五.二人の「飛」
花冠を頭に乗せた乙姫が佇む広間の時計が、伸び広がるように長く鐘の音を鳴らしはじめる。それを合図に、乙姫の彫刻の周りを、天女たちが花束とともにくるくると回りだす。
「さぁ、みなさん。虚弱体質のリコちゃんも、無事に回復したことですし、そろそろ、任務に向かいましょうか」
心花は、リコリスの体調が回復したことをかなり念入りに確認した後、暗い空気を振り払うようにぴょんと元気良く発言した。
「しつこい男は嫌われるわよ。レオくん」
まだ不安そうな顔をしているレグルスの頭を軽くはたき、偶にあることだから気にしないようにと言い聞かせる。
「そうそう。マイナス一点ですよ。さて、ここで一つ、お二人に提案があります。わたしとリコちゃん、どちらも同じ飛っていう名字なんで、ここはみなさん名前呼びにしませんか?」
竜宮城では、家族ぐるみの付き合いが多いので、名前で呼び合うのが普通なのだ。レグルスは、どことなく嬉しそうに首肯する。
「心花さんと呼んでも?」
心花は喜々として頷く。
「わぁーい。聞いた、リコちゃん。レオさんからの名前呼びゲットした。みんなに自慢しちゃおう。レオさんってすごく心が広いし順応はやいね。あ、レオさんって呼びますね」
「かまわないよ。リコに敬称付けされるのはむずがゆいし……あ、リコっていうのはさすがにまずいかな」
レグルスがチラリと視線をマリアに向ける。マリアはにっこりと笑みを形作り、淡々とレグルスをたしなめる。
「えぇ。いくらなんでも砕けすぎですわ。百歩譲って名前呼びまではかまいませんわ。ですが、レグルスさま! まったく、何をほだされているんですか! 警邏任務とはいえ連続失踪事件の事もあります。もっとしっかりしてください十年ぶりの再会に、気が緩んでいるんではありませんこと? だいたい、父親であるリアファル情報本部長に対して、普段あれだけ他人行儀でしたのに……隊長の皮をかぶった偽物じゃないか疑いたくなりますわ」
マリアは頬に手を当て艶めかしいため息を溢す。そこには諦観の色が濃くにじんでいた。リコリスは何となく二人の関係性を悟り、憐れむような目をマリアに向ける。
「マリアさえ黙っていれば問題ない。そもそも今回は、俺たちは彼女たちの護衛任務も含まれているからね。彼女の発言はよほどのことがない限り優先されるだろう……あぁ、マリアは、権力が大好きだからハワードって呼ばれたいんだね」
レグルスは、こてんと首を傾げ、謎は解けたとでも言いたげな顔でしたり顔で頷く。マリアはむっとした表情を隠そうともせず唇を尖らせる。
「はぁ。それでは、わたくしもレオ様……とっ。まったく、レオ様はずるいですわ。その代り、わたくしのこともマリアとお呼びくださいな。リコリスさん、……魔女呼ばわりは謝りますわ。ですが、いくらアマリリス博士が立派な方だとは言えその娘までもそうだとは限りませんもの。あなたの化けの皮をレグルスさまの前で、このわたくしがはがして見せます」
低く感情を抑えた声でマリアはリコリスにだけ聞こえるように耳打ちした。ぞわっとリコリスの産毛を逆立てるものの、言われっぱなしというのもなかなかに腹が立つので、余裕の笑みを浮かべる。
十時の鐘の音は、すっかり鳴りやんでしまっている。
「あら、こんな時間ですわ。時間は有限ですわ。さぁ、行きますわよ。リアファル隊長は、任務時間中ですので、くれぐれもそこの女にうつつを抜かさないでくださいませ」
マリアの凍った怒りを凝縮した凄烈な微笑にレグルスは、不思議そうな顔で小さく首を縦に振った。
「あ、そういえばお二人に早速やってもらわないといけないお仕事があるんです。ついてきてもらえますか。今、本船で開催されている(強制)イベントとかかわるお仕事なんです、ね、リコちゃん」
心花が意味深なウィンクを器用に飛ばす。リコリスは、ささっとレグルスの背後に回り込み服のタグを確認する。
「うわぁ。ちょっと。リコ! リコから抱き付いてくれるのは、最高にうれしいけど……、今はお仕事中」
沸騰した薬缶のように頬をほてらせ、マリアは美しい顔をこれ以上ないほど歪ませながら小刻みに震えた。白くなるほど握りしめた拳を開きリコリスに突っかかってくる。
「なななな。破廉恥ですの。この痴女」
マリアの攻撃を完全に見切り、流しきる。心花に向けて親指を突き立てて、「GOOD」っと合図を送る。
「むふっ。さぁ、お二人とも、母様のお店にれっらごーです」
尻尾をご機嫌に揺らし、意気揚々とマリアの腕をとる心花の背をレグルスとゆっくり後を追う。
「新しい家族と、うまくやれてそうだな」
軽やかに笑って肯く。心花は家族というより親友に近くて……この船で出会った人たちとの関係もそうだけど一言で片づけてしまうのはもったいないような感じがした。議会が終わるまでの短い間だけど、最後にレグルスの目に映る姿が可愛いものでよかったと笑みを深めた。