森の中
前回のあらすじ
シラサイトに道を塞がれました。
そうだ、観光ルートで森に入ろう。
じゅうっと黒いフライパンの上を黄金の卵液が走る。
同時にフライパンがゆらゆらと揺れ、黒い鉄は黄色く覆われた。
そこに茶色いシラサイトの蒲焼きが入る。
完全には固まっていない卵はシラサイトの蒲焼きを包み込むように巻かれ、あっという間にフライパンから下ろされた。
「よっし!出来ましたよー」
朱里は皿に移ったシラサイトのうな巻きを持って、すでに麦飯とスープが置かれた茣蓙に上がった。
「おう。待ちかねたぜ」
一人、周囲を警戒はしながらも茶を啜っていたガインは、目尻を下げて朱里を歓迎した。
「ではどうぞ」
二人の真ん中に置かれたうな巻きは、湯気を立てて見るからにふかふかの身を晒している。
包丁一つ入っていないその身体にガインが箸を入れた。
ゆっくり沈む箸先。
じわりと焼き切れなかった卵液とシラサイトの蒲焼きの汁が浮かぶ。
沈んだ箸を引き上げて切り取った身を持ち上げ口に運べば、
「うはぁ、うめぇえ!」
しばらく咀嚼していたガインが呻いた。
「卵自体に味付けはしてないんですけどね」
「蒲焼きのたれが旨い!」
もっとがつがつ行くかと思えば、意外にもガインは何回も咀嚼を繰り返し、口の中の卵が無くなるまでうな巻きを味わって食べた。
「麦飯とスープもどうぞ」
そう勧めつつ、朱里も麦飯を口に運ぶ。
米よりしっかり歯ごたえのある麦はもっちりしており、初めは味気ない。だが、よく噛めば、甘みが顔を出し、麦を口の中に残したまま、スープを含めば、麦がスープの水分を吸収し、スープの味を纏って更に舌を喜ばせる。
ちなみに、スープは油で揚げたスカルの足で出汁を取った。そのまま具としてスープの中を一口サイズとなって泳いでいる。
揚げる前はかなり硬いスカルの殻は、揚げる用の鍋に入る程度にガインに頼んで叩き割って貰った。
高めの油で揚げてしまえば、さして歯に力を入れなくてもかみ砕ける程度の硬さになった。
こりっとしてぴりっとして胡椒のような味だ。
「ちっと辛すぎねぇか?」
スープを口に流し込んだガインの眉間に皺が寄った。
「入れすぎましたか?
トーメとクコの実が入っているので、がっつり入れないと味負けするなと思って入れてしまったんですが」
味見をした際、脳内に流れるレシピ通りだと今一すっきりしなかった朱里はギフトのアレンジ能力で自分好みに仕上げた。
しかし、レシピは一般的な味覚に合わせたものであるので、アレンジしたスープは一般的味覚からは外れる。
朱里はおいしくなったと思ったのだが、ガインはそうでないこともあるだろう。
「辛いの苦手なら、」
「いやいい」
別にノーマルなレシピで作り直そうかと聞こうとしたが、それはガインに遮られた。
「ここまでぴりぴりするスープが初めてだったから驚いただけだ。
後味はむしろ甘いな。癖になる」
ガインの持つ椀はすっかり空となっていた。
注ごうと手を出す朱里を制してガインは自分でお代わりを注いだ。
「お前と居ると驚きの味に出会うな。だが悪くない」
お代わりを飲んだガインが子供のような笑顔を見せた。
思わず朱里も釣られた。
「いっぱいお召し上がりください」
「おう!」
二人は時間的には遅くなってしまったが、おいしい昼食を存分に堪能した。
「さて」
後片づけも済んで落ち着いて。二人は、
「現実逃避もこれまでか」
彼らの目の前に広がる、舟の渡し場の「しばらくお休みします」の立て看板に向き合った。
「せめて舟が残ってればなぁ」
舟の渡し場には桟橋はあるものの、舟はない。
朱里達側にも、向こう側にも。
どうやら、完全に引き上げたようだ。
つまりは長期完全休業の構えである。
「泳いでは行けないですよねぇ」
川の水面はきらきらと光っている。
眩しくて深さは測れないが、水量があり、川幅もある。そして何より、
「魚に食われるな」
タイミング良く、大きな魚が跳ねた。
鯉より大きい。
あれが泳いでいるという事は、つまり、深さもそれなりにあるということである。
「アレ食べれないんですよねぇ。レシピが見あたりません」
朱里は、残念そうに跳ねた魚を指さした。
