なんちゃって神話学 ~ヨブ記編~
「ねえ? 聖書だと悪魔よりも神様の方が沢山の人を殺しているって本当? なんか、そう言う画像を見ちゃったんだけどさ。神様は二〇〇万人とか殺しているのに、悪魔は一〇人しか殺してないって奴」
――まあ、その数字が正確かどうかは知らんけど、神の方が多く殺しているのは間違いないだろうな。ソドムとゴモラに硫黄の滝を叩き落としているし、ノアの箱舟の洪水も沢山死んだんじゃないか?
「はっきりしないなー。ま、利人は神様嫌いだもんね」
――いや。違うぞ、千恵。俺が嫌いなのはキリスト教を代表とする宗教であって、神やキリストは嫌いじゃあない。むしろ、神話とかは好きだし、キリストだって機会があればファミレスで夜通し話したいくらいだ。
「その機会は永遠にないことを祈っているけど、神様は好きなのに宗教が嫌いなんてありえるの?」
――その漫画は好きでも、漫画を熱心に勧めて来るファンは鬱陶しいだろ? 俺はそう言うのが嫌だから、好きなバンドのライブに行かないんだよ。
「まあ、言わんとせん事はわかる。けど、利人は人混みが嫌いなだけじゃ? って言うか、神様が沢山人を殺している本を聖書として広めるってどうよ? 売れるの? それ」
――逆に考えて見ろ。サタンが沢山の人間を殺している本を聖書として広める方が問題だろ。神は何をしていたんだって話になるだろうが
「それもそうか」
――しかし悪魔が殺したのは『一〇人』ね。
「うん。私の記憶が確かならば、あの画像には一〇人が殺されたってあったと思うけど。でも一〇人だったとしてさ、悪魔はなんでその一〇人を殺したんだろう? やっぱり、聖人とか勇者とか救世主だとか? ちょっと気になるよね」
――いや。殺されたのは大層な人間じゃない。
「殺された人を知ってるの? 知り合い?」
――一方的にな。確か、ヨブ記で殺されたのが一〇人だったはずだ。
「本当に、利人は何でも知ってるなー。感心しちゃう」
――ああ。俺は何でも知ってるぜ? 知ってる事だけ。
「で? そのヨブ記って言うのは?」
――『旧約聖書』に収められている書の一つだな。キリスト教誕生以前の聖書。
「ヨブ記って事は、ヨブさんについて語った書物ってこと?」
――その通り。ヨブのひととなり全く正しく、神を恐れ、悪から遠いものだったらしい。
「神を恐れてるの? それって良い事なの? 神様は味方? サイドなわけでしょ?」
――この『神を恐れ』って言うのは、別に悪い事をして神を恐れていたわけじゃあない。その偉大さに対する恐れ――つまりは畏敬の念を持って接していたと言うわけだ。
「ああ。いけーの念ね。私も持ってる持ってる」
――そのヨブには七人の男と三人の女の子供がいた。
「七人と三人の子供……………………あっ。察しちゃったよ、私」
――じゃあ、もう少し、黙っていようか。ヨブは羊七〇〇〇頭、ラクダ三〇〇〇頭、牛五〇〇頭、雌驢馬五〇〇頭、そして沢山の僕を所持していて、東の人々の内で最も大いなる者であったようだ。ヨブは要するに金持ちだったんだな。
「家畜の数字絶対盛っているでしょ。でも、如何にも紀元前って感じの富の表現で良いよね。牧歌的って言うかさ、穏やかな世界って感じ」
――確かにな。知らない距離の単位とか出て来るとテンション上がるな、俺。
「わかる」
――で、ヨブの息子達は、それぞれ特別な日になると兄弟と姉妹を招いて食事をする習慣があったって説明が入る。まあ、誕生日会をするようなもんだろ。
