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結局、彼女の臣下たちの猛烈な反対に遭った。
ある程度の罵詈雑言は予想はしていたけど、『ひ弱な人間風情が!』と言われたときは、若干ショックだったかもしれない。
しかし、
『余の認めた者を侮辱する者は、余を侮辱するに等しい!』
という彼女の言葉によって、沈静化した。
いやぁ、彼女も魔王なんだ、と再認識した。
小さい頃は、口ばかりが達者な気の強い女の子だったのに、今では立派な魔王になっている。
人は変わるものだなぁ。
いや、彼女は人間ではなく魔物か。
魔物は変わるものだなぁ。
「僕は嬉しいよ。」
思わず呟く。父親のような気分だ。
同い年だけど。
目の前に座る彼女が、僕を見た。
「何か言ったか?」
僕は微笑んで首を振る。
「いや、なんでもないよ、マイ・ハニー。」
「気色悪っ!」
「君も僕のことをダーリンって呼んでくれてもいいんだよ?」
「私がそんなキャラじゃねぇの知ってんだろ!」
彼女が顔を真っ赤にして僕を睨み付けた。
からかうの、楽しい。
というか、反応が可愛い可愛すぎて死ぬ。
僕は、真面目な顔に戻って、彼女に言った。
「大好きだよ。愛してる。」
これはからかっている訳じゃない。
本心だ。
彼女が驚いたように、目を見開く。
「・・・っ!」
彼女が何も言わないので、僕は更にじっと見つめる。
彼女がいつもの強気な態度には似合わない、小さな声で言った。
「・・・。卑怯よ。」
唐突な彼女の罵倒に、心臓が凍った気がする。
「卑怯って、な、何が?」
なんで?僕そんな卑怯と言われるようなことした?
確かに少しばかり愛情表現が重いところがあるのは自覚しているしウザ絡みすることもあるしお調子者であることも自覚しているけど、
─────────僕、卑怯なの!?
意識が遠退いていくような気がする。
彼女は僕をきっと睨み付けると、机に手をついて、身を乗り出した。
「そんな簡単に、大好きだなんて言えるなんて卑怯だ!わ、私だって、私だってあんたのことが好きなのに!」
「!」
別の意味で心臓が砕け散った気がする。
大好き。
あまりの嬉しさに、思わず力が抜けた。
「僕、もう死んでもいいっす。思い残すことないっす。」
「おい。」
ヤバい、嬉しさと衝撃とで、天国から迎えが来そう。
え、やだな、いま天国に行ったら、神様にめっちゃ怒られそう。絶対まだお怒り冷めてないよ。
僕は頭を振って、意識を連れ戻す。
彼女は苺のように真っ赤になった顔を、ティーカップで隠している。
もったいない、とは思ったけれど、僕もお茶を飲むことにした。
紅茶の色は、ここに来て始めに出されたものとは違う。オレンジ色だ。香りも違うし、味も違った。
なんとなく気になったので、聞いてみることにした。
「ちなみに、このお茶はなんのお茶?」
すると、彼女がティーカップを口から離して答えてくれた。
「ハーブティーよ。マリゴールドの。」
既に顔は赤さは引いてしまっていた。
うーむ、残念。可愛かったのに。
「マリーゴールド、ね。」
僕はそう呟いて、香りを確かめた。
「花言葉は、『変わらぬ愛』だよね。」
恥ずかしいのか、彼女は顔をそらした。
「あぁ。これは、私なりの愛情表現だ。」
愛情表現!