「ゴキリウスはあるのにか」
「一部薬ですからね、アレは。卵はおいしいですし」
二人はとりあえず川辺から水の中を眺めた。
清く透明な深い川の中を優雅に暗紫色の魚が泳いでいる。
顔には出目金のような飛び出した目がいくつもあり、それらが頭に集合している様はランチュウやオランダ獅子頭などの金魚の頭の肉瘤の様だ。
その身体には鱗の代わりに暗紫色の人の手足が沢山蠢いている。鰭はない。この手足が鰭の代わりなのだ。
この怪魚、名もカイギョらしい。
脳内知識に出てこなかったので、図鑑を取り出して調べた。
大峡谷から川を遡って偶に出る。
討伐ランクは赤。
朱里の目の前にはわんさかいるのだが。
赤ランクどころか青ランクが手を拱いているのだが。
「食べるには姿形が気持ち悪すぎますかね?」
食べれないなら用はないが、毒でも薬でも脳内知識に引っかからないなら、食べられたことが無いだけかもしれない。
朱里はよく見ようと川を覗き込んだ。
川は怪魚の開いた口から見えるトゲトゲの鮫のような牙に日光が当たって煌めいている。
遠目からでも川が眩しいほど輝いていたのはこのせいだったようだ。
綺麗な光景が一気に恐怖映像である。嬉しくない。
それによくよく見れば見るほど、気持ちが悪い。
特に鰭代わりの人の手足は食欲を減退させる。
「あんまり覗き込むな。飛ぶぞ」
朱里はすっと身を引いた。
さっき飛び跳ねたのを見たばかりであったので、飛距離がかなりあることが分かっていた。
興味関心はあるが、あの牙に噛まれたくはない。
「さて、どうやって渡るかね」
ガインはやるせないため息を吐いた。
川は飛び越えることが出来ないほど広い。
足がかりとなる岩もない。
「シラサイトとどっちがましでしたかね」
朱里も良い案が浮かばず、頭を掻いた。
どうするでもなく川を眺めていた二人だが、見ている内に対岸の木が動いているのに気が付いた。
「おいおい、また魔物か?」
言って、ガインは警戒を強めた。
だが、現れたのは人だった。
「お、誰か対岸にいるぜー。
観光客はー今ーお断りだぞー」
妙に間延びした言葉は大声を出すためか。
出てきたのは男で遠目で見えにくいが耳の形から森の人だと分かった。
「観光じゃねーよ!
峡谷の方の渡しにシラサイトが居て渡れねぇからこっち来たんだ!
舟を出しちゃくれねぇか!」
ガインも大きな声で答えた。
朱里は軽く耳を塞いだ。
「今ー森の人間もー村の奴以外ー制限中ー」
「クノ村のモンだー!」
「あーいこーとばー」
ガインは怒鳴るような声なのに相手は歌う様に声を出す。
「合い言葉?」
朱里は当然知らない。
ガインが舌打ちした。
「だっから、面倒なんだよ」
小さい声で悪態を吐く。
普通にしゃべっても聞こえる距離ではないのだが。
「森ー」
向こうから合い言葉であろう単語が投げられた。
「峡谷ー」
ガインが返す。だが、
「はっずれー!」
男はさよならというように両手を振った。
朱里はガインを見上げた。
だが、ガインはずっとしかめっ面のままだ。
本当に間違えたのか。間違えたらどうなるのか。これからどうするのか。全く考えが読めない。
しかし、
「そんなわけあるかー!俺は!こう!聞きましたー!」
ガインは男と会話を続けた。
「違うったーら、違いまーす!さーよーなーらー!」
「バカ言ってんじゃねーぞ!この観光業者!いくらぼったくる気だ、こらぁ!」
「お金の話なんてーしてなーいでしょー?やーだー下品ー!」
「金が回れば世も回る!下品じゃない!」
なんだこれは。
朱里は両方を見て思った。
同時に、なんだか分からないなりに、隣にいる同行者がらしくない事を言っている気がする、とも。
いうなれば違和感である。
朱里はガインを詳しく知っているわけではない。
同行して数日で人となりを完全に把握できるほど、人に興味を持って接する事も朱里には出来ない。
だから、なんとなく、ではあったのだが。
そんな、なんとなくな違和感を感じつつ、朱里は口を挟まずやりとりを眺めていた。
口の挟みようがなかったというのもある。
「森のー人はーお金にー執着しないものー!」
「決めつけるなよ。馬ー鹿!」
「馬鹿はーそっちー」