「その情報必要? これ絶対、後々の伏線でしょ!? ほのめかし方、下手過ぎない?」
――そう焦るなって。話はまだ続くぞ。その食事会が一巡りするごとに、ヨブは子供達を呼び寄せて聖別し、燔祭を捧げた。燔祭って言うのは要するに生贄の儀式だな。家畜を生贄に捧げるんだ。
「キリスト今日にも生贄の儀式があるのか……」
――この時点ではキリストが産まれていないから、ユダヤ教だけどな。ヨブは自分の息子達が過ちを犯して神を呪ったかもしれないから、この燔祭を捧げていたらしい。
「つまり、どう言うこと?」
――家畜を捧げるって言うのは、当時の人々にとってはかなりの負担だ。わかるだろう? 牛一頭育てるのは大変だし、労力としても重要だ。勿体無いから家畜を食おうにも、保存技術が未熟だから食べられずに腐らせることも多いだろう。家畜を潰すのは、基本的に損の方が大きい。
「それで?」
――それを毎年行うヨブは『熱心な信者』って思わせるエピソードなんだろう。
「なるほど」
――そして唐突に場面転換。“主(神)”の元に神の子達が集まる所に話が飛ぶ。
「本当に唐突だなぁ」
――そこにはサタンもいた。急に厨二病が発症したわけじゃあないぞ? サタンの元ネタが聖書だから。
「知ってるよ。そう言う意味でも聖書はバイブルなわけだよね。って言うか、普通に魔王様が神様の前に登場して良いの? 罰されないの?」
――主はサタンに問う。
「ごくり」
――『貴方は何処から来たか』
「日常会話かな?」
――サタンは答える。『地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました』と。
「答えになってなくない? 面接だったら速攻で落ちるよ」
――その答えを聴いて、主はサタンに言うわけだ「貴方は私の僕ヨブのように品行方正で、神に畏敬の念を抱き、悪と無縁の者を他に見たことがあるか?」と。まあ、自分の信徒の自慢だな。世界中を探しても、あいつより凄い奴はいないだろ? って言う。
「うちのヨブ君は、俺のこと超尊敬してっから! みたいな? 自分で言う? 普通?」
――普通じゃないからな。GODだ。それで、サタンはそれに疑問を抱く。「ヨブはいたずらに神を敬いますかね?」と。「貴様はヨブが勤労だったからこそ、ヨブとその家族、所有物の全てに祝福を与えた。ならば、貴様がヨブの所有物の全てを奪えば、ヨブは貴様を呪うに違いないぞ?」
「おお。悪魔らしい台詞だね。神を敬っているんじゃあなくて、神の恩恵を敬ってるんじゃない? って、嫌な質問だ。私も利人が私じゃあなくて、私のDAKARAが目当てなんじゃないかって不安になる時があるもん」
――別に喉は渇いてないけど……
「それで? 神様はこの質問にどうやって答えたわけ? 全知全能の答えって奴を聴かせてよ」
――主の偉大な返答はこうだ。「貴方はヨブの所有物全てを好きにして良いですよ。ただヨブ本人に手を出しては駄目です」
「ん? んん? なんか『じゃあ、やってみろよ』って言ってる気がするんだけど?」
――晴れて偉大なる主から許可を得たサタンは、その場から姿を消した。
「これ、絶対にサタンさんはヨブさんにちょっかいを出しに行きましたよね?」
――ちなみにこの日は、ヨブの息子達は一番上の兄貴の家でいつものように食事会を開いていた。
「七人の兄弟と、三人の姉妹だっけ?」
――千恵の話じゃ、悪魔が殺したのは一〇人だったっけか?
