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別れの朝

前回のあらすじ

師匠が出来ました。

 早朝。

 まだ暗い内に朱里は目を覚ました。いや、起こされた。


 部屋はシーキュイと同じだった。

 昨夜、部屋で生活魔法を駆使して、洋服の洗濯などを行う朱里を見て、シーキュイはうらやましそうにしていた。

 光魔法を使えるシーキュイだったが、生活魔法は使えなかったのである。

 魔法の専門家らしいテイジョウなら出来るのではないかと思った朱里は、深く考えず彼に頼めばいいと提案してみたのだが、


「アンタ、テイジョウに下着を見せろっていうの!?」


 シーキュイは刺繍の入ったかわいい下着を抱きしめて顔を真っ赤にして朱里を叱った。

 理解した朱里はお詫びにシーキュイの服をすべて洗って乾かしてあげることになってしまった。

 森の人の少ない魔力でよくやったと言えよう。


 疲れた朱里は倒れ込むように布団には入った。そのまま早々と寝入ったのだった。


 そして、現在。


 揺さぶられて目が覚めた。


「……なぁん?」


 鍵付きの部屋である。同室のシーキュイだろうと思っていたのだが、


「俺だ。静かに起きろよ。シーキュイはまだ寝てる。鍵は合鍵を宿主から借りた」


 要点だけ返ってきた声は低く、馴染みのない物だった。

 シーキュイのものでは絶対にあり得ない。

 俺だと言われても、誰だと思った。


 上半身を起こして、しばらく開かない目と格闘しながら、その間に心当たりを考える。


 ようやく開いた目で声の人物がいるらしい場所を見れば、暗闇の中、ベッドの脇に腰を落とした男がいた。

 顔がこちらを向いていたが、夜明け前の暗い中ではほぼ見えなかった。

 だが、その上に乗っかっている暗闇でも視認できる赤く短い髪には見覚えがあった。


「……あぁ、昨日の。どうしたんです?まだ暗いのに」


 朱里は昨日会った男の顔を思い出し、はて名前は何だったかと窓の外に目を移した。


 窓の外には日の出の方角に朝焼けが広がっていた。けれど空の大半はまだまだ深い藍色で、これから朝になるのだと思われた。


「話は一階に行ってからにしよう。ここでしゃべってたらシーキュイが起きる。動きやすい服に着替えて一階に来い。いいな」


 男は言うだけ言うと音も立てずに立ち上がり、滑るように部屋から出て行った。

 すぐ来ると思っているのだろう。鍵は閉めていかなかった。

 返事を返さなかった朱里は、そのまま目を閉じようかとも思った。

 開いたままの鍵は気になるが、瞼が異様に重かった。


 起こした上半身は布団に逆戻りした。が、


「行ってきなさいよ。これから師事する人の言葉を無視すると、今後気まずいわよ。後、鍵閉めて行って」


 起きていたらしいシーキュイに布団の中から言われて、朱里はもぞもぞとベッドを降りた。

 なるべく静かに着替えると鍵を持って、きちんと戸締りしてから、一階に降りた。


「遅いぞ。お前、二度寝したろう」


 朱里を呼び起こした男、ガインは階段を下りてすぐの所で待っていた。


「寝てません。体が動かなかったんです」


 二人は一応、声量を落としている。


 今一階にいるのは、早朝から旅立たなければならない人々と彼らの応対をする宿主。彼らも二階で未だ寝ている人達を気遣い、静かに動いていた。

 一階には僅かに魔法による明かりが灯されていた。なんとか物にぶつからずに歩くことが出来るだけの光量しかないが。

 そんな中を密やかに蠢く彼らは、黒い陰に覆い被されて、影が人に成り代わったようで実に不気味だった。


「まあ良い。来い」


 ガインは朱里を連れて外に出た。

 庭にある丸太を横に転がしただけの椅子に適当に座り朱里を手招く。


 外は中より明るかった。

 夜明けが近いのだ。

 中では見えなかった男の表情もうっすら見て取れる。

 同時にガインの顔が部屋の中で真っ黒に見えたのは、彼が黒い地肌をしているためだと気がついた。


「帰るまでの道順を話してなかったからな。

 あと、お前が今どれだけ動けるのか見たい」


 言って、ガインは自分の膝上に地図を広げた。


 驚いた。

 ガインは詳細な大陸地図を持っていたのである。


 旅に地図は必需品ではなくともあれば便利だろう。

 自分の現在地を知れる他、先々の日程を立てやすくなる。有事の際には迂回路を探すこともできる。

 だが、いくら必要だろうと通常の旅行者は勿論、ハンターでも詳細な地図を持っている者は少ない。大陸全土が載っている地図を持つ者は更に少ない。

 地図を持つ者は大抵、自分が狩りをする一部地域のみのしかも大雑把な地図を持つのが普通だった。そこに自分で自分が知っている情報を書き込むのだ。迷わないために。


 何故そんな面倒なことをしてまで詳細の地図を持たないのか?

