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彼女の大きな瞳が見開かれる。しかし、すぐに目を伏せてしまった。長いまつげが、ふるふると震える。
「あんた、私が魔王なの分かってんの?」
「分かってるよ。」
も、もしかして魔王である彼女は、自分より弱い者とは馴れ合わない、とか?
それなら、僕は勝てないかもしれない。
そもそも彼女と戦う、という概念も僕にはない。
戦えば、大なり小なり僕も彼女も怪我をする。僕はともかく、彼女の美しい体に傷がつくなんて、許せない。
だから、彼女と戦う羽目になったら、僕は即投降する。
でも、そうすると無条件で『彼女より弱い』ということが断定されてしまう。
僕の顔から血の気が引く。
「君よりは僕は弱いかもしれないけどさ。」
「あんた、ここまでたどりついておいて、自分弱いって言うつもりか?」
ここ一応魔王の魔城だぞ、と呟いて、ため息をついた。
「そりゃあ、君に会うため。でも、割りと時間がかかったよ。一週間ぐらい。」
「遂に人間を退職したか?」
「えへへ。」
「誉めてないわ!というか、気持ち悪い笑い方すんなってさっき言っただろ!」
僕は飛んでくる扇子をよけた。
忌々しそうに彼女が舌打ちをする。
「あんた、王都から来たんだよな?」
「うん。」
「手下の魔物に調べさせたところ、もうすぐ、ここに勇者が私を倒しに、王都からここに来るらしいのだけど。」
なにそれ。
聞いてないんだけど。
「え、待って、君を倒しに?」
要は、君を傷つけにくるんだよね?
「君のことだからどうせ一発でKOだろうけど君を倒しに来るという事実そのものが許せないよね。」
僕は息継ぎなしに言った。
沸々と怒りがわいてくる。
「成敗してくれるわ雑魚勇者ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「あんた、人間じゃないの!?なんで魔物の味方してんの?」
彼女が馬鹿じゃないの?と目で訴えかけてくる。
そんなの、明白だ。
「僕は君の味方だよ?」
「甘すぎるだろ、口説き言葉が。口から砂糖吐くわ。」
「光栄だなぁ。」
彼女がゲテモノ料理を見るような目で僕を見る。
「・・・、ともかく、その勇者、いつ出発したと思う?」
「出発したのは、同じ王都からだよね?」
彼女が頷く。
見たところ、その雑魚勇者はまだここに辿り着いていないみたいだから、少なくとも僕よりあとだろう。
「3日前ぐらい?」
「二年前だよ。」
吹き出した。
「なにそれ遅っ!トロっ!」
「いや、あんたが規格外なんだよ。」
いや、間違いなくその勇者が雑魚なんだと思う。もはや雑魚認定すらしたくない。
畏れ多くもその雑魚が彼女に戦いを挑むだなんて身の程知らずも良いところだ。
「ちなみに、あんたがおかしいんだぞ?」
彼女が僕を諭すように言った。
そんな彼女に、僕は少し拗ねたように言った。
「でも、本当に会いたかったんだもん。」
また罵倒されるかな、とすこし覚悟をきめた。
しかし、彼女は力を抜いて扇子を下ろし、ため息をついた。
「あんたは・・・。」
割りと、良い反応じゃない?
僕は真剣に彼女を見つめた。
「ねぇ、本気で、僕と結婚しよう。」
彼女はすっかり冷めた真っ赤な紅茶を一口飲んだ。
「それ、本気なのか?」
頷く。
「何度もそう言ってるじゃん。信じてくれないの?」
僕の少しだけ責めるような口調に、彼女はかぶりを振った。
「いいや、そうじゃない。」
「じゃあ。」
「分かってる?私、魔物なのよ?」
そりゃそうでしょ。
「魔王だもん。」
バン、と彼女が机を叩いた。
「違う!私は知ってるわ。人間に魔物がどう思われているか。忘れもしない、『ばけもん』『畜生』『害なすもの』『人殺し』、魔物に対する蔑称は、数えたらキリがないわ。」
心臓が、どくりとはねた。
僕は、その呼称をすべて、知っていたからだ。
すべて、まだ彼女が僕の村にいたときに、彼女に放たれた言葉だ。
彼女は、村の入り口に捨てられていた捨て子だった。彼女を不憫に思った老夫婦が、彼女を育てることになった。最初は彼女のクリスタルのような角も目立たず、普通に暮らしていた。
───────────────────はずだった。
ある日、流行り病が村で猛威を振るったのだ。そして、その老夫婦がなくなってしまった。
あろうことか、そのときに、彼女の角も露見してしまったのだ。
