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逃亡

前回のあらすじ

ペド怖い。逃げよう!

 朝である。


 もうじき日は中天に差し掛かるが、ついさっき朝食を食べたばかりであるから朝である。

 であるのにも関わらず夜の話をする男女が一組。

 だがその話に色気はない。あるのは怪し気であった。


「大丈夫かよ。その薬」


 現にその言葉を発したガインの顔は不審を露にしていた。

 朱里はそれに全く不快を示さなかった。寧ろその不審は当然であると、説明を続ける。


「私の料理はギフトなんですよ。

 古今東西、口に出来る物の知識と技術があります。

 薬も経口薬は料理の範囲に入るのか、製法・用法・効用全て頭にあります。

 だから断言しますが、この薬は大丈夫です。

 効果は当然ですが、後遺症の心配も依存性の心配もありません。もちろん多用しなければの但し書きは付きますが」


 話の間、特にギフトの話で、朱里の眼はじっとガインの様子を見つめていた。

 朱里が言ったことに、ガインがどんな反応を返すか、つぶさに見て取ろうとしていた。

 さながら、小動物が天敵の動向を見定める眼だった。


 ガインは溜息を長く吐いた。


「お前、ギフト持ちかよ。道理で。

 つか、薬も扱えるとか、余所でほいほい言うなよ。悪用されたらどうすんだ」


 ガインは、言って朱里の頭を撫でた。

 朱里は反射で目を閉じた。

 ガインはそれで緊張を解いた。

 試されるのは良いが、同族に疑われるのは、森の人の性質上つらいものがあるのだ。

 朱里の見た目が幼いだけに、それは大変よくガインに効いた。


 一方、目を閉じてしまった朱里も、髪の毛をかき回す大きなガインの手に安堵を覚えていた。

 ガインの態度がここで悪い方へ変わってしまったら、動けない朱里の人生は終わったも同然だ。

 まな板の上の鯉。鴨葱も良いところだ。

 だから、変わらず、寧ろ、簡単に口にした自分を心配するガインの態度は嬉しかった。


 だが、それだけではない。


 実は、朱里にはギフトのことをガインに告げる気はなかった。

 ガインに限らず、この世界の誰にも。

 理由はもちろん、面倒なことになりそうだったから。


 特に薬の事に関しては、経口薬に限るといえど、治癒魔法はおろか、薬自体が手に入りにくいこの異世界で、そんなことを言い出せば、絶対引っ張りだこになる。

 それは、生計の安定をもたらすだろうが、何せ朱里の知識は古今東西である。知られていない薬、現存しない薬、使用に危険が伴う薬から依存性のある薬まで、良いものも悪いものも玉石混合。

