溜め息
これは、「翡翠と赤の海外視察」の続きの短編です。
ほんのりBLな御話です☆
夜明けには、まだ早い薄暗がりの廊下を、黒い影が、ずずず・・・・
と擦る様な音を立て乍ら動いていた。
ずず・・・・ずずず・・・・ずずずず・・・・影はゆっくりと移動して行くと、
一つの扉の前で止まる。
ギギギギィー・・・・ゆっくりと扉を開けると、其れは部屋の中へと入った。
そして又、ずず・・・・ずずず・・・・と部屋の中を進むと、大きな寝台に近付く。
寝台では男がぐっすりと眠っていた。
影はもそもそと寝台に上ると、毛布の中に潜り込む。
男は気付く様子もなく眠っている。
だが男の顔の眉間が強く寄ると、毛布の中で手が何かに当たり、がしりと其れを掴んだ。
「あ・・・主・・・・!!」
男は掴んだ其れを両腕で抱き締めると叫んでいた。
「主!! 愛している!!」
抱き締めた愛しい人の身体は、とても華奢だった。
いや・・・・華奢過ぎた。
自分の愛し人は細い人だが、流石に此処まで細くはない。
と云うか、小さくはない。
何かが、おかしい・・・・其処まで思って、男は瞼を開いた。
すると。
「御兄ちゃん、おはよ~~」
腕の中には女が居た。
見慣れた女だ。
女と云うか・・・・妹だ。
妹、赤の貴婦人が、自分の腕の中で、にやにやと笑っている。
男・・・・赤の貴公子は、まだ眠気の強い顔で上体を起こす。
シーツの上には妹が丸まっており、床には毛布が転がっている。
おそらく其の毛布を被って妹は此の部屋まで来たのだろう。
「何故、御前が此処に居る?? 俺は主を・・・・」
「主を抱き締めたつもりだった~~??」
「そうだ」
ずばり翡翠の貴公子の夢でも見ていたのだろう赤の貴公子は、仏頂面で妹を見る。
赤の貴婦人は、ごろごろシーツの上で転がり乍ら言う。
「だってさ~~、何か人恋しくなっちゃってさ~~」
すると赤の貴公子も真面目に答えた。
「俺だって恋しい」
珍しく意見が合致し、赤の貴婦人は顔を輝かせて言う。
「だよね~~。冬は何か、人肌が恋しくなるじゃん」
「そうだな・・・・主が恋しい」
「あたしはさ~~、今、夏風の姉と凄く寝たい気分なのさ」
「俺も主を抱きたい」
「夏風の姉の身体って綺麗なんだよ~~。こう白くって柔らかくって、
筋肉ちゃんとついてるのに、女らしい柔らかさがちゃんと在ってね~~」
「主の裸が見たい。そして抱きたい。主とセックスしたい」
「おっぱいとかもさ~~、こんなに大きくてさぁ、もう、ぷるんぷるんで~~」
「主のあそこならば、俺の物も受け入れてくれる筈だ」
「あのさ~~、うちらって、やっぱ、本当、会話が噛み合わないよね」
「・・・・・」
実に常に自分の話しかしない兄妹である。
そんな兄、赤の貴公子は翡翠の貴公子を愛しており、妹、
赤の貴婦人は夏風の貴婦人を愛していた。
どちらも道ならぬ恋と云うべきか、前途多難である事は確かだ。
赤の貴公子はシーツに座った格好で、ぼそりと呟く。
「主に逢いたい。勝手に翡翠の館に行ってはいけないのだろうか??」
至って真面目な兄の呟きに、赤の貴婦人はシーツに頬杖を着き乍ら答える。
「うーん。其処が今一、判らないんだよね。仕事以外で勝手に行動していいのかがさ」
「俺は今激しく主に逢いたい」
「あたしは今猛烈に夏風の姉と寝たいよ」
ふぅ~~・・・・。
二人は揃って大きな溜め息をつくと、ぶるると震え、再び毛布を被った。
そんな兄妹の暮らす赤の館は今日も冬の寒さに愛し人を求めては、
切なくなる朝を迎えるのだった。
一方。
冬の太陽の館の執務室では。
「あーー!! もう~~!!」
バン!! と蘭の貴婦人が机を叩くと、うんざりした声を上げた。
「何で、こんなに在るの~~?? 冬は休みなんじゃなかったの~~?!」
