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出荷支度

この世界の奴隷制度を教えてもらいました。

今日から朱里も奴隷です。

 話の後、朱里は牢から出された。

 手と足に枷を着けられて、だが。


 商人は最初に時間がないと言っていた。だから、このまま砂の変態貴族の所へ連れて行かれるのだと朱里は思っていた。


 ずっと立っていなかった足は少しシビレていた。

 よろけ、転けそうになって檻に掴まる。

 改めて力を足に入れて立てば、立てた。


 開いた扉から檻を出る。


 この世界の奴隷制度をある程度理解した朱里は、左手の奴隷紋が消えない限り、逃亡は難しいと知った。

 否、逃げることは出来ても、逃げ続ける生活になるので、この世界を楽しむことが出来なくなると考えた。


 だから逃げる気はなかった。

 逃げるなら、商人の言うように売られた後、この店に逃げ込んで奴隷紋を消して貰った後だ。


 だから、無抵抗で商人に連れ出された。


 牢から出れば、商人から少し離れた所、朱里の牢内からは見えない位置に、商人の護衛がいた。五人。

 全員男なのは分かったが、服装で種族は分からないようにされていた。

 が、全員、服の上からでも分かるムキムキで、ポンコツ森の人の朱里では勝てそうになかった。

 暴れる気もないけれど。


 案内された先の扉の向こうは外ではなく、部屋だった。

 中は湯気で曇っている。

 それでも、全く見えないことはない。むしろよく見える。

 部屋の中央に湯気の原因が置いてあった。

 人一人が入れるくらいの大きな盥に水が張られている。否、湯気を吐いているのだからお湯だ。


 お風呂だった。

 しかも、浸かる方。


 こんな状況であっても、朱里のテンションは上がった。


「あんなところで商品を管理していると、商品からイヤな臭いが出てくるでしょう?

 かといって、一般人の様に管理すると品定めに来たお客様にこんな贅沢慣れした高級品いらないって言われちゃうし、商品も買われた先で生活出来なくなっちゃうからね。

 ウチでは、最低限な生活をして貰って、出荷時に綺麗にするの。

 イヤな臭いを取るにはお湯に浸かるのが一番なのよ」


 よくこの商人に売ってくれたものだと、朱里は誘拐犯に感謝した。

 この商人が異端だと誘拐犯は知らなかったのだろう。

 でなければ、こんな奇跡あり得ない。


 売られた先が気に入らなければ脱走して良いと言った。

 悪い買い主だったり、生活が出来ないなら、保護して新たな買い主を斡旋してくれると言った。

 何より、出荷前にお風呂に入れてくれると言う!


「出たら最後の晩餐よ。

 平民じゃ食べられないご馳走を出すから楽しんでね。

 ちなみに、これは別の人に売って欲しいって帰ってきたコにも出すのよ。それを楽しみに帰ってくるコもいる位。

 だから、味はお墨付きよ」


 美味しいご飯まで食べさせてくれるとは!