「「馬ー鹿」」
二人の良い年した男が子供の悪口のような言い回しでお互いを貶している。
しかも、刻々とガインの眉間の皺は深くなり、口調は未だ軽いが、空気が重くなっている。
止めた方がいいんだろうかと、朱里が口を開いたその時、
「んじゃー、舟、渡すからー」
向こう岸の男が森に引っ込んだ。
唐突な展開に、朱里は声を出そうとしていた口を開けたまま目を丸くした。
そもそも、合い言葉は間違っていたのではなかったのだろうか。
だから言い合いをしていたのではなかったか。
疑問があふれた朱里はガインを見上げた。
ガインは当たり前のように、しかし嫌々、投げ遣りに、「おー」と言って、手を振って男を見送っていた。
「どういうことですか?これ」
ガインの服を引っ張って、注意を引く。
眉間の皺はそのままだが、ガインは振り返ってくれた。
「さっきの言い合い、全部が合い言葉なんだ」
「は?」
「最初、出自を言ったろ?あれから以下やりとり全部が、合い言葉」
朱里は対岸を見た。
さっきガインと言い合っていた男ともう一人増えた男が、前後一部を除いて半円形の幌で覆われた舟を川に浮かべていた。
「何とも面倒な」
思った事が考える前に口から出た。
「だよなー。しかも恥ずかしい」
にっと笑って、ガインが朱里の頭を撫でる。
その顔にもう眉間の皺はない。不機嫌も見あたらない。
朱里はようやく不安を解くことが出来た。
ガインと同行し始めた頃程ではないが、それでも、朱里はガインが怖いと思うことがある。
ガインの不機嫌な空気や殺気は特に心臓が早鐘を打ってくる。体が強ばり、逃げたくなる。
だんだん慣れてはきていると思うのだが、出来れば遭遇したくない。
だが、その怖さはガインが笑顔になるとどこかに消える。
だから、朱里は気軽に話すことも出来るのだ。
今のように。
「何でそんな長い合い言葉なんです?覚えるのも大変じゃないですか」
ガインはきょとんとした顔をして答えた。
「簡単に合い言葉を覚えられたら困るだろう?」
その通りだ。だが。
「もう少しましなの、なかったんですかね。合い言葉以外とか」
川では迎えの舟がこちらに近づいてきていた。
舟は後ろに立った人が舟を操り、前に立つ人が飛びかかってくるカイギョを払っている。
「みんな思ってるだろうが、変わらないって事はないんだろうな」
ガインが盛大にため息を吐いた。
舟の幌の中は少しむわっとしていた。
頻繁に、おそらくカイギョを弾く音だろう音と、水音、それから偶に舟底に岩が当たる音と振動がする。
また、前に立つ人が動くせいか、舟はよく横揺れした。
結果、
「すいません。私、もう、ダメ、です」
朱里は船に酔った。
舟はあっという間に対岸にたどり着いたのに、朱里は一人では降りられなかった。
「お前なぁ……」
ガインは呆れたように、舟から降ろして地面に横たえた朱里を見下ろした。
「少し休んでけよ。この状態じゃ、森の中は歩けないぞ」
舟を操っていた男が、水で濡らした布をガインに手渡す。
ガインは礼を言って受け取ると、それを朱里の額に乗せた。
ちなみにこの男は、最初にガインと合い言葉を交わした男とは違う人だ。
合い言葉を交わした方の男は、舟を担ぎ上げてさっさと森に入っていった。
「峡谷の方の渡し場でも森に入る魔物達を見たが、そんなに森の中はやばいのか?」
男はガインの言葉に少し目を見開いたが、すぐに頷いた。
「やばいな。いつになくカイギョも多い。襲撃もな。
聞いた話だがマールの木の守りが壊れる寸前の村もあるそうだ。
だから、村にいる奴らはなるべく村から出るなとの村長達からのお達しだ」
「それでね、森に人の出入りが多いと被害も増える一方だから、僕らも観光を中止して、船を上げて、村に戻るところだったんだ」
舟をどこか元の置き場に置いて戻ってきたもう一人の男が、ゆったりと口を出した。
「運が良かったな。
今後、魔物をどうにかするまで、ここに人が来ることはないだろう」
ガインが再びため息を吐く。
「まったくだな。しかし、森の中を考えると頭が痛いぞ」
頭をがしがし掻き回すガインに、男達は首を傾げた。
「確かに、量は多いけど、一匹一匹は大したことないよ?
