七.背中合わせ
「リコ、無事か」
よほど集中していたのだろう、今自分がどこに居るのかを一瞬見失った。疲労が蓄積したせいか、全身の動きが鈍い。
「ええ。レオこそ」
敵の接近にレグルスは刀を抜く。緊張はしているが体は動く。いつもの訓練、模擬戦と違うのは敵がこちらを殺す気であるということと、その大きさだ。動きが単純で助かった。正直人間相手に武器を振うのはためらうがこれだけ人の形から逸脱していれば情け容赦をかける理由はどこにもない。
「こっちは、これが本業だ。リコ、妙に連携していないか?」
「マリアとは先ほど、意気投合したわ」
鬼の肉を断った感触が手に残っているうちにまた、肉を落とす。背中には、べったりと汗が張り付いている。善悪の区別すらこの混沌とした戦場の中では濁りきってしまいそうだ。
「おめでとう。でもそうじゃなくて、鬼の連携の事だ」
指摘されてみれば鬼はまるで近距離と遠距離、中距離を使い分けているような気がしなくもない。リコリスは周りを見ている余裕がなかったから今まで気が付かなかった。
「指揮官が仮にいるとして、どうやってそいつを見つければいいですの? 数が多すぎますわ。それに、これだけ、敵がいるとわけわかりませんの。とりあえず、一番偉そうなのを優先的に落としますか」
「逆に一番闘わずに高みの見物をしているやつとか。まだ人に化けているやつらがいるかもしれない。これじゃあ、そう遠くないうちに避難所の方でも疑心暗鬼になりかねない。それにして、こっちはフェネストラを使って戦況を確認し合っているけど敵はどうやっているんだ」
「野生の感ではありませんの。それか、こう魔法的な何か」
マリアの言葉に首をかしげる。鬼という存在は、見た目の派手さや存在の忌まわしさに気を取られて化け物という感じがものすごくする割には、行動がひどく理に適っている。船長やこちらの指揮官が狙われているところもそうだ。
「飛行できたら、いいんだがな」
レグルスの言葉にはっとなる。
「できる」
「え」
「とべるわ。正確には泳ぐに近いかもだけど。初めに行ってでしょう、ここの環境はいろいろいじれて普段は、エレベータを使わずに行動しているって」
レグルスはそんなこと言われただろうかと首をかしげる。マリアに視線を向けると同じように覚えがないと帰ってきた。
「だがどうやって」
リコリスは艦内設備に対して異様に高い権限を持っていてなお、今手が空いていそうな心花に渡りをつける。二つ返事で受け入れてくれた。
―――ピンポンパンポン ただいまより、船内をウォーターモードへ切り替えます。各自、準備をお願いいたします。
きっかり三分後、浮力が生まれる。リコリスは、床を蹴る宙へ飛びあがる。
「こうやってよ」
突然の浮力に右往左往する鬼の首を赤い靴から延びる棘が絡みつくように首を絞めつけ、破裂させる。踊るように、宙を飛び回る。クラゲの上に降り立ち、斧を振り下ろすときの勢いを利用してさらに飛び上がる。慣れない足場に鬼はうろたえている。
「勝機はこちらにあるわ」
リコリスは足を曲げたかと思うと、まるでそこに足場があるかのように思い切り蹴って見せた。本来ならば空中であがいたところでほとんど軌道も速度も変わらない。でも、ここの環境設定なら人は空だって飛べるのだ。
「すごいですわ。ちょっと、衛星設置の任務に似ていますわね。それよりも動きやすいですわ。わわっわああああ」
マリアもリコリスに倣って、宙を蹴る。しかし思うようにいかず、身体が逆さまになる。リコリスに現実の視界を頼るのではなく、フェネストラ上の情報を頼りに動けとヒントを与える。
「そういうことは早く行ってくださいですの。でも、レグルスさま、妙に適応が速くありません?」
「ニライカナイにも似たようなものがあった。そもそも、この竜宮城のデザインの原型は多分ニライカナイだろう。リコ。それに、COSMAPで隠しているだけで、足場となるものは点在しているからな」