 なんて良い人だ。

 朱里は商人に感じていた恐怖を速攻で忘れて評価を改めた。

 もう、食って倒れる人形は怖くない。むしろ後光が差して見えた。


 朱里は、繰り返し脱走し、繰り返しここに帰ってくる商品の気持ちが少し分かってしまった。

 まだ何もご馳走になっていないのに気の早い話だが。

 朱里は知っていた。

 人間は胃袋を捕まれると弱いことを。


 ただ、朱里は、自由に食べ歩きたい野望がある。

 逃げ戻ってもまた売られてやるわけにはいかないので、きっとこれが最後の一回だろう。最後の一回であって欲しい。

 だから、存分に味わって食べようと決意を固めた。


 朱里が決意を固めている間に、商人と入れ替わりに、女性が二人入ってきた。

 朱里は洗われた。

 一人で入れると抗ったが、森の人として劣っているなりに力は有るはずの朱里を女性二人は押さえ込んだ。

 頭の髪の先から足の爪先の内側まで。更には股のあらぬ所までしっかり洗われた。

 触られてないところは無いぐらい洗われた。

 口の中や耳の穴も例外なく。


 朱里は、一人で入れた森の温泉が恋しくなった。


 お湯から出た後は、良い匂いがする油も塗りたくられた。

 こちらはマッサージのようで気持ちよかった。




 ようやく風呂を出る頃には、朱里はふらふらだった。顔を羞恥と暖かさと血流の良さで真っ赤にしてのぼせていた。

 なすがまま服を着せられ、コップを渡された。

 中には水が入っていた。お湯ではない。水だ。ひんやり冷たい水だ。心なしか木製のコップも冷えて気持ちいい水が入っていた。

 朱里は飲んだ。喜んで。

 水は火照った朱里の喉を通り胃に落ちた。そこから全身を苛む熱が宥められていく。

 気持ちよさにため息が自然出た。




 次に朱里を迎えたのは、商人の予告通り、大量の料理だった。


 体を洗ってくれた女性二人に連れられ、廊下を歩いた先にあった扉の向こう。

 やっぱり中央に目的の物が置かれていた。

 その向こうに、商人が座っている。

 朱里は商人にて招かれるまま、部屋に足を踏み入れた。


 印象は中華料理。

 メインにでかい魚を焼いたもの。朱里の体の横幅くらいあった。

 その周りに皿に乗ったおかず達。

 青菜と木の実の和え物、海産物の酢の物。肉まんのような物に、水餃子のような物が入ったスープ。肉団子に揚げ菓子。主食に米と豆と肉を炒めた物。 

 見知っているようで全く知らない料理達。


 ふらふらと料理の乗った机に近づきながら、脳内知識の洪水に耐える。

 しかし、あまりの情報量に朱里はめまいがして、ついに体の前に来ていた机に手を突いた。


「これ、全部は食べられないと思うんですが。特に魚」


 めまいの気持ち悪さを絞り出すように朱里は訴える。

 残念だか、朱里の胃は食べたい欲求に比べてそれほど大きくない。一般女性と同程度だ。

 商人はご馳走だと言った。滅多に食べられないとも。

 残して捨てられるのは余りにもったいないだろう。

 もちろん、残り物が他の奴隷に回るなら何の気兼ねもなく残すのだが。


 商人は当然だと笑った。

 部下にこの魚の一番おいしい部位を切り取らせ、皿達の一つにする。


「料理は見た目よ。

 量があって、奇麗に飾り付けられていれば、一つ一つは一般の家庭料理でもおいしく見えるでしょ?

 だから、盛ってあるの。

 取り皿で食べれるだけ食べると良いわ。残りは奴隷達の餌にするから。

 その時はね、全部一つのバケツに入れて混ぜて配るの。台無しよ。

 どうしてそんな事するか分かる?

 この料理は特別なの。余り物とはいえそのままおこぼれを貰うには贅沢なの。奴隷の身にはね。

 だから混ぜて台無しにした物を配る。それでも贅沢なんだと言い聞かせてね。

 贅沢を覚えたら、奴隷はつらいわよぅ。

 だからうちでは、特別な時しか贅沢はさせないの。もちろん特別な時ってのは、売られる時と他に売られるために帰ってきた時よ」

 

 人を売り買いする奴隷商人。

 前の世界だったら悪人一択だったであろう人にこんな感想を持つとは朱里は思っていなかった。

 けれど、価値観は変わる。時代、土地、周囲の人によって。


 食事一つでさえ、ここまで考えてくれる。

 この商人は間違いなく、商品想いの良い商人だと朱里は思った。


 頭の情報を落ち着かせて、席に着く。

 情報過多さえ落ち着けば、めまいも収まり、胃を刺激する料理の匂いに口内に唾が溜まる。

 ごくんと飲み込んで、朱里は主食の炒飯に手を伸ばした。


 小皿にとって口に含めば、ピラフのような触感。調味料は塩胡椒だけだが、ジーキーという良く家庭で卵目当てに飼われている鳥の肉が出汁を出して味に深みが出ていた。

 

 ふと、ここに来るまで一緒に食事をとっていた男、ガインが朱里の頭に浮かんだ。

 といっても、もう朱里の残念な脳みそでは名前も出てこないし、顔もあやふやだったが。


 彼がこの料理を食べたら、と考える。

 あの輝くような顔でうまい、うまいと食べる姿が靄の向こうに見えた。

 絶対、朱里よりもたくさん食べるだろう。

 何なら何なら、ここにある料理を残さず食べることも出来るかもしれない。四、五人分あるけれど。

 朱里の手作りでなくても、これほど美味しいならば、彼の味覚にもきっと合う。


 途端、胸やけがした。

 ムカムカとまではいかない、もやもやが胸の辺りに蟠る。

 次の料理に伸ばしていた手の動きが止まった。


 朱里は、突然自分の身に起きた身体反応が分からなかった。

 食中毒かとも思ったが、食べた中に味も匂いもそれを引き寄せそうなものはない。

 病気でないならほっとくかとも思った。だが、このままでは豪華でおいしい料理が食べられない。

 早急なる解決が必要だと朱里は止まっていた手の行く先を茶器に変えた。同時に思考を料理に集中させる。


 想像のガインが頭から消えた。

 代わりに目の前の料理で作れるアレンジが次々と浮かぶ。

 すぐに浮かんできたそれらに朱里は何故かほっとして、ギフトに感謝した。

 

 浮かんだアレンジは一つだけ採用した。


 ピラフもどきにスープをかける。

 ちらりと商人の反応を確かめたが、料理人でないためか、商人は何も言わなかった。

 お茶漬けのようになったピラフを口に流し込めばさらさらと胃に入っていった。

 スープの味にピラフもどきの出汁が混ざり味に深みが出ておいしかった。


 後はアレンジ無しで頂く。

 だって、どれも初めて食べる物だ。アレンジの前に味わいたい。


 胃の中をすっきりしたかったので酢の物を取った。


 酢は果物酢だった。

 こちらの世界ではサータアンダギー。

 地方は同じだが、口の中がイメージで事故るので改名して欲しいお酢だ。


 サータアンダギーはサータアンという果汁に香辛料を混ぜて海の人が作る。

 海産物の持ちが良くなるので、魚や貝の身を内陸に輸送する際、漬け込んだりもする。朱里が大きさに驚いた魚も、サータアンダギーに漬け込んで焼いたものだ。

 焼くと酸味が飛ぶので、だいたいは焼き料理になる。

 

