わたしをみて
愛とは何ぞ。
迷い続けた先、結局なにも見つからないこともある。
生まれてこのかた、誰もわたしを愛することはなかった。わたしも、いつからか、誰かが愛してくれるなんて期待を持たなくなった。
愛、その一文字を、わたしは人生のなかで一番の問題として取り扱っている。なぜなら、わたしにとっては為されないものだし、為すことすらもできないものだから。触れることすらできない究極のターゲット。つまり解決しえない問題なわけだけど、だからといって考えない訳にもいかない。
だってわたしはそれに飢えている。どうしても欲しい。でも誰もくれないもの。だから奪うことを考えてみた。そして実行してみた。でも失敗した。
実を言うと、それからわたしは愛されないどころか、恨まれる、憎まれる存在になった。でもわたしは平気だった。愛されないのなら、どう思われたって変わらない。それがわたしだから。
愛を得るためにわたしはもっと考えた。愛の傍へいればわたしにも愛が得られるかもしれない。そしてまた実行してみた。仲がいいと噂の四人家族の家へ居候することにした。でもこれも失敗した。
四人家族はわたしなんかでも受け入れてくれた。優しくしてくれた。でもそれはけっして愛による優しさではなかった。哀れみや同情、もしかしたらもっと醜い感情から生まれた優しさかもしれない。ご近所へのアピール、それもあったでしょう。
私は一年、その家で暮した。一日三食に風呂、あたたかい布団を与えられ、とても住み心地はよかった。だが、それだけ。やっぱり愛は存在しない。
その家で住み始め、発見があった。それがその家を出る理由でもある。
その家に愛は無かった。あるとしたら偽物の愛だった。
仲良しで理想的な家族。それは張りぼての城。裏を見てみればそれはそれは醜いものだった。口にするのもはばかれる。わたしがそう言うのだもの、どれだけ酷いか想像できるでしょう。
愛はもしかしたら存在しないのかもしれない。そもそもの始まりから。みんな、愛ではないものを愛と思い込み、そして幸せだと勘違いしているだけかもしれない。だとしたら、みんなわたしと一緒ではないか。
愛、愛、愛、愛、それはわたしだけでなく、人類にとって最大のターゲットでしょう。それを知らなければきっと幸福も存在しない。幸福が無ければ人はなんのために生きているのだろう。
私は愛を知らない。ゆえに幸福も知らない。だから迷う。愛を求めてさまよい続けている。
愛を語り合う恋人の傍で愛を求めた、愛が溢れる家庭で愛を求めた、愛を教える宗教家の言葉を聞いて愛を理解しようともした。だがだめだった。すべてが不正解だった。だとしたら愛はどうやって生まれるのだろう。わたしにはどうやったら愛を見ることができるのだろう。
知りたい知りたい知りたい知りたい。
愛を得るためならばわたしはなんだって差し出すだろう。それが「愛」だったとしても。
わたしは求め続ける。愛を、ただ愛だけを。いつまでもいつまでも。人からどれだけ嫌われようとも、愛さえ手に入れることができればそれでいい。わたしはそのときに初めて幸せになれるのだ。