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二.心花の憂い

「子供たちの理想の魔女っ娘ってところかしら。魔法少女じゃないところがミソよね」


 鏡の前で、三角帽子に片手を添えながら、軽く回る。パニエで膨らんだスカートが綺麗に円を描く。ミニスカートにローブというのがなんとも紫薇らしいセンスだ。絶妙タイミングで、しびれを切らした心花が、丸々と肥えたおにぎりを片手にドアを開けた。


「ちょっと、リコちゃん! 冷蔵庫の中身が、空っぽなんですけど! どういうこと。なんで冷凍庫の中にはアイスしかないわけ。信じられない」


 心花の胸元の金色の鈴がチリンと揺れる。ノックという常識はいったいどこに出奔したのだろう。


「リボン曲がってますよ。もぉ、せっかく美人なんですから、身支度くらいしっかりしましょう。あの超美人お嬢様に負けないで、あのイケメンさんといい感じになるんです! そして、ぜひこの竜宮城で暮らしてもらうのです! そしたら、いつでも目の保養ができるんですよ。これは、竜宮城の乙女の総意です!」


 心花が装着していた尻尾の毛が本体の驚きを反映してびんと逆立つ。心花に無理やり回転チェアーに座らせらされる。心花が喜々としてメイク道具を広げる。


「リコちゃんは、美人さんなんですから、もったいないです。もっと、自分を大切にしてください。あ、動いちゃダメです。おにぎりでも食べておとなしくしていてください。こぼしちゃダメですからねっ」


 面倒くさがり屋のリコリスからしてみれば、わざわざ動きにくい服を着なくても、簡素な服の上におしゃれな服の映像をかぶせたCOSMAP―――コスチュームマッピングでもいいのにと思ってしまう。丸テーブルの上に用意されていたおにぎりを一つ手に取る。豪快にかぶりつくとぱりっとした海苔の気持ちのいい音が響く。


「はぁ、子ども扱いしないでよ。同い年でしょう。あ、新米だ。おいしい。心花、ユークロニア周辺の海域の調査結果の資料をボスに渡しておいてくれるかしら。きっと、今日の議会に役立つと思うわ」


 ごくんと口の中の炭水化物を飲み込む。自分のフォルダーの中にある文章ファイルをタップして心花の方へスライドさせる。鏡の向こう側では、もはやリコリスの頭とは思えないほどに、くるくるとカールが躍っている。


「さすが、リコちゃん。仕事が速いね。まかせて、父さんに、危険手当までしっかりと出させるからね。今回の仕事も急に入ったでしょう。なんか最近うちの船で、『神隠し事件』が起きているの。特に大きな実害はないんだけど、なんだか気味が悪くて。みんなに、警邏の任務を頼んでいるの」


 リコリスはわずかに、右目を吊り上げる。聞いたことのない話だ。ここ最近、リコリスが部屋にこもりきっている間に発生した案件なのだろう。自分の手が届かないところで、心花たちに危険が迫っていた事実に心がざわめく。


「あたしは、心花じゃあるまいし、玉の輿なんて狙ってないわよ。だいたい、あたしは結婚する気はないわ。それに、あたしには将来を誓った相手がいるもの」


 軽い口調でごまかし、ごくんと口の中の炭水化物と一緒にもやっとしたものを飲み込む。テレビでは相も変わらず、徹底抗戦だの粛清だの物騒な言葉がその重みから目をそらして使われ続けている。指先で軽く宙をノックし、テレビの電源を落とす。人同士が殺しあう兵器なんて、デリートボタン一つで、全部消えちゃえばいい。そんな理想郷は遠く、現実にあるのは指先一つで大量の人を殺すことのできる悲しすぎるほどに機械的な世界。


「えー、本当にいるんですか? 五年も一緒にいてまだ一度もお会いしたことがないんですけど。でも、そんな頑固者のリコちゃんも、あのイケメン騎士さんの大人な魅力に、くらくらすること間違いなしです。色気ダダ漏れで、やばいです」


