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帰郷

前回のあらすじ

舟に酔った。

薬が切れた。

朱里は動けない。

「怪談が洒落にならないな」


 ルイス曰く、舟を出す前は、この植物系魔物はいなかったそうである。

 怪談の話がフラグだったと朱里は納得した。


「おーおー、紐で括っといて正解だな」


 ガインは、朱里の背中をぽんぽん叩いた。正確には、朱里の体をガインの体に括り付ける紐と言うよりロープと言った方が正確な太く堅い綱を。


 木の影で見えなかったが、朱里達を運んでくれた渡し舟は、近くの小屋に収納されていた。

 その小屋には、救助のための紐や浮き輪、包帯や薬なども置かれていた。

 長期閉業するということで食料は撤収ずみだった。


「手は空けておきたい」


 ガインの要望の元、ルイスとリグはその小屋からロープを持ってきてくれた。

 それで朱里をガインに括り付ける。

 その間、朱里は痛みをひたすら耐えて、悶えることになったが、済んでしまえば、しっかりと支えるようにロープに括り付けられた体は安定し、力を抜くことが出来たので、筋肉痛も耐えられる程度に収まった。

 代わりに朱里は手も足も動かせないが。


「走りがいがあるねぇ」


 ガインの肩に顎を乗せた朱里に耳の後ろで、嬉しそうなガインの声がした。

 むずむずするので体が動きそうになる。

 是非ともしゃべらないで頂きたいと朱里は思った。

 しゃべるのも辛かったので思うだけに止めたが。


「基本、俺達が魔物は討伐する。お前は出来るだけ戦うな」


 ルイスが言うや剣を抜いた。


「数多いから、がんばろうねー」


 わざわざ、朱里の視界に入って声をかけたリグは棍棒を持っている。


「頼む」


 ガインの言葉と共に二人が先行して走り出した。

 二人の背中があっという間に小さくなる。ということはない。

 朱里は痛い思いをして後ろ、ガインからすれば正面、を振り向く気はなかったので、一瞬にしてガインより後ろにいた二人が消えた様に見えたが、背中の方の割と近い所から、ばきどがごきっと破壊音がした。

