八.チェンジリング
「はい。最後に意識を取り戻した場所についてお聞きしてもいいですか?」
マリアは、かぼちゃ頭のままでは飲めないせいか結局一口も口を付けず座っている。
「うーん。さっきもいったけど、あんまり覚えていないんだよね。いろいろ、気が付いたら知らない場所にいたというか」
医務室に運ばれオーストコピーの再調節がされるまでオーストコピーによる位置情報の特定が不可になっていたらしい。遮断された方法については現在、紫薇を中心とした技術士官が調査中だった。リコリスは、口の中に広がる渋みをごまかすように、口を開く。
「その場所について、どんな情報でもいいので、聞かせてもらえますか。たとえば、青い屋根の家を見たとか、麒麟の彫刻があったとかそういう断片的なものでも全然かまわないので」
「わかったよ。うーん、時計塔は見えたかな」
引き攣ったような笑いを浮かべながら、視線を右上に向け記憶をたどってくれている。リコリスは、腕輪型の立体映像射出機を操作し、宇宙船『竜宮城』の簡易モデルを投射した。
「時計台ですか。時計台はどの位置に見えましたか。時計台の周囲に合ったものでも構いません」
石畳に、松、池、青竜のモニュメント、レンガの高い建物、大きな門などをできる限り話してくれた。
「時計台がずっと右の方に見えたんだよね。時計台の後ろに五重塔があったんだよね。レンガの建物って言ったら……」
これらの情報から、意識を取り戻したであろう位置を特定出来そうだと心花と目線を交わす。基本的に白を基調とした海をイメージした建物が多い。赤茶けたレンガ色の建物は珍しく、二人の脳内に同時にある区画の名前が浮かぶ。
「高峰様。これらの静止画の中に、あなたに見覚えのある風景はありますか?」
マリアは、パーソナルウィンドウから共有ウィンドウに切り替え、数十枚の写真を部屋中に豪快な動作でまき散らす。藤は肩を大きく揺らす。
「え、えっと。君は?」
かぼちゃ頭がいきなり写真を宙に並べ出したら、誰だって引くだろう。藤は申し訳なさそうな表情で頬をかく。
「わたくしは、火星騎士団から参りましたマリア・ハワードですの。ああ、心配ご無用ですの。あなたとは初対面ですわ。さぁさぁ、記憶が新鮮なうちに、今の条件から該当しそうな情報を探し出しましょう」
じっくりと藤の目が、絞り切れていない五十近い写真の上を舐めるように過ぎていく。一枚一枚、コメントをしていく藤の言葉を聞き漏らさないように、耳を傍立てて、目を皿のようにする。
「うーん、どれも違うかなぁ。あ、これはみえたかも。こことか、近いかも」
「うーん。たぶん藤ちゃんが見たのは、レムリア建築の建物だと思う。二週間前だから、この辺だとクロード花屋も該当するね。あそこは、花の種類によって建物の装飾をころころ変えてくれるの。他には、別荘地区とか外交官の家とか、どっちかというと外の人が暮らしている建物に多いの」
「クロード花屋は、あたしのお得意様ね。映像を出すわ」
フェネストラを操作して、事件当時の街並みを再現し、時計塔の位置を基準として、素早く該当するデータを抽出する。
「あああ! ここです。ここ」
藤が、指示した場所をじっと見つめる。リコリスは、ちょいちょいと人差し指を曲げ、レグルスを呼びよせる。顔を寄せ、耳元に囁く。
「報告義務はある。でも、リコが望むなら黙ってるし、黙らせる」
宮仕えとして、神経を疑うような発言に思わず胡乱気な目を向ける。変わらずに真っ直ぐ向けられる信頼の視線に、ため息を一つ個押す。リコリスは、悪いように報告しないだろうとこわばった肩を降した。
「なんだか負けた気分ですわ。いくら、お二人に地の利があるといっても、捜索のプロとしては、悔しいですの」
地団駄を踏みたそうなマリアのかぼちゃ頭をよしよしとレグルスが撫でる。それだけで爆発寸前の火山の様なマリアの激情が一瞬にして沈下する。
「レオくんは、なんというか、相変わらずブレーキなのね」
首をかしげて、キョトンとしているレグルスに、なんでもないと首を振る。察しは悪くないはずなのにと、眉間に寄った皺をほぐす。
「そういえば、藤さん。体の方は、本当にもうどこもおかしくないのかしら。報告書には、傷と貧血症状がみられていたとあるけれど」
「だ、大丈夫です。ここに、二か所だけありましたけど。もうすっかり治りました。ほら、痕も残っていないでしょう。貧血の方も増血剤を飲みましたので、問題ありません」