 心花は鼻歌を歌って上機嫌そうだが、よく見るとどこか無理をしているようにも見えてくる。いつもより、時間をかけてアイシャドウの色を選定している。


「うちの女性船員たちも何人かモーションかけたらしいんですけど、誰一人成功してないんです。一緒に来たハワード侯爵のお子さんが邪魔で、一応副官らしいんですけどその人の妨害工作が激しいみたいです」


 心花は、リコリスの装いが渾身の出来栄えで、満足げに鼻息を漏らす。船内の盛りあがり具合も相当なものかもしれない。心花の母、(ズー)(ウェイ)が賭けでも開催していそうだなとこめかみをリズミカルにたたく。人の男を取る悪趣味なんてリコリスにはないのだが、金持ちのお嬢様に女としての魅力が負けたと船員の幾人かの中に植え付けられるのも悔しい。


「くすっ、二人は交際すらしてません。だから、安心してぐいぐい行ってこいとお母さんが。修羅場的な展開を希望とのことです」


 心花、母親そっくりのいたずらな笑みを浮かべる。リコリスの塗られたばかりのルージュをわずかに舌で舐めとる。


「うわぁ。余計に行きたくなくなったわー。貴族のボンボンと行動だけでも憂鬱なのに」

「お母さんの言う通り、面白くなりそうです」


 心花、表情を一転させ、手を止めワントーン声を下げる。


「心花」

「さすがに三百年ぶりの大きな争い事だから、偉い人たちも慎重になるみたいで長いんですよ。本当に……最近は物騒です」


 心花は、リコリスの背中に顔を埋める。震えが、服越しに伝わってくる。


「リコちゃん。どうしよう。このまま『神隠し事件』がおさまらなかったら……リコちゃんは、いなくならないでね。気づいた時に隣人が消えていて、数時間から数日後、ふらりと何事もなく戻ってくるんです……消えていた間の記憶をなくして。被害者に共通点があまり見られなくて……今はまだ、被害者はうちの乗員だけなんです。でも、いつ、各天体都市からの来客者に牙をむくかと思うと……正直、怖いです」


 心花は隠されているだけで、もう被害者は出ているかもしれませんと悲し気に眉を曲げる。ごくりと生唾をのむ。このピリピリした時期に、議会開催地である「竜宮城」で事件が発生しているのはいろいろと不味い。

「数例です。数例ですけど、帰ってきたわが子が、違うと言い出す母親がいます。母親の気がふれたのだという意見もあります。でも、わたしにはどうしてもそうは思えなくて。もしかしたら、本当に『チェンジリング』のように何かと取り換えられている可能性も否定できません」


 心花のまつげが揺れる。リコリスは自分の事ばかりで余裕がない自分が本当に嫌になった。竜宮城の皆が、心花にとってのかけがえのない家族なのだ。いつもの部屋の、良くある朝の風景。キッチンから、ラ・フランスの洗剤の香りが漂う。


「心花、あたしは急にいなくなったりしないわ。不審な動きをする人がいたら、そのイケメン騎士をこき使ってでも捕まえてあげるわ。大丈夫、ここは、あたしなんかを受け入れてくれた大切な場所だもの。あたしだって守りたいわ」


 心花を抱き寄せ、白い魔女服に包まれた背中を安心させるように少しだけ強く叩く。


「あたしなんかって、言っちゃダメって前も言いましたよ。リコちゃんはリコちゃんだけなんですから、もっと自分を大事にしないとダメなんですからね」


 いつもより湿っぽい声に、胸が締め付けられる。五年前、リコリスの故郷ニライカナイは、亡びた。情報規制されていて、一般人には原因不明だとしか伝わっていない。そこの唯一の生き残りなんていうわけのわからないものを身内に抱えてくれたこの船長夫婦と心花、医務室長の上絃には返しても返しきれないほどの恩がある。


