は、玄関先でB君のお母さんと話をしていましたが、話の途中で私の部屋へとやってきました。
「あんた、B君の行きそうなところ知らない?」
B君のお母さんの用事とは、私にB君の行きそうなところを聞くことだったのです。
「いや、知らない。Bとは夏休みの初日以来会ってないから」
母は、『夏休みの初日』という言葉で何かを察したらしく、一言「そう……」とだけ呟いて私の部屋の前から去りました。
母がドアの前から離れるのを待ってから、そっとドアを少しだけ開けて玄関の様子を伺うと、母はB君のお母さんに、私が夏休みの間家から離れていないことを説明し、B君の行き先に心当たりはないと私の代わりに伝えてくれました。
B君のお母さんは母としばらく話し、もしB君から連絡があったら教えてくれと言って帰って行きました。
B君のお母さんが帰ったあとで、母は私に何が起こっているのかを教えてくれました。母から聞いた話によると、その日の朝早くにB君が家を出て行ってから一度も帰ってきていないとのことでした。それを聞いたときに私は、「まだ明るいから、家に帰る時間だと分かっていないだけじゃない?」と聞き返したのを覚えています。夏は日が暮れるのが遅いので、今のように子供が普通に携帯電話持つことが無かったあの頃は、友人たちと夢中になって遊んでいるといつの間にか夜の7時を回っていたというのがよくあったからです。
そのような理由から、私はB君のお母さんは心配しすぎなのでは? と思っての発言だったのですが、私の言葉に対する母の答えは……
「それがB君、今朝釣りに行くって言ってお母さんと喧嘩して、釣り竿を持って飛び出していったらしいのよ」
とのことでした。およそ一ヶ月前にIさんの痛ましい事件があったばかりだというのに、子供が釣りに行くと行ったら当たり前のように親は反対するでしょう。それがIさんと接点のある子供なら尚更のはずです。
そういったこともあってか、B君のお母さんは思わずB君をきつく叱ってしまったそうで、叱られたことに腹を立てたB君は家を飛び出していってしまったのだそうです。
そしてそれ以降、誰もB君の姿を見てはいません。二十年以上が過ぎた今でも、B君は行方不明のままです。
私の周囲で起きた不幸な出来事は、B君の行方不明だけでは終わりませんでした。実はB君が行方不明になったのと同じ日、不幸は私の知っている他の生徒にも襲いかかっていたのです。その人物は、S池の秘密の場所をB君に教えた『二組のS』と、B君がS池の情報の裏を取るために接触した生徒(以下N)でした。
SとNは同じクラスで、よく二人で釣りに行く仲だったそうです。この二人は、B君が行方不明となった日の数日後に発見されています。Iさんと同じ、物言わぬ姿となって……
二人が亡くなったとされる日、二人の両親はそれぞれ用事や仕事で深夜にならないと帰ってこれなかったらしく、次の日の昼近くになってから、それぞれ自分の息子が家に居ないことに気づいたそうです。ただ、その時は自分の息子は友たちの家に(SはNの家に、NはSの家に)遊びに行っているのだと思ったそうで、特に気にしていなかったそうですが、その日の夕方になっても帰ってこないことを不審に思い連絡を取り合ったところ、そこで二人が行方不明になっているのに気がつき警察に連絡、すぐさま捜索隊が結成されたそうです。
しかし捜索隊が結成された時にはすでに日が落ちており、知り合いの家を訪ね歩くことに重点が置かれました。何しろ、全く手がかりがない状態だったので、まずは何でもいいから情報をということでした。そして捜索隊が結成されたのは、B君のお母さんがうちへ訪ねてきた日でもありました。
そして、SとNの他にB君も行方不明になっていると警察が知ったのは、捜索隊が結成された次の日の早朝です。
朝早くからB君のところへ二人の行き先の心当たりを訪ねに来た警察に、B君のお母さんがもしかしたら自分の息子も巻き込まれているのでは? と言ったことで、行方不明者は三人だということがわかったのだそうです。
警察は、B君が釣り道具を持ち出したという話を聞いてすぐにSとNの自宅を調べたところ、二人の釣り道具も見つからなかったそうで、そのことから三人は一緒に行動していた可能性が高いと判断し、周辺のバス釣りが出来る場所を捜索したのでした。
そして捜索開始から、すぐに一人目発見されたとの報告が入ったそうです。
