六.ようこそ「竜宮城」へ
竜宮城という船名にふさわしく、竜をモチーフとしたガーゴイルやオブジェクトが視線の先々に散らばる。リコリスは半年ぶりに足を踏み入れたスカイデッキの上を心花に手を引かれながら歩く。
「あんまり、甲板にこなかったから、ちょっと別の都市に言ったみたいで新鮮。ここからだと、本物の宇宙がみえるのね」
目を傷めないように特殊なガラスの通しているものの、電脳世界に浮かぶ偽物の青い空ではないものを見れる場所はこの広大な船内においても、そう多くはない。見上げた宇宙にかかるゆるやかな天の川には、青き星のころから想いや願いが時代を越え、色あせることなく届いているのだろうか。
「なんか、こっちの方が嘘っぽいわね……」
首が痛くなるほど見上げ続けていると、ふいに得も言われぬ恐怖が胸のうちにくすぶる。どれだけ精密に描いた夜空もやはり本物にはかなわないのだと視線を落とす。
「あはは。それ、リコちゃんが強制参加の式典くらいしか、上がってこないからですよ。普段は観光メインで来る人も多いから、お土産品も豊富だよ。この時期、仮装しなくてもいい場所なんて迎賓エリアくらいかなぁ」
いつもは厳めしい顔をしている竜たちも、このハロウィンの時期だけは、かぼちゃを口にくわえていたり、しっぽの先で転がしたり、宝珠の代わりにかぼちゃを抱いたりと遊ばれて、思わず顔が崩れる。心花と話し合った結果、二人にはホラー度少な目で、可愛さ重視の仮装をしてもらうことにした。
「ハロウィンウィークってこのことだったんだね……あぁ、それで二人がそんな可愛い恰好をしていたんだね」
真正面から可愛いと褒められて二人そろって頬を染め上げる。マリアがかぼちゃ頭に手を駆け、非難めいた声をあげる。
「なぜ、わたくしだけこんなぶちゃむくれの顔なのでしょうか。せっかくの美人な顔が世間様にお披露目できないではありませんの」
ちなみに、レグルスには白獅子の獣耳、マリアにはジャック・オ・ランタンの被り物だ。それとなくレグルスの半歩後ろに控えたマリアは、仲良く手をつなぐリコリス達を見てレグルスの腕を凝視した後、雑念を払うように激しく頭を振る。突然のかぼちゃ人間の奇行に子供たちがきゃっきゃっと笑い声をあげる。
「でも、子供たちにはとても人気みたいだよ。マリア」
甲板から随所に龍が彫刻されたリヴ・ヴォールトのアーチ型の回廊に抜け出す。仮装を終えた一行は、心花の願いにより、件の連続失踪事件の被害者の家に事情を聴くことになった。心花の知っている人だったらしく、気丈にふるまっているもののぺたんと耳がしおれている。
「本当にいいのかな? わたしも付き合って。本来の任務の邪魔にならないかなぁ。あ、でも、わたしの護衛も兼ねているのから、別にいいのかな」
「いいんじゃない。別に。むしろ、心花がいてくれて助かっているわ。やっぱり、久々すぎてレオくんとちょっと気まずいんだよね。マリアとも微妙だしさ。ボスが許可を出したのなら問題はないよ。たぶん、この任務って他国の騎士と友好を深めることが真の目的なんじゃないかな。それに、普通に考えて連続失踪事件の案件は火星の方にも耳に入っているだろうし、生きのいい情報が手に入れられてラッキーって思ってくれるわよ。それにほら、見て」
リコリスの後ろから尻尾をゆさゆさ揺らしながらついてくるレグルスに視線を誘導する。心花は誰がどう見ても上機嫌なのがうかがえる雄弁な耳と尾に神妙にうなずいた。
「ねぇ、リコちゃん。あれを議会委員につけるの強制できないかな」
リコリスは一瞬、わざわざそんなものを付けなくとも十分にやつらは、タヌキやキツネなどの化け物集団だと言いかけた言葉を飲み込む。盗み聞きをしていたマリアがぷっと吹き出す。
