実力試し
前回のあらすじ
今朱里達が住んでいる所はこんなところです。
遠慮は最初に捨てた。
ガインは拙い朱里の攻撃などすべて見切ったように、いや、完全に見切り、最小の動きで避けた。
全く攻撃してこない。防御もしない。する必要がなかった。
朱里は息こそ切れないものの、攻撃の形は崩れる以前に成していない。
一々大振りの無駄のある動きで、それでも本人は一生懸命に、腕を振り回していた。時々足も出すが、出した後はバランスを崩しよろけているので話にならない。
「……もういいぜ」
繰り出した腕を捕まれて、朱里は動きを止めた。
ガインは深く息を吐いた。
「ぜんっぜん駄目だな。唯一の救いは体力があるくらいか」
朱里にとってそれは想定内の評価である。
解放された腕を握り、目線を右下の足先に向けた。
今さっきまで踏みしめていたそこは、朝露に濡れた緑の草が汚く踏みにじられ、下の黒土を露出させていた。それを踏みしめる朱里の足も土に汚れ、草が指先に絡んでいた。
「すみません。今まで荒事をしたことなくて」
ガインの金色の猫のような目がじっと朱里に向けられている。
その視線に、朱里は体を一層縮めた。
身の置き所がない様な、厳しい試験官の前で失敗してしまった生徒のような心持ちだ。
「まあ、いい。
だが、このままここを出るわけには行かない。
お前はもちろん、俺の安全な旅路のために、基本を叩き込む!」
体にまとわりつく空気が軽くなった気がして朱里は顔を上げた。
太陽の角度が変わったためか、場所が違うからか、はっきり見えたガインの表情は、幼い弟妹を安心させるために見せるような輝かしい笑顔だった。
朱里は幼くもガインの弟妹でもないが、それにガインの意図通り安心してしまった。悔しい。
言い訳するなら、厳しい先生に許されたような心持で。うっかり前の世界の大学の恩師を思い出し、懐かしくなってしまったのだ。
決して朱里の情緒が幼い訳では無い。そう、朱里は心の中で主張した。
森の人同士だからだという事に思い当たらなかった辺り、森の人としてまだまだな朱里だった。
「そろそろ連中も起きてくるだろう。飯にしようぜ」
ガインはすでに背を向けていた。
朱里は慌ててその背を追った。
「ああそうだ」
ガインは足を止めず、朱里が付いてきていることを疑わず、こちらに目もくれないで言い捨てた。
「飯の後動くから、軽めにな。吐かん程度に」
「はっ?」
朱里は足を止めた。ガインの背中は宿に吸い込まれもう無い。
「吐く……?」
朱里は嫌な予感がした。
食堂に入ると人が大勢居た。
こんなに宿に泊まっている人が居るのかと思えば、
「ああ、近所の人も食べに来るんだって。
ここ、おいしいから」
既に朝食を配膳して貰い、サラダを口にしていたシーキュイが教えてくれた。
朝食のメニューはセットメニューから選ぶようになっていた。
魚セットと肉セットと野菜セットの三種類だ。
シーキュイはその野菜セットを頼んでいた。
彼女の卓上には色とりどりの葉物と根菜類のサラダに根菜がたっぷり入ったスープ、ハムと葉物のサンドイッチといった色鮮やかな食べ物が並んでいた。
シーキュイの隣のシャンボークは朝からステーキを食べていた。
肉セットだ。
食器からスープもあったのだろうと想像できるが、残り一つの綺麗に空になった皿には何が乗っていたのか、皿が綺麗すぎて分からなかった。
ハンジュとテイジョウは魚セットでまだ食事途中の二人から、魚セットは焼き魚と魚のほぐし身が入ったパイとあら汁だったと聞いた。
朱里は少し考えた。
「魚セット、お願いします」
ガインには軽めにと言われていたが、お腹は空いていたし、どの程度なら良いのか全く分からなかったので、朱里は己の腹の訴えるままに野菜セットより重く、肉セットより軽い魚セットを選んだ。
ガインは何も言わなかった。いや、言った。
「じゃ、俺肉セットでー」
これにより肉セットがステーキと、スープ皿だと思っていた皿はロールキャベツっぽいもの、残りの予想できなかった一品は挽き肉のテリーヌだと判明した。
そう待たずに運ばれた魚セットは焼き魚に白いソースがかかっていた。何味だろうと嘗めてみると僅かに甘い。
「……ラーナーシュ?」
頭の中に駆けめぐる脳内情報が出したのは、青い木の実の白く柔らかい果肉から作るソースだった。