COSMAP強制解除の景色を覚えているからとレグルスは付け足す。
「ああ。もっと早く気付いていればよかったな。敵の上を取れるというのは気分がいい」
人間が鬼と化す光景は何度見ても見慣れない。味方すらも鬼であるかと疑いたくなるような、足元にあるすべての血が実は赤色ではないかとか、考えが迷宮に誘われ始めている。
「っう。何」
リコリスは、頭に走った痛みに顔をしかめる。視覚が突然切り替えられて、バランスを崩し転びかける。とっさにレグルスが半歩前に出てリコリスを支える。
「無理するな」
「大丈夫。二人に迷惑を変えるつもりはないの。ただちょっと、眩暈が」
視界に天井からまっすぐ伸びる金色の糸が見えた。オーストコピー越しのもう一つの視界に、まばゆく脈動する黄金の光がちらついた。
「この色は……」
光の粒に手をかざす。
リコリスははっとなって顔をあげる。リコリスは一度、これに似たようなものを見ていた。あの時は気のせいだと思ったけれど、もしかしたら手掛かりになるかもしれない。眼球に映る世界を頼りに探すのではなく、ワッカ・カムイが見ているような視界で、その光を探る。
「リコリス、危ないですの。何をぼおっとしておりますの」
「マリア、レオくん。二人とも、あたしを守りながら何分間くらい戦える?」
「五分」
「もしかしたら、鬼の指揮官もどき見つけられるかもしれない。リアルタイムで全体の戦況に関係しているってことは何らかの方法で情報のやり取りをしている可能性があると思う。それで、さっき、偶然信号らしきものを見つけた……かもしれない」
「それは! リコ、できるか」
「やれるだけのことをしてみせるわ。どのみちこのままではこっちがじり貧でしょう。あいつらの体力底なしだし」
「十分持たせて見せますの……他の方々も力を貸してくれるでしょうしね」
「ありがとう」
マリアは息を大きく吸い、ゆっくりと吐いた。ここからどんな手段を使おうとリコリスを生かさなければと決意を新たにする。
「マリアは三匹な。俺は四匹やる!」
「承りましたわ!」
そんなやり取りだけで戦いに入ってしまう二人。
抜いた剣と火打石が閃く。頭部を狙う。鬼は重量をそのまま攻撃力に変えるべく押しつぶそうと空から落下してくるような攻撃を放った。三メートル近い巨体で行われるのだから一撃でも食らえば人一瞬で肉塊になるだろうことは想像に難くない。
「唯大きいだけの獣に仕留められるような的じゃないですの」
レグルスは素早く滑空して、頭部を狙う鬼の腕をすれ違いざまに切り落とす。苦しみあえぐ鬼の頭部を次の太刀で、落とす。マリアは空から二手に分かれて襲い掛かろうとする海月鬼の触手にすれ違いざまに、ワイヤーで絡み取り、ナノマシーンで強化した腕力でそのまま地面にびたんと叩き付ける。そして、カチカチと火打石を数回鳴らす。そこから、火花が飛び出す。
「さて、豪快に燃やしましょうか」
マリアの足元に蔦を伸ばし捕食しようとしていた花鬼を火打石から生じた炎とともに燃え尽くす。
煤けた頬をぬぐいながら、翡翠の瞳に消えぬ闘志を宿し火打石を打ち鳴らした。その後にリコリスに向かってフライヤーの機体ごと突っ込もうとした白兎鬼に、不敵に笑って火打石を構える。
「もう、なんで、獣が機械を動かせるんですの。消え失せなさい」
「マリア、ダメだ。万が一燃料タンクに引火したらその爆発で被害が拡大する。そっちは俺が切り捨てる。マリアは、機体の制御を頼む」
マリアは機体にのった鬼をどうするのかと振り返ってみると、レグルスが腰だめに刀を構えている姿が見えたので問題はないだろうと素直に命令に従った。
「リコの邪魔はさせない」
ふっと一陣の風が行き過ぎたように周りが静かになる。そして気が付いた時にはレグルスは白兎鬼の首を切り落とし、刀を鞘に納めながら立っていた。
マリアは、惚けるように見とれかけた己の頬を叩く。即座に停止信号が効かぬことを悟ったマリアは、機体に飛び乗った。