 焼き料理にならずに出てきた海鮮酢漬けの具は海藻と貝の身と小魚の切り身だった。

 薄く骨ごとぶつ切りになった小魚は元々柔らかい骨を酢で更に弱くしてあり、そのまま頂ける。


 狙い通り、さわやかな酸味が体の中をすっきりさせ、もやもやと一緒に落ちていった。 


 朱里は次々と手を料理へと伸ばし、口を動かし始めた。

 料理がだんだんと減っていった。


「何に絶望したのか知らないけど、希望を見なさい。生きるために」


 じっとその様子を見ていた商人が突然、朱里を慰めるようなことを言ってきた。


 なぜ急にそんなことを言われたのか、朱里には全く分からない。

 さっき、ちょっと謎の胸やけがあって、手を止めたからだろうか?

 心配させてしまったようだ。

 そう判断して、とりあえず朱里は頷いておいた。




 十分胃が満たされるだけ食べ終わり、食休憩を挟んでその部屋を出た。

 料理はやっぱり全ては食べられず残ってしまった。

 だか、全ての料理に箸をつけれたので朱里は良しとした。


 朱里は今度こそ外に連れて行かれた。


 完全室内だったため、外の様子が全く分からなかったが、外は夜だった。

 星はないが、月明かりが辺りを照らしている。

 ただ、月明かりを遮る背の高い煉瓦の家々が、間を走る道を暗くしていた。その暗さが寒さを呼んでいるように感じる。


 外に出ただけで随分下がった気温に、朱里は腕を擦った。

 何せ朱里は布一枚しか身につけてない。しかも袖無し。

 風除けの無い吹きっさらしの外では、大変寒かった。

 風の強さを物語るように、朱里が出てきた店の裏口に掲げてある赤と白の旗が風に大きく揺れていた。


 けれどその状況は長くなかった。

 出てすぐに幌車が待っていた。


 引いているのは馬に似ているけれど、馬に角はないので違う生き物だ。

 角は一角。鹿の角のように放射線状に広がって、先は上を向いている。

 その一頭が引く幌は、外からは見えない内側に檻が乗せられていること以外は至って一般的な幌車だ。

 車の底が船底のように出ていたが、中は平らだった。


「輸送の時って、一番逃げやすいけど、引き渡し前に逃げられたら私の責任だになっちゃうから、今は止めてね。

 逃げても森に入る前の川は、今、渡し守がいないし、怪魚や魔物がうじゃうじゃいるから越えられないわよー。

 余所へ逃げても、私と買い主に追われて捕まれば折檻ね。

 アナタを売りつける先の砂の貴族は、裏に通じてるからやっかいよ。捕まったら、死んだ方が天国って目に遭わされると思って良いわ。

 私もそうね。商品は大事だけど、こういう時は容赦しないわ。

 支店だって草と砂、町はもちろん村にもあるから、逃げられると思わないでね」


 朱里は幌の中の檻に入れられた。

 檻の向かいに置かれた豪華なクッションの様なイスに商人が座る。

 車を操るのは、商人とはまた別の男だった。


 幌と車の隙間から外が見えた。

 一番に見えたのは周りにいる護衛だった。

 彼らは色んな形の馬の様な役割を持つのだろう生き物に乗っていた。明らかにダチョウっぽいのもいた。

 朱里が知っている馬は一頭もいなかった。 


 闇夜の中、月明かりだけで道を走る。

 夜逃げのようだと朱里は思った。

 当然違う。


 奴隷商は国からも認められた仕事なので逃げ隠れる必要など無い。だから通常ならば日の光の中を行く。

 今回は単に、相手が指定した受け渡し時間に着くためにこの出立時刻になった。

「仕事とはいえ、眠たくて仕方がないわー。お肌荒れちゃうかもー」

 某食って倒れる人形似の商人が愚痴っている。

 朱里は目を逸らした。

 不気味が過ぎる。


 ガタゴト揺れる幌車は尻に優しくない。

 しゃべりたくても舌を噛みそうで口を食いしばってしまう。おかげで頬が痛い。

 眠気に横になりたいが、横になったら頭を座板で打ち付けるのだろう。何回も。

 それは嫌だ。痛い。

 横になれない朱里は、おとなしく胡坐で片方だけ立てた右膝を両腕で抱いて座り直した。

 全身を右膝に預け、膝頭に乗せた腕を枕にすれば、体が安定して揺れに邪魔されない。

 少し眠れる気がした。

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