五.真夜中の訪問者
夜、薬の副作用でぐっすりとリコリスが寝入ったのを確認した心花は静かにベッドから抜け出した。部屋を施錠し、暗闇を感じさせない慣れた様子で吹き抜けの階段を下る。レグルスに割り当てたゲストルームのドアを数回ノックする。
「ん、心花さん? こんな時間に、そんな恰好でどうして」
弧を描いたランプが、闇の中から互いの姿を浮かび上がらせる。ゲストルームと外を仕切るドアを数センチだけ開かれたまま、二人は固まる。
「あ」
言われて初めて心花は自分のネグリージェの上にカーディガンを羽織っただけの格好に気が付く。はしたない姿に顔を真っ赤に染めて、ひよこ色の上着を強く胸元に引き寄せる。
「あ、あの。夜分に、申し訳ございません。その、とても、大事なお話があるんです」
「大事な話って?」
廊下に第三者の足音が響いて心花がビックと体を震わせる。レグルスは、戸惑いながらとりあえず心花を部屋に迎え入れる。一人がけのソファーに、心花は腰を降ろす。
「紅茶とコーヒーのどちらが好きかな?」
緊張する心花を和ませるようにレグルスはふわりとわらう。丸みのある背もたれは、体重をあずけると、包み込まれるような安心感を心花に与えた。
「紅茶でお願いします」
レグルスは、何も言わずに首肯し、手慣れた動作で、ドリンクサーバーを操作する。温かいお湯を一度ポットに注ぎカップを順に温めていく。ガラスの小瓶の中からカモミールの含まれた茶葉を取り出し、分量通りにお湯を注ぐ。やがて、部屋に紅茶をカップに注ぐ音だけが湯気のように立ち上がった。
「レオさん、三日後のハロウィン祭りのことで、おねがいがあるんです」
心花は、紅茶一口含み、下を温める。カップをソーサーに戻し、切実な声で続ける。
「決して、リコちゃんから離れないでください。特に、外の人が多い場所に行くときは、リコちゃんを一人にしないであげてください……絶対に、今日みたいなことを起こさないで欲しんです」
「約束する。もう二度と、あのような失態は繰り返さないと」
レグルスは、真っ直ぐに心花の目を見て宣誓する。
「ありがとうございます。わたしは、その日は議会に出席しなければなりません。ですから、リコちゃんの傍に居続けることができないんです。まぁ、その前に少しだけ待ちの子どもたちと遊ぶ約束はありますけどね」
もう一度、紅茶に口をつけ、「おいしい」と感想をこぼす。
「一つ、心花さんに聞いてもいいかな」
「答えられることでしたらいくつでも。そのために、今夜参りました」
リコリスの前でいつも浮かべている陽気さは鳴りを潜め、年相応と大人びた表情を心花は浮かべる。その代りように、レグルスは一瞬目をむいた。
「わたしの笑顔の在庫はリコちゃんのためだけにあるんですよ。ここで見聞きしたことは誰にも話さないでくださいね」
「ああ。ニライカナイの神に誓おう。心花さん、リコはなぜ昼間、声を失ったんだ。俺が、リコを一人にしたこと原因だということは、わかる。だが、どうしてだかわからない」
「心意的外傷なのかもしれないと上弦先生は、おっしゃっていました。わたしが、出会った時にはもう……リコちゃんは一人で外を歩けなくなっていました」
心花は一度固く口を結んで、押し殺した声で言った。射すくめられるようなピンクトルマリンの瞳に、レグルスは、間違いなく船長の娘なのだという事実を突き付けられた。
「頼む、教えてほしい。心花さんは、ニライカナイの惨劇について何か聞いているのか」
心花は首を振る。レグルスは交差した指先の上に額を押し付けて、重たい長い吐息を溢す。
「はい。が知っていることは少ないです。リコちゃんも、わたしには話してくれませんでした。でも、良くうなされて『鬼』という言葉を口にしています。わたしが知っているのは、ニライカナイの惨劇の後の事です。だから、ここから先は想像も交じります。それでも、聞きますか」
心花は、ハーブティーを一口含み、重たい口を開いた。