最初に発見されたのはNでした。NはMダムのすぐ下を流れる川に生えていた葦の中で倒れていたとのことでした。
Nを発見したのは三人が行方不明になっていることを知らず、ただ犬の散歩をしにMダムの近くの公園まで車できていた人だそうで、犬が川に向かって激しく吠えたことが気になり葦の中を上の歩道から覗き込んだところ、Nが倒れているのを発見したのだそうです。
Nが倒れていたところへは直接降りられるような階段などが見つからなかった為、近くの民家から警察へ連絡をし、捜索隊が駆けつけてから引き上げられたのだそうですが、その場で死亡が確認されたとのことでした。
NがMダム付近で発見されたことから、残りの二人もその付近に居る可能性が高いとされ、集中的に捜索されることになったのです。そしてすぐにその考えは正しいと証明されたそうです。
捜査開始から程なくしてMダムの周辺で二台の自転車が見つかり、それぞれにB君、Sの名前が書かれていたそうです(Nの自転車は、Nが倒れていたところから数百m程離れた場所で発見されたと聞いています)。そしてその場所のすぐ下の釣り場には多数の釣具が散乱しており、岸からだいぶ離れた水面にSが浮かんでいたそうです。Sもその場で死亡が確認され(聞いた話では、片方の足首に糸が絡まってできたような跡と、Sがかきむしったような跡があった為、何かしらの大きな魚がかかった際に何かの拍子に釣り糸が足に巻き付いてしまい、水の中に引き込まれたのではないかとのことでした)、残りはB君だけだったのですが、前出の通りB君は見つかりませんでした。その時点では、まだB君は行方不明という扱いだったそうですが、実際にはすでに生存していないだろうという意見が強かったそうです。
Mダムは私たちが住んでいた地域では一番大きなバス釣りのスポットだったこともあり、捜索が難しかったこともあったのでしょう。それに加え、Sのようにダムで亡くなったのか、Nのようにダムから離れたところで亡くなったのかも不明で、しかもMダムの周辺の森には猪や野犬が生息していることから、死亡している場合、それらの野生生物が死体をどこかに運んでしまった可能性も視野に入れなければならなかったからだそうです。
そのため、B君の捜索は当初から困難なものになると言われていました。捜索は警察や消防、近隣のボランティアや学校の関係者など多くの人が参加しましたが、開始から一週間もすると自然と諦めた雰囲気が漂うようになったらしく、いつの間にか捜索は打ち切られていました。B君のご両親は捜査が打ち切られたあとも独自で探し回っていたそうですが、見つかったのは釣具が散らかっていた場所から遠く離れていた岸部に流れ着いていた片方の靴のみだったとのことです。
そんな事件があったことから、小学校ではまたも臨時集会が行われ、学校周辺の保護者や住民にも警察や学校から様々な通達があり、あれだけ流行っていたバス釣りは全面的に禁止となりました。その頃は本当に学校周辺を中心にピリピリとした雰囲気が漂っており、子供が少しでも水辺に近づこうものなら、それを見つけた見知らぬ大人が飛んできて叱りつけるということもあったそうです。
しかもそういった雰囲気の中でも隠れて釣りに行くような生徒がいたため、発覚する度に学校関係者に連絡が回されて、関係者や保護者会がさらにピリピリとしていました。
そういったピリピリした雰囲気も、年末が近づくにつれて徐々に和らいでいき、クリスマスの日には、それまでの暗い雰囲気を吹き飛ばそうとするかのように、小学校や近所などでイベントが企画され、賑やかな雰囲気へと変わっていきました。
そんなある日のことでした。私は学校からの帰宅時、下駄箱でたまたまC君と一緒になったのです。B君の事件があってから互いにわざと帰る時間をずらしていたのですが、その日は私が先生に呼ばれていたため鉢合わせてしまったのでした。別にC君との間に何かあったというわけではありませんでしたが、私はB君の話題を避けたいという気持ちがあったので自然とC君と別行動をすることが多くなっていたのです。それは恐らくC君も同じ思いだったのでしょう。
そういった事情から、C君と一緒に帰るのは多少気まずい思いがあったのですが、帰り道が同じなのにわざわざ途中で遠回りの道に変更するのも変だと思い、二人して黙ったまま歩き出したのでした。
そのまま二人で校門を出たとき、
「君たち、ちょっと話を聞かせてもらえるかな?」