ひらひらと宙を舞う紙と机に山積みになっている書類に、蘭の貴婦人の不満が爆発する。
「皆、冬は休みなんでしょ~~?? 何で私達だけ、毎日毎日デスクワークなの~~??」
蘭の貴婦人の叫びに、
斜め向かいの机の夏風の貴婦人は黙々と書類に目を通している。
通常、異種たちは冬は殆ど仕事がなく、長い冬休みが取られるのだが、
此の太陽の館だけは年中休み無しであった。
秋の間に恐ろしい程の量の書類が届き、捌ききれなかった分が冬に雪崩れ込み、
更に少なからず冬の間も機能している地域の報告書の殆どが太陽の館に送られ、
故に冬休みも何も無い生活を、夏風の貴婦人と蘭の貴婦人は送っているのである。
「も~~!! 矢駄~~!! も~~!! 矢駄~~!!」
ドゴドゴドゴと両拳で机を叩く蘭の貴婦人。
「こんなこと辞めて、主に逢いたい~~!! 主に逢いた~~い!!
あ・る・じ・に、あ・・・・」
ギロリと橙の目に睨まれて、抗議の声が止まる。
ガタリ、と突然、夏風の貴婦人が立ち上がり、蘭の貴婦人は焦った。
「あ、矢駄!! 怒んないで!!」
まさか引っ叩かれるのではと蘭の貴婦人が身構えると、どうしたのか夏風の貴婦人も、
バン!! と机に手を着いた。
そして凄い形相で、ふー・・・・と息を吐き出すと、ぼそりと言う。
「あー、マジ、遣ってらんないわ・・・・」
橙の瞳が据わっている。
どうやら夏風の貴婦人も休みの無いデスクワークに、うんざりしてきた様だ。
「マジ限界だわ。ちょっと行って来る」
そう言うと、夏風の貴婦人は着衣室へ行き、外套を羽織って革の手袋を填めて来る。
「ちょ、ちょ、ちょ!! ど、何処行く気?!」
蘭の貴婦人が立ち上がると、夏風の貴婦人は早足で扉へ向かい乍ら言う。
「翡翠の館、行って来る。あんた、休憩してていいわよ」
「ええ?! ちょ・・・・待って!! 私も行くぅ!!」
駆け寄って来る蘭の貴婦人を、夏風の貴婦人は、しっしと手で払う。
「駄目。あいつと、いちゃつきたい気分だから。それに、あんた馬遅いし」
「ちょ、ちょっと?! 私の主に何する気なの?!」
「何って、決まってんじゃん??」
くふふ・・・・と夏風の貴婦人は笑うと、
「じゃーね~~!! 御留守番、宜しく!!」
そう言って、バタリと扉を閉めて部屋を出て行く。
当然、呆然となる蘭の貴婦人。
「な、な、な・・・何よおおぉぉ!! 夏風の貴婦人の意地悪ーーっ!!」
蘭の貴婦人の雄叫びは館中に響いたが、夏風の貴婦人は飄々と馬に乗ると館を出たのであった。
夏風の貴婦人は猛然と馬を走らせた。
フードを深く被り賑わう街を走り抜け、二刻の間、馬を休める事もなく走らせる。
そして東の外れに在る翡翠の館に到着すると、ガラガラと門の鐘を鳴らした。
直ぐに屋敷からミッシェルが出て来ると、驚愕の表情で門に駆け寄って来る。
「な、夏風の貴婦人様?! ど、どうされたんですか?!」
「いいから、さっさと門を開けろ」
馬上から鋭い橙の目で言われて、ミッシェルは慌てて門を開ける。
夏風の貴婦人は屋敷内に入ると、馬から下りて早足で玄関扉へと向かい、
我が家の如く堂々と扉を開け放って館へと入った。
すると執事が玄関ホールで立っていた。
「此れは此れは、夏風の貴婦人様。いらせられませ」
どうやら夏風の貴婦人の突然の来訪には慣れているのか、執事は落ち着いた態度で二階へと促す。
「主様は執務室でございます」
「んー」
短く答えると、夏風の貴婦人はずんずんと階段を上がり、
此の館の主の執務室をノックもせずにバッと開く。
中では、デスクワークをする翡翠の貴公子が居た。
突然の幼馴染みの登場に、翡翠の瞳がきょとんとなる。
夏風の貴婦人は手袋を外し外套を脱ぎ捨てると、机の後ろへ回り、