 音は確実に遠くなっていくが、絶えることはない。


 植物系魔物は動く物は皆、強弱に関わらず、捕食対象になるようだ。

 さながら反射で動く食虫植物のように。


「さて行くか」


 朱里の方も、背中をガインの左手に支えられ、景色が前に流れ出した。

 ガインが走っているのだ。

 まるでトラックの荷台から後ろを眺めるように風が背中に当たり、木々の合間から見えていた川が小さく、光の線になっていく。


「しゃべるなよ」


 言われて、体にかかる重力が横からになった。

 紐が食い込む。

 痛いと思うまもなく、横にかかる重力は消えて、ずどんとした振動が体に響いた。


 ガインは、なるべく丁寧に朱里を運ぼうとしていた。

 だが、ルイスとリグの攻撃をすり抜けて木の根が飛んでくれば、そうも言ってられない。


 横っ跳びで木の根を避ける。

 足を着いてすぐに上に飛ぶ。

 土の中から、ガインの足を追う様に別の木の根が飛び出した。

 その木はルイスが切った。


 先行している二人は向かってくる全てをなぎ倒しているので、進みは遅い。その分、ガインも回避行動を取ることが多くなった。

 それは、朱里の負担増大を意味していて、


「もうちょっと早く走ろっかー。いろいろ無視してさー」


 リグが大木を殴り倒してにっこり笑った。


「そうだな。早さを優先しよう」


 ルイスがガインを、彼に括り付けられた朱里を確認する。


「大丈夫だ」


 朱里は、器用に頬や額、首は赤く、尚且つ全体的には青白い顔でぐったりしていた。

 が、ガインが力強く、保証した。

 それは朱里の体調が、というよりはガインが着いて行けるという意味だ。


 ここでぐずぐずしていても朱里は悪化する一方なので、朱里の状態を無視しても早さを取ったガインの判断は二人にも受け入れられた。


 そこからは一応意識はあった朱里は、目を瞑って酔わないよう、吐かないよう努力していた。

 舌を噛まないように口を閉じ、紐でしっかり括り付けられているとはいえ、突然かかる縦横の重圧に耐えるようガインにしがみついた。


 時折、そんな朱里を誉めるように宥めるように、ガインが朱里の頭や背中を撫でた。


 朱里にとってはようやく、他三人からすれば案外早く、ガインの故郷・クノ村の入り口が見えた。


 ただし、見えただけ。


 アルマジロのような茶色い、しかしグレートデン並にでかい魔物が、体を丸め、直径2メートル程の球体になって、村を囲うマールの林に体当たりしていた。

 それはもう、ボーリングの玉ようだった。

 ただし、ピンであるマールの木は倒れない。間をすり抜けることもなく、ボールである魔物が当たる度弾き返している。


「すげぇ光景だな」


 ガインの喉がごくりと音を立てた。


「あそこに向かうのか」


 ルイスの声が緊張をはらんで強ばっている。


「リゲリードって凶暴でやっかいだよねー」


 リグは笑っていたが、声が低くなっていた。

 そして朱里は、


「リゲ、リード。皮は、硬いとこ、剥、いで、油で揚げて、塩、振ると、おつまみ。肉は、鳥味。いろいろ、使え、る。べんり、しょくざい」


 ガインは目覚ましを叩くように朱里の頭を叩いた。


「しゃべるのもしんどい奴がこんな時まで食欲発生させるな」

「だ、って。りげ、りど、たべたい、です」

「お前のその食に対する執念はいっそ賞賛してやるぜ」


 結果として朱里はリゲリードの肉を手に入れられなかった。


 三人は戦闘を回避して村に入った。

 具体的にはリグがリゲリードを引きつけ、その間にガインとルイスがマールの林の内側に入る。

 その後、内側でルイスがリゲリードを挑発し、その隙にリゲリードの居ないところからリグがマールの林の内側に入った。


「僕らは引きつけながら自分の家に帰ってもよかったんだけど」

「帰る前に日が沈むな。リゲリードを捲いて帰れるかも賭だ」

「お世話になるよ」


 二人はガインに頭を下げた。


「宿泊所に案内してやるよ」


 その三人の会話の記憶を最後に、朱里は意識を失った。




 筋疲労により出た熱は高く下がらず、体中の筋肉が悲鳴を上げた痛みは朱里の無意識を苛み、疲れ切った意識は夢現の間で常に朦朧としていた。


 やがて痛みは緩やかに引き、熱が下がり始めて、ようやく朱里の意識は夢の世界から戻ってくることが出来た。


 意識が戻って初めて見たと認識できたのは、蚊帳だった。

 薄黄色い生成の糸で織られた蚊帳の中に朱里はいた。


 今までの景色と全く違う光景に、朱里はここがどこか、自分が今まで何をしていたのか分からなくなった。硬直したまま心だけ慌てふためいた。

 けれど、ここがガインの地元のクノ村で、辿り着いて意識を失ったのだと思い出せば、落ち着いて周りを見る事が出来た。


 まずは目に入った蚊帳である。

 よく見れば、蚊帳の向こうが透けて見えた。

 奥に見えるのは天井、なのだろう。ドーム型に広がっているそれはどう見ても木の根だった。

 ボコボコしていて決して綺麗な円形ではないし、上の方は暗くてどうなっているのかよく見えないが、根が何本か降りてきている。


 朱里には経験がないが、木の根を下から見上げたらこんな風だろうと思った。


 天井から沿って視線をおろせば、足根は途中から土に埋もれ木の板が立てられていた。板は隙間無く立てられ、部屋を囲っている。


 壁に沿って反対側に首を動かせば、見えにくくはあったが、朱里は、自分が、出入り口と思しき階段から、土間を挟んで、この家の敷面積の半分以上を占める板の間の、一番奥の壁際、一段高くなった畳の上に、布団を敷かれ、寝かせられていたことが分かった。


 ついでに、一番奥だったからこそ、この薄暗い家の主が、今、この家に居ないことも分かった。


 出入り口だろう階段の左横には竈や調理台、水瓶らしき物があり、右横には貯蔵されているのだろう食材やいろいろ使い方の分からない物も含めた道具が、雑然と、だが取り易く置かれている。


