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五.渡る世間に鬼はない

 船長の声は、拡声器を通していることも相まって、竜宮城にいるすべてのものに届き、その魂を揺さぶった。果てなく広がる宇宙という大海原を航海する中で信じられるのは己と家族、そして誰よりも船長なのだ。

 航海中、絶対は船長なのだ。そのことが骨の髄まで染みついている生粋の竜宮城の住民たちは奮い立つ。リコリスを今日まで信じてくれたみんなが、武器を手に狼煙のように声を上げる。


『てめぇら、お嬢が正しかったってことを証明してやれ。死ぬんじゃねぇぞ、死んじまったら、うちのかわいい姫さんたちが悲しむからなっ。生きている限り俺がきっちり治療してやるから、思う存分暴れろ』


 上弦がボスの言葉に続いて、吠えた。医者としてどうなのだろうと思いつつも、いつもの風景がどうしようもなくうれしくてたまらない。もし、心花を救えなかったら、こんな気持ちになることはなかったのだろう。


「そりゃあ、ごめんだな。ボスに殺されるっ」


 誰かが、愉快気に叫んだ。すると周囲がそれに同調するように好き放題言いはじめる。そこには、不快さはなく気持ちのいいものばかりだ。あっという間に普段の酒場のような空気が流れ始める。


『うちのってどういうことだい上弦。僕の可愛い娘達を君の家にあげた覚えはないけれど!』


 キーンと拡声器がハウリングを起こす。緊急事態だというのに、聞きなれた茶番がスピーカー越しに拡散される。笑いが溢れる。つられるようにしてリコリスもお腹を引くつかせて笑い声をあげる。笑うことで、みんなと一緒に、恐怖をどこかへ弾き飛ばそうとした。


「リコ」

「何、レオくん」

「本当にいい人たちに恵まれたな」

 頷き、口元に弧を描く。レグルスは、任務終了後に自分の権力が最大限に生かせる火星に連れて帰ろうと思っていたが、それは止めようと瞼を伏せる。リコリスの生存を知らせたい身内には、こっちに来てもらえばいい。


「『渡る世間に鬼はない』か」


 リコリスは、かつての青き星に浮かぶ小さな東の島国のことわざを思い出して、おもわず口ずさむ。


「何を言っておりますの。あなたの目は節穴ですか? 見渡す限り、鬼ばかりじゃありませんの。どうやってこの絶体絶命のピンチから逃れるんですの」


「マリアさん、違うの。世間には鬼のように冷たい人ばかりでなく、心が温かくて親切な人もいるというたとえなんだって」


 マリアは目を白黒させた後、周囲を見渡す。そこにはいつの間にか、お揃いの制服を纏った人間がぐるりと鬼を囲っていた。その手には各々武器というにはメルヘンチックな道具を握っている。


 ―――対鬼部隊、総員構え。


 その光景は圧巻だった。リコリスが語った夢物語にしか聞こえないような不確かな存在を信じて、そのためだけに闘う力を磨いてきた者達だ。


 ―――反撃開始。


 いっせいに鬼に向かって電撃がはぜる。ある主婦は、子羊を母親に化けて丸呑みしたおおかみを裁いた「はさみ」を振るい、鬼花の首を剪定するかのようなそぶりで軽々と切り落とした。


「いいダイエットになると思っていたけど……平和がやっぱり一番よね。でもまぁ、今日まで無駄にならなくてよかったわ」

「なにこれ。聞いていた以上にデカいんですけど。わ、わたしの、家族に手出しはさせないんだからっ」


 リコリス達の着物を仕立てた呉服屋の一人娘は、「機織姫の杼」を鬼に向け、ひどく申し訳なさそうにその心臓を貫いた。


「まっさか、鬼がこんなにおっかないとは思ってもみなかったよ。訓練自体は面白かったしね。それに、誰かを守る力を得るために磨くのは悪くない」


 ある技術屋の末息子は、生き延びた子羊が逃げおおせた「柱時計」を模したモニュメントの中に、子供たちをはじめとし、戦うすべのないものから順に避難誘導を始めていた。


「すごい。なんなんだ、彼らは」


 用意できた対鬼武器は少ない。決定打にかけるのは人類の方だ。それなら、それなりの戦い方があるとボスは言った。殺せなくても動きを封じる手段なら、カムイシステムが監視する行動規制に引っかかることなく、数を用意することができると笑った。強化された暴漢捕獲用のネットが、鬼の身動きを封じていく。