ラーナーシュと呼ばれる果物は、そのままでも十分甘く柔らかで果汁も多い。デザートによく出され、甘味にもよく使われる。
前の世界なら、洋なしが一番近いだろうか。
そのラーナーシュを水でくたくた煮てさらにとろとろにしたのがこのソースだ。
水以外は何も入れない。
火を通すことで強い甘みは和らぎ、香りが強くなる。その香り高さから、肉や魚の臭み消しとしても効果的で、更に身を柔らかにするので、魚よりは肉に使われることが多い。
魚に使うのであれば、煮魚にするのが一般的だ。
「ラーナーシュが焼き魚にかかっているのを俺は見たことがない。だが、旨かったぞ」
先に食べ終わったハンジュは今はお茶を啜っている。
ミーティー茶と言う果物の皮を使ったお茶だ。
ミーティーの皮は、見た目味共にオレンジピールだ。ミーティー自体は木になった人参なのだが。
朱里は今度は魚につけて食べた。
焼き魚の香ばしさとラーナーシュの甘みが混じり合って、
「旨い」
パイも食べてみる。
中の魚は一度別に焼いてほぐされているのか、全く生臭さがなかった。
もちろん、焼き魚とは違う魚が使われている。
あら汁はさすがにパイと同じ魚だった。
それでも、
「朝からこんなに手間のかかる料理を三種類も用意するなんて、料理人はすごいな」
管理者にギフトを貰った朱里ではあるが、料理人は出来そうにないなと最初に思った出来事だった。
「感心してないでさっさと食え。食ったら動くぞ」
がたんと音がしたので隣を見れば、ガインが空になった食器を持って立っていた。
この世界に時計は珍しく貴重なのでこの食堂にはない。だから正確には分からないがが、体感的に食べ始めてまだ十分と経っていないはずだ。
あまりの早食いっぷりに唖然とした朱里は、何も返事を返せず、食器を戻すガインの背中を見送った。
その後、朱里は早食いは体に悪いのになあと思いながらも、いつもより急いでそれでもしっかりと食べた。
だが、スピード比較は本人比なので、途中でガインに「遅い!急げ!」と怒られた。それでも食べるスピードは変えられなかったが。
朱里が食べ終えた頃には、先に座っていた人達の食事は終わっていた。途中で座った男の人にも勝てないスピードだったので仕方がない。
少し戻る。
「じゃあ、俺達はゴキリウス討伐に行ってくるわ」
シャンボークとハンジュ、テイジョウは昨日のギルド職員が持っていたのよりは小さいが、魔法袋を携えていた。
「ギルドの貸し出し品でな。戦力に余裕のありそうなパーティーに配られたんだ」
「よっぽど、あの卵が高値で売れたらしいな」
「でも、最初にきたのが雌の団体だったからその匂いに釣られてくるのは雄だと思うんだけど」
「ここの奴らはどうにもがめつい」
やれやれと苦い顔で三人はガインとハイタッチし、その流れで朱里の頭を撫でた後、
「じゃあな」
手を振りながらシーキュイに玄関まで見送られて行った。
朱里とガインは食事中だったので、手を振って椅子に座ったままそれを見送った。
「それじゃあ、私はギルドに呼ばれているから行ってくるわ」
戻ってきたシーキュイは、残っていたデザートを片づけて再び立ち上がった。
「シーキュイだけ?」
何の用事かと首を傾げる朱里。
「あのねぇ!私これでも光魔法の使用者として結構有名なのよ?」
シーキュイの頭の高い位置で一つに括られたお団子から行く筋かの髪が落ちている。
朝の光を受けて金色に輝きそれはそれはきらきら光っていた。
「一人で大丈夫か?」
ガインの眉間に皺が寄っている。
これは眩しいからではない。シーキュイを心配しているのだ。
「ついて行こうか?何も出来ないだろうけど」
昨日、ギルドの職員が私欲に走った所を見たばかりである。
朱里は心配を言葉にしたが、シーキュイはキラキラこぼれる後れ毛をかきあげて笑った。
「一人で十分よ。
シャンボークにも伝えてあるから、日暮れ前には迎えに来てくれる手はずになっているし。
私、時間に気づかなくて徹夜とかよくあるのよね。
さすがに今やるとシャンボークが怖いからしないけど。
だから、こういう時はシャンボークが迎えに来てくれるの」
シーキュイは頬を染め、嬉しそうに目を細めた。
「それに二人は今日、行く予定なんでしょ?」
「ああ。少し予定より遅くなるだろうがな」
「なら、私につきあってる時間はないんじゃない?
