2話目
その日の授業を終えて下校時間となった。
光太郎はさっそく帰り支度を整える。・・・・・・教室の出入り口の片側では不良達がたむろしていた。光太郎は絡まれるのが嫌で、逃げるようにこそこそと反対側の出入り口から出て行った。
学校帰りは真っ直ぐ家には帰らなかった。お気に入りの街、神保町に立ち寄るのだ。
光太郎は神保町が好きだった。古書店が多いためだ。この街に入り浸るのが何よりの楽しみなのだ。
いつもの馴染みの店に立ち寄る。古い蔵書が立ち並ぶ古書店。独特の香りがする店内だった。薄暗い電灯に照らされる店内は、光太郎以外は誰もいない。
「やぁ、光太郎君。今日も来てくれたんだね」
白髪姿のおじいさんである店主が光太郎に話しかける。光太郎はこの店の常連となっていて、いつの間にか顔も名前も覚えられたのだ。
軽く会釈を返す光太郎。
「おじいさんもお元気でしたか」
「ほっほっほ! 光太郎君が来てくれるから、まだまだ生きて店を開けておかないとねぇ」
店主は人の良さそうな笑みを浮かべた。
「僕の好きなものがあるお店ですから。いつまでもやっていて欲しいです」
光太郎も笑みを返した。
「この間の本はどうだったかね?」
「あぁ、あれは読破しましたよ。今と異なる時代の言葉遣いでしたが、まだ調べながらでも読めたのでなんとかなりました」
店主は頷いた。
「昭和初期から中期くらいの本ならまだまだあるから言っておくれ。しかし、光太郎君もそろそろもっと古い本もいけるんじゃあないだろうかね」
店主が顎の白ひげをなぞりながらそのように言った。
「古文となると、まだちょっと躊躇いますよ。もう少し昭和時代の蔵書を愉しんでいます」
店主はうんうんと頷いた。
光太郎は積み上げられた古書を眺めてゆく。紙質の古い本の売り場に差し掛かる。古語体で書かれた本もあった。古語体は流石に読めないので敬遠する。
と、古い洋書が重ねておいてあるのを見つける。古い上に外国語となると読めないどころの話ではないが、表紙のデザインが気に入って手に取った。茶色い皮で出来た表紙に金色のインクで装飾が描かれている。タイトルはあるが、何とかかれているのかわからない。
光太郎は本を開いてみようとする。しかし、本は糊で閉じられたかのように開かなかった。無理に開こうとすると破れるかもしれなかったので、無理はしなかった。
「おうや、光太郎君。その本が気になるかね?」
光太郎が頷いた。
「洋書のようですけれど、なんだかお洒落なデザインなんで気になったくらいです。なんていうタイトルなんですか?」
光太郎は表紙を見ながら尋ねた。
「その本のタイトルかい? 『神の優美の書』と書かれているらしい。その本は開かないよ。いたずら者が糊か何かで綴じてしまったのだろう」
店主は残念そうにそう言った。
「本にそんな扱いをするなんて、酷い奴もいるものですね!」
珍しく光太郎が怒った。本は彼にとっては大事な物であり、宝であり、財産であると考えている。だから粗末な扱いが許せないのだ。
「そうなんだよ。まったく、心無い者がいるものだ」
店主も同調した。心から残念と言わんばかりに顔を横に振っている。
光太郎は横から書を覗き見た。・・・・・・糊で綴じられたにしてはぴったりと閉じられている。ページの縁が全て真っ直ぐに綺麗に並んでいる。少なくとも古書でこの状態は普通なら良好な物のはずだ。
「外見は綺麗なんですけどね。残念です」
光太郎は手にした洋書を棚に戻そうとする。
「ふむ。その本はそんな有様だったものでね。前の持ち主からタダ同然で引き取ったんだよ。由緒ある本らしいので、捨てるのももったいないと持ち込まれたんだが、その分では売れないだろうねぇ。どうだい。良かったら光太郎君に譲るが」
店主からの提案に光太郎は迷った。タダでも開けない本となると扱いに困るのは明白だった。しかし、なぜかこの本に心惹かれるのも確かだった。本との出合いも一期一会。特に現代の量産された本ではないのだから、次にこの本に会う機会はないのかもしれない。
「では、この本を譲っていただけませんか?」
「良いとも! 今、紙袋に入れるので待っていなさい」
店主がレジの脇から紙袋を取り出そうとする。
「あっ、いえ。お気遣い無く。このままでも大丈夫です。通学用の鞄もありますから」
光太郎は下校途中だったので、通学用の鞄を持っていた。だから紙袋は不要だったので辞退したのだ。
光太郎は大事そうに洋書を鞄の中に仕舞いこんだ。流石に本を貰うだけでは悪いと思い、買うつもりで本の物色を再開する。昭和時代の蔵書の棚に目を向けた。有名な古典も置いてあるが、それならば現代も販売されている。だからマイナーな、少なくとも光太郎には聞いたことも無いようなタイトルの本を選んで買って帰る。
「それじゃあ値引きしておくよ。いつもありがとうね」
店主が笑顔で光太郎に応えた。