 十中八九やっかいごとに巻き込まれる、と言うかやっかいごとが起きる。

 それは、少し考える頭があれば、容易に分かる予想であった。


 朱里は、治癒魔法が使えたために、国に保護という名の強制収容に遭ったシーキュイという実例を聞いている。

 シーキュイは、勇者を助けるという名目で無理矢理出てきたが、無理矢理なのだ。


 朱里は、その先を考えることを拒否した。

 口も閉ざした。


 それは、救えるはずの人を見捨てること。

 何人見捨てることになるか分からないが、そうしたと人に知られれば、人でなしと罵られるであろう選択だと、朱里は自覚していた。


 それでも朱里は他人より自分を優先した。


 サイに今後の転生はないとはっきり言われていた。

 それで覚悟が決まってしまった。

 元々自分優先気味ではあったにしろ、多少、他人や世間を気にしていた朱里の選択基準が、完全に自分優先にシフトした。


 だのに現状はこれである。


 ガインに秘密を明かし、反応に怯えている自分に、朱里は戸惑った。

 何とか、良いようにつじつまを合わせようと朱里は言い訳を口にしようとしている自分にも驚いた。でも止められない。


「そう、ほいほいとは言ってません。

 特に薬のことに関しては。

 今まで家族以外に言った事はありませんでしたし、……」


 ならなぜ。

 朱里は自分自身に問うた。

 答えは出なかった。

 言葉も続かない。

 二、三度口を開いて閉じる。


 同じ問いを口に溜めていただろう、ガインも口を開かず朱里に続きを促すように撫でていた朱里の髪を後ろに流した。


 しかし、答えがない。何も。

 後先考えず、口は動いていたのだ。


 ガインを試すように。

 完全に頼って良い人間か確認するように。


 この世界で誰かに自分を委ねて生きる気などなかったのに。

 一人で、一人だけで、人生を楽しむ気だったのに。


 しばしの沈黙の後、


「まあ、いっかなと。あなたなら」


 結局、出たのはそんな言葉だった。

 それしかなかった。


 何の根拠もない信頼。


 これが森の人の本能に基づくものならば恐ろしいとさえ思ったはずのそれに、だけれども、朱里は納得してしまった。

 その答えが、すっぽり収まってしまったのだ。

 ガインなら、いいだろう、と。


「……そーかよ」


 ガインはまた溜息を吐いた。

 だが、その顔は、先程とは違い、少しばかり嬉しげに見えた。


 朱里は首を傾げたが、それに気付いているはずのガインは、何も言葉にしてくれなかった。


 そして、夜。

 日が沈み、飲み屋も閉まり、路上を行き交う人も絶えた夜半過ぎ。


「どうだ?動けるか?」


 静かに、ガインは布団に声をかけた。


「はい。大丈夫。よく効いてます」


 布団の中から這い出た朱里は、その場で屈伸して見せた。

 本当は軽く飛んでみたかったのだが、下の階に音が響くとまずいので自重した。


「まったく、作り方知ってても動けないから作れねぇって。

 やったことない人間に丸投げすんなよな」


 そう。朱里は逃げると決めた後、まず、動かない体を動かす為に薬に頼ることにした。

 だが、薬の材料も調合も知っていたが、そもそも体が動かないので、材料を揃える事もその材料を調合する事も出来なかった。


 朱里はガインを頼った。

 材料を集めてもらい、手順を指示して薬を調合してもらい、朱里の体を起こして出来た薬を飲ませて貰うまで。

 幸いなことに、ガインは器用だった。

 ちょっとややこしい手順もあったのだが、失敗は三回程しかしなかった。

 素人がやる初めての薬づくりだ。しかも、この薬は普通の薬剤師でも失敗することがままある薬である。

 上々だろう。

 なにより出来たのだ。

 終わり良ければ全てよし。


 そして、逃げるために待った、闇夜と薬の効果。


 これが結構大変だった。

 薬が出来上がる頃には、夕食時となっていたので、夕食後に飲んだ。


 ちなみに夕食は羊そっくり動物シープンのソテーだった。

 ソースは甘辛くうまかったが、肉はやっぱり固かった。

 そのかわり、パンは絶品だった。

 朱里は喜々として、ソースを付けてきれいに食べた。パンだけはお代わりもして食べた。

 すごく満足した。


 閑話休題。


 薬はひどいものだった。


 舌に乗る薬のえぐみと辛みに、朱里は悶絶した。

 飲み下した後は、全身に広がる耐え難い熱に悶えた。

 皮膚に赤みが浮かぶ程の発熱は、全身に汗と、各所に炬燵で暖めすぎた時の様な虫走感をもたらした。

 それを押さえようと、思わず動かしてしまった手足が起こす痛みに、朱里は声を上げた。痛みに涙を溜めた。


 ガインは、そんな朱里を気遣ってくれた。

 だが、下手に触られるのもつらいと朱里は訴えた。

 ガインは朱里を尊重してくれた。

 手を出してしまいそうだから収まったら声をかけてくれと朱里に声をかけると、ベッドから一番遠い廊下側の窓辺に椅子を持って行き、こちらに背を向けて座った。

 それから一切こちらを見ようともしなかった。


 確かに、苦しんでいる人間の横で、手を出すなというのは、なかなかにそういう性癖でもなければ、しんどいものである。

 朱里にしても、横で気遣われていると気を使うので、ガインの対処はありがたかった。


 そうして過ぎた数時間。


 熱が収まる頃には、息も絶え絶え、二度と飲むものかと朱里は誓った。

 朱里が落ち着いたのを見計らって、トイレに行ってから隣に戻ったガインもそれを支持した。


 苦労はあったが、準備は整った。

 起き上がり、服を着替えた朱里と、荷物を持ったガインは、お互い拳を合わせた。


 ガインが先に窓を開け桟に、足を掛けた。


 宿代は、先払いでもう払ってある。後顧の憂いはない。


「先に行く。受け止めてやるから、何にも考えずに飛び降りろ」

「二階から飛び降りろとか、結構怖いです。

 何も考えないとか、下見ただけで無理ですよ」


 朱里は笑って言ったが、それしか手がないことは十分承知している。事前に話し合いもした。


 玄関は使えない。

 そもそも今の時間、事前に言いでもしていなければ、鍵が閉まっている。

 一階に降りて窓から出る案も挙がったが、二階ならばともかく、一階の窓が開け放しにするのは、防犯上、泊まっている宿に申し訳ない。

 それ以前に、一階の窓には格子がついている。外している内に気付かれたら事だ。


 結論として、二人は二階の自室の窓から出ることにした。


「絶対、受け止めてやるから。心配すんな」


 にっと笑ったガインが窓の外に消えた。


 その窓枠を掴み下を見れば、降り立ったガインが、道からこちらに手を振っていた。


 高さは結構ある。

 朱里は、口内に貯まった唾を飲み下した。

 数歩、下がった。

 片足を引いて、一気に。

 走る。

 桟に足を掛け、目を閉じた。


 飛ぶ。


 朱里の足が桟を蹴った。 

 体が宙に浮く。

 すぐに重力に引かれ、内蔵が持ち上がるような不快感を朱里に与えた。


 それも一瞬。


 すぐにやや固いものの、大した衝撃もない壁に受け止められ、ずり落ちそうになった体が支えられた。


「な?大丈夫だっただろ?」


 目を開けば、朱里はガインの太い腕に腰を支えられて、向かい合わせに抱っこされていた。

 本能だか反射だかに従って、朱里の足はガインの腰に、手は背中に回っている。


「このまま行くぞー」


 朱里が羞恥心に駆られるより先に、ガインが走り出した。

 景色が流れる。


「えっはぁ?ちょ、走ります!おろしてぇぇえぇ!」


 朱里の声も流れる。


「舌噛むぞ?後、静かにしろよ。深夜だぞ?」


 ガインの言葉が、耳に入り、朱里は口を閉じた。

 だが、降ろしては貰えなかった。


 結局、朱里は、ガインの腕の安定感と体の温かさ、それから静かな暗闇に眼を閉じた。

 気絶ではない。

 目を閉じた朱里に気づいたガインが、何も言わず朱里の頭を撫でる手の感触は覚えていたから。


 気絶したのではなく、眠ったのだ。

 そう朱里は誰に言うでもなく、己に主張した。




 目が覚めれば朝だった。





20.4.30 改稿

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