七.陽だまり
電飾の朱色の光が涙でぼやけて轟々と燃える炎と重なる。呪いのような副作用は、何とか静まった。心花が留守でよかったとリコリスは、身体を丸める。
「かあさま。ごめんなさいっ。あたし、全然うまくやれてないよ。みんなの死に報いれてない」
硝子につい立てた指の腹が、ずずっと音を立てて落ちていく。耳をどれだけ塞いでも、こびりついたように離れない。ガラス越しのリコリスの顔は憔悴しきっていた。罪悪感と憎しみと恐怖に今にも潰れてしまいそうだった。
隣接するホテルの大型LEDビジョンに、星連主催のユークロニア対策議会の出席者名が流れる。見覚えのある名前をいくつか見つけてしまい、ぎりっと、歯を食いしばる。
―――十三歳の小娘が、気でも狂ったに違いない。だいたい、精神鑑定の結果はレッドではなかったか。そんなまともじゃない精神状態で書かれたものは信用できない。おとぎ話じゃないんだ。
あのときほど己が子供であったことを呪ったことはなかった。リコリスはニライカナイであの日起った出来事を、何一つ偽りなく話した。母の遺言を果たすためには、権力を持つ大人の協力が必要不可欠だったからだ。どれだけ言葉を尽くしても、誠意を示しても、あの場にいた大人たちは誰一人として、リコリスの話を真剣に受け止めてはくれなかった。ニライカナイを滅ぼしたやつらを野放しにするその日和見な態度に、リコリスは絶望した。
―――もし仮にいたとしても、ニライカナイを崩壊した熱量だ。それで生きていられる生き物なんていないんだよ。それより大事なのは、このふざけた妄想を君に広められることだね。君のオーストコピーに、この機密内容を話すことを禁ずることをオーストコピーに書き込もう。さぁ、おいで。
ブレインプロテクト、情報保護のための処置としてスパイ防止のために普及したその措置はまるで脳に焼き印が押されるような屈辱を伴った。
リコリスのちっぽけな籠の中の世界は、轟音と悲鳴とともに朽ち果てた。命を削り、代わりに開かれた世界はあまりにも冷たかった。真実を嘘だと断じられたあの日、―――居場所が破壊された時、存在を肯定する人を失い、心休まるホームを失い、なにもかもを失ったのだと悟ったのだ。
「今晩は眠れそうにないかも」
「それなら、一杯付き合わないか」
独りごとに返事が返ってきて、思わず幽霊でも出たかのような悲鳴を上げて身を起こす。
「ボ、ボス」
「そんなに驚かれるとは……、最近可愛い娘達とあんまり一緒にいられないから、寝顔くらいでもと思って覗きに来たんだよ。それより、一体いつになったら、リーちゃんは、シーちゃんみたいに僕のことをおとうさんって呼んでくれるのかな」
くしゃりと撫でる手があたかかくて、必死に凍らせてきた何かがひび割れる音が聞こえた。心花から父親を取るようで、怖くてはじめは呼べなかった。だけど、今は呼ばないことで、この人の関心を自分に繋ぎ止めようと卑怯なことをしている。
「ごめんなさい。まだ……でも、いつか呼んでみてもいいですか。なんか、この会話デジャヴを感じますね」
「そうだね。リーちゃんをうちの子に迎えたときのことを思い出すよ。顔色悪いよ。苦しいのは我慢しちゃだめだよ」
船長は、リコリスのとなりに腰をおろして、 立膝をついて坐る。船長はこの場所から見える景色を一望し、リコリスの頭をそっと自分の方へ押し倒した。疲労した身体は、抵抗することなく船長の膝の上に頭をのせる。
「ゆっくりでいいよ……リーちゃんにおとうさんって呼んでもらうためなら、僕はリーちゃんの生きられる時間をどんな手を使ってでも稼いであげる」
身をあずけると怖い夢を見た子供をあやすようなしぐさで背中をトントンと叩く。親子そろって陽だまりのような存在だ。リコリスは、あたたかい涙がこみ上げた。闇にあんまりにもつかりすぎたリコリスには眩しすぎる。右腕で目元を覆い隠す。
「ボスが言うと本当にやってのけそうですね。だって、ボスったら、心花の『父さん、心花が鬼に食べられちゃう。守って』の一言で、よくわからない研究のGOサインを出しちゃってさ。後で、幹部に怒られたって聞いたわ」
心花も船長も紫薇も、ブレインプロテクトのせいで事情をろくに話せなくなってしまったリコリスのたどたどしい言葉を信じて、力を貸してくれた稀有な存在だ。正臣が、リコリスにマグカップを手渡す。
「覚えてるぞ。……『いいぞ。おとうさんは、心花も、リーちゃんも、みんなを守ってやる。なによりも、心花にそんなけだものの手がかかるというのは耐えがたい。僕は、娘の安全の為には徹底的に防衛策を練るよ。君の研究に投資しよう。別に成果が出なくても構わない。なぁに、君の腕を疑っているわけではないんだ。ただ新しい娘のお願いくらい叶えてやらねば男が廃るじゃないか』だっけ。あれ、なんか昔の僕、異様に偉そうだなぁ」
くすりと笑い声を漏らす。空気が抜けるような音とともに、もやもやとしたものが一緒に吐き出されていく気がした。口を付けたレモネードはほんの少し甘くて、苦くて、酸っぱかった。
「実際にボスは偉いじゃないですか。あたし、あの言葉にすごく救われたんですよ。あの時、心花があたしに手を差し伸べなかったら、ボスや紫薇さんが研究に協力してくれなければ……あたしは、生きながら死んでいました」
「そんなこといわないで。リーちゃん。僕は、やってみせるよ。僕は有言実行だよ。たとえ、不治の病であっても、僕の敵じゃない。僕がかなわないのは嫁さんと可愛い娘達だけだよ」
その絶対的な信頼を裏切りたくない。信じてもらえないつらさを知っている分、リコリスはこの人たちのためになら何でもできる。
涙がこんなにこみ上げるのは、ネオンの光が目に染みるせいに違いない。これが家族だというのか。温かい。幸せだ。