貴族と村長
前回までのあらすじ
朱里は(ガイン的)未知の病キンニクツウに侵されてしまった。
そして、さらなる苦難(笑)が彼らを襲う。
朝っぱらから貴族と村長が来たぞ!(迷惑)
リヒャルト・ルーベンス・ライル・リー。
湖の駅で出会った(黒子が)花撒く貴族である。
貴族のどの辺に位置するのかは朱里もガインも知らないが、やたら高級感にあふれた態度で朱里を料理人として勧誘した男だ。
だが朱里は、湖で言い放っていたように、男を覚えていなかった。
「昨日ぶりですね。
一日千秋と申しますが、昨日の今日でこのような再会になってしまうとは、もっと強くお誘いしておけば良かったと後悔してなりません」
リヒャルトの悲しみを表すように彼の周りに青い小さな花びらがぶわっと撒かれる。
広がる花びらと花の匂いから逃れるように朱里は布団に潜り込み、顔半分を布団で隠した。
息は苦しくなったが花の匂いはしない。
花の変わりに干した布団の焦げっぽい匂いがした。
匂いの安寧を得た朱里は、リヒャルトへの返事を考えて、気づいた。
「強く勧誘されても答えは変わりませんので気になさらないで下さい」
名前は思い出せないがこの男、シラサートパーティーで勧誘してきた貴族だ、と。
だから言葉にも気をつけた。
普段から身内以外には丁寧に話すように心がけている朱里だが、いわゆる丁寧語であり尊敬語はあまり知らない。出来るだけそっれっぽいのを己の語彙録の中から選びながら話した。
失礼にはなっていないはずだと願いながら。
「つれないですねぇ」
リヒャルトは少し笑って暖色の花びらを蒔かせると体を横にずらし、部屋の外にいたもう一人を呼び込んだ。
「この度は大変な災禍に見舞われましたな。お見舞い申し上げまする」
肩を竦め首を振るリヒャルトの後ろから現れたのは、美中年だった。
白金の髪を後ろに流し、柔らかにうねる髪が耳からこぼれて、砂の人特有の褐色の頬に花を添えている。
目は緑なのが離れていても分かるくらい鮮やかな新緑を移した色をしていた。人々の注目を集めるのに十分な輝きも持っていた。
また背も高い。
この世界、平均以下の身長の朱里にとって、周りは巨人だらけだが、その巨人達よりもこの美中年は頭一つ飛び抜けていた。
体は中年太りなど辞書にすらないと言わんばかりに若々しい。筋肉隆々とは言わないが質の良い筋肉に覆われていることが服の上からでも見て取れた。
当然、足も長く、服も質・デザインともに上等。靴さえも気が抜かれていない革の靴だった。
「はじめまして。
私はこのナン村の村長、アートリー・ガルナンと申します」
男の美しい唇がら低く美麗な言葉が流れた。
只の自己紹介が歌のようだった。
アートリーの腰から折られた背中すらすっと伸びた美しきお辞儀に、部屋にいた全員、もちろん動けない朱里と彼を招いたリヒャルトは除く、が慌てて姿勢を正して頭を下げた。
リヒャルトには誰も頭を下げなかったのに。
朱里はその男に見惚れていたのを自覚し、またそれが自分だけでないことも見て取り、これがカリスマと言うものかと人生初の従いたくなる魅力というものを味わっていた。
これがガインの言う闇魔法だとしたら、何とも甘美なものだなぁと暢気にいつまでも見ていたくなる美中年・アートリー・ガルナンの姿を布団に潜り込んだまま眺めていたのだった。
その後、二人の護衛が四人ばかり入れば、来客を想定して広い部屋を使わせて貰っているとはいえ、一般的な宿屋の部屋は人で一杯になってしまった。
同僚と合流したシルバは立った。
ギルドの職員も立場的に立った。
ガインは朱里の保護者として座ったままだが、場所を朱里のベットの足側に移動した。
空いたスペースにリヒャルトとアートリーの椅子が用意された。
ギルド職員が用意した椅子に腰掛け、朱里の枕元に座った二人は、二人それぞれに時候の挨拶や朱里の怪我の確認を聞いた後、それはそれは痛ましい顔をした。
特にリヒャルトは顔だけでなく、花も青だけでなく赤や黄色などの暖色系も入り乱れて哀れさを表現していた。
黒子の技能が冴え渡る瞬間だった。
「近頃は、魔物の襲撃がどこでも活発になりつつあると噂では聞いていた。
だがまさかこのような砂漠の端の村にまでスカルカイザーのような大物が現れるとは……。
早急に対策を講じよう」
アートリーの厳しい顔に空気まで引き締まる。
「まあ後手後手ですがね。何しろ原因が分からない」
リヒャルトは用意されたお茶に手を伸ばした。
もちろん用意したのはギルド職員である。
朱里はこの人よく働くなあ、と貴族と村長が来訪してから、椅子が用意されているにも関わらず、座ることなくちょこちょこ動いているギルド職員を目で追っていた。
ちなみにガインはリヒャルトやアートリーと朱里の間にどっしりと座っている。
一応ホストだからかと思えば、もてなす気配もない。ただの視線ガードだ。
二人の視線を感じにくい一方、朱里からも二人は見えにくかった。
さして気にしては居なかった朱里だったが、だからその音に身構えることが出来ず、驚いた。盛大に。
察知したガインが朱里に目を向ける。
朱里は大丈夫だと笑って見せた。
音の出所はアートリーだった。
突然、アートリーがテーブルを叩いたのだ。
そんなに重厚でもしっかりとした作りでもないテーブルは反対の足を跳ね上げがたがたと音を上げた。
割れても不思議ではなかったのに耐えたことは褒めていいだろう。
それほど良い音がしていた。
「原因が分からない?
