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初めての稼ぎ

前回のあらすじ

殺らなきゃ殺られる害虫退治。


※引き続き害虫注意。

「大丈夫?」


 気づけば、朱里はテイジョウに顔を覗かれていた。


 見渡せば、ゴキブリの山。一部灰。

 近くにハンジュやシャンボーク。そして、シャンボークに己が被ったゴキリウスの体液が移ってしまう事を気にする余裕もなくすがりつき泣いている全身真っ白くどろどろになったシーキュイがいた。


「……大丈夫」


 本当はまだ大丈夫とは言い難かった。

 朱里の腰は未だ力入らず、手も震えている。

 だが、危機を脱したことは理解できたし、かすり傷などはあれども血を流す程の怪我はなかった。当然、かじられた箇所も食われた箇所もない。


「立てる?」


 テイジョウはその辺を理解しているようだ。

 無理はしなくて良いと言わんばかりに、立つ補助をするでもなく、水筒を差し出してきた。


「ありがとう」


 朱里はもちろんその心遣いを受け取った。

 布を鞄から取り出し、貰った水に浸してゴキリウスの体液にまみれた体や顔を拭いていく。粘った体液はなかなかとれず、今すぐ風呂に入りたかった。だが、無いものはしょうがない。

 シクラメンっぽい強い匂いは薄くはなったが完全にはとれず、しかし、あらかたべたつきは取り、朱里はほっと息を吐いた。


「いい加減泣き止めよ。これぐらいで怖がってたらこの先連れて行けねぇぞ?それにさっさとここから移動しねぇと」


 シーキュイを慰めて、甲斐甲斐しく体や顔を拭いてやっていたシャンボークの声が聞こえる。

 困ったように頭を掻く彼の姿に朱里は嫌な予感を覚えた。


「ねぇ、何で急いでここを離れる必要があるの?」


 テイジョウは目を逸らした。


「なにか、くるの?」


 シーキュイの泣き声が止まった。


「なにが、くるの?」


 朱里の目がテイジョウに、シーキュイの目がシャンボークに固定される。

 二人は苦く息を吐いた。


「おーい、だいたい穫れたぞー」


 だが二人が口を開く前に、ハンジュが答えを連れてきた。


「早くしないと孵っちまう。朱里、悪いがこれをおまえの魔法鞄に入るだけ入れさせてくれないか?残りは処分するから」


 網の袋に入れられ、朱里の目の前に差し出されたのは、固そうな黒茶色の楕円形の何かだった。


「なにこれ?」


 結構な量のそれを受け取ろうとした朱里の手は、


「ん?ゴキリウスの卵だ」


 引っ込んだ。


 ゴキリウス。


 その初めて聞く名が何を示すのか。聞かなくても分かる。

 そう、さっきまで朱里とシーキュイが戦わされていた、あの、ゴキブリ達のこの世界での名前だ。


 その硬度と穫れ易さと遭遇率の高さから羽は鎧や盾、もしくは装飾品の一部に。体は、血の流れを良くする婦人薬に使われている。

 巨大な物は主に森に生息し、使用されるのは主にこちら。小さいのは主に街に生息し、害虫として駆除されるだけで利用されることはほぼない。

 両者はおいしくはないが食べられる。

 同じ名前だが別個の種族である。


 脳内知識がそうゴキリウスを紹介してくれた。


 薬は食べ物に含まれるようだ。

 これは新たな厄介事の気配がするので今は考えない。口にも勿論しない。

 面倒はごめんだ。

 それはともかく。


「いーやー!!!!!」


 朱里は魔法鞄を抱えてその場から飛び退いた。

 腰など気合いだ。気合いで力を入れて飛んだ。


「いやだよ!いやだ!何でそんなの私の鞄に!?」


 朱里は必死に首を振る。


「だってこのままじゃ、すぐにゴキリウスの幼虫が孵っちまうだろ?

 ゴキリウスの卵は雌が自分で切り離して自然に孵化する以外にも卵保有中の雌が死んだら卵が勝手に落ちて急速に孵化するように出来てる。

 幼虫は凶暴で殺すしかないし、死骸も素材に使える所はないが、卵は高く売れるんだよ。貴族に。

 魔法鞄は入れとけば状態変化が止まるから孵らないだろう?

 だからさ、頼むわ。な?」

「な?じゃなーい!嫌に決まってるわ!