私とC君は、二人組に大人に呼び止められたのでした。それは少し年配の男性(以下K)と、その男性よりかなり若い女性(以下O)の二人組です。後で知ったことですが二人はある大学の教授とその助手とのことで、Iさんをはじめとした事件の関連性を調べていたということでした。
「君たち、この小学校の生徒だよね? IさんやB君たちのことで、聞きたいことがあってね」
「ちょっと教授、まずいですよ。相手は小学生ですよ! せめて保護者に許可を取ってからでないと……」
このときは気がつきませんでしたが、後になって思えばこのKという教授は、私とC君が一連の事件の犠牲者と知り合いだと調べた上で声をかけてきたのでしょう。
「IさんやB君、N君、S君の事故の前に、何か彼らの周辺で変なことが起こっていたとか知っていたら、何でもいいから教えてくれないかな?」
「先輩、本当にまずいですって」
助手のOが止めようとする声を無視して、K教授は私とC君にそんな質問をしてきました。今でも覚えていますが、そのK教授は私たちが何か知っていると確信しているような顔をしていました。
「ちょっと君、顔色が悪いけど大丈夫?」
私がK教授に睨まれて(K教授にそんな気はなかったでしょうが、当時の私には知らない男性と言うこともあり、当時の私はそう感じました)いるとき、不意にO助手がC君にそんな言葉をかけたのでした。
その言葉を聞いた私は、反射的にC君の方へと顔を向けたのでしが、確かにC君はO助手が言った通り顔色が悪い……というより、何かにひどく怯えたような表情をしていました。
「あ、あ、あ……」
C君は怯えたような声を出しながら、ゆっくりと震える指である方向を示しました。
私たち三人は、その動きに釣られてC君が指差す方角に目を向けましたが、その場所には誰もいませんしありませんでした。ただ、私たちはC君が指差した方角に何があるのかすぐにわかりました。その方角にあるもの……その先には、Iさんが亡くなったS池があるのです。
S池自体は小学校から見える場所にはないのですが、私とC君がK教授とO助手に話しかけられた道を少し進むと坂道があり、その坂道を上っていくとS池の入口に行くことができるのです。
C君が指差していたのは、そんなS池に続く坂道の上の方でしたが、私たちのいるところからはS池どころか、S池のある森も見えないのです。
C君の指差した方向を見ても何も見つからなかったので、何を驚いているのか直接聞こうとC君を見たところ、少し目を離していた(恐らく十秒もかかっていないと思います)間に、C君の顔色はさらに悪くなっており、体の震えも大きくなっていました。
「C君、どうしたの? 大丈夫?」
O助手が心配そうにC君の肩に手を置いたところ、
「うわぁあああああああーーーーーー!」
C君は突然絶叫し、O助手の手を振り払って走り出したのでした。
「くそ! おいO! あのままじゃ危ない、追いかけろ!」
「は、はい!」
私たちがいる道は車通りの少ない場所ではあるのですが、その少し先には狭いながらも比較的交通量の多い道路もあるため、K教授はC君を止めるためにO助手を向かわせたのでした。
「そこの二人! うちの生徒に何をしているんですか!」
「行け、O! こっちは俺が説明する」
丁度O助手が走り出そうとしたとき、校門の方から数名の先生が出てきたのです。O助手は走り出そうとした瞬間に声をかけられたため、思わず足を止めかけていましたが、K教授の声に反応して、すごい勢いで再び走り出したのでした。
「A君、こっちに来なさい」
私は駆け寄ってきた担任の先生に手を引かれてK教授から引き離され、K教授は残りの先生たちに囲まれてしまいました。先生たちは、下校中の他の生徒から私たちが不審な大人に話しかけられていると知らされて、慌ててやってきたとのことでした。
そのまましばらくの間、K教授は先生たちに一人で囲まれていましたが、途中でO助手が戻ってからは二人で囲まれていました。
私は担任の先生により、K教授たちがいるところから少し離れたところに連れて行かれたのではっきりと見えませんでしたが、しきりに頭を下げるO助手に対し、K教授は先生たちに真剣な表情で何かを訴えているようでした。
しばらくしてK教授とO助手を囲んでいた先生の一人が私のところに来て、K教授たちから何を言われたのかと聞かれましたが、質問自体は一つしかされていなかったのでほぼ聞かれた通りに答えることができたと思います。
