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気持ちの悪い人

前回のあらすじ

朝っぱらから人の部屋で関係ない話で喧嘩をするとは何事だ(怒)

「愛らしい……」


 思わずこぼれたのであろうとわかる声をたどれば、


「……村長殿、彼女は森の人ですよ」


 リヒャルトの口から出た牽制の声も何のその。

 アートリー・ガルナンは、目を潤ませ、頬をほんのり赤く上気させ、夢でも見ているかのような淡い喜びを顔に乗せて。


 恋を知った少女のように朱里を見つめていた。


 アートリー・ガルナンは男である。

 アートリー・ガルナンは中年の男である。

 アートリー・ガルナンは筋肉質の中年の男である。


 普通に気色悪いだろうその光景は、憧憬を持った少年を眺めるように微笑ましく愛らしく見えた。

 嫌悪感が一片も湧かない。


 その事こそが気持ち悪い。


 きっと、なにも世間を知らない子供ならば、その好意を受け入れ、自分のテリトリーに招待してしまうであろう程に違和感がなかった。


 朱里とガインはギルドの受付嬢が言っていたアートリーの評価の一つ、「子供を口説かせたら百発百中」を理解した。


 ただ、今回の相手は朱里である。子供ではなく。

 この世界に送られる前からのんべんだらりと生きてきた朱里だが、そんな彼女でもこの世界では完全に大人。

 前の世界であっても大人の一歩手前。

 流石に他人の好意をただただ無邪気に受け入れるだけの子供ではなかった。


 その結果、


「うわぁ……」


 朱里の腕には鳥肌がいっぱい立った。耳が垂れた。

 その事に気付いたのはガインだけだったが。


 リヒャルトは忌々しそうにアートリーを睨み、アートリーはリヒャルトを眼中に入れることなく朱里を見ていた。


「リヒャルト殿。

 あなたは生まれたての動物を見て愛らしいと思うことはないか?