 貴族に売れる!?そんなの買うのいるの!?ってあー!!!ゴキリウスの卵!あった!高級食材だわ!貴族信じらんないっ!」

「はっ!?うそでしょ!?食べるの!?ゴキリウスの卵を!?」

「食べんな!貴族の馬鹿ー!しかもレシピ豊富!」

「なにそれ信じらんない!」


 朱里は脳内知識からの新たな情報に地面に崩れ伏した。

 朱里の叫びを聞いたシーキュイはどん引いた。


「おー知ってたかー。

 そうなんだよ。卵の中身を料理するんだが、味が絶品だそうだ。

 だが、親から離したゴキリウスの卵はすぐ孵るから、なかなか調理に回せなくてな。

 孵ったばかりの幼虫の凶暴性は成虫より上だし、一個の卵から小さいのが無数に湧くからやっかいだ。目の前にある物なら自分よりでかいモンスターでも物でも人でも集団で集って食らおうとしてくる。

 ランクにすりゃ緑だな。成虫のゴキリウスは赤だが。ついでに村や町にいるのは茶色だ。

 そもそも、似てるし名前も同じだが、町のあれとは別種なんだそうだ。ま、町のあれは大きくならないし、人も食わない。

 で、話は戻すが、危険度が高すぎて滅多に食べられないから貴族の高級食材と言われている。

 もっとも貴族達は自分達が食べているのがゴキリウスの卵だとは多分知らないだろうがな」


 朱里とシーキュイは同じ顔をハンジュに向けた。


「知ってたら食べないよ!」

「貴族ってバカなのね!」


 ハンジュはうんうんと頷く。


「ま、だから買い取り価格がいい。

 ゴキリウスは成虫の羽や体も取引対象だが、そっちは卵みたいに時間制限や卵ほどの危険度がない上、今年は大発生だから安くてな。何よりでかくてかさばる。

 アルス村のギルドまで入るだけで良い!頼む!」


 朱里は魔法鞄を抱き寄せた。

 本体は当然だが、卵も嫌だ。

 だが、朱里はよりにもよってこんな時に冒険の前のシャンボークの話を思い出してしまった。


 ハンターは稼がなくてはいけない。


 獲物に会ったら、狩って金に換えなくてはいけない。

 この場合、安いくてでかい本体よりは小さくて高い卵。

 もらえる額と運べる量を考えて選ばなくてはならない。

 両方嫌はハンターには通らない。


 ハンジュは卵を選んだ。


 卵の時間制限問題を解決できる朱里の魔法鞄があったから。

 それでも両方は入らないだろうから、小さくて高い方だけ。


 けれど魔法鞄の持ち主の朱里は知っている。

 両方余裕で入る。

 ハンターなら全部持っていくが正解。


 だが、生理的嫌悪感というのは早々消えない。

 本体は無理だ。嫌悪感が強すぎる。

 ゴキブリの死骸とか小さかろうが大きかろうが別種だろうが外観が同じなら同じく嫌に決まっている。


 では卵は……。




 朱里は悩んだ。


 だって生活が懸かっている。

 己の感情優先ではお金は貰えない。貰えないと食べることが出来ない。調味料が買えない。


「中で孵ったり……」

「しないしない」

「他の荷物取り出すとき手に触れたり……」

「大丈夫。ないから」

「入れたり出したり、私がすんの……?」

「俺がする。朱里は口開けて置いてくれればいいから。出すときは念じて袋を逆さにすれば出てくるから。もちろん広がらない様、下にギルドの魔法袋を用意しておく」


 魔法袋とはギルドが常備している保存袋である。

 鞄と違ってそれなりに重さと大きさはあるが、移動で持ち歩く訳でなし、鞄よりも安価だ。故にハンターがゴキリウスの卵の様に、すぐに状態変化を止めなければならない物を持ってきた時のために、各ギルドに一袋は常備してあるのだ。


 さて、朱里とハンジュの問答を外野で聞いていたシャンボークだが、二人の話を聞いている内に何か言いたくなったのか、口を開いた。

 だが言葉が出る前にテイジョウの手に止められる。


「シャンボーク、ここで訓練はやめてくれる?

