一.現実と幻想に揺られて
「マリア、民間人の避難をたのむ」
「はいですの。これ以上の被害は望ましくありませんものね。正直わたくしも、民間人と同じくらい何が何だかわかんないんですけど?」
「大丈夫。あんたのその顔と無駄に高い身分と輝かしい経歴があれば大抵の人は黙る。そんでもって、本部に緊急警報の発令を要請よろしく」
「むぅ。リコさんに言われると褒められている気がしませんわ。とりあえず、任されましたわ」
珍しく素直に従ったマリアは、続けざまに要請文を打ち上げた。マリアは身なりのいい人のそばに、ひらりと降りる。
「おい、なんだ。おまえ」
「あら、ごめんあそばせ。カーボット卿、今すぐ、指示に従ってくださいませ」
カーボット卿の他、著名な方に軽く礼をした後、騎士団仕込みの発声法で注意喚起を促す。
「逃げくださいですのっ! できるだけ速やかに! ここは危険ですわ。建物が崩れる恐れがありますわ」
――キシャァアアアアアアアアア!!
大、大、大音響が響いた。心の底から震え上がるような、まるで魂を揺さぶられるような音だった。思わず耳をふさいで音源を見上げた。ゆらりゆらりとゼリー状のボディをもつ海月が陽光を遮るように空からゆったりと降りてきた。
傘を開いたり閉じたりしながら、ゆったりと拍動する柔らかい生命とは裏腹に、リコリスの脈が早まる。
「まさか、これもあの化け物と同種なんですの……避難誘導っていっても、避難場所まで無事につくかしら」
リコリスはふわふわと「竜宮城」のほぼ全域に漂うクラゲを顔面蒼白になりながら見つめる。数十億の黄金色の角がある海月の触手がゆるゆると地表に向かって伸ばされる。
傘の水玉模様を睨みつけ、どうやってあれを倒すべきかとレグルスはとっさに思考を巡らせる。ぐんぐんと宙を泳いでいく行燈のような傘をした海月を目で追う。
「おい、いい加減にしろよ。怪我人が出ているんだぞ。お前ら、『竜宮城』のやつらは何を考えてやがる」
来訪者たちは、何も知らない「竜宮城」の人につかみかかる。いくら揺さぶられたって、こんなイベントは開催予定にないとしかいいようがない。リコリスは、ブレインプロテクトを悔しく思う。これが無ければ洗いざらい全部吐いてしまいたかった。
「警報が鳴らないっていうことは、これ痛がっている方がサクラとか」
「なるほど。今度はどういう話なんだ」
あまりにも暢気すぎる人たちに、焦りばかりがつのる。
「なぁ、あの化け物を倒すやつをどこかでもらえるのか」
「痛ぇ、なんなんだよこれっ」
透明の触手は、見えにくく気がついた時には、激痛に見舞われて蹲るものが続出している。だから、逃げろって言ったのにっていう言葉が頭の中で渦を巻く。
「やめろ。やめろ、こっちに来るな」
鉤爪海月は、折れ曲がった触手の先に人間を引っ掻けて、傘の方へ運ぶ。口が開き、その中に麻痺して動けない人間たちが吸いこまれていく。沢山の声が洪水のように渦巻く。
マリアは、目の前で人が殺されているのを目にしてもいまだに危機感を持てない人たちについに怒りを爆発させた。死にそうな思いを人がしたっていうのにヘラヘラヘラヘラと笑うどうしようもない姿に我慢がならなかった。
だんっ、足を強く踏み鳴らし注意を引き付ける。数人がマリアの方を向く。
「いい加減に危機感を持ってくださいまし。あなたたち、きちんと現実を見てください。責任の所在なんて今はどうでもいいのです。生き延びることを考えて、助け合って逃げてください」
マリアは、騎士特権のひとつであるCOSMAP強制解除端末を取り出し掲げた。
「あなたたち、現実をちゃんと目にしなさいですの。もう遊びは終わりですの。これより、『竜宮城』全域のCOSMAPを解除いたしますわ。さぁ、大切な人くらい自分の手で守りなさいですの!」
心花は、マリアが手に持っている見覚えのある機械に目を見開き、叫んだ。心花はふらつく足を叱咤して、マリアの元へ足を進める。今ここで、あのボタンを押されたら、ありとあらゆる視覚映像が解けてしまう。それは、リコリスがレグルスに最後まで隠し続けたいと願っていた秘密がばれることを意味する。
「だめ、押しちゃ」
マリアの指が解除コードのスイッチにかかる。心臓が壊れそうなほどばくばくとする。鬼に攻撃されたよりも濃密な恐怖がリコリスを襲う。
心花がマリアに飛びかかるのと、絶望した悲痛な叫びが竜宮城に轟かせたのはほぼ同時だった。
「見ないで――――――――」
そして、宇宙船「竜宮城」に張り巡らされていたすべての嘘がはぎ取られた。




