六.強さ
戦闘開始からどれだけ経ったのかはいまいち感覚が掴めない。けれど、避難が進むごとに、じわりじわりと鬼の数が減っている気がする。それでもまだ、どこかに鬼の製造プラントがあるのではないかと疑うほどに、鬼が降って湧いてくる。
「きりがない」
レグルスが目の前に立ち、鬼切丸で鬼を切り伏せる姿すら見慣れてしまう程度には、戦闘が長引いているのだろう。空気清浄機が追い付かず、辺り一面に血の甘いにおいと、肉の腐臭が充満している。あちこちで当たり前のように目にする亡骸に、感傷を感じる余裕すらも失われ始めている。目の前で鬼の首がぼとりと崩れ落ちる。
「どっからか、際限なく湧いてきているんじゃありませんの……それより、リコリス、あなたの残り少ない寿命をこんなところで、使ってしまって構わないのですか! なんで、戦えますの。もう、くじけてもおかしくありませんの。あんなことをされたんですのよ……わたくしが、むやみやたらにCOSMAPの解除コードを発信しなければ」
腱鞘炎になりかけるほど対鬼武器である火打石を鳴らし続けたマリアは胸中を吐露した。リコリスは念のため、竜宮城のハッチの開閉記録を調べてみるものの、鬼がつぎ込まれている入り口のようなものは確認できなかった。
「でも、その代わりに疑心暗鬼のデスゲームか、いつまでたってもショーだと勘違いして危機感を抱かなかったわ。結果的にあたし一人の苦痛でより多くの人間が救われるなら構わない。命を奪われたわけではないもの。死んでなければまだ戦えるわ」
海月鬼が投下してくる様子を見ているがために、あながち否定できないなと思いながら、リコリスは鞭のように蔦をしならせた白花鬼の攻撃を右に飛んで避ける。
「ですが!」
眩しい光に包まれた。灰色の世界に色が戻る。エメラルドグリーンの世界に鬼が戸惑ったように動きを鈍らせる。その隙を逃さず鬼に接近して蹴りを入れる。赤い靴と鬼が接触した瞬間、鬼にとって致死となる微量のナノマシーンが体内に押し込まれた。リコリスが飛びのいた次の瞬間、鬼の胎内から棘が出現し、破裂する。
「心花がやってくれたのね。敵の位置がわかりやすくなったわ。マリア、あたしはね、信じてくれた。心配してくれた。その温かさに報いたいの。あたしねっ、はじめ人間が怖くて怖くてたまらなかったからさ」
蒼いタイルで飾られた手すりを滑る。奇跡を運命に書き換えて、笑い声が溢れる場所を取り戻す。
「あんな目に合えば、誰だってそうですの。あたしは、人間があれほどおぞましい生き物だとは知りたくはありませんでした。いえ、知っていましたの。貴族社会で。それでも、見てみぬふりをし続けていたのですね」
マリアは自分の身体を抱きしめる。かぶりを振る。まだ更生の余地はあるはずだと言い聞かせる。真珠の街燈にワイヤーをからめながら、鬼までの道をショートカットしていく。
「うん、でもいい人たちもいる。ここの人たちと初めて交流したのはね、電子メッセージだったの。心花がね、病に冒された体を普通の人と同じようにする原理で、普通の人間が変わった衣装を着ることができないか提案したの。あたしには絵心がなかったから、過去のパブリックデータの中から衣装の参考デザインを呼び出して、創り上げたわ。プロの人から見ればひどいありさまだと思うわ。でもね、それを受け取った子たちが喜んでくれたのよ。ありがとうって」
それがすべての始まりだった。ありがとうの言葉は、魔法だと思う。それだけで、頑張れる気がするのだ。自分の存在が必要とされているということがどれだけ生きる糧になったのか、あの子たちは気がついていない。研究に打ち込んでいる母のキラキラとした笑顔を思い出し、鼻がツーンとなる。