「気を付けてね。リコちゃん。船の人の中には、リコちゃんが魔女だから何かしたって思っている人もいるみたい。リコちゃんは、絶対にそんなことしないって言ったんだけど……あと、無茶と無謀は禁止だよ」


 心花は、少し怒ったように、口をかわいらしくとがらせて文句を言う。リコリスの事を気に喰わないと思う奴らがまたひどいデマを流したのだろう。ため息を溢しそうになり、これ以上幸せが逃げてもらっては困るので飲み込む。


「はーい。まぁ、あんまり気にしないで。そういう人がいるっていうのは知っているわ。皆に好かれるとは思ってはいないもの。それに、今日のあたしは、本当に魔女っぽいでしょう。魔法なんて使えないけどね」


 たしかに、リコリスは「幻影」を生み出すことはできる。だけど、残念ながらそれは魔法ではない。ただの科学技術の結晶なのだ。だからといって故意に子供たちの夢を壊すつもりはない。ゴーンと重厚な時計の鐘の音が船内に時を知らせる。


「なんか、湿っぽくなってごめん。そろそろ、いかないとだね。今日は、顔合わせも兼ねていんだよね。恥ずかしがり屋のリコちゃんのために、わたしも付き合っちゃうー」

「え、心花。議会の方は出なくていいの」

「うん。いいの。いいの。それよりも、イケメンさんを超近くで見る絶好のチャンス」


 心花は、目じりにたまった滴をごまかすように慌てて身支度と準備をあっという間に整える。リコリスは十分後にはぐいぐいと、心花に引っ張られる形で、モロッカンスタイルの照明が並ぶ白い廊下を抜けた。


「心花」


 エレベータのランプが点滅し、彩雲の描かれた扉が、真綿で首を絞めつけるように閉じていく。


「なぁに。リコちゃん」


 心花の背後からそっと腕をからめるようにして抱きつく。ふいに、ぬくもりがほしくてたまらなくなった。


「あたしの帰る場所は、きっと心花のところだね」


 琥珀色の髪からは、はちみつみたいな甘いにおいがして、とがった心がゆるゆるとほどけていく。心花を見つめるたびに、言葉にできない思いがこみ上げてくる。何食わぬ顔で、終わらせたくないと心の奥底の叫び声が強くなる。


「なぁに、もう。おかしなリコちゃん。リコちゃんはいつも何かと戦っているみたい。ううん、自分の心とか過去とかいろんなものと戦ってるよね。わたしは、そんなリコちゃんの傍にいることしか、できてないよね」

「そんなことない」

「ありがとう。それじゃあ、わたしは、これからもずーっと、リコちゃんやみんなの帰る『竜宮城』を守ってみせるね。次代船長のわたしにぴったりのお仕事だね」


 心花は、はにかみながら春風のように笑みを広げる。自分だって余裕がないくせに、いつだって心花は、リコリスに手や言葉を差し伸ばしてくれる。リコリスは、万感の思いを込めて、心花の瞼の上にキスを落とす。


「リ、リコちゃん?」


 林檎のように真っ赤になった心花に目を細める。心花といると、悲しみが半分に、喜びは二倍に感じてしまう。心花にはリコリスの胸の深いところにいつまでたっても消えることなくあり続ける痛みを味わってほしくない。


「心花が笑っていられるようにおまじない」


 心花の哀しみを受け止められるような人間になりたいと手を握りしめる。おどけた表情で、ふざけたふりをしてごまかす。心花の表情にいつもの明るさが戻りはじめる。


「うん。いこうか」


 ピンクトルマリンの真っ直ぐな瞳に、力をもらう。スカートを揺らし、装備を片手に町へ繰り出した。

 まだ、空元気なのだろう。早く本当に笑わせてあげたいと思い、まだ見ぬ奇怪事件の犯人に怒りを燃やした。




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