森の人が二人なら、一人が女性でも突破はできると思うけど」
ガインは首を振る。
「その一人の女が問題でな」
そう朱里の無力さをガインが話そうとしたのだろうところで、朱里は手を挙げた。
「すみません。薬が切れそうです」
ガインの顔がひきつった。
「薬?彼女は病気か?」
「そうは見えなかったけど、体弱いの?」
二人が心底心配そうな顔をするのに、ガインは腰に手を当て空を仰いだ。そして二人に向き直る。
「お前ら、筋肉痛って知ってるか?」
二人は知っていた。
だが、それに森の人がなり、それによって動けなくなったと聞けば、
「「嘘だろ(でしょう)」」
二人は信じられないものを見る目を朱里に向けた。
朱里はそんな三人からの視線を受けて気まずげに目をそらせた。
体はもうあまり動かしたくなかった。
船酔いがまだ完全には引いていないのに、昨夜より強い痛みと怠さが全身を襲っている。また体がひどく熱く、汗が滲んでいることから、発熱もしているのだろう。
喉が渇いた。
正直、前の世界で死んだ時とどっちがつらいか分からない位、しんどかった。
恥ずかしさではなく、発熱による暑さで顔を赤くさせる朱里を知ってか知らずか、ガインが座って慰めるように頭をぽんぽん叩いてくれた。
その様子を渡し船の二人は立ったままじっと見ていた。
が、お互い目配せをすると、分かり合ったように頷き合い、二人は、クノ村までの同行を申し出てくれた。
「俺はルイス。こっちのでかいのはリグ」
ルイスは舟を操っていた方。リグは合い言葉を言い合い、舟で先払いを請け負っていた方だ。
ルイスはガインよりわずかに低い。
体格的にはガインと同じで、白い肌、青い短髪。
ゲームなら2Pカラーと言ったところだろう。顔は全く似てないが。
一方、でかいと言うだけあって確かにリグは、その柔らかな口調と「ぼく」という一人称から受けるイメージとはかけ離れてでかかった。
ガインの旋毛を見下ろすのだから大きさにかけては折り紙付きだ。筋肉が太いので、縦ばかりでなく横にも太い。そして厚い。
よくこれが先払いで舟がひっくり返らなかったものである。
二人は違う村の出で、舟渡しと観光案内を生業にしている同僚だという。
「かまわないのか?下手すりゃ、戻るのが夜になるぞ?」
ガインの遠慮に二人は、
「そうなりそうだったら泊めてもらうよー」
リグは気にするなと手を顔の前で振った。が、
「そうだな。礼は未婚女性の紹介で良いぜ?」
ルイスは、ニヤリと笑った。
その横でリグがいい案だと言わんばかりに両手を合わせた。
二人は独身であった。
二人して熱い目をガインに向ける。だが、
「悪い。うちの独身者、ガキとかなりの年配しかいねぇけど、いいか?」
ガインは意地の悪い笑顔を二人に返した。
二人はそろって肩を落とした。
「いいわけないな。あーどっかに嫁さんいないか」
婚活中である彼らは、朱里に目を向けた。
「君、お姉さんとか、」
しかし、リグが言い終わる前に、
「そいつの姉ちゃん既婚者だぞ」
なあ、とガインは笑った。
笑顔が輝いていた。
朱里はなぜそこまでガインが上機嫌なのかは分からなかったが、とりあえず設定上の姉は既婚者で間違いないので、こっくり頭を動かし、その動きで生じた痛みに呻いた。
「筋肉痛ってこんなにひどいんだね」
自ら体験したことのない男達は、心底同情をくれた。
嫁探しを一旦諦めて、痛みに呻く朱里をどう運ぶか考えてくれた。
「薬で一時的に抑えたが、押さえる前より悪化してるな。船酔いのせいかもしれんが」
「では、さらにその薬で抑えるというのはしない方がいいな」
「おんぶじゃあ、痛い、よね?」
二人は、朱里ではなく、ガインと朱里の状態を話し合っている。
すでに口を開くのも億劫な朱里は、それをありがたく思い、ただただ、話を聞き、すべてをガインの判断に任せた。
結局、朱里は運ぶ道具もないし、抱っこでガインに括り付けて運ばれることになった。
背中におんぶだとこちらの世界にあるらしい怪談話のように、運んでいる最中の後ろが見えない間に魔物に首を落とされるのではないかとリグが心配したからである。
古今東西、どこの世界にも似たような怖い話はあるようだ。
そして、ようやく入った森の中は、
「木が魔物化してるぞ」
正確には、元々あった木に樹木系の魔物が寄生しているのだが、木の枝や根がうねうね蠢く様は一見して走りにくそうだった。
ガインの中にあった慣れた森の認識は、ここで捨てられた。
ここは見知らぬ森である。
20.4.30 改稿