なにそのパワーワード。素晴らしい響きだ。
「嬉しいよ。」
僕は紅茶を飲みほした。
「おかわり、ある?」
彼女は口を尖らせながら、使用人(使用魔物?)を呼んで、おかわりを注いでくれた。
「気に入ったの?」
「うん。いやぁ、君の『愛情』がつまった紅茶なら、例え何リットルでも飲めるよ。」
「どれだけなの?」
彼女がため息をつく。
「・・・。」
「・・・。」
奇妙な沈黙が、場を支配した。
決して、居心地の悪い沈黙ではない。むしろ、心が落ち着いて、何百年でも何万年でもこうしていられるような、穏やかな沈黙だ。
久しぶりだ。
この10年、ひたすら彼女を探し続けた。それだけに費やしてきた。だから、休む間すらも惜しくて、ずっとずっと動いていた。
やっと、手に入れた安息だ。
「ねぇ。」
「なに?」
「逃げない?」
「は?」
彼女がティーカップを落としかける。あわててキャッチする。危ない。ティーカップを落としていたら、割れてしまって彼女を傷つけるところだった。
「いま、なんつった?」
「僕と一緒に、ここから逃げない?」
訝しげな瞳で僕を見る。
「いや、もうすぐ勇者来るらしいじゃん。きっと、君のことだから倒されないだろうけれど、でも、不安なんだ。」
こんなことでは、女々しいと思われるだろうか。
僕は思わず俯いた。彼女の目を見ることができなかった。
「君が、傷つくのがどうしようもなく嫌なんだ。」
言わずには居られなかった。
万が一、彼女が勇者に倒されてしまったら。
万が一、彼女が死んでしまったら。
嫌だ。
想像するだけで、心臓がなくなるような気分になる。
彼女には、生きてほしいのだ。
ただただ笑って、強気に傲慢に尊大に、生きてほしいのだ。
「相変わらず、だな。」
ふ、と彼女が笑った。
「あんたは、優しい。昔から変わらないな。」
僕の頬に、なにかが触れた。
彼女の手だ。
思わず顔をあげると、目の前に彼女の顔があった。
優しい表情で、僕を見ていた。
「ありがとう。でも、それは出来ねぇんだ。」
「・・・。」
きっと、僕の顔は拗ねた子供のような顔だっただろう。
彼女は困ったように笑うと、言った。
「私にも一応プライドってのがあんだよ。勇者風情に、しっぽ巻いて逃げてちゃ、家臣に示しがつかないだろ。」
彼女のその顔は、どうみても魔王にふさわしい貫禄を備えていた。
しかし。
「やだ。」
「やだって。」
「それでもやだ。」
「てめぇ、子供か!」
「だって、やだ!君が魔王だろうがサタンだろうが神だろうがなんだろうが、君が傷つくのはやだ!」
本音だった。
どれだけ子供だと思われようが、女々しいと言われようが構わない。嫌なものは嫌なのだ。
しかし、彼女の何か痛みを我慢するような顔を見て、急激に冷静になった。流石に言い過ぎだ。
「ごめん。でも、本当なんだ。」
「・・・。わかってる。分かってるよ、そのぐらい。でもな?」
彼女は、僕の頭を撫でた。
「これが、役目だから。」
彼女の手が頭から離れた。
唐突に、めまいがした。世界がぐるぐると回る。
「うっ。」
姿勢を保てない。
バランスを崩した僕を、彼女が支える。
「ごめん。」
意識が、保てない。
気持ち悪い。
脳味噌がぐちゃぐちゃに搔き乱されたかのように、何も考えられない。
どうして?
彼女がゆっくりと僕を長椅子に寝かせた。
そして、悲しそうに言った。
「この紅茶に、毒を盛った。」
ガツン、と頭を殴られたような気がした。
「な、なん、で。」
僕、殺されるのか?
どうして。愛してるって、言ってくれたのに。
騙されていたのかなぁ。
全部演技だったのだろうか。
ひどい。
僕は、僕はこんなにも君が好きなのに。
愛してる、のに。
あぁ、でも。
僕が死ぬのが、彼女の望みなら、別に死んだっていいや。
彼女に死を望まれて死ぬのなら、それなら本望だ。
「大丈夫。死にはしねぇよ。ちょっと、眠ってもらうだけ。」
彼女の声が頭の中でぐわんぐわんと反響する。
死には、しない、か。
「ね、む・・・?」
「そう。勇者をおもてなしする間、あんたには眠ってもらおうと思って。」
閉じそうになる意識を、手のひらに爪を立てることで繋ぎ止める。
「あんたは優しいからさ、きっと、止めるだろう?勇者と戦うことを。」
目を開けているのに、彼女の顔が見えない。
怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い!
彼女を、失いたくない。
彼女の顔を、見たい。
彼女の大きな瞳。
まっかな唇。
白く美しい肌。
綺麗な角。
見たい。
まだ意識を失いたくない。
「それに、ここに来た勇者は殺さないといけない。私が死ぬか、勇者が死ぬか、どちらか一方だけなんだ。あんたに、人を殺すところを見られたくないんだ。」
「まっ────。」
いやだ。ねむりたくない。
「おやすみ。」
いやだ、かのじょを、まもりたいのに。
ねむってしまったら───────────────。
「さようなら、エドワード。」
まって───────────────────。
─────────────────────。
ありがとうございます。