翡翠の貴公子の腕を掴むなり乱暴に言う。
「おら!! 付き合え!!」
半ば引き摺られる様に、翡翠の貴公子は寝室に連れ込まれる。
だが直ぐに彼女の行動を理解し、翡翠の貴公子は其の場に立ち止まる。
急に動かなくなる幼馴染みに、だが夏風の貴婦人は力尽くで寝台へ引っ張ろうとする。
「い、い、から、来、な、さ、いよっ!!」
「・・・・嫌だ」
其の場に止まった儘、動こうとしない翡翠の貴公子。
「何よっ?! 私を拒絶する気?!」
「・・・・そう云う気分じゃない」
「はぁ?! あんたがそう云う気分だった時なんて在る?!」
「・・・・・」
つまり情事は、いつも夏風の貴婦人の一方的な行動なのだが、今日は殊更、
翡翠の貴公子は頑なだった。
そんな付き合いの悪い幼馴染みに、夏風の貴婦人の頭に血が上る。
「きぃーっ!! 最後にしたの、いつだと思ってんの?!」
「・・・・覚えてない」
「そうよ!! 思い出せないくらい前よっ!! いいから、服脱げ!!」
「・・・・嫌だ」
「てめぇぇ・・・・!!」
怒りで燃え上がる橙の瞳と、頑なな翡翠の瞳がぶつかり合う。
二人は互いに一歩も引こうとしなかったが、遂に折れたのか、
翡翠の貴公子が溜め息をつくと言った。
「疲れてるんだろう?? マッサージならする」
「はぁ?! 今は、そーゆー気分じゃ・・・・!!」
「新しく作ったアロマオイルが在るから、其れで全身をほぐしてやる」
「・・・・・」
「嫌なら、今日は帰ってくれ」
「・・・・・」
翡翠の貴公子が出してきた提案に、夏風の貴婦人は内心猛烈に葛藤した。
自分が今したいのは、性行為だ。
だが、どうやっても、今日は此の男を落とせそうにない。
となるとマッサージだけでもして貰った方が、手ぶらで帰るよりはマシかも知れない。
いや・・・・此の男のマッサージは、だけと言うには勿体無いくらい、
夢心地になれるリラクゼーションの一つだ。
「判った。じゃあ、全身コースで」
そう言うと、夏風の貴婦人は引っ張っていた彼の腕を離した。
「準備しよう」
低く翡翠の貴公子が頷くと、二人は特別全身マッサージコースへと移行した。
此の日、金の貴公子は久し振りに花街へ出掛けていた。
冬は翡翠の貴公子と二人だけの生活で一番嬉しい季節では在るのだが、
其れに比例して性の欲求が溜まるもので、
我慢ならなくなると金の貴公子は花街へと飛んで行くのだ。
夕暮れ前、身も心もすっきりして金の貴公子が自室の窓辺へと飛んで戻って来ると、
何故か部屋の中でミッシェルが仁王立ちしていた。
「お?? 何だよ、ミッチェルン??」
「ミッシェルです!!」
ふざける金の貴公子に、いつものきっぱりした口調で返してくるミッシェルだったが、
直ぐにそわそわした顔に戻ると、しどろもどろに言う。
「あ、えっと、今ですね、夏風の貴婦人様が来ていらっしゃってて・・・・」
「ああ、そーなんだ?? 主の部屋??」
早速、主の部屋へ向かおうとする金の貴公子を、ミッシェルが慌てて止める。
「あの!! その!! 今、御取り込み中なんで、金の貴公子様は入られないで下さい!!」
「はぁ?? 何でだよ??」
金の貴公子は強引に部屋を出て行こうとしたが、扉の取っ手に手を伸ばしたところで、
ふと気が付く。
「え・・・・つまり、そーゆー事??」
金の貴公子が苦笑半分で問うと、
「そーゆー事です」
冷や汗を流し乍ら、ミッシェルは頷く。
「サロンでアフタヌーンティーの用意をしていますので、行かれて下さい」
「あ・・・・うん」
金の貴公子は素直に頷くと、部屋を出て一階のサロンへと向かった。
サロンでは、既に皓月の貴公子と星光の少年が寛いでいた。
テーブルにはサンドイッチにスコーンやチョコレートが並べられ、