先生たちは私の話とK教授の話の内容がほぼ同じということで、K教授の質問によってC君が絶叫して走り出したとは思わなかったようですが、それでもK教授たちをかなり厳しい言葉で追い返していました。
K教授とO助手が見えなくなったところで(二人は私が帰るのとは逆の方へと歩いて行きました)、私は先生たちから謝罪と注意を受け、寄り道せずにまっすぐ帰るように言われて解放されました。
謝罪は私とC君をK教授に接触させてしまったことについて(実は、数日前にK教授から私とC君に話を聞きたいという電話があったそうです。その電話は私の家にもあったそうですが、父と母が私をあの事件から遠ざけたいと言って拒否していたそうです)で、注意の方はああいった場合はすぐに小学校に戻ってくるか声を上げて近くの人に知らせなさいとのことでした。
「A君だよね? もし何かあったら、これに電話しなさい。私もできる限り力になるから」
そういった注意を受けてから数分後、私は待ち構えていたK教授から声をかけられました。恐らくK教授は、反対方向に歩いて行ったと見せかけて私が帰るのに使う道へと先回りしたのでしょう。
私は先生に言われた通り声を上げようとしたのですが、K教授の真剣な表情を見た瞬間、何故か声を出すのを躊躇してしまったのでした。K教授はその隙に私の手に携帯電話の番号が書かれた紙を握らせてきたのです。
「どんな些細なことでもいいから、危険を感じたらこの番号に電話をかけるんだ。いいね」
K教授はそれだけ言うと、足早にその場を去って行きました。私は渡された紙をポケットに入れ、C君の家に向かいました。C君はアパート住まいで私の家の近くに住んでいるのですが、私たちの自宅の間には田んぼがあったため、少々回り道をしないといけないのです。そう言った理由としばらくの間わざと合わないようにしていたこともあり、帰りに寄るのは久々のことでした。
C君の家に着き玄関のチャイムを鳴らしたのですが、いくら待っても反応がありませんでした。念の為外から声をかけ、玄関の反対側にあるベランダから様子を見てみようとしたのですが、ベランダ側のカーテンは閉められていて部屋の電気も消されていたため、C君が帰ってきているのかさえ分かりませんでした。
そのあとも何度かチャイムを鳴らしてノックもしてみましたが、先ほどと同じように全く反応がなかったのと、雲行きが怪しくいつ雨が降ってもおかしくない天気だったので、私は自分の名前とK教授からもらった番号を破ったノートに書き写し、何かあったらこの番号に連絡すること、そうすればK教授が力になってくれるかもしれないからと添えて郵便受けに入れて帰りました。
C君のアパートから帰ったあとも、何度か電話をかけましたが繋がりませんでした。そしてその日の夜、大体十時を過ぎた頃だったと思いますが、私は遅めの風呂から上がり、母親に早く寝るように言われていた時のことでした。私のすぐ横にあった電話が鳴ったのです。
私は反射的に受話器を取り、普段通りに『もしもし、どちら様ですか?』と問いかけようとしたのですが言い切る前に、
「助け、家の周りに変な……あっ……う、うわぁあああーーー!」
という叫び声が響いたのでした。そしてその声は、私がよく知っている人物のものだとすぐに気がつきました。
「C? Cだろ、どうした! おい、C……C?」
C君は叫び声を上げたと同時に、恐らく受話器を放り投げたのでしょう。私が名前を呼んでいる最中に、何度かゴンとかガンと言った大きな音が聞こえ、すぐにコンコンコンといった小さな音が聞こえてきました。そして後になってから思い返してみると、その時おかしなことが起こったのです。
それは、コンコンコンと連続して聞こえていた音が急に止まり、ガチャリと言う音が聞こえてそのまま通話が終了されたことでした。
「どうしたの、A!」
C君を呼ぶ声に驚いてやってきた母は、すぐに私の様子がおかしいことに気がつき、慌てて私の肩を掴んで何が起きたのかを聞いてきました。
私は混乱しながらも、先ほどの相手はC君で、電話の向こうでいきなり叫び声を上げたのだと話しました。母は私の話を聞いて急いで寝ていた父を起こし、C君の家に向かうように言いました。父はすぐに起き上がり、近所の人に声をかけて一緒にC君の家に走って行きました。その後で母は、C君の家に何度か電話をし、繋がらなかったため警察に連絡をしました。
