温泉
前回までのあらすじ
ガインに村を案内してもらいました。
温泉があるそうです。
いぇーい!
夜、ガインは約束通り、朱里を温泉に連れてきてくれた。
トゥリーを抜けた奥に大きな木の建物が二棟。男女別のようで、入り口には大きく『男』『女』と書かれている。
朱里には読めなかったので、ガインに教えて貰った。
そろそろ字の勉強も始めなくてはと朱里は心のメモ帳に書き込んだ。
ガインにざっと温泉の使い方を教えてもらい、小屋に入った。
まず入り口で履き物を脱ぎ、中の籠に荷物を入れる。
次に湯あみ着という、ズボンの無い手術服のような裾が長くて薄い服に着替える。
ガインが用意してくれたのが青色だったために余計に手術服感が強い。だが、この森では、女達は肌を他人に見せるものではないらしく、温泉といえども服着用なのだそうだ。
この点は村々で違うらしく、日本の様に裸で入り、布は入れないという所は勿論、中には混浴の所もあるらしい。
次の扉を開けると、洗い場になる。
裸を見せてはいけないので、個別の狭い部屋が並んでいた。
上から雨のようにお湯が降っているので、シャワールームだろう。
湯量は多く、雨ならばちょっとした夕立かスコール並だ。
中に入れば目は開けづらいが、服を脱いで布で体を拭いていく。
毎回、身体を洗う際は石鹸が欲しくなる。が、あれは高級品。我慢我慢、と朱里は毎度のように自分に言い聞かせながら、頭から足の先まで出来るだけ丁寧に洗った。
服を着て、シャワールームから出て奥に行けば、目指す温泉である。
背の高い木の塀に囲まれて、屋外に石畳の道が作られ、石を辿れば、岩に囲まれた温泉に入れる。
温泉の底も石畳になっており、座っても湯浴み着が土で汚れるということはなさそうだ。
深さも丁度良く、利用者も他にいなかったため、朱里は場所を選ぶことなく、すぐに座り込んで足を伸ばした。
「はぁー、気持ちいいー」
久しぶりに使ったお湯は、やや温め。だが、外気温がそこまで低いわけではないので、寒くはない。むしろ長湯するための温度ともいえる。
体中の筋肉が弛緩するのが分かる。
緩やかに眠気のような心地よさが頭を支配する。
「あぁあぁ~」
朱里は心地よさに声を上げた。
「こんなに広い温泉を独り占め。これは泳ぐしかないのでは?」
朱里は完全に一人きりの気分だった。
沸き立つ気持ちのまま、腰を上げ、地面を蹴って少しだけ控えめに泳いでみる。
お湯が服と体の隙間を撫でていく感触が気持ちよかった。
「おお~!」
朱里は声を上げた。
テンションがあがってくる。
次は背中をお湯に漬けて仰向けにお湯に浮かんでみた。
目の前に星一杯の夜空が広がった。
「た~のしい~!!!」
朱里は夜空に向かって宣言した。
ここは朱里一人だけの楽園だった。
「お、もう入ってたのか」
だから、突然聞こえたガインの声に飛び上がったのは仕方がない。
驚いた朱里は湯の中で中腰になり、きょろきょろとあたりを見渡す。だが当たり前だがガインの姿はない。ということは。
「えっと、こっちですか?」
朱里は、一番近い壁に近寄って、軽く叩いた。
「おう、こっちだ」
反対側から、ガインの声と、同じく軽く叩かれた音がする。
「そちらは男湯ですか。木の板一枚で隔ててあったんですね」
よく見れば、男湯との境であろう、板と岩の間に隙間が空いている。
「覗かないでくださいね」
「覗かねーよ、馬鹿」
即座に帰ってきた声に、朱里は笑っていた。
そのままそこに座る。
勿論、空いた隙間は見ないように、板に頭を預けて。
「良いところですねー」
特に話題もないので、とりあえず温泉を誉めた。
「だろう?」
見上げれば、夜空にたくさんの星。板の天辺には種類は分からないが木が枝を伸ばしている。目を凝らしても脳内知識が反応しないので、食用ではない木だ。
耳を澄ませば、風と洗い場に落ちる水の音。それから、人の声。
「?」
朱里はもう一度耳を澄ませた。