 あれはハンターでも無理な奴いるし、これ以上時間掛かったらいつ孵化するか分からない。

 俺らは良いけど、朱里とシーキュイはパニックになるよ。

 さすがにパニックになった二人を守りながらあの量のゴキリウスの幼虫を相手に取るのは分が悪いし、何も穫れずに逃げることになる。

 お金、欲しいでしょ?」


 シャンボークは眉間に皺を寄せた。

 はっきりとお金が欲しいだろ?と聞かれて頷くのに抵抗を感じたのだ。守銭奴みたいで。けれど、


「わかった」


 未だに自分に縋り付いたままのシーキュイを見下ろし、修行より生活費を優先した。

 言い換えれば、朱里よりシーキュイを優先したのだが、無論、シャンボークはそこまで自覚していない。


 テイジョウはため息を吐いた。


 さて、テイジョウとシャンボークが朱里に聞こえないように話ている間に、朱里とハンジュの話もまとまった。


 朱里は鞄の口を出来るだけ広げて地面に置いた。

 肩に掛ける紐だけ握っている。

 こうして持ち主が一部触れていないと他人が入れようとしても物を入れられないのだ。


 袋の口は丁度卵を縦入れに一つ入れられる大きさだった。


「出すときはひっくり返して「ゴキリウスの卵」と念じれば全部出るからな。大丈夫だぞ」


 入れる度、嫌そうな顔をし、不安を口にする朱里にハンジュは子供を諭すように繰り返し、朱里に出し方をレクチャーしながら、朱里を落ち着かせ、一つづつ朱里の手に触れないように卵を魔法鞄に入れていった。


 この辺りの根気強さと気遣いの良さがシャンボークの足りないものであり、シーキュイが苦労しているところだ。

 その点、ハンジュは良い男である。

 もっとも彼は山の人なので、草原の人であるシーキュイの相手になることはない。森の人の朱里も然りだが。

 なので、シャンボークの危機感は全く煽られず、ハンジュを見習うこともないのだった。


 そしてテイジョウのため息だけが増えていく。


 閑話休題。


 卵は一つがアメフトのボールより一回り大きいくらいだった。

 本体よりは遙かにましとはいえかさばるので、ハンジュの後ろに山となっている。


「残らない?」

「残らない残らない」


 個数にすれば四十六個。


 すべて入った魔法鞄の口を閉じながら、見た目は全く変わらない魔法鞄を朱里は嫌そうに再び肩に掛けた。


「全部入ったねぇ」

「まさか全部入るとはな」

「マジか」

「その鞄どんだけよ」


 テイジョウは呆れ、ハンジュは感嘆し、シャンボークは驚愕した。最後にシーキュイが憮然として、朱里は乾いた笑いを浮かべた。


 魔法鞄をタップして内容量を確認する。

 そこには「ゴキリウスの卵四十六個」が新たに追加されており、残り容量は総計でも三割も減っていなかった。


 この事実は言わない。

 今だってこの反応だ。


(本当どんだけよ、この鞄。)


 朱里は盛大にため息を吐いて画面を消した。


「さて、これで急ぐ理由もなくなったでしょ?

 もうお昼にしちゃいましょうよ。おなか減ったわ」


 シーキュイはシャンボークの袖を引っ張った。


「この大量のゴキリウス見ながらは嫌じゃないですか?

 でも疲れたし、休むのは賛成です」


 シーキュイは首を傾げた。

 彼女は死んだなら見るのは平気らしい。朱里は見るのも嫌だが。

 まあ嫌悪感には程度に差があって当然だ。


「何言ってんだお前ら。卵の取り残しがあったらどうする気だ?」

「近くに他の仲間がいるとも限らないしね」


 言って、テイジョウが杖を振るった。

 ゴキリウスの死骸に火が付いた。

 一気に燃えていくゴキリウス達。辺りに漂う焦げ臭い匂いとシクラメンの匂いが強くなった。

 だが、魔法の火が木や下草を焼くことはない。あっという間に火はゴキリウスだけを飲み込んだ。


 それを見届けて、シャンボークは声を上げた。


「移動するぞ!」

「「えー」」


 疲労が限界だったシーキュイと精神的苦痛により消耗していた朱里も思わず声を上げた。だがしかし、


「また、あいつ等と戦いたい、の?」


 テイジョウの言葉にさっと二人は歩きだした。


「さっさと出るわよ!こんな森!」

「早く行きましょう。草原でいいですよね?」


 掌をひっくり返した女二人は、森の奥へ進もうとしていた男達を置いて未だに遠めに見える草原へとリターンした。


 男達は苦笑いしながら、それでも無理に二人を止めることなく、それに付き合った。

 本当は草原ではなく森の奥へ行くはずだったことはおくびにも出さずに。




 草原に出た朱里達は時間も良い頃合いだったので昼食を取ることにした。


 そこで、問題が起きた。

20.4.28 改稿

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