近所のお店に行く時ほど危ないものは無い
基本的に1話完結型です。
シュレッダーをかけながら読むのにちょうどいいサイズです。
悪しきものは全てシュレッダーにかける女、それが高橋楓だ。
今日も今日とて、シュレッダーで情報を砕いていく。
一通り仕事が終わったので、淹れたてのコーヒーを飲みながら休憩する。新調したばかりの椅子に腰を掛けながら周りを見渡す。20坪にも満たない古くて小さなオフィスの中に、新品の赤い椅子がちょうど良い違和感をもたらす。
この違和感に包まれながら、自分が風景の一部として溶け込むようにカフェインを摂取するたびに脱力していく。仕事のための化粧。仕事のためのコンタクト。仕事のために髪を結ぶ・・・。違和感の無い世界へ身体は一体化しつつ心は仕事とは真逆の方向へ離れていく。オフィスに居ながらも仕事人間から高橋楓へ戻れる唯一の瞬間である。
しかし、人間はリラックスしている時にこそ色々なことを思い出すもの。高橋とて、例外ではない。
昨日の晩、家の近くにあるコンビニへ足を運んだ時の出来事だ。
夜10時を回っていたこともあり、ピンク色のジェラートピケの寝間着に赤ぶち眼鏡で外出。街頭の灯りは十分にあり、30m先まで見えるほど明るい。田舎道にしては女性も安心して夜道を歩ける珍しい場所だ。
コンビニは家から3分ほど歩いた場所にあり、小腹が空いたらすぐに通うことができる。環境が良いだけに女性にとっては誘惑の強い道だ。
高橋は小腹を満たすためにチキンとプリンを買いに来た。引っ越した最初の頃は、この時間に食べるのは気が引けたが、今となっては毎日のルーティンとなりつつある。炭水化物の中毒性は尋常ではない。
いつものように最短ルートでデザートコーナーへ駆け寄り、高橋の美を奪う薄黄色の甘味爆弾を手に取ってレジを振り向いた瞬間だった。
「後輩の沖田だ・・・。沖田がいる」
高橋は心の中で悲鳴を上げた。
こんな時間、こんな場所に職場の後輩がいたのだ。
会社ではプライベートの素性は出さず、仕事人間を何重層にも被って過ごしてきた高橋にとっては、今の姿を見られることは恥ずかしいなんて言葉で片付けられないほど恥ずかしいものだ。
高橋は一旦、プリンを棚に戻して飲み物コーナーへ避難する作戦に出た。
「あ、もしかして高橋さんですか?」
片手にさきイカ、もう片方に発泡酒のロング缶を2本握りながら沖田が話しかけてきた。
「高橋さん、この辺に住んでたんですね。僕もすぐそこに住んでるんですよ。奇遇ですね」
沖田から少しアルコールの臭いがした。普段職場では一切話さない仲だが、ほろ酔いのせいかやたら絡んでくる。
「どうですか高橋さん」
「は?」
「これから一緒に飲みますか?」
こいつはダメだ。関わったら職場で仕事人間で居られなくなる。
そう思った高橋は顔以外の身体を出口へ向けてから
「ごめん、明日も早いから。誘ってくれてありがとうね!」
一方的に投げつけるかのように言葉を吐き、その場を去っていった。
後を付かれていないか警戒しつつ、急いで家に帰った。
もはや小腹など空くわけもなく、むしろ食べてもいないのに胸焼けをしている。
お風呂上りの身体は、冷や汗が全身を伝っている。湯冷めしたはずの体温は、湯気が出そうなほど火照っていた。
「もうあのコンビニはいけないな・・・」
自分の生活のテリトリーを失った上に、至福の一時をもたらしていたブドウ糖の塊に出会える機会も奪われた高橋。
そして何より、このオフィスでコーヒーを飲んでいる瞬間でもシュレッダーをかけている瞬間でも仕事人間の中身を知っている人間が同じ空間にいることの窮屈さ。
高橋はぶり返した過去の黒歴史をブラックコーヒーで塗りつぶすように一気に飲み、再び残りの資料をシュレッダーにかけ始めた。
仕事人間の皮をいつもより厚めに被りながら、一緒に沖田の記憶もシュレッダーに掛けて修復不可能にしてやりたいと強く思いつつ、今日もシュレッダー女としての道へ戻っていった。
小説は何を書いても後から見返せば全部黒歴史に見えてしまいます。
そんな恥ずかしい思いを何回もしてくると昇華する機会が欲しくなってくるものです。
てことで、シュレッダーをテーマに黒歴史をガンガン削り潰していく物語を書いてみました。
皆さんの暇つぶしのお手伝いができれば本望です。