やはり人の声が聞こえる。
こちらの女湯には誰もいないのに。
「あのー、そちらは人が何人かいらっしゃるんですか?こちらは誰もいないんですけど」
気になったので聞いてみたら、
「ああ、基本そっちは、未婚の女が使う方だからな。言ったろ?結婚したら女は家を出ないって。こっちは狩り帰りの男衆がいるんだよ」
あっさり衝撃的な答えが返ってきた。
「結婚したら温泉は入りに来れないんですか!?」
思わず立ち上がって振り返る。
そこにガインの姿形はありはしないし、こちらの姿も勿論見えはしないのに。
「まあ、そう、なるな?」
声だけで分かる。
ガインは引いている。
だが、朱里にそんなことは関係ない。
「なんて事だ。私、一生結婚なんてしません!」
「おい、温泉ごときで一生の大事を決めるんじゃない!」
「だって!なんでですか!不公平じゃないですか!温泉……、おんせん……!」
思わず涙が出た。
朝、朱里は、温泉があると聞いてそれは喜んだ。とても喜んだのだ。なのに、結婚したら入れないなんて。
(否、待って)
朱里は考えた。
「言って置くが、この村じゃなくても、結婚した森の女の外出は洗濯だけだぞ」
「ジーザズ!!!!」
思わず前の世界の言葉が出た。
「?なんて意味だそりゃ?」
案の定聞かれたが、
「ちくしょうとかなんてこったとか言う意味です。多分。方言か何ですかね?」
誤魔化した。そんな場合ではないのだ。
「何でですかー!糠喜びですかー!せっかく温泉があるのに!結婚に!夢が!持てない!」
朱里は板塀に鬱憤を叩きつけた。
一発では足りないので何発も叩いた。
「そもそも何で既婚女性が外出禁止なんです!?良いじゃないですか!心配なら旦那同伴すれば!問題ないじゃないですか!」
心から思った。
この種族は失敗だったかもしれない、と。
それを後押しするかのように、
「それはないな」
「他の人の目に入ることすら嫌なのに、同伴だから良しとはならねぇよな」
「だから閉じこめてるんだろ?」
「そもそも洗濯で外出すのだって嫌なんだぜ。本当は」
いつの間に来ていたのか、そもそも防音などかけらもないから最初から聞こえていたのだろうが、ガイン以外の男の声が聞こえた。
「だから言っただろう?」
朱里は甘かったのだ。
「森の人間は愛情深いって。
まあ、お前は自覚がまだ追いついてないみたいだが。少人数で暮らしてたって言う弊害かね?」
森の人の愛情とやらを甘く見ていた。
「おんせん……」
とりあえず朱里は決意した。
結婚する前に、行きたいところには行っておこう、と。
「まあ、ここにいる間は堪能しておけ。な?」
「はい」
ガインの言葉が身に染みた夜だった。
一方、こちら男湯前。時間は二人が小屋に入る直前。
朱里を見送ったガインは自分の暖簾を潜った。
途端、にぎやかな低い声がガインを出迎える。
「おう!噂の奴が来たぞ!」
どうやら、ガインは自分の噂話の真っ最中に入ってしまったらしい。しかも、どんな噂かは大体予測が付く。なにせそう動いたのはガイン本人だから。
「はいはい。時の人が来たぜー。もう一人も来てるから、向こうに聞こえない程度に頼む」
ガインは手を振り振り、籠を取って、服を脱いだ。
「なんだ?聞かれちゃまずいってか?」
「攻略中なんでね」
「そりゃまずい。おーいお前ら!向こうに聞こえんようにな?」
騒ぎが少し収まった。
「で?」
ガインの周りにがたいの良い男達が集まる。
「集るなよ。暑苦しい」
ガインは嫌そうな顔を周りに向けたがそのくらいじゃ男達は引かなかった。
「隠すな隠すな。希望の星!」
「そうそう、狩りに熱中する余り、婚期逃した我らが村長殿!」
「貴様は是非にでも、あの女性をどこで捕まえてきたのか、俺らにも望みはあるのか、答えねばならん!」
そう、つまりは、ここにいる男達は女性に選んで貰えない間にあぶれてしまった独り身達なのだった。
「俺も早く、嫁さんと家の風呂に入りてーんだよ!」
