ワナビの俺がラノベ主人公なわけがない
上下する右手と、不規則に途切れる息。
暗い部屋の中、煌々と光るPCの画面。
もうすぐ。もうすぐだ。あと少しで──
──だが。
そこでふと、我に返る。
あ、俺これ、満たしたいの性欲じゃねーな。
と。
そう気付くなり、それは謙虚なサイズ感に鳴りを潜めた。
どうにもおかしかったのだ。いつもならこのお気に入りのサンプル動画の、女優がアレするシーンで確実にフィニッシュできるのに。
この、心にぽっかりと空いた空洞のようなものを、性欲に置き換えようとしていたが。
違うんだ。
本当はわかっていた。この、満たされない穴の正体を。
『池沖 楽さん。
今回の最終選考は、落選ということで……』
遠慮がちなその声が、鼓膜を何度も何度も行き来する。
電話でこのフレーズを聞かされるのは、もう何度目か。
また、選ばれなかった。俺じゃ駄目だと、そう言われた。
嗚呼、今年も俺なんかよりずっと才能のあるやつらの作品が、一冊の本となって書店に並ぶのか。
何が足りない。何が余計だ。
最終まで残ったってことは、悪くはなかったはずだ。
だが、売り物にするほどの価値は、なかったということ。
なんだ、エロが足りなかったのか?取って付けたようなお色気なんか、それこそ価値があるのかよ。
それともアレコレ詰め込みすぎたか?「もっと流行りを意識して…」って前回言われたから、みんな大好き転生モノに学園ファンタジー融合させてやったんだろうが。
キャラ?設定?ストーリー?世界観?真新しさ?今っぽさ?
ああもう、オリジナリティってなんだよ。
それって結局のところ、『俺らしさ』だろ?
それを否定されるってことは。
もうこれ、生きている意味ないだろ。
作家志望。
そんな宙ぶらりんな存在に、いつの間にか
"ワナビ"なんて呼び名が付いていた。
新人賞に応募しては落とされ、応募しては落とされ。
このまま、こんな風に。
何者にもなれないまま、『無価値』の烙印だけをぶら下げて。
すり減らした時間と心を金に換えるだけの、好きでもなんでもない仕事を、ハゲおやじになるまで続けて。
そうして、終わるのか?俺の人生は。
選ばれたやつらの作品手に取って。
チラ読みだけして、「クソつまんねー」って掲示板に書き込んで。
そいつよりずっとつまんねー連中と、あーでもねぇこーでもねぇ言い合って。
クソつまんねー"名無し"のまま、一生そこから動けないのか?俺は。
「最終選考までいけたなんて、すごいじゃん」
「挑戦したことに意味があるよ」
うるせーよ。
結局選ばれないのなら、一次だろうが最終だろうが一緒だろ。
選ばれなかった。
選ばれなかったんだよ、俺は。
腹も減らねぇ。眠くもねぇ。チンコも勃たねぇ。
俺が欲しいのは、ただ一つ。
一冊の、本なんだ。
俺の、書いた本。
それがゴールじゃねぇ?わかってるよ、そんなこと。
わかっているから、そもそものスタートラインに立たせてくれよ。
夢なんだ。
こんなに欲しいもの、他にないんだ。
だから、お願いだ。神様。
こんなに頑張っているじゃないか。
俺を、俺を。どうか。
選んでくれよ。
……なんて。
他力本願な時点で駄目駄目だし、そもそも読者ありきのものなんだ。自分のことにばかり囚われていては、良いものは書けない。
それに。
何度否定されても、何度振り落とされても。
「書きたい」
「書くのをやめない」
そう決めたのは。
他でもない、俺自身なんだ。
だから、全部自業自得だ。
誰のせいでもない。誰のせいにしてもいけない。
わかってる。
わかっているよ。
わかっていても。
そんな、完璧な人間じゃないんだ。
だから。
今日くらいは、許してくれよ。
はぁ。
平気なつもりだったが、やっぱり落選の入電は凹む。ボディーブローのように、じわじわと効いてくる。
明日も仕事だ。無理矢理にでも寝ないとな。
さて、PCの電源を落とし……
と、マウスに手をかけた、その時。
「え〜っ、消しちゃうの?今日はもうおしまい?」
そんな、甘えるような女の声がPCから発せられる。
いかん。変な広告踏んだか?動画は停止しているはずだが……
不審に思い、画面を覗き込む……と。
──にょにょにょっ。
なんて音が聞こえてきそうな勢いで。
PCの画面から、女体が。
……裸の女が、生えてきた。
「……は?!」
思わず身体を仰け反らせる。
おいおい、VRなんて買った覚えはないぞ?