「……………………」
――彼等彼女等は、荒野から吹き荒れた突然の大風で家が潰れて全員死んだ。
「知ってた! 最初に子供達の話を始めた頃から知ってた!」
――ちなみに。牛や驢馬はシバ人が、ラクダはカルデヤ人が略奪し、羊と僕は神の火が天から下って全て焼滅した。つまり、その財産の全ては失われたわけだ。
「サタン張り切り過ぎでしょ! 何で神様は許したわけ!? サタンがこうするって知らなかったの? 思い返すと、さっきは初対面っぽかったし」
――いや、全知全能たる偉大な主が知らないなんて有り得ない。こうなることを神は知っていたはずだ。
「だったらどうして?」
――ヨブは起き上がると、上着を裂いて頭を剃って地面に伏して拝した。
「拝したって、拝んだって事でしょ? この状況で何をありがたがって拝むわけ?」
――勿論、神に決まっている。
「え?」
――ヨブは言った「私は裸で母から産まれた。死ぬ時も裸で死ぬだろう。全ては主に与えられた物であり、全ては主が奪っていった。嗚呼! 偉大なる主よ!」
「…………」
――ヨブの口からは間違いは産まれなかった。少しの呪いの言葉すらも、だ。恩寵が全てなくなろうとも、ヨブは神を敬い続けたわけだな。
「え? お終い? この後、サタンに復讐に行って、そのサタンから神の許可を受けていると聴き、絶望に落ち、より強力なサタンとなって神に抗うヨブの話とかないの?」
――そんな続きはないけど、ここまでが一章で、ヨブ記は四十二章まである。
「ヨブはどうなるの?」
――神から更に許可を得たサタンによって、全身が皮膚病になってしまう。この時代の皮膚病にかかれば、社会的にはお終いだ。
「ま、まだ不幸になるのか」
――で、この後は三人の友人がやって来て『お前が知らない内に神に背いたんだから、謝れよ』って言い始める。だが、ヨブは『私は無実だ』と言って譲らない。自分は間違っていないと最後まで言い続ける。つまり、これは神からの罰なんかじゃあないと。
「ある意味で神様を信じているってことなのかな? そこまでして神を疑わないとか」
――そう言うことだろうな。そしてヨブは更にその上を行く。『神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか』つまり、自分と言う存在は全知全能なる神が産み出したものであり、それを自己の判断で、人間の尺度で『善と悪』に分類すること自体がおこがましいと考えているわけだな。善悪と言う概念は人間の物で、神の気持ちを計る物ではないんだ。
「えぇ」
――要するに、ヨブ記って言うのは『どうして神様は正しいものにも不幸を与えるのか』ってのがテーマなんだ。その答えとしての一つが『神は偉大であり、木端人間には理解できない存在である』ってわけさ。
「納得できねー」
――納得は必要ない。神って言うのは都合の良い存在じゃあないんだ。
「じゃあ、何なの?」
――ヨブは言った。「私は裸で母から産まれた。死ぬ時も裸で死ぬだろう。全ては主に与えられた物であり、全ては主が奪っていった。」これが正しい答えだ。人間は神から産まれ、神から与えられて生きているに過ぎない。神こそが絶対の創造主であり、全ては神から創造されたんだ。その視点で見ると、『何処から来たか?』と言う問いに対する答えとして、サタンの答えは落第点だ。
「『地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました』が?」
――ああ。サタンもまた、ヨブと同じように答えるべきだった。サタンは神の被造物の一つでしかないんだ。
「つまり、この世は全て神様の意志の下で動いていて、自分の持ち物なんて存在しないってこと?」
――無情だろう? 救いがないだろう? だが、人間はそれでも生きなければならない。
「…………なるほど。利人が旧約の神様が好きな理由はそこね」
――そうだな。救いの神なんて必要ない。俺が神に求める事はたった一つ。肯定することだけなのさ。
「じゃあ、ヨブさんもかなりポイント高いんじゃない?」
――うーん。
「あれ? 違うの?」
――いや、格好良い信仰だとは思うんだけどな。
「何か問題があるの?」
――この人、一四〇歳まで生きるんだよな。神に認められてさ、より栄えるんだ。
「そんなオチなの? なんか、物語の伝えたい要素とずれてない?」
――いや、自分の信徒を『煮るなり焼くなり好きにしろ』とか言って悪魔に売っておいて、何の補填もしない神の話とか聖書に乗せられないだろ。
「それは正論だけどさ、それを言っちゃう?」
――だから、ヨブの評価に困るんだよなぁ。
「あ! そう言えばもう一つ突っ込みたい所があるんだけどさ」
――ん?
「悪魔が殺したのは一〇人って話だったけどさ、僕さん達も大量に虐殺されてるよね?」
――確かに。あれだ、僕は人間じゃなくて物扱いだったんじゃないか? って言うか、別その件に関して悪いのは、聖書じゃなくて、千恵の見た画像を作った奴だろ。
「確かに」
――まあ、一〇人って切りが良いし、悪魔よりも神が殺したって言う面白い結論ありきのグラフを作ったんじゃないか?
「なるほど」
――ま、それでも神の方が殺しているだろうけどさ。