七.「神隠し事件」
砂丘か溶岩の波のような曲線美にあふれる石切り場のようにも見える住宅街の中を四人仲よく並んで歩いていた。青く輝く澄んだ海の底から、陽射しに輝く水面を見上げる。
二人の騎士は、星砂や太陽砂が混じった石英からなる白い砂の上を歩きながら、ため息を溢す。空から零れ落ちる陽光を時節、陰らせるのは雲ではなく大小さまざまな魚と宙を浮遊する人間の影。
「青すぎる空は疲れるけど、これはいい」
「えぇ。あそこは、雲一つない青空が毎日あるだけで、風情がありませんわね」
ふよふよと自由に泳ぎ回るオレンジと白の縞模様のクマノミやチョウウオ、ツノダシなどにレグルスがそっと手を伸ばしては、逃げられている。その魚の一匹一匹の目が監視カメラとなっているとは思ってもいないんだろうなと肩を震わせる。
「そーなんだ。わたしは、こっちが最近だと慣れちゃったよ。リコちゃんが、来る前の空はもう思い出せないかも」
毎日のように見ていたはずなのに、いつの間にか取り壊されていて、そこにどんな色や形をした家があったのか思い出せない時と同じような後味の悪さが残る。壁際で、イソギンチャクに擬態した空気清浄機が今日も変わらずに動き続ける。
「そんなに気にいったのなら、後でコピーをパッケージしてあげるわよ。まぁ、火星の偉い人たちが、ゴーサイン出してくれるかはわからないけど……その気があるのなら、後で火星のシステムと適応できるように編集しとくけど」
「頼む」
「わたくしからも、おねがいいたしますわ。お父様や叔父様の説得、頑張ってみましょうかしら」
自分の作ったものを喜んでもらえて、欲しがってもらえ、こんなご時世だというのに気持ちが舞い上がる。マリアは波のようにうねる壁に手を触れ唸る。
「視覚だけでなく、触覚までも偽れるのですね」
「あ、違うよ。この辺の建物はもともと、フニャフニャとした曲線なの。ガラスのモザイクとか、魚のうろこのような屋根とかいくつかは本物なの。お母さんと父さんが結婚した時に、『竜宮城』らしくしようってことになって、大幅リフォームしたんだぁ」
「なるほど。紫薇さんとリコが手を合わせてこの街並みができたのか」
「まぁね。船長は妻と娘には甘いから、誰もストッパーになる人がいなかったのよ。それで、いつの間にか町の人巻き込んで、この有様。確か、もうすぐ着く『Angela』のガラスのモザイクとかは、店主の妹さんの手作りだったはずよ……ほら、その店」
二センチ角の鮮やかな色彩を放つガラスで作られた天使の下に、宇宙公用語ではなく、古語で「Angela」と赤い看板が掲げられている。その店から、バターと砂糖のやける甘い匂いがぷぅんと漂ってくる。リコリスは一応、事情を聴くことになっている「神隠し事件」の被害者が在宅かどうか確認すると、木目調のドアを押す。
「いらっしゃいませ。おっ、心花ちゃんとリコリスちゃんじゃないか。ふむ、心花ちゃんは子猫で、リコリスちゃんは、魔女か。二人ともめんこいなぁ」
カランコロンとドアベルが鳴った先で、白いコック帽をかぶった体躯のいい中年の男性が歓迎してくれた。玄関に設置されている足マットの上に数秒間立ち、埃や汚れを除去する。
「いいねぇ、お兄さん。両手に花じゃないか。そっちの姉ちゃんは、凄い美人だなぁ。おじさんもあと二十歳若かったらなぁ。あっははははっ」
ビール腹をゆすり笑う。店内にはきつね色に焼けた菓子やフルーツをたっぷり使ったお菓子の他に期間限定のハロウィンスイーツが並んでいる。
「おじゃましまーす! むむむ、マリアさん。被り物ぬいじゃダメって言いましたよね」
「わたくしの美貌がさらせないなんて。世の損失ですわ」
「そりゃそうだなぁ。だがなぁ、姉ちゃん。男っていう奴は隠されているとこう暴きたくなる生き物なんだぜ。なぁ、兄ちゃん」