角は、魔物の証。この世界の魔物は、人も襲う。今思えば、彼女を迫害してしまうのも、仕方ないのだろう。
『ばけもん』『畜生』『害なすもの』『人殺し』。
彼らがそう彼女に言う度に、僕は彼らに反論した。
助けたかったのだ。彼女を悪く言う人を許せなかったのだ。
でも、結局は僕も、同様のことを言われただけだった。
その『ばけもん』をかばう人間だと。
歯痒かった。許せなかった。申し訳なかった。
彼女を守ることはできなかった。彼女の名誉を回復させることは叶わなかった。
もしかして、そのせいで断られようとしているのだろうか。
しかし、彼女の放った言葉は、全く違った。
「あんたはあたしが怖くないのかって聞いているのよ!」
「へ?」
僕は、一瞬彼女の言葉の意味が分からず、固まってしまった。
「あたしは魔物よ?なんなら魔王なのよ?人間を襲い殺す、魔物の王なのよ?」
彼女は叫ぶように言う。
「どうして、憎まないの?プロポーズの返事も出さずに逃げた上に、あんたの前から失踪して、あまつさえ魔王になって人間を襲わせていたのよ!?」
彼女が机を叩くたび、カップの紅茶の中身が飛び散る。こぼれた赤い紅茶は、白いテーブルクロスに血のように滲んだ。
「なのにどうして、どうして昔と同じように話してくれるのよ!」
かのじょは、そこまで言うと、へなへなと座り込んだ。そして、黒い手袋をはめた手で、顔を覆う。
僕は、そんな彼女にひどく心が痛くなった。
僕は彼女の強気な様子が見たいのだ。そんな弱気な様子は、似合わない。
そして、そんな顔をさせたのが僕だということが、一番赦せなかった。
僕は、静かに口を開いた。
「知ってるからだよ。」
「なにをよ。」
「どうして、魔王が魔物に人間を襲わせているのかを。」
彼女が顔を上げた。その顔は、戸惑ったような表情だ。
「魔物は人間よりも強い。魔王は、その気になれば人間なんてすぐ滅ぼせるはずだ。」
「そ、それは、簡単な滅ぼすよりも、じわじわと。」
「ちがう。そんなの、国力の浪費だ。無駄極まりない。」
う、と彼女が口をつぐませた。
「魔王は、人間の抑止力なんでしょ?」
「・・・。」
彼女は答えなかった。だんまりを決めるようだ。
まるで子供のような反応に、僕はますます彼女を愛しく感じる。
「人間は、ストッパーがないと、どんどん傲慢になる。それこそバベルの塔みたいに、際限なく。」
まだ彼女は答えない。僕は続けることにした。
「だから、それこそバベルの塔の時のように神は、人間に困難を与えた。そう、神は魔王に人間の助長を止める役割を与えられた。」
遠い昔、傲慢な人間たちは、天まで届く塔を造ろうとした。それに怒った神は、人間の言葉を分け、現場を混乱させて、塔造りを中止させたらしい。
「だから、人間を襲わせたのは、魔物討伐に力を注がせ、人間の力を削ぐため。」
僕の言葉に、彼女は、薄く唇を噛み締めた。
「そうでしょ?」
僕が彼女の顔を覗きこんで初めて、微かに彼女は頷いた。
「その、通りよ。」
諦めたかのように、ため息をつく。
「よく、知っているわね。どこで、そんな話を?」
「ん?ちょっと死んで、神様に聞きに行って来たよ。」
「はぁ?」
彼女が驚くのも無理もないか。
自分でもびっくりだ。
あらゆる旅で一番大変だったかもしれない。
「致死量ギリギリ越えの毒を飲んで、一回死んで、神様に聞きに行ったんだ。話だけ聞いて、逃げてきちゃった。」
いや、もう本当に死ぬかと思った。神の怒りって本当に怖いのだ。
まぁ、一回は死んだわけだけどね?
「馬鹿じゃないの?」
「君のためなら、なんでもするよ。」
僕は微笑んだ。
我ながら陳腐な台詞だとは思う。
彼女がため息をついた。
また彼女に馬鹿にされるかな、と思っていたけれど、そんなことはなかった。
「あー、もう、分かった。」
彼女はいつもの強気な表情に戻って言った。
「結婚、するぞ。」
夢、だろうか。
僕は思わず頬をつねった。
彼女はそんな僕を見て、微かに顔を赤らめた。
「なんだよ、そ、そんなに信じられないのか?」
「いや、ぼく、嬉しくて、嬉しくて、その、嬉しいです!」
「語彙力皆無か!」
仕方ない。ずっと求めていた相手なんだもん。
「だって、だって、僕は君に会うために、神様とお喋りしたり、火山に飛び込んだり、とある国のスパイになったりしたんだよ?」
「なんで、まだ生きてるの?」
彼女は若干引いたように言う。
しかし、すぐに笑った。
やっぱり、彼女は笑った顔が一番だ。
僕は、たぶん世界一幸せ者だ。
そう思った。
ありがとうございました。