 あれは身を守る武器を持てない幼き物が唯一持てた、愛らしいと保護欲を刺激することで育児放棄を防ぎ、自らの生存の可能性を上げる、天から授かった幼き者のみ有する武器。

 それに逆らうのは本能に逆らうも同じ事。

 ましてや、我々は他種族といえども言葉を交わし、常識を共有し、共に喜び怒り泣く事が出来る。

 言葉の通じない動物よりも情が生まれやすいのは当然だろう。

 他種族である壁など、この愛らしさを前にすれば無いも同然だ」


 アートリーは笑った。

 優雅に、まるで午後の紅茶を飲み交わすイギリスの貴婦人達の様な穏やかさをたたえて。


 だが目線は朱里から離れない。


 話しかけている筈のリヒャルトには一片も向いていなかった。

 仮にも客人で、他国の他種族と言えども貴族で身分的にはアートリーよりも上の筈なのに。


「……大丈夫か?」


 朱里はガインを見上げた。

 精神衛生上、アートリーの方は見ない方がいいという本能の助言に従ったのだ。

 結果、己を気遣う金目に出会えた。


「まあ、なんとか?」


 朱里はそう言ったが、正直、アートリーの方はもう見たくない。

 顔がアウトだった。


 語っている間中、涎を垂らしていてもおかしくないような表情だったのである。

 人好きする顔と幼児性愛者のヤバイ顔を両立させる顔面筋と美貌はすごいと思ったが、鑑賞は完全なる第三者で行いたかった。

 自分が対象では鑑賞する余裕も湧かないし、したいとも思わない。


 ガインに返した言葉とは真逆に全然大丈夫ではなかった。


 ゴホンと咳払いが聞こえた。


「あー、確かに幼い物は愛らしいと思います。

 それは一般的に言ってもおかしくないでしょう。

 ですが性愛を絡めるのは本能に反してると思いますよ。

 他種族では子供も出来ませんしね」


 困惑を表すように花が舞った。


「性愛は愛情表現が行き着く先です。

 最愛を最上に愛でて悪いとおっしゃるか?」

「悪くはないでしょう。

 そこに誘拐などの犯罪行為や保護されてしかるべき子供の人格形成に障害を与える性癖の押しつけなどの常識を越える変態性がなければ、ですが」


 朱里はリヒャルトを見直した。


 黒子に花を舞わせる頭のおかしい貴族だと思っていた。

 だが、彼はまともだったのだ。隣のペドフィリアに比べれば。


「あぁ、悲しいものだな。分かり合えないという事は。

 だが私たちには言葉がある。話し合えばいつかは分かっていただけるだろう。

 可愛いという事は何物にも代え難いリビドーとなるということが。

 そして、愛らしい人はそれ相応に愛でられるべき存在であるということも」


 ガインが椅子を動かした。


「君、元に戻り賜え。

 愛らしい彼女が見えないだろう」


 ガインはアートリーの言葉など聞こえなかったように、空になった器を机に置いた。

 ただし、その際に器が割れるのではないかというひどい音がした。


「本日は過分なるお気遣いによる訪問、ありがとうございました。

 そのお心遣いは存分に頂きましたので、どうぞお帰りください」


 ガインがにっこりと笑っていた。


 朱里からは横顔、というよりピンとたった耳と笑っていることが分かる頬しか見えなかったが、その言葉と顔に朱里の背中には冷や汗が流れた。

 知っている。

 これは怒気というのだ。

 ドキッとした。ときめきではなく。

 トラウマが蘇りそうな笑顔から朱里は必死に顔を逸らせた。

 自分に向けられたものではなくても怖いものは怖かった。


 それは、朱里のトラウマを経験していないリヒャルトとアートリーにも効いたらしい。


 二人はあからさまに顔色を変えることはしなかった。

 ただ、一瞬、ほんの一瞬だけ、体が固まった。


「そうですね。長居が過ぎたようです。そろそろ失礼いたしましょう」


 最初にリヒャルトが立った。立つことでアートリーに終わりを促す。


「そうだろうか。

 まだまだ話足りず、名残惜しいが、致し方ない。

 また会う機会もあるだろう」


 アートリーもしぶしぶ立ち上がった。

 二人は頭を下げた。朱里に一回。ガインに一回。


「ではね。

 ですが、私は諦めませんよ。

 君の料理の腕は披露されるべきものです。優秀な人にはそれを披露する場が与えられなければならない。

 私は君にそれを与えられます。

 よくよく考えて是非我が元へいらしてください」


 リヒャルトがドアに近づけば、護衛がさっとドアを開ける。

 リヒャルトは貴族らしく悠然と去った。


「君達は私に関して悪い噂しか聞いていないだろうから警戒しているのだろうが、私は信じているだけだ。

 話し合えば、種族に垣根などないと言うことを。

 子供が可愛いという共通認識はあるのだから、あの方とも良き酒が飲めるようになるだろう。

 勿論君達とも。」


 続き、アートリーも去った。

 だが、彼は最後まで朱里を見つめ、顔を緩めていた。


 二人が去ると途端に人口密度が減った。

 残っているのは、朱里とガインと、


「よくぞ耐えてくださいました。

 暴力沙汰にならなくてほっとしましたよ」


 なぜか残ったギルド職員。


「あんたは見送りに行かなくていいのか」


 気付けば机にあった食器や茶器はギルド職員の持つ盆の上にまとめられていた。


「行きますとも。

 ただまあ、実際の出立まで少しかかりますので。ご忠告は出来ませんが、今後の話を。

 このままこの村に残れば、当然ですが、見舞いのお礼という形で村長宅に行っていただくことになります。

 それと村長もおっしゃってましたが、今後は村の警備が厳重化し、出入りも厳しくなるでしょう。

 余程の理由がない限り出られないと思ってください」


 では、とリヒャルト達から遅れることしばし。ギルド職員も出て行った。


 その後ろ姿を見送り、ガインは頭を掻いた。


「悪い奴じゃなさそうなんだがなぁ。気持ち悪いが」


 上体を起こしたままの朱里も頷いた。


「闇魔法も使ってなかったみたいですしねぇ」


 ただ朱里は知っていた。

 言葉を操ることで人の善悪、常識は簡単に覆ることを。

 思うままに操れ、それこそ闇魔法を使ったがごとく、人の感情を動かす人がいることを。

 前の世界ならヒトラーが代表的な例である。


 アートリーがその類の人間に成り得るのではないか。

 不安が湧いたが、彼は所詮、ナン村の村長である。

 権力はこの村の範囲のみ。それも上司有りきの権力だ。よほどの下克上が起こらない限り、大丈夫だろう。

 砂の国には未来が見える人もいるようだし。


 朱里はそう自分を納得させた。気持ち悪さを抑えるために。


「まあ、最初から乗る気のないお誘いですが、貴族さんは諦めてくれないようですし、村長さんがまともじゃないのは確かですし、さっさと逃げますか」


 ガインは盛大に溜息を吐いた。


「動けないくせにどうやって?」


 ようやく静けさを取り戻した部屋は、たいそう広く感じた。

 だからこそまだ貴族達が下にいるのだろう扉の向こうと窓の外から馬の嘶きや話し声が聞こえる。


 朱里はガインを手招いた。


「一時的に痛みを無くす薬を作れます。それを飲んで夜ここから出ましょう」


20.4.30 前話分割後追加

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