兄の皓月の貴公子は赤ワインを、弟の星光の少年は上品に紅茶を飲んでいる。
金の貴公子は皓月の貴公子と顔を合わせたくなかったので、
星光の少年の前の席にどかりと座った。
メイドが金の貴公子の分の紅茶を用意すると、扉の傍で控える。
すると皓月の貴公子が、グラスから少し口を離して言った。
「どうやら我々は、厄介払いされた様だな」
くくっと咽喉を鳴らして笑う。
主の邪魔にならぬ様、執事がサロンでティータイムを設けた事は想像するまでもない。
「ああ、そうらしいな」
金の貴公子はチョコレートを摘まむと、口に放り込む。
金の貴公子は自分が苛々しているのが判った。
気に入らない皓月の貴公子と、一緒の部屋に居るのが苛立つ。
いや・・・・其れだけじゃない。
そんな金の貴公子の心を読んだのか、皓月の貴公子が笑い乍ら言う。
「しかし、あの主に女が居たとはな。まぁ、普通に考えれば当たり前か」
其れが金の貴公子を更に苛立たせた。
だから、つい言ってしまった。
「ちげーよ。夏風の貴婦人は、主の恋人とかじゃねーよ」
皓月の貴公子の銀の瞳が興味有り気に見返してくる。
「ほう。其の言い方だと、恋人は別に居る様だな」
鋭く図星を言われて、金の貴公子はがぶがぶと紅茶を飲んで顔を隠す。
つい口を滑らせてしまった自分に内心悔しくなる。
皓月の貴公子はグラスの中の赤ワインを揺らし乍ら面白そうに言う。
「あの主は、女遊びをするのか。意外だな」
「ち、ちげーよ!! 主は真面目な人なんだ!! 変なこと言ったら、てめー許さねぇぞ!!」
即座に全否定してくる金の貴公子に、皓月の貴公子は依然、面白そうに笑い乍ら言う。
「ほう。では、今来ている女は何だ?? 恋人でもないのに情事関係に在るのか??」
「そ、其れは・・・・!!」
言い返そうとして、だが言い返せない事に金の瞳が瞠る。
そうだ・・・・夏風の貴婦人は翡翠の貴公子にとって、どんな存在なのだろう??
友人??
幼馴染み??
まさか、セックスフレンドな訳がない。
其れは、ずっと金の貴公子にとって謎であり、同時に極力考えない様にしてきた事だった。
何故、考えない様にしてきたのか・・・・そんな事は決まっている。
「随分と羨ましい関係だな」
脳裏に浮かんだ答が耳から入ってきて、金の貴公子は我に返った。
皓月の貴公子はワインを口に含むと、笑う。
「そう、いつも思っているのだろう。そなた」
「なっ・・・!!」
金の貴公子は顔を真っ赤にすると、わなわなと唇を震わせたが、
皓月の貴公子はにやにやと一層笑う。
「気にする事はない。私はホモには理解が在る」
「俺はホモじゃねぇよ!! ふざけんなっ!!」
「ほう、そうか」
激怒する金の貴公子が又可笑しくて、皓月の貴公子は笑った。
険悪なムードがサロン一杯に広がる中、金の貴公子が、
もう此の部屋で此の月の男と居るのは限界だと感じた時、思わぬ介入者が現れた。
紅いベルベットのワンピースを着た、長い橙銀の髪に橙の瞳の、今し方、話題になっていた女だ。
「はじめまして」
突然、現れた小柄な同族の女に三人は唖然としたが、
皓月の貴公子が直ぐに立つと星光の少年も立った。
「私は、ゼルシェン大陸南部東部の異種統括の夏風の貴婦人。宜しく」
きりっとした笑顔で手を差し出され、皓月の貴公子も手を出し握り返す。
「皓月の貴公子と呼ばれている者だ。宜しく」
其の皓月の貴公子の自分が初対面の時とはまるで違う態度に、金の貴公子は又も唖然となった。
愛想笑いは浮かべないものの、それなりにきちんと挨拶をしている皓月の貴公子に、
金の貴公子は内心沸々と怒りが込み上げてくる。
「はじめまして。弟で星光の少年と呼ばれています」
笑顔で握手をしている弟は良いとして、兄は!!