じゃ、また会いましょう」
二人はシーキュイが食堂を出て行くのを手を振って見送った。
シャンボーク達の時はうっかり忘れていて普通に見送ってしまったが、朱里は今日彼らと別れる予定だったのだ。
シーキュイの言葉で思い出したが、もうシャンボーク達は行ってしまった後だ。
「しまったなぁ」
苦い物が溜まった胸を朱里は服の上から宥めるように撫でた。
「なに、生きてりゃまた会う時もあるさ」
ぽんっと朱里の頭に乗せられた手はガインのもので、
「それにハンターってのはそんなに長々と別れの挨拶をしたりはしない。またなとか行ってくるで一生の別れをすませることもざらだ。
だから先刻みたいな見送りでいいのさ」
そういうものかと朱里は少し寂しくなった。
朱里の食事が終わった。
前の世界での習慣で手を合わせる。
それから食器を返しに行こうと立ち上がったが、それよりも早く、正確には朱里が手を合わせた時点で、ガインがさっさと朱里の食器を奪った。更に、朱里が腰を浮かせたはいいものの目当ての食器がないことに気づいたときには、返却を済ませて戻ってきていた。
中途半端に立っていた朱里を引っ掴んで食堂を、否、宿を出た。
「おまえは、遅すぎる!」
「早食いは体に良くないんですよ?」
「限度を考えろ!」
「そこまで遅くないでしょう?まだ食べてる人いましたし、一応頑張って急いで食べたんですよ?」
朱里は投げ落とされた。
地面に。
朝露が光る芝生の生えた大地に。
痛くはないが、お尻にじわりと水分が広がっていくのを感じて仕舞い、心地が宜しくない。
朱里は不機嫌になった。分かりやすく唇を尖らせた。
「なんだその顔。摘むぞ」
「んふぃー!!!」
摘むぞと言いつつ、三つの指で唇を摘み引っ張り上げられた。
自重で唇が伸びて痛い。
朱里の手がガインの腕を叩いて抗議した。
「時間ねぇんだから、さっさと動くぞ!」
唇から手が離れ、朱里は立ち上がった。
そこから先を朱里は覚えていない。
ただ言えるのは、人は真の恐怖を得るとその記憶を失うということだ。
朱里は気づいたら舟に乗っていた。
「お、気づいたな。気分悪いとかはないか?飯食うか?」
乗り合いの舟の大きさはそれなりに大きいのに、人が多いせいか狭く感じた。
木製の浅い舟だ。
朱里はこの舟を時代劇で見た気がした。
だが、それよりも何よりも。
「おい?まだ駄目か?」
朱里は思った。
自分はなぜ、子供のように後ろからガインに抱えられて膝の上に乗せられて舟に乗っているのだろう、と。
川はきらきらと輝き、川下から来る風は朱里の髪を優しく撫でて、日は暖かく、空は白い雲が溶けるように流れ、青い空が透き通っていた。
太陽は完全に昇っていた。
20.4.29 前話を分割して追加