「はぁ、強いですわね。あなたがうらやましいって、わたくしずっと思っておりましたの。レオ様の寵愛を一身に受けて、それをひけらかすわけでもなく……あたしは、ハワード侯爵という自分の力で手に入れたものではない力にすがっていましたわ。勝てなくて当たり前ですの。あたしの自信は、すべてそこに結局は集約されていましたの」
肩をすくめ自嘲的な笑みを浮かべながら火打石を鳴らす。懲りずに弾幕代わりに花粉を飛ばそうとする白花鬼をマリアは燃やし尽くす。
「マリア。あたしは、マリアの思っているほど強くはないよ。マリアがあたしを強いと思うのなら、それはあたしがあたしに掛けた暗示の強さよ。強くありたいという願い、突き通したいという意志の強さよ」
困ったとでもいうようにくしゃりと顔をゆがめてわらう。計算されて創り上げた笑顔でないそれはひどく不細工だった。
「本当のあなたは弱いということですか」
「本当のあたしっているのかな。たぶん、今あるのが本当のあたしだ。嘘やつくりものでも、全部本物から派生したものだわ。だってこの世であたしはあたししかいないのよ」
強がっているだけで、リコリスは弱くて脆くて、糸で簡単に裂かれてしまうような豆腐メンタルの持ち主だ。誇れることではないけれど。それを鋼に見せ、必死に取り繕っているだけだ。
「わたくし、妹がいますの。血の半分だけつながった妹は、何でもできましたわ。優秀で、周囲の期待を一身に集めているといってもおかしくなかった。あの子にとっての不幸は童の子というところ。そして、あたしが唯一、妹に勝てたのが母と父両方から脈々と受け継いだ血の良さだけ。だから、それにこだわっていましたの」
マリアの目に入るアドバンテージは、血筋だけだったのだろうか。リコリスは足場の床を吹き飛ばす勢いでけり足が爆発する。踏み込み、激しい推進力を得た赤い影が真っすぐと猛進し、敵影に斧を振り降ろす。それは分厚い胸板を引き裂き、人体であればやすやすとひき肉に変える非常な一撃―――斧を連撃のように軽やかに振り降ろし、獲物の逃げ場を封じるように襲う。
「美貌にも自信がありましたのよ。貴族というものは、美醜にうるさいですもの。だから、美しい人の血を取り込む。そんなことをしても、遺伝子組み換えの子供にはかないませんわ。あれは天上の美しさですもの。あとは、そうですね、身体の丈夫さでしょうか」
妹は体が弱く、周囲の心配を集める。愛されているように見えて辛いのだという。それすらも嫉妬心を煽る。見ているとどんどん自分が見にくくなるから、妹が絶対に手を出さない騎士という分野に足を踏み入れだ。
マリアは、鬼の血をたっぷりと吸ったスカートが足にまとわりついて邪魔だと愚痴をこぼした。坂道を掛ける。蒼い液体が跳ねる。アリアは火打石を合わせる。それと同時に、赤い光がほとばしる。赤い石を鬼に押し付ける。
「よく燃えなさいっ」
鬼の体が発火していく。マリアが鍛え上げた体術とともに駆ける。
「あたしは強くなりたかった。でも、強がっているばかりでは本当の強さは手に入らなかったわ。あたしを強くしてくれたのはここの人たちね。守りたいと思う気持ちが、強くあろうとする姿勢を支えたわ……あたしは、あたし自身の弱い心に負けたくない」
「わたくしもですわ」
背中合わせで戦う。もう、何体倒したかわからない。それでも、鬼を倒しきるまで、この身体を無茶でも動かし続ける。限られた残り時間でリコリスが唯一この人に住む者たちに出来る恩返しは、敵を全部倒してまたこの街で、みんなで笑うことだ。リコリスも含めたみんなで、明日を……明日のその先を迎えたい。