此の兄は!!
そんな金の貴公子の視線など気にも留めず、皓月の貴公子は椅子に腰を下ろすと、
其の向かいに夏風の貴婦人が座り、腕を組み足を組む。
「話は、翡翠の貴公子から聞いたわ。まず、質問。
どうして、ゼルシェン大陸へ来たのかしら??」
其の質問に、金の貴公子は思わずぎょっとした。
初対面の相手を牽制するかの様な態度を取る夏風の貴婦人に驚いたのではない。
今、夏風の貴婦人は、翡翠の貴公子から話を聞いたと言ったのだ。
其れはつまり、今し方までの情事の中で聞いた話と云う事になる。
そして此処に居る男たち三人は、今まで彼女が寝台の上で遊戯に耽っていた事を知っており、
生々しい程に其れを想像出来る状況で在るにも関わらず、
堂々と自分の方から話を振ってくる夏風の貴婦人に、金の貴公子は心底凄いと驚愕したのだ。
其れは皓月の貴公子も同じである筈だが、彼は眉一つ動かさずに平然とした顔で答える。
「理由か。まぁ、一番の理由は、ウォルヴァフォードに飽きたから・・・・だろうな。
そして、ゼルシェン大陸に集まっていると云う同族に興味を持ったからだ」
「ふーん。成る程ねぇ。それで、ウォルヴァフォードの事を教える気になったの??」
問い掛けてくる橙の瞳は、獲物を捕らえた鷹の如く強い光を発していた。
少しでも隠し立てすれば、簡単に見破って叩きのめしてきそうである。
其れを判ってか、皓月の貴公子はあくまで本音で答えた。
「ウォルヴァフォードに関しては、別に祖国と云う意識は持っていない。
知る限りの表事情も裏事情も献上しよう。此処での私たちの生活が保障されるのならな」
其の吹っ掛ける様な言い方に、又も金の貴公子はぎょっとする。
ちらり、と隣の夏風の貴婦人を見てみる。
彼女は依然、手と足を組んでいたが、口の端を釣り上げると言う。
「此の大陸の東部と南部は独立しているの。
だから東部での出来事は、直ぐには南部へは伝わらない。特に同族の事はね。
つまり貴方たちの存在が此の大陸で在りか無しかは、統括で在る私が決めるの」
其れは語らずしも、此の大陸での異種の上下関係を示していた。
「そして異種として此処に居るからには、それなりに貢献して貰わないとね」
異種としての任務を果たす気が在るのかと訊いてくる、夏風の貴婦人。
皓月の貴公子は静かに頷く。
「うむ。無論、同族として出来る事は、させて戴く所存だ」
「よし。いいわ」
夏風の貴婦人は、にぃと白い八重歯を見せると立ち上がった。
其処へ、ミッシェルが夏風の貴婦人の分の紅茶を盆に乗せて持って来たが、
「ああ、いいわ。もう帰るから」
部屋を出て行こうとする。
「詳しい事は又、後日って事で!! じゃあね!!」
そう軽く手を振って、夏風の貴婦人は帰ってしまった。
其の一陣の風が吹き抜けて行ったかの様なサロンに、金の貴公子は又も唖然とする。
皓月の貴公子は再びグラスを手に取ると、
「女がてらに統括をしているだけの事は在る。なかなか面白いではないか」
ふん、と鼻を鳴らして、ワインを飲む。
金の貴公子には皓月の貴公子の心内は判らなかったが、はたと気付くと立ち上がった。
「も、もう、茶会は御開きでいいよな??」
必要のなくなった紅茶の盆を持ってぼんやりとしているミッシェルに問うと、