それとも、ストレスでついに頭がイカれたか?
そう思いつつも……
艶やかな黒髪から始まり、華奢な肩、柔らかそうなおっぱい、きゅっとくびれたウエスト、叩きがいのありそうな肉付きの良い尻が、画面から順番に現れるのを。
「………………」
俺は、生唾を飲み込んで見つめていた。
……いや、待てよ。
あれ、これ見たことあるぞ。あれじゃん。超有名なヤツじゃん。
ほら、井戸から出てくる、あの…黒髪で、白い服を着た……
……ってことはこれ、呪いのサンプル動画だったのか……?
膨張しかけていたものが、一気に縮こまる。
まじかよ。俺、霊感ないと思っていたのに。
アレか?『生きている意味ない』なんて考えたから……
だから、俺の命を奪いに……
ええ……そうなると俄然生に執着湧いてくるんですけど……
作家になれないまま死ぬことなんて、できるかよ。
俺はパンッ!と両手を合わせて、
「すみませんでした!俺、やっぱりいきたいです!!」
頭を垂れ、貞●に向かって叫んだ。すると。
ふくらはぎの辺りまで画面の外に出かかっていたそれは……
真っ黒な長髪をバサッ、と振り上げ。
顔を見せた。
美少女……というか、どちゃくそタイプの顔だった。
所謂たぬき顔というやつ。垂れ気味の、大きく潤んだ瞳。ちょっと太めの、同じく垂れ下がった眉。口角の上がった薄い唇。それらが、女の子らしい丸みを帯びた輪郭に収まっている。
そんな、想像していた貞●像とはだいぶかけ離れたユーレイは、画面から全身を出し切ると。
ふよふよと宙に浮いて、俺のことを見下ろし……
──にぱっ。
と、笑った。そして、
「なぁんだ、やっぱりイキたいんじゃん。いつものタイミングでイかなかったから、心配しちゃったよ〜」
なんてことを、明るい声音で言い放つ。
………ん?
「ほらほら〜。お手伝いするから、続きをどうぞ♡」
言いながら、自身の豊満なバストをたゆんたゆん持ち上げ揺らしてみせる。
……待て。待て待て待て。
え?こいつ、俺の命を奪いに来たユーレイじゃなくて??
「あの……つかぬ事を伺うが、おたくはどちら様で…?」
「やだー。毎晩会ってるのに、わからないの?」
毎晩……会っている?
脳内が疑問符で埋め尽くされる俺の顔を、謎の女はぐっと覗き込み。
人懐こい、愛らしい笑みを浮かべて、言った。
「わたしは、この動画から生まれた付喪神!いつも視てくれてありがとうね♡」
………………………は。
ハァァアアァア?!
付喪神──それは、日本に古くから伝わる、神の一種。
長年使われてきた・大切にされてきた道具などに宿る神様のこと。
……つまり。
この女は、自分が2分ほどのサンプル動画に宿った神だと、言っているのである。
「……そんなバカな。もっとこう、大工の棟梁が使い込んだトンカチとか、板前が下積み時代から研ぎ続けた出刃包丁とか、そういうのに宿るモンだろうが。それを、なにが悲しくてAVのサンプル動画なんかに……」
「え?全然悲しくなんかないよ?毎日超絶はっぴー☆」
………駄目だこいつ。話にならん。
「だって……」
──ふわっ。と。
目の前の自称付喪神な女は、俺の頬に手を添えると、
「君が何回も何回も、飽きずに視てくれたから、生まれることができたんだもん。こんなの、はっぴー以外のなにものでもないよ」
今すぐキスしてやりたくなるような、魅力的な笑顔で。
真っ直ぐに、そう言った。
……ああ、くそ。
まったく飲み込めないが、どうやらこいつが人外のなにかであることは間違いないらしい。
だって、いきなりPCの画面から現れて、今もこうして宙に浮いているのだ。全裸で。
なんなんだよ、この展開。それこそラノベの主人公じゃないか。俺がなりたいのは作中じゃなくて、作者側なんだが。
……まぁいい。
「………わかったよ。じゃあお前を、ネタにしてもいいんだな?」
「きゃーっ♡あらためて言われると、なんか照れちゃう。でも……うん。いいよ」
「……それじゃあ…」
そっ、と彼女の一糸纏わぬ両肩に手を添え。
俺はそこに、ぐっと力を込める。
彼女が、少し緊張した面持ちで、瞼を閉じる…………
