二.霧とともに消ゆく
宇宙船「竜宮城」最奥部。霊場。
幾重にも重なる朱色の鳥居。人気のない道に、二人の駆け足と息遣いがやけに大きく響く。リコリスは、スピードを落とさぬまま、心花のSPS(Spacecraft Positioning System)反応を探り続けていた。何度試しても受信できない反応に焦燥感が募る。
「本当に、俺も入っても大丈夫なのか。他所の最高機密区域に立ち入るのはさすがに気が引ける」
レグルスは珍しく、幾度か視線を往復させてから焦るリコリスをすがるように見つめる。人感センサーが通行者を検知し、エアシャワーが吹き出て、身体にまとわりついていた微細な埃を吹き飛ばす。
「本当に、十年前のコードで大丈夫だろうか、リコ」
呆れたようにため息を溢しながら、千本鳥居を見上げる。
鳥居はオートメーションで通過するものを機械的・電磁・熱的・音響的・科学的に感知し、人を選別している。事前に登録された生体データのものには、正しい道を開き、そうでないものには牙をむく。
「大丈夫よ。昔の、ほいほい神域に入り込んでいた根性はどこに行ったの。竜宮城の霊場は、ニライカナイの神域より厳しくないわよ……ほら、着いた。ここまで来られればもう怖くもないでしょう」
リコリスは、正面に据えられているびっしりと彫刻が施されてた観音開きの扉を前に振り返る。彫刻された四本爪の龍が抱く宝珠に手を当て、レグルスにも同じように促す。
―――User authentication. 認証確認。Open! 開門。
自動ドアの解錠がもどかしく、ようやくできた扉のわずかな隙間に身をねじ込むように室内に入る。機能性重視の白を基調とした空間に、灰色のスーパー・コンピューター群がせわしなく稼働している。
―――Welcome! 〈彼岸花〉〈白獅子〉
よくとおるソプラノの声が二人の真名を呼び歓迎する。抗菌剤配合厚膜型エポキシ樹脂系塗り床の上を早足で駆け、特殊生体培養液で満たされた水槽の前で足を止める。
「ただいま。ワッカ・カムイ」
「白獅子、真名を呼ばれるのは久しぶりだな。お邪魔します、ワッカ・カムイ様」
最高礼をとるレグルスの前に、ふわりと黄金色の光が集約する。黄金の粒が、にっこりとわらう顔文字を形作ると、レグルスは頬を少しだけ緩めた。
―――You look pale. Are you all right? 顔色が悪いけど大丈夫ですか?
Did something happen? 何かありましたか?
顔をあげる。水槽に反射する顔は、この世の終わりかのように血の気が引いていた青白い顔だった。心花のオーストコピーからの生体反応をキャッチできないことに気が付いた時から、ずっと足が震えて止まらなかった。リコリスは、喉の奥に絡みついたものを吐き出す。
「カムイシステムの力を貸して。誘拐された心花を至急、見つけ出してほしいの」
脳裏に、家族も友も、故郷もリコリスを構成していたすべての要素が奪われたニライカナイの惨劇がちらつく。まだ確定した未来ではないのなら、救いの可能性だってどこかにきっとある。
―――I will take care of it. 私に任せて。
すぐに返された頼もしい返答に、ぺたんと床に座り込む。首筋に埋め込まれた小さな結晶体に指を振れる。それを合図にリコリスのフェネストラは起動状態へ移行する。
―――Thank you for your patience. ちょっとだけ待っててね。
微かな音すら集中を切らしてしまいそうな気がして、息を殺す。カムイシステムは、まず「竜宮城」に設置されている無数の監視カメラ映像から子供たちの証言を頼りに、問題の事件映像を膨大な記録ファイルの中からサルベージする。
―――Check out this video. この映像を見てもらえる?