ミッシェルは慌てて頷く。
「あ、はい。もう、いいのか、な・・・・??」
まだ状況を把握していない様子だったが、金の貴公子はサロンを出た。
そして二階へ続く階段を上り、目的の部屋へと向かう。
だが翡翠の貴公子の執務室の扉の前へ来ると、金の貴公子は次の行動に出られなかった。
普段ならばノックもせずに開けるところだが、流石にそうするには今は勇気が足りない。
暫く迷ったが、金の貴公子はごくりと生唾を飲むと、コンコンコン!! と軽く扉をノックした。
「あ、主、入っていい??」
扉越しに問い掛けて、もしかしたら、まだ翡翠の貴公子は寝室に居るかも知れないと思った。
だが返事は直ぐに返ってきた。
「入っていい」
ガチャリと扉を開けると、恐る恐る金の貴公子は部屋に入る。
翡翠の貴公子は執務机で珈琲を飲んでいた。
頬杖を着いているところを見ると、疲れている様だ。
其の彼の姿に、金の貴公子の脳裏にぶわりと妄想が広がる。
今さっきまで此の人は、夏風の貴婦人と遣っていたのか・・・・と。
そう思うと、酷く夏風の貴婦人が羨ましく思えた。
金の貴公子は、どう話し掛ければ良いか判らなくて、とにかく取り敢えず口を開いた。
「夏風の貴婦人、帰ったよ」
「ああ」
そっけない返事で翡翠の貴公子は珈琲を飲んでいる。
其の彼の姿がどうにも気怠くて、金の貴公子は、もう言わずにはいられなかった。
「主は、さ・・・・夏風の貴婦人が好きなの??」
翡翠の瞳が不思議そうに見返してくる。
「好きだが??」
今更何を言うんだと云う目で見られ、金の貴公子は、あはは!! と笑った。
「そ、そうだよな!! で、でもさ、突然来られても困るよな!!
俺たち、サロンに居なきゃならないし」
「?? 確かに今日みたいなのは困る。いつも準備が出来ている訳ではないし」
「じゅ、準備??」
「オイルが、いつも揃ってる訳ではないから」
「オイル・・・・!!」
金の貴公子は脳内が爆発するかと思った。
翡翠の貴公子は夏風の貴婦人との情事では、オイルの準備を欠かさないのか?!
かあああ!! と金の貴公子の顔が真っ赤になる。
「あ、あ、あわ・・・・あ、主、俺、ちょ・・・・部屋戻るね・・・・」
金の貴公子は左手で顔を隠すと、そそくさと部屋を出た。
そして走って自室に戻り、勢いよく寝台に俯せになる。
「信じ・・・・られない!!」
信じられない!!
あの翡翠の貴公子が女との情事で、万全を尽くしているだなんて!!
「何で・・・・何で・・・・何でだよ、主っ!!」
凄く潔癖な人だと思っていたのに・・・・夏風の貴婦人ならいいのか??
夏風の貴婦人なら、あの人は・・・・男として、ちゃんと抱くのか??
「何だよ其れ・・・・何だよ其れ・・・・・滅茶苦茶・・・・」
滅茶苦茶・・・・羨ましい。
「俺だって・・・・」
俺だって・・・・自分だって、あの人の事を愛してるのに。
誰にも負けないくらい愛しているのに・・・・。
主は夏風の貴婦人しか相手にしないのか・・・・??
水の貴婦人と云う恋人が居ると云うのに。
其れは、つまり、夏風の貴婦人が女だからか??
親しい女だから、肉体関係も持てるのか??
「じゃあ、もし俺が女だったら・・・・」
あの人は、自分と寝てくれるのだろうか??