同意を求められたレグルスは、幾度か視線を往復させてからこっそりリコリスを見る。呆れたため息をつきながら、マリアから見えない位置で「頷いとけ」と顎をしゃくる。
「レオ様がそうおっしゃるのでしたら、かぶっておくのもやぶさかではありませんわ」
上気した頬を隠すように、すぽんとかぼちゃの頭を素直にかぶったマリアを見て心花が、五郎に向かって親指を立てる。
「ゴローさん、聞いてくださいよ。この騎士のお兄さん、実はリコちゃんの昔馴染みだったんですよ。まさかの十年ぶりの再会なんです。お祝いに、何かケーキ買ってこうかなって思っていて、おすすめは何ですか」
「おばけかぼちゃのモンブランケーキだな。だが、リコリスちゃんが喜ぶのは、各種お化けのロリポップ型のアイスキャンデーかもしれないな」
「おじさん、そのアイス全種類、後で家に届けて!」
「おうよ。家内も喜ぶよ。それで……心花ちゃんたちは、息子の様子を見に来たんだよな」
神妙にうなづく。
「今は仕込みが終わった家内が、息子の部屋に様子を見てきているはずだ。ん、今大丈夫だとメッセージが入った。その、なんだ。心花ちゃんたちにはちいっとショックかもしれん」
「だ、大丈夫です」
決意を固めた心花の手を握り、ドアの前に立つ。
心花のがちがちと力の入った肩や頬を見てため息をつく。これじゃあ、話をする方も話しにくいだろう。心花の背後に回り込み腕をぱっと持ち上げる。尻尾の毛が逆立つ。
「レオくん! は、まずいか。マリア。やっちゃえ」
にんまりとしたリコリスの笑みを浮かべる。マリアが、万歳させられて無防備な脇を晒している心花に視線を固定して、ふふんと眉を持ち上げる。心花は、たらりと、完璧な空調環境のはずなのに冷や汗を垂らす。
「ふふふ、命令とあってはしょうがないですわね。ふふふふ、さっきから何気なく、わたくしがレオ様と接触するのを阻んでくださったお返しですの。こちょこちょこちょ……笑い苦しみなさい」
ノリノリで、くすぐり始めたマリアに心花が必死に身をよじるってあばれる。口を押えて笑いを堪えている。さすがにこの場所で笑い声をあげるのはよくないとと、懸命に我慢している姿が余計に煽られる。
「っああ。くすぐっあい。りこちゃん、やめさせて。レオさん助けて。ちょっ。ああははは」
レグルスは身の置き場がなさそうにそっと視線を外す。しっぽがぱたぱたと床を叩く。
「そんな不細工な顔で藤さんに合うの? ある意味、初対面でしょう。今朝、誰かさんがあたしに口にしたセリフそのままお返ししてあげましょうか」
「うっ」
心花は視線を巡らせた後、喉元まで出かかった言葉を飲み干し、顔を俯かせた。
「心花さん、良かったら俺たちが、事情を聴こうか? 二人にとってはとても仲のいい人だったんだろう」
レグルスの申し出に心花は、笑いをおさめて真顔になった。湖を思わせる静謐が、その面を覆う。心花は、蜂蜜色のツーサイドアップを揺らし断る。
「ううん。これは、わたしがやりたいっておねがいしたことだもん。それに、みんなの身に何が起ろうとしているのか少しでも知りたいの。ね、リコちゃん」
穏やかにほほ笑んで、心花がドアノブをひねるのを見守る。ドアが開くと同時に、頭にサクランボのボンボンがついたコック帽をかぶった青年が、ぱっと席を立つ。沈黙を切り裂くように心花の挨拶から始まった。
「はじめましてかな。わたしは、心花っていうの。藤ちゃんのお店の常連さんだよ……覚えてないよね、やっぱ」
藤は申し訳なさそうに首を振る。何処にでもいるような普通の人に見えるけど、この人が作ったかぼちゃパイは、優しい味がして絶品だったと、ぐるぐる渦巻きの天井を見上げる。
「はじめまして、じゃないんだよね。知っていると思うけど一応挨拶させてね。僕は、藤・高峰。ここ『Angela』の見習シェフかな」
