1話目
魁光太郎は高校では影が薄かった。学業はそれほど悪くは無く、スポーツもこれといって得意なものはないが目立って悪くもなく。可もなく不可もなく。強いてあげれば平均的。彼の存在感がない理由。それは彼が息を殺すように気配を消していたからに他ならない。自己主張せず自分の意見は無理に押し通さず。周りの意見に同調する事を良しとする。それはひとえに目立つとろくな事がないからだ。彼の人生において、スポットライトを浴びた事はなかった。だが、目立たない程度で厄介ごとを避けられるのかと言うと、それは大間違いであるのだが。
それは授業の合間の休憩時間のことだった。他の生徒達は賑やかにおしゃべりなどに興じている。学校の購買でパンを買って食べている者もいる。皆がめいめいに休憩時間を過ごしていた。そんな中、光太郎は席で一人座り次の授業の準備を進めていた。
そんな光太郎の下に男子生徒がやってくる。
「よぅ、光太郎。ちょっと数学の授業の宿題を写させてくれない?」
男子生徒が光太郎にそう話を切り出した。
「あっ、いいよ。僕のでよければ・・・・・・」
光太郎は嫌な顔を見せずに、すっとノートを男子生徒に差し出した。だが、その宿題は次の授業のノートだ。貸してしまっては光太郎が困る。
男子生徒はひったくるようにノートを受け取った。
「サンキュー! 持つべき者は友だよなぁ!」
そう言って男子生徒は去って行った。そんな事を言いつつも、彼は光太郎を良い様に利用しているだけなのは明白だった。
今の男子生徒は光太郎が会話する数少ない人間の一人だった。だが、友達と呼べるような間柄でもない。一緒に遊ぶ事はない。今回のように面倒ごとを頼んでくるような事がある程度だ。それでも光太郎は文句も言わなかった。
光太郎は我を出さない。とにかく他人を不快にしないように、とそれだけを考えて生きているから自然とそうなったのだ。彼は人と衝突するのを徹底的に避ける。彼は争い事が嫌いだった。人と競争するのが苦手だ。だから勝負事には弱かった。
光太郎の趣味は自分の世界に没頭できるものが大半だ。小説や漫画、アニメ、ゲーム。そういったものに没頭していた。だが、彼はオタクでもない。同好の士で集まる事もしない。人と価値観の共有をするのも苦手だったからだ。自分が良いと思うものは良い。ただそれだけである。だから何時も一人で没頭するのだ。
要はぼっちなのである。
コミュニケーション能力の著しい欠如。そもそもコミュニケーションを取ろうというその意思がない。人に不快な思いをさせないようにというのも、面倒ごとを極端に嫌うゆえの選択。それがゆえの消極性と流されやすさ。それが人の形となったものが、魁光太郎という少年を形作っていた。
数学の授業が始まる。光太郎はぼんやりと黒板を眺める。
黒板に書かれている内容を予備のノートに書き写す。後で貸し出したノートに清書するために書き残しておくのだ。
教師が宿題に課していた設問に対する答え合わせを行おうとしている。
「では・・・・・・この問題を魁光太郎君。やってみなさい」
運悪く光太郎が当てられた。運が無いのもいつもの事だ。とにかく間が悪い。なんでこう今と言うタイミングでという時に、いつも災難が降ってかかる。
教壇に立ち、黒板を前にする光太郎。皆が視線を送る教壇の上に立つのも苦手だったのだ。ただそれだけで心臓がバクバクいっている。極度なあがり症でもあるのだが、そんな人間には前へ出て設問に答えるというのも困難なミッションでしかない。だが、光太郎は設問を普通に壇上で解いた。一度やった内容であるので問題なく解けたのだ。
「よろしい。席に戻りなさい」
光太郎は一番後ろの自席へと向かう。やり終えた安堵感で表情が緩んでいた。戻る時は早足で戻る。が、しかしであった。
「うわっ!」と叫んで、光太郎は横に突き出された足に躓いて転んだ。足を引っ掛けたのは光太郎をよくいじめる不良だった。
「おい、光太郎。お前何やってんだ?」
不良は白々しくも転んだ光太郎に声をかける。クラスの皆がどっと笑った。
「た、為五郎君。ご、ごめん・・・・・・」
なぜか光太郎の方が謝って立ち上がり、いそいそと自分の席へと戻った。
光太郎は気が弱いと見られて、よくよくいじめの標的にあっていた。それは小学校、中学校、そして高校とどこでも同じであった。
光太郎は自席で赤面する。恥をかかされたという自覚はあったが、しかし相手に文句も言えない。ただ、黙って座っているばかりだった。
授業が終わって、ようやく貸していたノートが返ってくる。その時貸し出した相手の男子生徒は光太郎をあざけりのこもった視線で見ていた。立ち去り際に、「だせーやつ!」とぽそりと言って去っていった。恩と言うものすらも知らないようだ。
光太郎はぐっと堪えてうつむいた。とにかく自分が我慢していればいいという考え方だからだった。
助けるような者も同情するような者もいない。ただ、魁光太郎はそういう奴と言う認識になってしまっていた為だ。