自分が女だったら・・・・。
其処まで考えて、金の貴公子は馬鹿馬鹿しくなった。
「何考えてんだよ、俺!!」
はああああ・・・・と溜め息。
男だからとか女だからとか、そんな事はどうでもいい。
ただ、もう純粋に、金の貴公子は夏風の貴婦人が羨ましかった。
余りに羨ましくて夕食の時間まで、金の貴公子はひたすら溜め息をつき続けた。
夕暮れ刻、夏風の貴婦人は太陽の館に帰って来た。
「あー、すっきりしたーー」
どかりと執務室の椅子に座る夏風の貴婦人に、蘭の貴婦人が恐ろしく据わった目で睨んでくる。
「もおおお!! 主と何して来たのよお?!」
夏風の貴婦人は書類に目を通し乍ら、口の端で笑う。
「ナニして来た」
其の下品な言い方に、蘭の貴婦人は顔を両手で挟んで、嫌あああっ!! と声を上げる。
「や、辞めてよ、そーゆー言い方!! 私の主を穢さないでぇぇ!!」
発狂しそうな同居人に、夏風の貴婦人は、うーん、と考えると言う。
「私は別に、あいつが穢れてるだなんて思ってないけど、あんたの考えで云えば、
あいつはとっくに穢れてるわよ??」
さらりと事実を言う夏風の貴婦人に、蘭の貴婦人は両手で耳を塞ぐ。
「嫌ーー!! 嫌ああーー!! 聞きたくないぃぃーー!!」
激しく現実を拒絶する自称夢見る乙女に、夏風の貴婦人は呆れた声で言う。
「あんたさ、そんなんだから未だにヴァージンなのよ。好い加減、卒業したら??
三十六歳のヴァージンなんて、只の売れ残りだわよ」
其れには蘭の貴婦人も耳から手を離すと、凄い剣幕で怒る。
「ひ、酷い!! 其処まで言う?!」
「だって本当だもの」
「な、何よ、其れ!! そ、そりゃ、私、主と、き、き、き、キスした事もないけど!!
で、でも、でも、主を愛する此の気持ちは、誰にも負けないものっ!!」
必死の形相で声を上げる蘭の貴婦人に、夏風の貴婦人は、はあー・・・・と大きく溜め息をつく。
「あのねぇ、あいつのこと想ってたら、あんた一生ヴァージンよ??」
其れでもいいの??
呆れた顔で問われて、だが蘭の貴婦人は、きっぱりと答える。
「い、い、いいもん!! 私は一生、主の事が好きだもん!!
其れで一生ヴァージンなら、其れは其れで本望だわ!!」
「あ、そう」
夏風の貴婦人は書類に目を落とすと、サインをし乍ら言う。
「あんたが奥手なら別に其れは其れでいいけど、着々と恋敵は増えてるわよ」
「こ、恋敵?! ラ、ライバル?!」
「そう」
其れには蘭の貴婦人も戸惑う。
「ええ?! だ、誰?!」
「誰かしらね~~」
「金のあいつ以外に居るの?!」
「いや、金鷺しか思い浮かばない辺りで、あんた、もう負けだわ」
「ちょ、矢駄!! 誰よ、誰ぇぇ~~?!」
騒がしく質問してくる同族に夏風の貴婦人は、
「あーあ。私、時々、あんたと一緒に暮らしてる自分が凄いと思うわ」
大きく溜め息をつくと、また書類へと目を戻す。
今日初めて逢った二人の同族の兄の方が翡翠の同族に興味を持っている事は、
夏風の貴婦人には明白だった。
此れで、あの翡翠の男に恋心を持っている者は何人になるだろう??
そして其の恋心に当の翡翠の男は気付いていなければ、
此の蘭の同族も現状を理解していなかったりする。
「あいつも、これから大変ねー・・・・」
そう呟くと、夏風の貴婦人は笑いと共に溜め息が出て仕方なかった。
そんな異種たちが今日一日で一体幾つもの溜め息をついたのかは、
誰も知る由もなかったが・・・・。
この御話は、これで終わりです。
一先ず、異種統括の夏風の貴婦人に認めて貰った、月星兄弟です☆
少しでも楽しんで戴けましたら、コメント下さると励みになります☆