ポンポンと首筋を叩くところを見ると、その辺りに裂傷があったらしい。リコリスは、特殊な視界アプリ
「神の目」を起動して、COSMAPやメイクなどで偽装がないか確かめる。細い金色の糸みたいなものが一瞬だけちらりと見えたけど、気のせいだろう。不安そうに、見上げてきた心花に頷きを一つ返す。心花の頬がほころぶ。
「ありがとう。何か思い出したことがあったら教えてね」
今度は、藤の方から手を差し伸ばす。軽い世間話を交わしながら、店先まで藤に送られた。コツコツと規則正しい足音で、店に戻っていく藤をレグルスは騎士の鋭い目つき見送る。接客中の五郎に軽く会釈をしながら、アイスに後ろ髪を引かれながらドアを閉める。
「なぁ、リコ」
「ん?」
「あの人って騎士とか自衛団とかで訓練受けているか」
思いがけない質問に首をかしげる。一応念のために、個人履歴にアクセスして確認を取る。
「えっと、受けていたっていうログはないよ。どうしたの」
「いや、歩き方がな。ちょっと気になって。いや、気のせいだろう」
リコリスは心花の背を押しながら、小道に入る。わかめのような石塔が、道行く人たちから肩を震わせる心花の姿を隠す。
「よく頑張ったわ」
リコリスの胸に顔を押し当て、心花しがみつく。思っていたよりも強い力に、目を丸くしながらも、赤子をあやすように背中をたたく。
「うっくっ。うん。やっぱり悲しいね。でも、小母さんや小父さんの方がもっと悲しいよね」「そうだね。でも、心花の悲しみも嘘じゃないでしょう」
石塔の影から、ぬうっと五郎が顔をのぞかせる。心花の様子を見て、参ったと顔にでかでかと書く。五郎は、心花に気づかれないように両手を合わせ、それからぱたぱたと手招きする。開いている方の手でリコリスが自分を指さすと、申し訳なさそうに首肯された。
「心花さん。リコリスさんの胸よりも、わたくしの方が豊満ですわ。さぁ、かもーんですわ」
状況を察したマリアが、両手を置きく広げ胸を張る。心花は涙を思わず引っ込めて、赤面するマリアをまじまじと見る。
「マリアさん、かわいい」
「そうでしょう。もっと褒めてくださってもかまいませんのよ」
マリアは、慈愛に満ちた表情で心花を抱きしめる。
「人を構成する大事な記憶がなくしてしまうなんて。被害者に共通しているところを見ると唯の記憶障害とも思いませんの。犯人はなぜこんなことをするのでしょう。何が楽しいのでしょう。腹立たしいですの。絶対に見つけますわ」
リコリスはそろりと気配を殺し、離脱する。
「どうしたの。おじさん」
「いやな。お土産を渡し忘れたと思ってな。ほれ、家内特製のピーチパイだ」
おどけた表情で、かわいくラッピングされた菓子を渡し終えると、表情を一変させる。後ろに控えるレグルスにギリギリ聞こえる声で、リコリスの耳元で囁く。
「……リコリス嬢、気のせいならいい。たぶん、家内のやつも精神的に参っているだけだと思うんだ。だがな、俺も家内の言うことをあながち否定しきれないんだ、親失格かもしれん」
「聞かせてもらえますか」
「薄情かもしれないが自分の息子が自分の息子だと思えねぇんだわ。ほらな、心の記憶が消えても体に染みついた癖や記憶は抜けないっていうだろう。そういうのもねぇんだ。違う癖とか見つけちまうと、もうなんというか。だめだな。今のあいつを見てやんないといけないのに。昔のあいつの事ばかり考えて、無意識に比べちまう」
話きると同時にこみ上げる自己嫌悪にくしゃりと帽子を握りつぶす。好きなパイの味とかも違うのだという。被害者よりも被害者の家族の方がメンタル的にヤバそうだ。もたらされた情報にレグルスの顔からふっと笑みが消える。
「おじさん……時間がかかるかもしれないけど。生きていれば、時間が解決してくれることも多分あると思う。あたしはそうだった。時間と出会いが、少しずつ笑えるようにしてくれたわ」
五郎の手を両の手で覆うようにして握りしめる。潤んだ目元をぬぐって、どこかぎこちないものの少しだけすっきりしたような顔で笑う。人に話すだけでもストレスは緩和される。
「お嬢が言うと説得力があるな……そのパイ、生地を変えてみたんだ。味の感想を言いにまた心花ちゃんと一緒に来てくれるかい」
「はい。よろこんで」
五郎に気がついた心花に、お土産を掲げると涙をぬぐっていつもの陽だまりの笑顔を浮かべた。