心花はひどく動揺していることは明らかなのに、一生懸命笑顔を作って藤を落ち着かせようとしていた。心花が差し出した手をおずおずと藤が握る。
「リコリス・ラディアータ・飛です」
リコリスも握手を交わした拍子にふわりと甘い花の香りが漂い首をかしげる。店にあるバニラエッセンスの香ばしい匂いとは違う気がする。藤は見慣れない騎士服の二人に気が付き、自然と肩がこわばらせる。
「こちらの二人は、そこのお転婆お嬢様の護衛ですので、緊張なさらないでください。あっちの白獅子の獣耳、尻尾がレグルスで、そっちのかぼちゃ頭が、マリアです」
マリアが、「かぼちゃ頭とは何ですの」と空気を読まずに文句を言ってきたが、リコリス達はスルーする。藤は困惑した笑みを浮かべながら、とりあえず椅子に腰を降ろすように促す。レグルスはあまりにも自然な様子でリコリスの坐るイスを引いたことに、腰を落ち着けた後に気がついた。はっとして振り向くと、小さな首肯が返ってきた。
「あっ、飛って、そうか。キミたちは、船長の娘さんたちだったんだね。話は長くなるんだよね、きっと。どうぞ、座って」
貧血症状にしばらく苦しんでいたと聞いたものの、藤の顔色はだいぶいい。造血剤が聞いているようだ。足取りもしっかりしている。どうやら、記憶は別として大きな障害は無いようだ。ほっとすくわれた気分になる。
「そうか。それじゃあ、これ、喜んでもらえるかな。家のお菓子。すごくおいしいから、よかったら……君たちも、僕と親しかった人たちなのかな」
薄桃色のサテンリボンでラッピングされたお菓子の袋を受け取り、心花はぐっと顔をよせ、ピンと耳を立て、瞳を輝かせる。
「ありがとう。藤ちゃん。藤ちゃんの新作?」
「藤ちゃん? 僕はそう呼ばれていたんだね……ごめん。それは、母さんが作ったやつなんだ。僕も、パティシエだったって聞いたけど、本当だったんだね。なんか実感ないや。ごめんね」
ぽりぽりと頬をかきながら、ますます申し訳なさそうにうなだれる。慌てて口を押えた心花は、耳をへにょんと垂らしながら、首を力いっぱい振る。振り向いた心花の瞳は揺れていた。
「この子は、この店の常連なのよ。お兄さんのつくるお菓子が大好きで、新作を開発する度に、この子に味見を頼んでいたわ」
リコリスは、膝に置いた心花の手をそっと左手で覆うようにして握る。物悲しいクラシック風のBGMが店の方から漏れ聞こえる。
「いっぱい休養して、それから元気になって、また藤ちゃん特製の美味しいパイを味見させてください。あ、図々しいですね」
「なんか記憶を失う前の僕が羨ましいな。こんなかわいい子と仲良しだったんだもん。ごめんね、記憶は戻らないんだ。フェネストラの行動記録は、最近のものまでしか確認できていなくてね。母さんは菓子作りをまた一から教え込まないといけないって頭を抱えていたよ。時間がかかるかもだけど、待っていてくれる人がいるって嬉しいね。頑張るよ」
北欧風の白磁のティーポットの中に、藤は大盛り一匙分茶葉を入れ、お湯を注ぐ。茶葉が開ききる三分を待たないうちに暖かな紅茶をカップになみなみと注ぐ。人数分用意し、それぞれの前にそっと差し出す。
「えっと、刑事さんに聞かれたことと同じようなことを話していけばいいのかなぁ」
心花は、悲しそうな顔をして、一口だけ飲んでカップをソーサーに戻し、普段は入れないお砂糖に手を伸ばす。レグルスは、どこか品を感じさせる絵になる動作で飲み干すと、にっこりと笑う。だけど、レグルスのそれが作り笑顔だとそう短く無い付き合いなのでひしひしと伝わってくる。
「お願いします。それではまず初めの質問なんですが……」
心花の質問に時々澱みながらも真摯に答えてくれた。リコリスは、盛んに相槌を打ちながらメモ機能に指を走らせる。応答を観察し、言語能力の方は問題が無いようだと、事務的に一つ一つ調査資料の内容を確認していく。