 海月鬼は射出された網にかかり、触手を伸ばして拘束から抜けようともがく。もがけばもがくほど拘束が強まる。


「いいぞ。そのまま窯まで引っ張れ」


 とある船内で最も有名な人妻は、お菓子の家に誘い込んで兄弟を食おうとした魔女を焼いた「魔女殺しの竃」の前に悠然と待ち構える。誘導された鬼を強化スーツの脚力を利用して蹴り飛ばし、「魔女殺しの竃」でこんがりと焼く。


「おいたは、禁止」


 紫薇はにっこりとわらう。


「みんなっ」


 それはすさまじく息の合った連携だった。彼らが戦う姿は、彼らが勝ち取る勝利はそのままリコリスへの信頼だ。否、リコリスへの直接的な信頼ではない。彼らが本当に信頼しているのは、船長だ。その船長が信じているからこそ、リコリスの言葉を信じてくれたのだ。睫毛を震わせ、リコリスは今度は自分の力でみんなとの信頼関係を深めたいと胸を熱くした。


「騎士団、各員に告げる。現時刻を以て、鬼の討伐を最上位の任務とする。各自、鬼の無力化に尽力しろ」

「その服を着ている価値は重い。街の人たちの命を背負うんだ。我らの存在理由を思い出せ」


 竜宮城の民間人に負けていられないと騎士団の人たちが、すくっと立ち上がる。背中に背負う紋は、誇りの証だ。その紋に焦がれて騎士となったのではないかと己に言い聞かせる。 


「せめて、自分の身は自分で守りなさい。守ってもらって当たり前と思っているやつらはいりませんのよ。これ、騎士団の鉄則ですの」


 レグルスは中隊長という肩書に相応しく、己の部下たちに指示を与えていく。鬼に、武器が効かぬのなら封じ込めたり、誘導したり、対鬼武器を持つ者たちが戦いやすい環境を作りだしたりすればいい。


「かあさま、見ていますか」


 正直これ以上ないほどに体はぼろぼろだった。でも目の前に、あの絶望を覆す現実が目の前に広がっている。この光景を母にも見せてあげたかったと強く手を握る。あの日の悲願が五年の月日を経て叶おうとしている。


「リコちゃん。行くの?」


「うん。まだ、動けるから、こんなところでいつまでも座り込んでられないわ」


 黙ってみているような性格なら、もっとうまく生きられたのだろう。また、心労を負わせると、心花の髪をくしゃりとかき混ぜた。COSMAPのはぎ取られた町は、ひどく殺風景で機械的だ。むき出しの監視カメラや計測器が、巨大な人体実験場にも見えてくる。


「そっか。たぶん止めても無駄だよね……海月とか、紛らわしい動体オブジェクトは停止させるのを条件にCOSMAP再起動の許可をもぎ取ってみせるね。リコちゃんの一世一代の晴れ舞台だもんね。舞台演出はわたしやお母さんたち技術班にまかせて」


「心花」


 心花は、何とか鬼に一撃を与え、逃げ切ることには成功したものの、もう一度立ち上がるだけの体力も気力もない自分がひどく恥ずかしかった。敵だとわかっていても鬼を傷つけたあの瞬間、同じだけの痛みが心花の心を襲ったのだ。


「それから、対鬼武器を持っている人をはじめとする戦闘員の個別識別番号を利用して、マーカを付けてといたから、それ以外の生命反応には一応気を付けて。人に化けている状態だと、どうしようもないから」


 申し訳なさそうに笑う心花の頬をぶにょんと引き延ばす。


「ぶちゃいくになっちゃう」

「うん」

「うんじゃないって」


 ぽすんと心花はリコリスを軽くたたく。ふてくされたその笑みにリコリスは安堵の吐息を溢す。


「いってくるね」

「いってらっしゃい」


 いつかの朝のように二人は惜しむように抱き合った。


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