勇者とやらが魔物達の秩序をかき回しているせい、などと噂を聞きますが?」
それほどの音を立てて、テーブルを叩いたアートリーは、だがしかし、落ち着いた声音でリヒャルトをじっと正視していた。
「おやそんな噂があるのですか?
確かに彼には我が国より魔王狩りの任を請け負っていただいておりますが、今のところ彼のしていることはそこらのハンターと同じ。
魔物の活発化に関与など……」
リヒャルトは首を振った。
「それに問題でいえば、そんな嘘か本当かわからない噂よりも目下確実なる問題が在るではないですか?
ねえ?
幼子の拐かしは、砂の国ではどうか知りませんが草原の国では重大なる犯罪なのですよ?」
黒い花という物を朱里は初めて見た。
大変に怪しく綺麗ではあったがそんなことはどうでも良い。
勝手に押し掛けてきて勝手に関係のない喧嘩を始めるなんて、なんて迷惑な人達だと怒りたかった。
だが怒れない。
朱里が割って入れる雰囲気じゃなかった。
しかしこの空気はどうにかしたい。何かないか。
朱里は必死に布団の中で考えた。
すると、見かねた神が手を伸ばしてくれた。
朱里のお腹がぐるりと動いた、直後。
ぐぅーーーーーー
何とも間抜けな低重音が辺りに響いた。
「……そういや、朝飯まだだったな」
緊迫感が一気に霧散した。
やれやれと言わんばかりにガインが立ち上がって部屋の外へ出ていく。
少し後、宿屋の主人に朝食を頼む声がした。
朱里は布団の中で己の腹を押さえた。
筋肉が痛みを訴えないようにゆっくりと。
顔も真っ赤に染まった。
布団の中にこもっていた熱のせいではない。
確かに暑いが、しかし、どんなに暑くても朱里はこの布団の中から顔を出したり出来なくなった。
睨み合っていた二人の男達も、揃って膨らんだ布団を見ていた。
顔からはすっかり怒気が抜け、力も抜け、再構築は難しい。
「いやはや、早くに押し掛けすぎましたな」
「全く。
気遣い出来ず申し訳ない。気が逸りすぎました」
ギルド職員が二人の後ろで机を整えながら、そっと安堵の溜息を吐いた。
朝食は卵粥らしき物だった。オートミールの方が近いかもしれない。
何か穀物のどろっとした物に卵が浮いていて、食べるとチーズの味がほのかにする。
付け合わせに、野菜の塩漬け、つまりはお漬け物がついた。
布団から出たくなかった朱里も、食べ物の匂いに再び鳴りそうなお腹を止めることが出来なかったため、素直にガインの手を借りて起きた。
その時、初めて朱里の顔と耳がリヒャルトとアートリーの目に露わになった。
朱里とガインは気にしていなかった。
特に、朱里は目の前に置かれた卵粥に目が釘付けだった。
鼻腔を擽る粥の匂いに溢れる唾を飲み込み、食べさせてくれるガインの動向に注視していた。
露わになった耳と顔を見たリヒャルトとアートリーの反応など見てはいなかった。
ガインに口元まで運んで貰った卵粥は、口に入れれば薄味だったが、漬け物と一緒に食べれば塩気は丁度良かった。その上、暖かい食べ物は腹を満たすと同時に朱里の体を温め、筋肉を解すのに一役買ってくれた。
朱里は食事の効能を知った。
ただ腹を満たすだけではないのだと。
食事は勿論ガインも食べた。
朱里の口に親鳥よろしく卵粥を運ぶ合間に食べた。
手慣れた介助の割に、自分は匙を使わず、器に直接口をつけて粥を流し込むガインに、朱里は彼は粥が嫌いなのかと思った。
現にガインの眉間には美味しい食事を摂っているとは思えないような山や谷が出来ていた。
後にガインは粥が嫌いなわけではないと判明したのだが。
ガインの不機嫌は貴族と村長、二人がずっと朱里向けている視線が原因だった。
ガインだけが気づいた。
二人の視線には、全員が感じ取れる驚きの他に、好奇と欲が混じっていた。
好奇が強いのは貴族。欲が強いのは村長。
ガインは村長をより警戒し、嫌悪し、眉間に山脈を築いた。
朱里は卵粥に夢中だった。
「君は森の人だったのだねぇ」
リヒャルトが驚いたという感情を態とらしく乗せた声で話しかけてきた。
この場で食事をしているのは朱里とガインだけだ。
他は済ませてきたらしく、ガインが食事を頼む際に不要とギルド職員から伝えられた。
「そうだが?」
朱里がしゃべる間もなくガインが先んじて答えた。
朝食を食べないリヒャルト達は卵粥ではなく、お茶を口にしていた。
「森の人は耳を見ないと分かりませんからね」
そういえば、と朱里は記憶を振り返る。
前回、リヒャルトと出会った時、朱里はフードをかぶっていた。
今回、再会した時は布団は顔半分隠れる程深く潜り込んでいたし、そもそも髪だってあるのだから、耳などよぼど気を付けなければ見えなかっただろう。
「なんだ?種族が違えば勧誘は諦めてくれるのか?」
ガインは意地が悪い顔で笑った。
「それはないですがね。
種族が何であれ彼女の料理の腕がいいのは変わらない。
ただまあ、奥さんにはしてあげられなくなったかな?」
冗談のように軽く笑うが、朱里としては笑えなかった。
やはりあれだ。同族ならば御手付きにしていたという事だろう。
笑えない。
そして、笑えない人がもう一人いた。
20.4.30 改稿




