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奴隷商

前回のあらすじ

ガインは狩りに、朱里は洗濯に。

洗濯帰りに襲われました。


 顔に当たる冷たい水の感触で朱里の意識は浮上した。


 まだ目は開けない。

 頭がガンガン痛み、通常の目覚めではないと本能が訴えてきていた。

 目を開ける前に何でもいいから情報が欲しかった。


 朱里はまず、手をそっと動かし自分が寝ている床を確かめた。次に、鼻を利かせた。最後に、耳をそばだてた。

 触感を、匂いを、音を、集めた。

 

 地面は固い。けれど、平らでざらざらしている。

 撫でると棘が刺さる様な痛みを訴えてきたので止めた。

 木の様だ。


 匂いはすぐに止めた。

 臭かった。

 朱里が知っている匂いの中では生ゴミが一番近い。鉄錆臭い血の匂いがしないのが救いだった。


 人の声がした。

 何を言っているのかは分からない。子供の声と男の声。

 遠くで雨が降る様な音も聞こえた。すぐに止まったので雨ではないだろうが。


 どこかは分からないが、人が何人か近くにいる家の中の様だった。

 そしてすぐさま身が危うくなる危険はないと判断した。


 ようやく瞼を持ち上げる事が出来た。


 最初に見えた天井は、鉄の棒が何本か横たわった向こうに木の支柱と支柱に支えられた板が見えた。

 顔を右横に向けると、やっぱり鉄の棒があり、その向こうに同じ様な部屋が斜交いに幾つか見えた。


 朱里からすれば頭の方、朱里の部屋から言えば左斜め前の部屋の中には若い男女と小さい子供がいた。

 先ほど聞いた人の声は彼らだろう。


 首を反対に振ると、木の板が立てられていた。鉄の棒はなかった。

 見えないだけかもしれない。


 上体だけ、起こしてみた。


 朱里は檻の中にいた。

 檻は三方に木の板が張り付けてあった。

 全容が見えなくて邪魔だとも、見える事もなければ見られる事もなくて有り難いとも思える。


 自分の体を見た。

 痛みはなかったから、怪我がないのは分かっていた。

 朱里は今まで着ていた服ではない、白い木綿の袖のない一枚布の真ん中に頭を通すための穴を開けただけのワンピースを着て腰に紐を巻いていた。


 他、一切の布地を着用していなかった。


 下半身がすーすーして落ち着かなかった。

 もぞもぞしていたら、向かいから声がかかった。


「起きたな。角にある箱が便所だ。他は商人に聞け。すぐ来る」


 男はそれだけ言うと、朱里に背を向けた。

 トイレに行きたいと思われ、気を使われたのはすぐ分かった。

 確かに少しだけ、気にならない程度に尿意はありはする。だが。


 木の壁の方に置かれた箱を見る。

 大きさはさほど無い。

 男は箱と言っていたが、木をくり抜いたものだ。

 蓋はあるが、箱の周りに囲いはない。

 するとしたら丸見え。拭く紙もないので、おっきい方をした際は始末をどうするのか謎のトイレだった。

 あれをトイレにカウントするならば。


 まっとうな現代人には到底許容できないトイレだった。


「嫌だろうが、あまり我慢すると病気になるし、その前に漏らすぞ。程々にな」


 やはりトイレに行きたいと思われていた。だがどうでも良かった。


 朱里は男の言葉を無視して、膝を抱えた。

 身を縮め、頭を膝頭にすり付けた。


 何故、こんな所にいるのだろう。

 何故、こんな事になったのだろう。


 (これからどうしたらいいんだろう)


 気を失う前、朱里は森の中で洗濯をしていた。

 男達が狩りに出かけて、女の人は外に出られなくなったから、人は少なかった。

 井戸を離れて、すぐ視界を塞がれた。

 それからの記憶がない。


 本当に井戸の近くだった。

 一緒に洗濯をしていた女の人はどうなったのだろう。

 彼女もここにいるのだろうか。

 なぜ、自分はここに連れてこられたのだろう。

 ここはどこだ。何日たった。

 人を檻に入れる商人とは何を売る人だ。


 (私、誘拐されたんだ)


 何も分からなかった。

 思考が不安を呼び寄せる。

 同時に、思考にまとまりがなくなり、何からどう考えたらいいのか分からなくなった。


 泣きそうだった。


 朱里は森の人である。転生者である。日本人である。現代人である。

 平和な世界しか知らないし、自分が檻に入れられるなど、想像でもあり得ない人生を送ってきた。


 人為的に不衛生な場所の匂いなんて嗅いだ事がない。

 プライバシーが故意に確保されない場所なんて行った事がない。

 自分の意志を無視した拐かしにも勿論、遭った事がない。


 漫画や小説の中でしかあり得なかった不幸が読者でしかなかった朱里に降りかかっていた。


 布を被った膝頭が水に濡れて冷たくなった。

 しばらく顔を上げられそうになかった。

 朱里は泣いていた。


 けれど、どこかの扉が開く音がした。

 だから、朱里は涙を拭いて顔を上げた。


 新しい展開。

 男が言っていた商人が来たのだ。


 人を牢に入れる商人。

 朱里の頭の中に浮かぶのは茶色のコートを着て鞭を持った太った男だ。

 きいきい甲高い声で怒るのだろう。

 言葉でなぶるのに喜びを覚える輩かもしれない。

 傍らには護衛の筋肉ムキムキの大男がいるのだろうか?