が。
そのまま俺は、彼女の身体をPCの前から退かし。
直ぐさま、マウスを操作して文書作成ソフトを起動。
そして思いつくままに、キーボードをカタカタと叩き始めた。
横で、
「…………へ?」
自称付喪神が、間の抜けた声をあげる。
「あ…あれ?あの、楽くん?わたしのこと、使ってくれていいんだよ?」
「だから、使っているじゃねーか。こうして」
タン、と一度、キーを叩く手を止め。
「ズリネタじゃなく、ラノベのネタとして」
ぽかんと口を開ける彼女を一瞥し、再びディスプレイに目を戻しながら、
「こんなん書かずにはいられないだろう。美少女付喪神……うん、悪くないかもな。やや使い古された感はあるが、そんだけ需要があるってことだし。これに今っぽさを加えて……」
「あ、あの、えっと?わたしは、なにをすれば……?」
「いてくれるだけでいいよ。あ、キャラ立ちしそうな特技とかあったら教えてほしい。それと……」
カタカタカタカタ。
ああ、進む進む。
これこれ、この感じなんだ。
頭ん中にあるものを、カタチにしていく。文字にしていく。
綺麗に。過不足なく。テンポ良く。
物語を作るのは、どうしてこうも面白いのだろう。
「お前、名前は?」
「えっ?名前………『制服美少女の凄テクを10分我慢できたら…」
「いやそれAVのタイトル。じゃなくて、お前自身の名前だよ」
「………ない、けど」
「そうか。じゃあ、決めないとな」
いつまでも『お前』と呼ぶわけにもいくまい。
さて、どんな名前にしようか。今回落とされた作品のヒロインから持ってくるか?……いや、なんだか縁起が悪いな。
ふと、先ほど途中で止めたサンプル動画の画面を開く。
……1分33秒、か。
「決めた。お前の名前は『いさみ』だ」
「えーっ、かわいい♡いいの?名前までもらっちゃって」
「じゃないと、呼ぶ時に困るだろう」
「嬉しーいっ♡」
ハートマークを振りまきながら、自称付喪神……いさみが、背中にぎゅっと抱きついてくる。
こんなに喜ばれるとは。俺のお気に入りのシーンの秒数から取っただなんて、今更ながら少し罪悪感が湧いてくる。
むにむにと当たる二つのふくらみを背中に感じながらも、俺は指先に意識を集中させる。
見てろよ。絶対に「欲しい!」と思えるようなモンを作ってやる。
なによりもまず、俺が「おもしろい」と思えるようなモンを。
そして、読者が「おもしろい」と思えるようなモンを。
何回も何回も。飽きずに続けていれば。
そこから生まれるものも、あるのだろう。
この、背中に感じる柔らかいもののように。
「………いさみ」
「なぁに?」
「次の公募の締め切りまで、オナ禁するぞ」
「えぇぇええ?!それじゃあ、わたしがいる意味ないじゃん!!」
「馬鹿言え。ヌイてスッキリしちゃったらエロいシーン浮かんでこないだろ。お前には俺の欲望を掻き立て、それを作品に昇華するためのネタになってもらう。そう、お前は……俺の『童貞力ブースター』だ」
「童貞力ブースター?!」
「ところでお前、まがりなりにも神様なんだろ?何かこう…特別な力とかないのか?キャラ作りの参考にしたいんだが」
「と、特別な力……あ、『ぬく』こと全般トクイだよ。アッチはもちろん、栓抜き、型抜き、シミ抜き、スキャンダルすっぱ抜き。抜歯も抜糸もバシバシできるよ☆」
「なるほど、言葉遊び系か……構想が膨らみそうだ。やるじゃん、いさみ」
「いえーい☆いさみの魅力に、骨抜きになっちゃいそう?」
「…………」
なんだか、悩んでいるのが馬鹿らしくなってきた。
俺は手を止め、いさみの方を振り返り。
「……お前のその前向きさには、度肝を抜かれるよ」
床に転がっていたパーカーを彼女に被せながら。
ため息混じりに、そう呟いた。
*おしまい*
二つの意味で恥部を晒しまくっている今作、いかがでしたでしょうか。
つらいこと・悲しいこと。
悔しいこと・腹立つこと。
負の感情もすべて、作品づくりの燃料にしていきたいものです。
なにかに向けてひたむきに頑張っているすべての人。
どうか報われてくれ。
そして黒髪巨乳美少女、来てくれ。