リコリスは、有機コードを伸ばしカムイシステムと連結させる。一瞬だけ、異物が身体に入り込むような気持ち悪さを感じ、顔をしかめる。同時に、半透明のウィンドウが、リコリスの前に飛び出してくる。
「ありがとう、レオ」
驚いて仰け反った体を、レグルスがとっさに支える。
「それ、犯行映像?」
「そう、レオを見て。気がついたことがあったら何でも言って。少しでもあの子を見つけ出す手がかりが欲しいの」
二人で顔を突き合わせて、監視カメラがとらえた事件当時の情景を再生させる。先頭の方はただ子供たちと楽し気に色鬼をする心花の姿だった。
「もっと真剣に、連続失踪事件を調べて、犯人を確保していればっ」
下唇を血のにじむほど強く噛む。口腔内に鉄臭い血の味が広がる。レグルスは、後悔するリコリスに、首を横に振る。黄色とでも言われたのだろう。映像の中の心花が銀杏の木に近づき、アヒルの足のような二又分かれた扇形の葉を無邪気に掲げる。
「俺たち以外に、結構な数がこの事件を担当している。それでも、見つけられないほどに犯人は巧妙なんだ。俺たちはまだ、あの霧のトリックすら見つけられていない」
目を皿のようにして見据える動画の先で、心花に親し気にシルクハットを被った人影が近づく。二十代後半から三十代前半の黒髪の美青年だった。黒の燕尾服にマントを纏った男の手が心花の顎にかかる。
「ちょっと、うちの子に何してくれちゃってるのこいつ」
男なれなれしく心花に触れる青年に、思わず怒号を飛ばす。心花の交友関係をすべて把握しているわけではないけれど、見覚えがない。一度会った人間なら忘れないはずなのにと眉を寄せる。
「リコ、この男が証言に合った男かもしれない。これ、吸血鬼の格好だろう」
「あ、本当だ。それじゃあ、こいつが心花をっ! え?」
それは瞬きする間もないほど早かった。カメラレンズを白い靄が覆い、映像が戻ったと思った時には、どこを探しても二人の姿がマジックショーのように掻き消えていた。
「嘘でしょう。ありえないでしょう。監視カメラ映像に、エンターテイメント性なんていらないわよ。人が掻き消えるなんて」
リコリスは素早く、画面下に表示されている時刻に目を走らせる。その数字の並びは、心花のオーストコピーによる生体反応が最後に感知された時刻と寸分たがわず同じだった。体にマグマのような熱く煮えたぎる激しい熱が集まって暴れまわる。
「もう一度再生しよう。リコ。あの男が何らかの方法で心花さんを拉致したという可能性が今のところ一番高い。カムイ・ワッカ様。この男性の身元特定を頼めますか」
――――――OK! I’ll try my best. はぁい。ベストを尽くしますね。
新たなウィンドウに、吸血鬼の格好をした男性の画像を引き延ばしスローで再生していく。拡大して露わになった男のかんばせに緑色の線を引き、顔の特徴を捉えていく。
「人間離れした美しさか。今ならその証言に同意できる気がする」
「鏡を見慣れたレオくんが、そういうってことはよっぽどね」
「どういうこと」
それはまるで、神が作り賜った至高の芸術品のように完璧に配置された美だった。整った目鼻や唇。人間の顔というものは、左右が完全に対象になることはないと耳にしたことがある。
―――Excuse me for interrupting you. I can't find his biographical data anywhere. お話中、ごめんね。その人の個人データをどこにも見つけることができなかったの。
「そんなっ。再試行してみても」
―――I did everything in my power, but to no purpose. 及ぶ限りのことはしてみたんだけど、だめだったわ。
「そう」
リコリスは、視線を落とし、揺れる視線で映像を見つめる。その瞬間、映像の中の男と目が合った気がした。男がにやりと、白く鋭い牙を見せつけるようして笑うと、激しい悪寒が背中に駆け上る。
「一体こいつは何者なんだ。カムイステムの目をもってしても、特定できないとは……悪いけど、人物特定を別の方法で思考しながら、霧が覆われた後の二人の足取りを探してみてくれないか」
―――I'll fail to meet your expectations that this time. 今度こそ期待に応えて見せますわ。
「リコ?」
レグルスの声も肩に置かれた手も何もかもが遠い。穴が開くほど見つめた映像の先で、さらりと、ほんの一瞬、男の髪の隙間から親指ほどの黄金色の二対の角が覗いた。体の中に雷が走る。どくん、どくん。耳の中で太鼓の音がする。様子のおかしいリコリスにレグルスは弾かれたように手を放す。
「同じだ。同じ目だ。同じ角だ」
仮装なんかではない。本物の角に牙が呼び水となった。リコリスは、目を潰しかけるほど強く手のひらで覆いつくす。蝋のように白いダチュラの花がそこらかしこに咲き乱れ、ペンキをぶちまけたかのように赤が窓ガラスを染め上げていく悪夢が、蘇る。
「リコ。おい。どうしたっ」
潰しかねない手を押さえられ、クリアになった視界に容赦なく、忘れもしない憎き敵が飛び込んでくる。眼球がこぼれ落ちそうなほど見開く。