八.隠れ鬼
リコリスは啖呵を切ったものの意識を集中させようにも、あちらこちらから悲鳴が上がり意識が散乱してしまっていた。近くで知り合いが倒れれば助けに行きたくなる。普段なら冷静にできる判断も、だんだんできなくなってきてはいるようで怖い。それでも、信じてくれているのだ。成果を出さないわけにはいかない。あれだけどこかで忌避していた神子の力も今は頼もしさすら感じる。
「くよくよしている場合じゃないわ。あたしは、成果を出さないと……力を貸してください。かあさま様」
目を閉じて、耳を塞いで、肌で感じる感覚を切断してリコリスは、自分の感覚を世界へ溶けだしていく。船内に満ち溢れる狂乱の色。恐怖、おびえ、怒り、希望、悲しみ、苦痛。たくさんの感情の色が、渦を巻いている。それらは鬼と対鬼武器に向けられている。悪意の奔流の中心点にいる鬼に意識を近づける。精神体のみのリコリスに触れられるものはいない。
いろんな色の糸がねじり合って絡み合っている。縦の意図と横の糸の間によくわからないくらい糸がかけられている。
鬼からまっすぐ細い蜘蛛の糸のようなものが、一ヵ所にから流れている。その先に目を凝らす。船内にいる鬼すべてにその意図はまとわりついている。その糸の縒りが、上下に移動している。まるで何かが送られているようだ。
「これ以上は知覚範囲外。ここの設備じゃ、この先をたどるのは無理。やっぱり、カンナ・カムイ様のお膝元ではないせいね。でも、この方角は」
リコリスの意思を組んだ情報の泉が、糸の伸びる先にあるものを導き出してくれる。
「まずは、この糸の先に居るのはすべて鬼で、間違いなさそうね」
リコリスは、船内のすべての人間に敵味方識別信号を送信する。これで、疑心暗鬼が少しでも減るといい。これ以上、リコリスの守護する竜宮城で好き勝手させるつもりはなかった。
「レオくん」
「ん。お帰り」
「今から、敵味方識別を送るわ。人の形をしていてもそいつは、鬼で間違いないわ。心配だったら、剣先で、鬼を」
「問題ない。リコが、鬼だというのなら鬼だ」
「そういうのはやめなさいよね。あたしに全部責任丸投げとか最悪よ」
「すまん。そういうつもりじゃない……どうやって見つけた?」
レグルスは気持ちいいくらい綺麗に鬼の身体を真っ二つに割る。自分の身体の近くで鬼の存在がこと切れる。ふと、リコリスは、カンナ・カムイが見つけ出した鬼に対抗する武器の仕組みを少しだけ理解した。
「うまく言えないけど、鬼本体からは感情の色の発露をあまり見つけられない。ううん、感情に類似したものを感じるけれど、それはどこかプログラム、そうね……AIによく似ているかも。それより大事なのは、鬼から伸びる糸が見える」
「リコリスに見えるということは、それは何者かが鬼という端末に送っている電子信号みたいなものかもしれないな」
「そうね」
リコリスの神子の瞳が覇気を孕んで怪しく揺らめく。
白兎鬼の頭部に強烈な一撃を加えて粉々に破壊しながら、周囲を見渡す。
「指令官確認……っ牛の顔に、鬼の身体、鬼!」
リコリスは、飛ばした視界の向こうで因縁の敵を見つる。額からは螺旋角を生やしていた生き物が、にたりと笑ってそこにいた。その笑みが、母親の最期の記憶と重なる。キーンと鋭い耳鳴りが脳天を突き抜ける。見えすぎる景色には瞼を下して視界を遮断する寸前、深淵に潜む目がこちらを見ていた。
そしてようやく、リコリスは鬼の中継鬼を見つけた。
間近でその鬼はにやりと笑うと、みるみると姿を人型へと変えた。リコリスに似た赤い髪、金色の目の妙齢の女がどこからともなく現れる。女は何も言わずにただハープをかき鳴らし微笑んでいる。三人はその変貌に息をのんだ。
「悪趣味だ。リコ、こいつは俺がやる。やらせてくれ」
「レオくん。だめ。これは多分あたしがやらないといけないの。やらせて、おねがいっ」
レグルスの胸ぐらをつかんで、首を振る。目の前の鬼が持つ人型は、リコリスにとって大切な人だった存在だ。
「レオくん、あたしはあの人の最後をこの目で見ているの。だからね、ムカついているの。あの人の顔で、声で……忌まわしい。許しがたい。あたしのかあさまは、すごくかっこいい人よ。頭もよくて、何でもできて、それでいてあたしを愛してくれた。本当はいけなかったのだろうけれど、神子としてのあたしではなく、リコリスとしてのあたしも生んでくれたの人なのよ」
鬼が人を殺す光景を見て、心底楽し気に口元を緩ませている。リコリスの母アマリリスではないという証拠をこうしている今も、フェネストラが視界を埋め尽くす勢いで吐き出し続けている。母が生きていたら良かったと思うことはたくさんあった。だけど、母を失ったからこそ結べた出会いもあった。過去はいくら悔いて戻りはしない。
「あなたが違うとわかっているけれど、言わせて」
ニライカナイの惨劇のあったその日の姿で時を止めている母の姿に息をのむ。それでも真正面から、母がリコリスに向けなかった敵意を受け止める。人の欲を掻き立てる、天上の調べから耳を背けて、笑う。
「生かしてくれてありがとう。あの時はどうして一緒に死なせてくれなかったと恨みたい気持ちもあったの。それでも、生きていたからこそ、外に飛び立ったからこそ、出会えた人がいた。出会えたものがあった。出会えた幸せがあった。だから、あたしは幸せだったよ。かあさま……たとえ、あと半年だけの命だとしても」
細い女の身体が、ぼこりと不自然に膨張し、レンガ色の皮膚が外気にさらされる。不思議と心は凪いでいた。リコリスは、一番初めに作った対鬼武器「赤い靴」を誇るように起動させた。
リコリスは、一撃で鬼の意識を刈り取るつもりでいた。けれど実際はその一撃は止められ、しかもどうやら今のリコリスと鬼の力は拮抗しているらしい、その原因は思っていた以上に鬼が強かったというのもあるがそれ以上にリコリスが自分の力を引き出しきれていないことに合った。
「余命半年……」
呆然とレグルスはつぶやく。リコリスの付け焼刃の身体を痛めつけるような戦い方は、むしろ回りをハラハラさせる。
「いえ、たぶん本当だと思いますわ。レオ様。アポイダカラ病は不治の病。あれだけ全身にヒヒイロカネが覆っていたということは、そう長くないと思いますわ」
「なんで、なんだって、あいつはそんな大事なことを黙っていたんだよ……マリア、俺は、あいつを死なせたくない。協力してくれるか」
「よろこんで。わたくし、友人を見殺しにするような安い女ではありませんもの。それに、リコリスさんには貸しがありますわ。ついでに言うのなら、わたくしはまだリコリスに、レオ様にふさわしいところを見せつけきれておりませんの。こんなところで死なれては困りますの」
牛の顔に、鬼の身体、額からは螺旋角を生やしていた生き物が、にたりと笑ってそこにいた。意地悪な笑みだった。リコリスの反応を楽しむためだけに、アマリリスの姿を取ったのだろう。鬼の笑みが、母が殺された過去と重なった。
そうして巨大な牛鬼とリコリスの一対一の最終決戦が幕を開けた。