母が警察への連絡を終えたとき、私は小学校の帰り道でK教授にもらった電話番号を思い出し、急いで連絡を取りました。
K教授はすぐに電話に出てくれ、すぐに向かうので家から出ないようにと言いました。
「A君のお宅でしょうか? 私は〇〇大学のKと申します」
電話をしてから十分ほどで、K教授は私の家に到着しました。最初出迎えた母は、何故大学の教授が家に来るのかわからなかったようで、かなりK教授のことを警戒していたようですが、私が連絡したことを聞くと、K教授を怪しみながらも家にあげました。
K教授は自己紹介のあとで母の疑問に答えようとしましたが、それとほぼ同時に外が騒がしくなったのです。私は瞬間的に『C君に関わることだ』と思い外に出ようとしましたが、すぐに母とK教授に止められました。
「私が様子を見に行きます。お二人はくれぐれも外に出ないように」
とK教授は言い残し、外へ向かって走り出しました。
それからK教授はなかなか戻ってきませんでした。母と私はK教授の言う通り外に出ませんでしたが、家の中にいても外で大変なことが起こっているというのは理解できていました。なぜなら、K教授が出て行ってから何度もサイレンの音が鳴り響き、赤色灯の明かりでカーテンが赤く染まっていたからです。
外から聞こえる声と差し込む赤い光に私は不吉な予感が止まりませんでしたが、K教授の言う通り家の中で待っていました。
どれくらいの時間が経ったのか分かりませんでしたが、外の赤色灯が消えて数台の車が走り去る音が聞こえたあとでうちのドアが開く音が聞こえ、誰かが家の中に入ってきました。
すぐに父だということは分かりましたが、足音が二人分で声も聞こえなかった為、もしかして知らない人が入ってきたのではないかと警戒したのでした。
しかしその心配は杞憂に終わり、入ってきた父親とK教授の姿を見てホッとしたのを覚えています。ただ、そのすぐ後に聞かされた父親の、
「A……C君が亡くなった」
という言葉を最後に、その日の私の記憶は途切れています。
その次の日、起きた私はすぐにC君のことを聞きましたが、父はただ死んだという以外には教えてくれませんでした。最後にC君と話したのは私だったので何度か警察が話を聞きに来ましたが、警察もC君の死因や発見時の話などはしてくれませんでした。まあ、子供だったので仕方が無いとは思いますが、あの時は知ることよりも知らないことの方が怖かったのも事実です。
ただ、その数年後にその時のC君の話を知った時には、子供に聞かせることの出来ない話だったのだとは理解しました。流石に、『田んぼのど真ん中で恐怖に染まった顔をしたC君が、うつぶせの状態で泥の中に沈んでいた』など、子供には聞かせることは出来ないでしょうから。特にそれが、C君と最後の言葉を交わした私にするのは躊躇われることでしょうし。
ただこの件は、これまでのIさんやNとSのような事故ではなく、何者かが関与した可能性のある事件として扱われることになりました。そうなったのは私の証言した、『ガチャリという音がして通話が切れた』というものからでした。
その証言から、警察はC君の家の電話を調べたそうですが、C君とその家族以外の指紋は出なかったそうで、さらに田んぼにはC君以外の足跡は無かったことから、私の勘違いではないかと言う話もではそうです。しかし、田んぼで発見されたC君は靴を履いておらず、また、家のドアも開きっぱなしになっていたという証言と、数人の近隣住人から深夜に子供の叫び声のようなものが聞こえたという証言もあった為、『それほどまでに慌てて家を飛び出した子供が、電話機を正しく置く余裕があるのか?』ということになり、第三者の関与の可能性があるということになったそうです。
K教授は私が気絶したことで一度戻り、二日後に改めてやってきました。次の日に来なかったのは、C君が私の書いたK教授の電話番号の書いた紙を持っていたのを警察が見つけ、事情聴取の為に一日拘束されていたからだそうです。
「実は私、○○大学でこの地域を中心とした歴史を調べておりまして、特に古くからある言い伝えなどを中心としたものを専門にしているのです。その中で、今回の一連の事件に似たような話がいくつかあったので、A君に話を聞こうとしていました」
と、K教授は両親から私に接近した理由を問われ、そう答えたのでした。
「その事件とは、一体どういったものなのですか!?」
似たような事件と聞き、父はK教授に掴みかからんばかりの勢いで身を乗り出し、母も私を抱きしめながらK教授を真剣な表情で見ていました。