 答えは簡単。高いからだ。


 ガインが持っていた地図は、銀や青ランクのハンジュやシャンボーク辺りなら持っているかもしれない。それほどの値段がするものだった。つまり一般人では手が出ない。

 それがこの世界に詳しくない朱里でも一見して分かった。


 地図には、今、朱里達がいる大陸が一つ書かれていた。

 手書きで精巧に。


 山脈で四つの地域に区分されている大陸は、瓢箪のような形をしていた。


 一番上が雪原の人が住む年中雪に閉ざされた地域。

 隔てるカーン山脈の山々がそれぞれ険しすぎて越えるのが一苦労どころではない上に、天候も山の天気と言えども変わりやすさが類を見ない。

 おかげで山越えをするのは、よっぽどの物好きか、雪原の人を狩ろうというハンターだけである。


 中央には砂の人が国を作っている砂漠が広がっている。

 そこには街や村の名前と行くための目印か細かに書かれていた。

 ガイン曰く目印が無い地図ではたどり着けず死ぬらしい。


 砂漠の左、ナーニャ山脈の向こう側が草原の人の国である。

 川が網目の様に幾つも別れ合流し、一帯に流れている。

 水運が発達するはずである。橋を架けるより船の方が容易い。


 砂漠の右、ルーデン山脈の向こうには森が広がっている。

 原始の森。森の人の元々の住処。

 ここの魔物は強く大きい。戦闘狂の森の人だからこそ住んでいられる森の人憧れの地である。

 それでも各所に森の人が住む森が広がっている理由はお察し。戦闘狂の森の人でも生き抜けるだけという過酷な地なのだ。

 だからこそ、山の人が相棒の魔物を探すのもこの地だという。

 

 大地を分ける山脈とは別に、瓢箪の下側に海から内陸に大きく黒い線が一本引かれていた。


 大峡谷。


 魔物が生まれる場所と言われているその渓谷を渡った者はどの種族にもいないとされている。

 どれほど深いのかも不明。広い所は対岸は見えない程遠いという。

 その向こうは前人未到の地。

 否、雪原が広がっているらしい話や雪原の人がいるらしい話は物語に語られるが、定かではない。

 海から回り込もうにも強い魔物が多く、また、カーン山脈の向こうの雪原より厳しい寒さで近寄れないのだ。

 海の向こうには氷の大陸が浮かんでいると言われている。そこから来る寒さなのだと。


 ガインの住む森は、その渓谷の内陸側の端の先にあった。

 朱里が一番最初に寄った湖から出た支流により区別けられた森。大陸全体からすれば、否、原始の森と比べてもとても小さな森だ。


 ガインの黒い指がアルス村を指さし、その傍らに流れるクナウ川をなぞる。


「ここは、船で下る。

 徒歩にすれば、途中で鍛えてやれただろうが、今はゴキリウスの一件で騒がしいからな」


 朱里は、当事者なだけに気まずくなった。

 だが、ガインはそこまで気にしていないように、実際していないのだろう、そのまま指を湖まで動かした。


「ここからは歩きだ。

 そのまま川を下っても観光ルートにしか行かないからな。

 観光者扱いされてると自由に歩けねぇし、顔見知りが案内人ならともかく、他の村の知らない奴にこの森の人間だと証明するのは手間がかかる。

 この森は、案外広いからな。

 早々、知り合いが案内人をしていることはないだろう。

 だから少し砂漠に入るが、ここで川を渡る。

 ちなみに途中に滝があるから川は使えない」


 そう言って示した渡河の場所は、湖から渓谷に向かって流れる川の途中、湖と渓谷の中間くらいの場所だった。


「ここが一番近いし、唯一渡れるようにしてある場所だ。

 大渓谷が近いように思えるかもしれないが、案外、距離があってな。

 まあ、魔物は確かに多いが、森に入っちまえばすぐにマールの木に囲まれた村があるから心配ない」


 そこで、ガインは何かに気づいたように顔を上げた。


「そういや、昼に食べた樹液、マールの木の樹液だっつってたな」


 朱里は頷く。


「懐かしい味だと思ったんだが、マールの木の樹液をとるのは森の人の風習か?」


 朱里はどう答えたものか考えた。


 頭の中でマールの木の樹液に関する情報が流れてくる。

 マールに木の樹液を取り扱うのは今のところ森の人か、森の人に近い場所にいる山の人の一部らしい。


「私の住んでいる所ではそうでした」


 朱里は設定上、面倒を見てくれていた兄姉と別れて独り立ちしたばかりの世間知らずで通っていたので、そう言うに留めた。


「そうか」


 ガインはそれで納得した。

 ガサゴソと懐に折り畳んだ地図を乱暴にしまい、立ち上がる。


「じゃあ、いっちょやるか」


 軽く屈伸などを始めた彼が言うそれは、最初に言っていた実力を見ることだろう。

 だが、ガインが口にするとどうにも「やる」が「殺る」に聞こえてしょうがない。

 朱里は自分自身に「大丈夫。これは小手調べだから死なない。大丈夫」と言い聞かせた。

 言い聞かせなくても死なない体なのだが。まあ気持ちである。


 ガインと同じく立ち上がった朱里は彼から少し離れたところに移動した。


「ええっと、どうすればいいですか?私、体術もからきしなのですが」


 短い間に日はすっかり顔を出し、周囲もすっかり明るくなっていた。

 ガインの顔は背後から光を投げる太陽のせいで再び真っ黒に染まって見えなくなっていたが。


 だが分かる。


 ガインはニヤリと笑った。


「とりあえず俺に一発入れてみな」

「えー……」


 朱里は途方に暮れた。

20.4.29 改稿

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