 果たして、朱里の商人のイメージは外れていた。盛大に。


「ごっきげんよぅ!お目覚めはいかがでっすかー?新たな私の商品ちゃーん!」


 歌うような声で、青と赤と白の、元の世界、大阪で有名な太鼓を首から下げている某人形かと言わんばかりに派手な服と帽子を着用した男が朱里の牢の前にくねくね踊り出た。


 朱里の口がぽかんと開いた。


「あらーん?まだしゃべれないのかしら?

 仕方ないわねー!怖い思いをしたのだろうし。

 けど!耳は起きてもらえるかしら?ここの説明をしないといけないの。

 待ってあげたいけど、アナタ、時間もないのよー。

 大丈夫?」


 確かに朱里は怖い思いをした。

 だが、男の存在がすべてをかき消していた。

 今、しゃべれないのは、全てこの男の存在による驚きのせいである。


 だが、朱里は言われるがまま、頷きを返した。


「まず、私は商人!

 アナタは商品!

 おわかり?」


 とりあえず、頷く。

 反論を返せるほど、男の存在に対する衝撃から抜けきっていなかった。


「アナタは森から売られてきたの。

 ホントは直接連れて行きたかったみたいねー。

 でも、それだと足が着いちゃうでしょー?

 だ・か・ら、ウチを経由して、今から砂のお貴族様に売られるのよぅ!」


 砂の貴族。

 朱里の心当たりは幼児趣味のあの男しかいなかった。

 名前はいつもの如く出てこないが。


 朱里の開きっぱなしだった口を閉じる。

 一端、口内を湿らせてから、商人に質問した。


「それ、私に説明してもいいの?」


 商人は黒縁丸眼鏡がきらんと光らせた後、にっかり笑った。

 ますますあの某人形にしか見えない。


「ダメねぇ。

 だから内緒よ?これからのことも内緒。

 これは私の店の規約。

 アナタにどんな理由があれ、アナタは私に売られる私の商品。私の店の規定に従わないとダメなのよ。

 でないと不良品として処分しなきゃいけなくなっちゃう!

 処分はイヤでしょ?

 大丈夫!

 ちゃんと私の商品として売られてくれれば、ちゃんと売られた後も様子を見に行って便宜は図ってあげるから!

 私は、生きている商品に限り、売ってお終いなんて商売はしてないの!最後まで責任を持って商品を売った後も商品の様子を見て回るのよ。

 だから、アナタも売られた後も規定を守って、私の商品として売られた先で生きてねー?」


 某食って倒れる人形のくせに、いやだからだろう、笑顔が怖い。口調も怖い。衣服のセンスすらも怖い。


 朱里は逆らっちゃダメな人リストにこの商人を入れた。


「規定って何?」


 商人は片足を上げてくるりと回った。バレエのダンサーのように。

 ずいぶん太っちょなダンサーだが。


「一つ、以下の事柄はすべて買い主には黙秘すること」


 商人が蹲踞の様に座った。

 目はじっと、朱里を見ている。


「一つ、買い主には基本、服従、逆らわない。

 一つ、自分が買われた用途を見極め、最適に振る舞う。

 一つ、買い主が飼い主足り得ない場合、脱走を許可する。

 一つ、逃げ込む先は私の店。

 一つ、逃げ込んできた商品を私は保護し、新たな買い主を用意する」


 朱里は息を飲んだ。

 商人は再び立った。

 体幹が全くぶれない。引っ張って伸ばすおもちゃの様な動きだった。

 怖い。


「後半、詐欺か窃盗じゃない?」


 それでも、朱里は確認する為に声を絞り出した。

 自分がこれ以上の厄介事に巻き込まれないように。命綱を断ち切らない為に。


「大丈夫よぅ!