「かなり古い話なので、いつからかは不明ですが、私が調べた限りでは古くは1800年頃、新しいものでは六十年程前になります。その間にも、何度か同じような事件のことが書かれた書物を発見していますが、いずれも共通するのは、『連続で水に関連した死者が出ている』ことと、『死者が発見された前後に、謎の老婆の目撃情報がある』ことです」
K教授は、IさんがS池で無くなった後で、B君とSとNの事件が続いたことで言い伝えとの関連を疑い、謎の老婆の目撃情報を知ったことで確信を持って私に接触してきたということでした。
父はその話を聞いてただの偶然だと言いましたが、私と近しい人たちが五人も立て続けに犠牲になったことは紛れもない事実なので、今思うと父は全て偶然だと思いたかったのでしょう。
「Iちゃんたちの事件が関連性のあるものだとすると、次に犠牲になるのはAということなんですか!?」
母はさらに私を強く抱きしめ、K教授に泣き叫ぶかのような声で問いかけましたが、
「それは分かりません。今回の事件は言い伝えにあるものと類似点は多いですが、絶対にそうだとは言い切れませんし、犠牲者の共通点にしても、今回はA君と同年代の子たちが続きましたが、資料ではもっと幅広い年齢……それこそ、A君よりも幼い子供から老人、そして性別もバラバラなのです。そしてその犠牲者も、親兄弟で犠牲になったという記録もあれば隣人同士だったという記録もあり、中には全く関係のない赤の他人と思われる記録もあるのです」
全ての犠牲者にこれだと言える共通点が無い為、私も被害に遭うのかそうでないのかが分からないとのことでした。
「ただ、もしかするとと言った話なのですが、犠牲者はこの周辺の地域……M川からあまり離れていないところに住んでいた者か事件の直前に川を訪れていた者で、犠牲者が出た後で一連の事件は呪いだと信じて離れて行った者もいたようですが、その者たちが犠牲になったという話は確認できませんでした。もっとも、そんな古くにこの地を離れた者の安否など、確認する方法はほとんどないのですが……数件だけですが個人的な日記に、この地を離れた者は元気にやっているそうだということが書かれていました」
そのK教授の話が決め手になったのでしょう。父と母は私が犠牲になることを恐れ、すぐに県外への引っ越しを決めました。
場所はK県で、それまで住んでいたH県の隣県ではあるのですが、住んでいたところとは反対方向になるのと、母方の遠い親戚が住んでいること、そして父の会社の別支店があることがその県を選んだ理由だったそうです。
その後、年越しを待たずに私は母と共にK県に移り(とは言っても、しばらくの間はホテルに泊まっていました)、しばらくして親戚の伝手で見つけた一軒家に住むことになりました。
父は仕事の関係上すぐに引っ越すということが出来なかった為、K県の新しい家に荷物を少しずつ移しながら元の家に住み続け、年度が変わるのを待ってからK県の支社に転勤と言う形で引っ越してきました。
K教授の推測が正しかったのか、K県に引っ越してからは私の周りで犠牲者が出るということは無く、私は環境が違うということ以外はそれまで通りに近い日常を送ることが出来るようになっていました。ただ、時折あの一連の事件のことを思い出しては、発作を起こしたかのように泣き叫ぶような状態に陥り、その都度父や母、それに周囲にも迷惑をかけてしまいましたが、大人になるに連れてそのようなことは自然となくなっていきました。しかし、今でも水への恐怖は完全に消えてはいません。
父と母は、K教授とは引っ越ししてからも何度か連絡を取っていたようですが、それもいつの間にかなくなったらしく、私の方も貰った連絡先を書いた紙を無くしてしまっていたので、C君が亡くなった時から会うことはありませんでした。大人になった今でも、K教授がどうしているのか知りませんし、正直に言うとあの頃のことを思い出しそうなので知りたくもありません。
今でもあの怪死事件の真相は分からないままですが、今後あのような事件が二度と繰り返されないことを祈るばかりです。
〇年✕月△日
「お昼のニュースをお知らせします。本日未明、○○市✕✕区にあるホテルの一室で、男性の変死体が発見されました。現在男性の身元の特定を急ぐと共に、事件事故両方の可能性を含めて調査中とのことです。続いてのニュースは……」