一様に頷く男達。
彼らの家に風呂がない訳では勿論ないし、独り身が家の風呂を使ってはならない決まりなどない。
では何故彼らが、温泉に来ているのか、逆に、既婚者達が温泉に来ないのか。
「一人入るだけなのに毎日風呂の準備とか面倒でやってらんねーよ!せめて、嫁といちゃつくために準備したい!」
そういうことだ。
朱里がいた世界の日本ではないのだから、この世界にはお風呂用洗剤もスポンジも水道も、ましてや給湯器なんて論外でないのである。
風呂に入りたいなら、水を汲んできて、そこらを雑巾で水拭きして掃除。その後、再び水をくみ、薪で湧かし、風呂釜にお湯を移す。そして、入った後は、風呂釜が痛まないようすぐお湯を抜いて、抜いたお湯を捨てに行き、風呂場を乾かさねばならない。
現代日本在住者でなくても、すごくめんどくさい。とても毎日、自分一人のためだけになどやっていられない。
だが、幸いにも、この村には温泉が湧いている。
そんな訳で離れ難い嫁のいない男と、故あって独り身で保護者のいない一人暮らしの女達は、こぞって温泉を利用するのだ。
ついでに出会いも求めて。
しかし、
「うち、年頃の独身女、いねぇもんな」
ガインの言葉は即座に否定される。
「うちだけじゃねぇだろ」
「近隣全部、独身女は幼女か老女だろ」
より悪化して。
「なんで男だけあぶれんだよー!」
「幼女は保護者が怖ぇしよー!」
「老女は見た目若くても本人が怖ぇしよー!」
あぶれた独身男達の嘆きは深い。
「で、どうなんだ」
ガインは詰め寄る男達にため息を吐いた。
「育ったところは草原よりの生活だったらしいから、森の人間は少なかったか、ほとんどいなかったようだ。
兄と共に村を出てるんだが、その兄ともつい最近離れたらしくて、一人旅の練習中だった所を勇者と別行動中の連れ共に拾われて、そいつ等が勇者の後を追うってんで、連れてけなくなった所を引き取った」
「つまり、」
「親類縁者は既婚者しかおらず、村らしい村に所属したこともないはぐれ森の人だった」
「「「「ちくしょーーー!!!!!」」」」
男達の雄叫びが上がった。
男達が打ち沈む中、ガインは悠々と洗い場へ向かった。
だが追いかけてくる男が一人。
「なあなあ、お前等まだデキてないんだよな?デキてたらここに連れてこないもんな?」
ガインの目が険しくなる。
「ああ」
それに男は気づいているのかいないのか、男は軽く話を振った。
「じゃあ俺も声かけて良いよな?」
瞬間、男が温泉にたたき込まれた。
水柱を上げ、温泉に沈む男に沈んでいた男達が呆れた目を向ける。
「ばっかでー」
「誰も口にしなかったことを言えるお前を尊敬するが憧れない」
「ガインに勝てねぇから、他紹介してって話てんじゃん」
「朋よ、安らかに眠れ」
だが、たたき込まれた男はすぐに立ち上がった。
「女の声がする!」
男はとても水の中にいるとは思えない機動力で以て、奥にある女風呂との境の板壁に張り付いた。のを、呆れる機動力で追いついたガインに引き剥がされ、反対側に投げ飛ばされる。
男達は見送った。
板壁を越え、木々を越え、闇夜に消えた男の裸体を。
だが、すぐに、意識は奥の板壁に向かう。
あの向こうに、ガインの唾付きではあるが、独身の女がいる。
無視できる男はここにはいない。
そして聞いてしまった、少なくともこの森の女の口からは絶対に出てこないであろう言葉の数々。森の人としての常識から外れた人に対する執着の薄さと反比例する温泉への愛。
「少人数で暮らしてたって言う弊害かね?」
ガインの言葉に男達は、壁の向こうにいる森の女の幸せを甘受出来そうにない同族の女性に哀れみを抱いたのだった。
そして、アレは無いとガインの苦労に満ちるであろう前途に幸多きを祈りつつ、情が湧かない内に距離を取ろうと決めた。
この後、ガインは女日照りの余り道を誤ったと言われるようになる。
20.4.30 改稿




