非日常が日常
思っていたより進められませんでした。
精神を病んでいる人がもしも読んでくれたら、気分を害するかもしれません。
あしからず
夜の高校は賑やかだった。
夜間部の教室だけではなく、まだ部活動などで居残りをする生徒たちがいる。体育館やグラウンドでは、後片づけを終えたにも関わらず、ストレッチや走り込みに励む姿もあった。
ブラスバンド部で遅くまで練習に打ち込んでいた中学時代を、懐かしく思った。不器用だった。もっと効率的なやり方
があったのに……と、戻れない時に心を馳せる。他人の3倍以上は頑張らないと勉強や楽譜が理解できなくて哀しかった。「早朝から新聞配達もして、よく諦めずに頑張ったね」と今の私が褒めてあげよう。
少しセンチメンタルな気分でいたところへ、派手な装飾のトラックが突っ込んで来た。グラウンドの手前に横付けると同時に土煙が舞う。悪ぶれた風もなく運転席から恰幅のいい青年が降り立った。
「隊長、遅刻だよ」
「姐さん、おはようございます!」
23才から夜間部に入り、高校生をやり直している山口君は4年生。夜の(夜間部)生徒会長であり、中距離専門の運搬をしている。見た目は厳ついが、ポジティブで可愛げのある男子だ。ちなみに、私は夜のPTA役員でなので、彼や教員と話をする機会も多い。
「学園祭の準備っすか?」
「簡単な打ち合わせだけ」
レンに見つかると授業が終わるまで引き止められるので、早々に退散するところだった。
「学祭終わったら、打ち上げしましょうよ」
「いい店期待してるね」
「任せといてくれ!」
元気よく応えて、彼は階段を登って行った。
そのタイミングを見計らっていたかのように、メールが届いた。
『お元気ですか? その節はご馳走さまでした』
あれれれれ? どうしてヨシタカからメールが届いたのかな……?
【新宿駅のキス事故】以降、吉岡貴教からの連絡ツールは拒否設定していたはずだ。つまりは、
「レン、だよな」
アイツは、自分が面白いと思えることにだけは積極的だ。
スルーしよう。今はとにかくスルーだ。自分に言い聞かせながら、早足で民家の脇道を突っ切り駅を目指す。ショートカットしなくても駅から近い学校だが、少しでも早く部屋へ戻りたかった。
『今日は奢らせて下さいね』
不吉なメールを見てしまい、思考が混乱した。
とにかく帰ろう。帰って薬を飲んで横になろう。少し多めに服用して明日は冬眠しよう。
アタマの中で淡々と予定が決まってゆく。カラダは仕組まれたとおり電車に乗り、次の駅で降りる。高校からマンションの最寄り駅へはひと駅だ。改札の出口は1つしかないが、そこを抜けると左右の階段へと別れる。迷うことも寄り道をすることもなく、右の階段を駆け下りた。メールに動揺しているせいか、残り4段まで来たところで靴が片方脱げた。
ヤバっ! また踏み外して滑り落ちる!
ホームに立てば線路に落ち、階段やエスカレーターの上段から何度ダイブしたことか。 すり傷、切り傷、打撲程度は日常だ。一瞬の出来事なのに、いつもスローモーションで以前の怪我や痛みを思い出す。走馬灯のようなもの、か。
「あっぶねぇ!」
聞き覚えのある声と温もりに包み込まれた。
心臓が喉元でバクバクバクバクする。
痛くないーーーー
いや、膝や腕が熱と痛みに襲われ血の溢れ出す感触が私の普通であり、痛みを回避する力強い腕に抱きしめられている現状の方がありえない。
「大丈夫?」
巨悪とは言わないが、階段を踏み外す要因を送信してきた奴に心配されて、すぐに言葉が出なかった。たかが4段、されど4段。上から落ちてきた人間を受け止めるにも、それなりの力と覚悟とコツが要る。
「発作!? 薬は? 病院行く? タクシー?」
落ち着けヨシタカ! 通行人がガン見してくし、何より人様の邪魔だ。
運良く肩に引っかかっていたバックからミネラルウオーターと薬ケースを取り出そうと、抱擁姿勢の彼を振り払う。私が思っていた以上に動転しているらしい彼は、容易く剥がれた。フラつきながら靴を拾い、バイオリンを弾く銅像の台座に寄りかかる。靴を履き、習慣づいている動作で薬を飲み下す。心拍数はまだ高いが、薬を飲んだ安心感のせいか発汗は落ち着いてきた。呼吸も普通にできている。
ふーーーーーーーぅ。
腑の底に残っていた古い空気をしっかり吐き出し、涼やかな夜風を吸い込んだ。
「……よかったぁ」
それは私のセリフです。
血の気が戻った様子のヨシタカだったが、まだ肩で息をしている。私はゆっくり彼の正面に立ち、飲みかけではあったが、ペットボトルを差し出した。
「あ、ありがと」
受け取るや否や、彼は半分以上あった水を喉を鳴らし飲み干してしまった。余程焦り心配してくれたのだろう。そーじゃなくて!