 私は売るのが仕事。

 買われた後も商品の様子伺いには行くけど、面倒を見たり、逃げないように管理したりするのは、飼い主の責任。

 管理不足で逃げ出した商品は、もう誰の物でもないわ。落とし物よ。

 落とし物は、拾ってキレイにしたら拾った人の物よ。

 拾った物でも商品にして売るのは商人として当たり前よー!」


 檻の中におっほっほという女のような、でも低い男の声の笑い声が響いた。


 どうやら、この世界では、逃げた奴隷を他の人が拾ったら、買い主は所有権を失うようだ。

 だが、奇麗にするという表現が引っかかった。


「奇麗にって?体を奇麗に洗うって意味じゃないよね?」


 商人の眼鏡が光った。

 朱里はその眼鏡が自然光を反射しているのではないと気づいた。

 魔法だろうか?しかし今はどうでも良い。


「奴隷には奴隷紋が付けられるの。

 アナタの左手にも赤い模様があるでしょ?それね。

 今は赤いけど、売買契約が成立すれば、緑になるわ。

 その時そこに買い主名や売買条件、期間が登録されるのよ。

 それに従って、買い主は奴隷を養い、奴隷は働く。

 だから、奴隷契約が終了して奴隷を上がる時や、何らかの理由で転売する時は、しかるべき奴隷商に渡して、買い主名を消さないといけないの。

 まあ、そのしかるべき奴隷商とは私のことだけど!

 買い主名が違う奴隷の所有は当然、犯罪。窃盗よ。条件違反も罪になるわ。自分が奴隷落ちね。

 まあ、短期間でしょうけど」


 この世界の奴隷は、前の世界の奴隷とはだいぶ違うようだ。身分ではなく、罰の一環、もしくは仕事の一種。よく落ちたり上がったりできるもののようだ。


「だから、逃げ込んできた奴隷は、キレイにしてあげないと売れないの。

 だから、逃げるなら私の店でないとダメなの。

 そうすることで、私は元手ただの商品を手に入れ、売れる。

 逃げてきた奴隷は新しい良い飼い主と出会えて、まっとうに奴隷として働ける。

 ま、逃げた理由が奴隷の方が悪ければ、お説教して元の買い主に引き渡すけどね。

 でもそんなの、希なのよぅ。残念だけど」


 考え込む朱里を見て、商人は何を思ったのか、一つ息を吐き、それまでのテンションの高い話し方とは打って変わった真面目な声を出した。


「アナタは誘拐されて来たから分からないかもしれないけれど、買われて使われる生活しかできない人もここにはいるの。

 その人達にとってもこの規定はとてもいい規定なのよ」


 言って、商人は斜め向かいの家族を手で示した。


「彼らがそうね。

 彼らはまともに働いていては生きていけないの。学のない地方の土地なし身分なしの人間には良くある話よ。

 だから、自分達で奴隷落ちした。

 その際の彼らの条件は、家族まとめて買われたい。離れたくない。

 あぁ、犯罪や借金で奴隷落ちしたんでなければ、売買の条件を一つ付けることが出来るの。奴隷の権利よ。

 浚われて私に売られたあなたの場合は、私が売りに来た男達に払った代金を用意するか、一回売られて自らここに舞い戻ってこないと使えない権利だけどね。

 金額、聞く?」


 朱里は首を振った。

 今朱里の手持ちにいつも持っていた魔法鞄はない。あれば払えただろうが、あいにく、森のガインの家に置きっぱなしである。

 つまり、金額を聞いても、今の朱里にはどうしようもないのだ。

 なら聞く意味はない。


 商人も分かっているので、一つ頷いて話を続けた。


「彼らは自ら売られに来たから、条件を出すことが出来たわ。

 家族が三人ならまとめて買って貰えることはそう難しくはないの。

 買う方にしたって、まとめておく方が反抗も逃亡も防ぎやすいもの。返って三人位ならお買い得だわ。

 でも、彼らは買われた先でバラバラにされそうになったの。

 だから私の店に逃げ込んできた。

 もう三回目かしら。

 奥さんが美人だと大変ねー?」


 テンションが戻った商人に、朱里にトイレを進めた男は、余計なお世話だと言わんばかりにおならで返事を返した。


「よく三人そろって逃げられたね」


 朱里は素直に感嘆した。

 だが、その途端、商人の口から野太い笑い声が響いた。


「無理よう!そんなの絶対!

 彼だけ脱走して、支店の一つに逃げ込んできたの!

 私に助けを求めてきたから、私が買い主を潰してあげたのよぅ!

 報酬はそこにいた他の人達と買い主の財産。

 みぃんな、拾ってあげたわ。

 よく売れたわね。

 元買い主だけはちょっと売るのに手を加えなきゃいけなかったけど」


 おっほっほと再び野太い声が牢内に響く。


 商人は子供に語り聞かせる武勇伝の様に、否、商人からすれば武勇伝そのものなのだろう、自慢げに笑って顛末を語ってくれたが、朱里はどんなに気になっても、子供のように無邪気にどんな手を加えたのかとは怖くて聞けなかった。


 なじみ深い、食って倒れる人形の様相が更なる恐怖を煽っていた。


「奴隷商はみんな、あなたみたいな考え方なのですか?」


 商人はしばらく考えて、静かに首を振った。

 テンションの落差が酷い。


「私は異端みたいね。

 だからこそ、アナタも、安心して売られて脱走してくると良いわよ」


 茶目っ気のつもりなのだろう。最後の笑顔はいっそ魘されそうだった。

 

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