「おほほほっ。魔窟の住人が本当にそうなっている姿を、創造してしまったではありませんか。さらに高度な読み合いがはじまり、傍から見たらたいそう愉快な議会になりそうですの」
ひとしきり笑い合った後、リコリスは咳払いを一つして真顔になる。
「衣装も完璧になったことだし、二人には『竜宮城』の真の姿をそろそろ見てもらいたいわ。二人が、検閲も含めて、この船に滞在して二週間。そろそろこの船の重力環境にも慣れて来たころでしょう」
二人からそれぞれ肯定の返事をもらう。心花と目で合図する。リコリスは、心花と示し合わせて瑞獣のレリーフが施された青銅製の扉に手を置く。
「火星の騎士様方、ようこそ我らが誇る『竜宮城』へ」
ゆっくりとじらすように巨大な扉が自動で開かれていく。
目の前に広がる広大な海に目を吸い寄せられる。二人の騎士がそろって息を止める。これほど圧巻な量の水を生まれてこのかた目にしたことがなかった。リコリス達は感動を邪魔しないように口に笑みを浮かべたまま二人をクリスタルエレベータのー中へ案内する。
「……」
シースルーカプセルが搭乗者に不快さを感じさせない計算された加速度で降下していく。ぽこり、ぽこりと宙へ吸い込まれていく水泡。
「それでは、海階に参ります。呼吸はできるのでご安心を」
眼下に広がる白亜の町並み。マカロニに似た細長いマテガイの高層ビル、洞窟の民家や店。リボンアオサやベニモヅクなど色艶やかな藻が空へとゆらゆらと伸びている。底層から突出する岩礫、沈没船なども海底遺跡がオブジェクトのように点々と転がっているノスタルジックな雰囲気を醸し出していた。
レグルスたちは途方もなく驚いているのか、微かに息をのむ音が響く。
天空の城のようなコロモガイにとぐろを巻くマラカイトでできた龍の巨大なモニュメントが来訪者を迎える。龍の中心にチョココロネのようなタクミニナ、サザエ、リンボウガイ、ピナクルを纏うクモガイが囲う。
「すばらしいですの」
「ああ。綺麗だ」
出た言葉は、なんともシンプルで抑揚のない声。ぷっくりとした唇のふくらみに指をあてながら、マリアは信じられないものを見る目を向けた。
「どうなっておりますの。宇宙船『竜宮城』が天体都市並みの機能の広さを持っていることは有名ですが、これほど広大な空間が広がっているなんて自分の目で見ても、信じられませんわ。まさか、空間拡張ですの?」
頭に根付いた疑惑を喉の奥から絞り出す。リコリスは、首を静かに振ってやんわりと否定する。
「フェネストラやオーストコピーに干渉しているのよ。錯視や遠近法といったものも利用しているわ」
人間が見ている世界は、すべて「光」でできている。両の眼に映し出される世界がどんなに荒んでいてもそれらはもともとすべて「光」なのだ。目で受け入れられた光は、そこから神経を通って、脳の後ろ、後頭葉に伝えられる。そこに、ブレイン・マシン・インタフェースフェネストラと恒常的体内監視システムオーストコピーを通して干渉して、ミクスト・リアリティの世界を展開しているのだ。
「リコのおかあさんの研究」
一瞬、どくりとした鼓動はリコリスの表情を硬直させる。
「でも、これはリコの作品だね」
ぐっとこみ上げたものに声を詰まらせ、壊れた首振り人形のように首肯する。気がついてもらえたことが嬉しくて、なんだか胸のあたりがじわーっと温かくなってきた。
「仕組みとかはリコのお母さんだけど、リコらしい遊び心がたくさんだ。リコのお母さんには、実用面重視だから、こういう発想があんまりなかったと思う。これ見たら、リコのお母さん子供みたいにはしゃぐね」
端整な美貌に、微笑を浮かべたレグルスは、言葉を選ぶようにぽつりぽつりとリコリスを褒める。レグルスは親が子を褒めるように、リコリスの頭を撫でる。マリアは、それを視界の端に収めながらも、妹の命の恩人が関わったエメラルドグリーンの景色を食い入るように見つつづけた。