「どーしてここにいるの!」
「どうして?」
彼は濡れた口元を手の甲で拭い、ペットボトルをグシャと握り潰した。
「そりゃ、逢いたいから来たに決まってるじゃないですか」
「は?」
「だって、あれからメールも電話も通じないし」
メールは拒否ってたからね。サブアドレスも住所も教えてないのに……レンの有罪は確定だ!
「俺のこと嫌いですか? オレは神山さんといると楽しいし、自然体でいられます」
「勘違いだと思うよ」
私は家路を急ぐ人の邪魔にならないよう、彼の腕を引っ張り、銅像の台座に寄りかかった。
「お酒飲んで食べてキスして、ある程度の欲求が満たされたから、思考回路が誤作動しちゃったんでしょ」
ジャケットの内ポケットから簡易葉巻とジッポーを取り出し、当たり前のように咥える。
「オレ、タバコは嫌いです。でも、それは嫌じゃない」
だからどうしたというのだ。火を点けて深く吸い、細く長く紫煙を吐いた。
「あの日、そのまま連れて帰ろうと思ってた」
「そういうのは、デリヘルとかにしなさい」
「そういうのには興味ないです。あなただから、欲しくなったんです」
「中高校生じゃあるまいし……。ヤリたいから好きってか?」
ポケット灰皿に、短くはない葉巻を押し込んだ。
人間って奴は、どうしてこうも煩わしい生き物なんだろう。良し悪し関係なく、絡まれるのはもう懲り懲りだ。
「サツキさ~ん!」
聞き慣れた声に名前を呼ばれ、思わず階段の方を見やった。
バカヒロが……また来やがったのか!?
ヨシタカの奇襲に続く宏基の出現で、足が地中へめり込む感覚に襲われた。これは比喩などではなく、時々起こる発作の一種だ。
「駅前で会えるなんて、運命そのものだね」
抱きつこうとする宏基の顔面にヒールで回し蹴りを食らわしてやりたかったが、そんな元気は皆無だった。
「離せヘンタイ、彼氏が見てる」
「え?」
私は咄嗟に、ヨシタカの腕にしがみついた。
「彼は吉岡さん。私より若いけど君より年上だから、失礼のないように」
宏基は切れ長な目を見開き驚いた様子だった。ヨシタカは察しがいいタイプらしく、「はじめまして」とあしらってくれた。とはいえ、前衛的な手段ではなかった。押しかけてきたキス男とストーカー。どっちにしても面倒な輩でしかない。
「立ち話もなんだし、その辺で飲みながら話そう」
どうしてそうなるバカヒロ!
「そうだね、彼女も調子よくないし」
こらこら、体調の悪い人間を飲みに連れて行くか?
「向こうの奥に、サツキさんが行きつけのカリビアンな店があるんですよ」
なんでもないように言う宏基。
「じゃあ、とりあえずそこで」
気にした風でもないヨシタカ。こいつらは一体何なんだ!?
結局、私は左右から腕を支えられて、レンとしか行かない隠れ家へ連れていかれた。
部屋で寝倒す予定は、あっさりと強引に変更された。
人は、
お腹を空かせているとギスギスします
独りぼっちだと笑えません
怒りの感情も、行き先が迷子になります!