「ピーターラビットの家かな」


 一取り見終わって、朱里の口は思ったことをそのまま口から出した。

 ただし、和風である。


 朱里は次に耳を澄ませた。

 家の中は静かで外の音が聞こえなかった。

 しかし、これが木の根を屋根とした地下に家があるが故の防音効果か、外も静かだからなのかは朱里には全く判断が付かない。


 朱里はため息を吐いた。

 そうして上半身を勢いつけて起こす。


 家の中は日の光が入らないため、そこかしこに照明用の行灯が置かれている。

 それでも薄暗いのだが、生活に支障はなさそうだ。

 特に寝起きの朱里にとって行灯の明かりは目に優しい。

 だが、日の光がないので、今が夜なのか昼なのか朝か夕方か、全く分からない。


 体調はすっかり良くなっていた。

 軽く腕を動かしてみたが、動くのに支障はなさそうだった。

 朱里は、これからどうするか考えてみた。

 だが、ここは十中八九ガインの家だろうが、家主不明で不在の人様の家である。


 朱里は下手に動けなかった。


 ならば、朱里が今出来ることは一つしかない。

 ガインを待つ。


 家を出ることも考えたが、今、朱里は迷惑をかけている身である。

 外の状況も分からない。

 万が一、すれ違いや迷子、その他の理由も合わせて、さらなる迷惑を引き寄せるのは望むところではない。

 なのでおとなしく待った。


 偶に横になったり、壁から出ている木の根に触れてみたり、蚊帳を叩いてみたりしながら待った。

 ちなみに蚊帳を叩いたら木くずと土らしきものが落ちてきた。この蚊帳は虫除けではなく、ゴミ除けだったようだ。

 朱里は叩くのを止めた。


 待っている間、暇は暇だったが、幸いにして、ガインはそれほど待たずに帰ってきた。


「お、目が覚めたか。起きて大丈夫か?痛みは?」


 階段を下りてきてすぐに、上体を起こしている朱里に気づいたガインは、言いながら、手に持っていた荷物、おそらく食料を階段下りてすぐ右の物置き場に投げるように置き、履いていた靴を脱ぎ捨て、朱里のいる蚊帳の中に入ってきた。


「おはようございます。

 お世話お掛けしました。痛みはもうありません」


 朱里がガインの問いかけに答える間に、ガインは朱里の傍らに座り、朱里の額に手を置いた。


「ああ、熱もないな」


 ほっとした声と共に額に置かれた手が離れた。


「ところで今の状況をお聞きしても?」


 ガインが語ったことによると。


 朱里は二日ほど意識が無かった。

 だが時折、意識が浮かぶことがあり、その半覚醒のいわゆる寝ぼけ状態の時にガインが水や食事をとらせていたという。


 一緒に来たルイスとリグは、あの後一泊し、村の人達と共に討伐したリゲリードを手みやげに自分達の家に帰った。

 朱里のことを気にしていたが、元が筋肉痛なので、そして側にガインが居たため、朱里の目覚めを待つことはしなかったそうだ。


「まあ、回復して良かった。

 一応飯を食わせてたとはいえ、少ししか食わなかったからな。

 死なれたらどうしようかと思ったぞ」


 余程面倒と心労を掛けたらしい。

 ガインのほっとした顔に朱里は申し訳なくなって頭を下げた。


「すいません。

 自分でもそこまでひどいことになるとは思っていませんでした。所詮筋肉痛ですし」


 今回寝込んだのは、多分だが、まあ十中八九、薬のせいだろう。

 薬を飲んだ後、そこまで激しい動きをしたわけではないのだが、それでも反動は、元の筋肉疲労に合わせて倍加して返ってきたようだ。

 副作用はないと脳内知識が言っていたが、反動まで考えていなかったのは朱里の手抜かりである。


「不調を侮るのは良くなかったな。例えたかが筋肉痛でも」

「はい。反省します。今後、筋肉痛ごときでも、安易に薬に頼るの止めときます」

「だな」


 二人は反省した。

 振り返って考えてみれば、ナン村を抜け出すのに、朱里がしたことと言えば、宿屋から飛び降りただけである。


 峡谷近くの渡し場から観光用の渡し場までは歩いたし、食事の用意などもしていたが、肝心の逃走中はガインに抱っこされていたし、森の中でも、ガインに抱えられていた。

 ついでに言えば、薬を服用する前の痛みは、森の中で動けなくなった時より軽かった。

 ガインの所見、朱里の体感双方共通意見として。


 二人の間に沈黙が落ちる。


 ((薬、要らなかったんじゃあ……。))


 二人は口に出さずとも同じ事を思っていた。


「さて、動けるようになったなら、村を案内しようか?

 お前、森の人の村は初めてなんだろう?」


 朱里は頷いて、立ち上がった。しかし、


「服、どうしましょう?」


 朱里は今、生成の手術服、もしくはズボンが無く裾が長い甚平の様な服を来ていた。

 勿論朱里の私物ではない。でかい。


「あ、おまえの服、洗ってこの行李に入れてあるからな。鞄も入れといた。

 これ、お前の私物入れに使って良いから。

 着替えはそっちの風呂場で頼む」


 ガインは、朱里が寝ていた布団の足下に置いてあった行李を朱里に渡した。

 そして朱里が寝たまま眺めていたときには気づかなかった、台所の隣の壁にある同色の木の扉の前に案内した。


 朱里は行李を持ってその扉を開けた。


 そこは白木が床に敷かれた狭い部屋があった。

 奥に一段下がった部屋がもう一つある。

 部屋に入って奥の部屋を覗いてみれば、中には人が入れる大きさの木の丸太が中身をくり抜かれてちょっと高い床の簀の子の上に置かれていた。


 これが風呂かと朱里は興味のまま覗き込んだ。


 今はお湯も水も入っていなかったが、蒸し風呂ではなく、湯を貯めるお風呂である。木であるため、湯を沸かす為の竈は付いていないが、お湯を溜めて、人が浸かる、お風呂、である。


 朱里のテンションが上がった。


 朱里はお風呂が好きだった。

 毎日入るのは面倒だし、掃除は大変だと思うし、一人暮らしだったので水道代が気になって、早々、湯船を溜められなかったが、シャワーより出来れば湯船に浸かりたい位には風呂が好きだ。


 そも、銭湯、温泉、ホテルの大浴場。

 日本にはお風呂がもてなしという考え方からか、お湯に浸かれるお風呂が多い。

 それに個人宅には必ずと言っていいほど、湯船がある。


 供給があるならば、それに見合うだけの需要という名の風呂に萌えを感じる日本人がいる。

 朱里はその日本人だった。


 そして、いちいち流れてくるのでいちいち気にしなくなっていた脳内知識によれば、草の人は蒸し風呂が一般的だが、森の人は、湯に入るのが一般的だという。


 朱里は歓喜した。

 ここで喜ばねばいつ喜ぶのかと喜んだ。

 森の人を選んだ自分を誉め讃えた。


 だって、朱里はガインに強くしてもらうためにここにいる。

 修行は一日で成せるものではない。それ以前に体力がない。

 しばらく、ガインの家に泊まることになるだろう。

 私物入れも渡されたし。長期滞在の構えである。

 つまり、今夜は、この桧かどうか分からないが丸太風呂に入れるのだ。


 朱里は、着替えることを忘れて、しばらくその喜びに浸った。


 しかし、落ち着けば、湯を沸かすにはどうするのかという考えに至った。

 だってこの風呂、沸かす設備が付いてない。水道も蛇口もない。ただくり抜かれ、底に水を抜く穴がついているだけの丸太である。


 周りを見渡した。


 洗い場を挟んで丸太風呂の反対隣に竈があった。そこで湯を沸かして、丸太風呂に移し入れ、風呂に入るようだ。

 しかし水道はない。

 代わりに水瓶が置いてあった。今は空だが。


 思い返せば台所。階段に一番近い所にある洗い場の台の上には、有名な某森の妖精の出てくる二人の姉妹の家の台所のように、小さめのポンプがあった。

 ポンプの乗った台の下は隠すものがなかったので丸見えだったが、水瓶というか水桶が設置してあった。

 竈の前にもやっぱり水瓶があった。多分、防火用。


 これら水瓶、水桶にはやはり毎日外から汲んできた水を入れたり、外へ持ち出して洗ったりしなければならないのだろう。


 朱里は思った。

 現代って便利だったな、と。

20.4.30 改稿

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