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四.海賊と騎士

「まって……」


 視界がぐにゃりと曲がり、神の目から普通の目へ切り替わったことを知った。ざわざわ、今までは何も気にならなかった周囲のざわめきや視線、足音、息遣いがやけに大きく聞こえる。喉が見えない手で絞めつけられていくかのような窒息感に、震え出した両手を地面についた。


 見知らぬ人達の姿が黒い雲のようなものに覆われていく。姿も見えないのに漠然と感じる視線に、様々な不安や妄想を掻き立てられ、なんでもないことのはずなのに、恐ろしく思えたり、疑わしく思えたりして心臓が凍り付く。


 ――――――かわいそうな子。そんな嘘をついてまで、大人の目を引きたいの。

 ――――――お前の言動が周囲を混乱させる。黙っていなさい。


 嫌いで許せないあの大人たちの目と声が記憶の底から浮かび上がり、耳をふさぐ。リコリスの前に、影が落ちた。身体が震える。誰かが心配して覗き込んだのだ。びくりと壁に身を寄せる。上げられた表情はさっきまでの凛としていた人間とは別人だった。


「お嬢?」


 耳慣れた声にふっと、全身の力が抜ける。いつもの白衣ではなくいかつい帽子と眼帯を付けた海賊のCOSMAPを纏った「竜宮城」医務室長―――上弦が甲板に膝をついて目の前にいた。


 ―――上弦(じょうげん)っ。

 そう相手の名前を呼ぼうとして、声が擦れて音にならないのに気が付き、口に手を当てる。


「おい、お嬢。一人かっ!」


 金色の縁取りのされた光沢のある漆黒の衣にしがみつき、頭を縦に振る。黒い目や髪と、白い絹のシャツのコントラストに目を揺らす。


「声が。お嬢、いつものか? 体調は?」


 もう一度、首を縦に振る。子供をあやすようによしよしと髪の上に手を滑らせる。生来の精悍な顔立ちと医者の癖に引き締まった素晴らしい肉体の相乗効果で、見惚れるほど似合っていた。レグルスの美貌を見た後だというのに、不覚にも鼻血を吹き出しそうになった。上弦が、腰に佩いた刀を鳴らしながら膝をつき、見た目に反して綺麗な手が額に覆いかぶさる。


「熱が少しあるな。お嬢にしては平熱か。とりあえず、ここで心花を待っている間に、今ある手持ちで、簡単に処方してやる。今日は少し早めに寝ろよな」


 リコリスは、いたたまれなくなり顔を背ける。上弦は、主治医権限でリコリスのオーストコピーの健康データをダイレクトに読み取り、数値を確認していく。手早く診察し、カバンの中から取り出した薬をリコリスに処方する。大きな問題がないことを確認して張り詰めていた息をようやく吐く。


「はぁ。驚かせんなよな。お嬢が道端で座り込んでるとか、嫌な想像しちまったじゃねぇか。心臓が止まるかと思ったぞ。だいたい、おまえの連れはどこだ。心花の嬢ちゃんは? 正臣(まさおみ)のやつが、お前らにつけた護衛はどうした」


 リコリスは、視線を女子トイレまでの経路、看板に目を向ける。


 しばし沈黙が訪れる。咳払いでごまかした。女子トイレに、レグルスは入れないので必然的に護衛任務のためマリアが付き添うことになったのかと上弦は推測する。


「なるほど。大体事情は飲み込めかけた。だが、確か女と男の二人組だと聞いたぞ。男の方はどうした? 任務放棄か。いい度胸をしているじゃねぇか」


 坐った目に、ぞくりとしたものが背中に走る。とっさに、レグルスが駆けて行った方角を人差し指を向ける。


「ほぉ。とりあえず、その火星のボンボンのところに行って、説教かますか。護衛対象に放置プレイを強いるとかどういう了見だとな。心花の方は、大丈夫だろう。行くぞ」


 生まれたての小鹿のようにみっともなく震える足を見てみぬ振りして、ひょいとリコリス抱く。金のボタンが目の前にあって、消えたくなる程の恥ずかしさにきゅっと唇を噛み締める。無意識のうちに震えを止めようと上弦の首に回した腕に力がこもる。


「そんなに恥ずかしいなら、これでもかぶれ」


 ぽすんと(バイ)角帽(コーン)が、頭に掛かり視界が暗くなる。ぽんぽんと撫でてくれる大きくて温かな手のひらを感じながら、リコリスは、上弦のたくましい胸板に顔を押し付けた。

 後日、街の人にあの時は、「座敷童ちゃんが、海賊にさらわれたかのように見えたよ」と笑われることになるのだが、この時の二人は知る由もなかった。


「えっと……いったいこれはどういう構図かな? えーっと、リコちゃんを巡っての、修羅場?」


 心花は、海賊船の長の格好をした上弦先生と、上弦に説教されているレグルス、上弦に腕の中でおとなしくお姫様抱っこされているリコリスの三角関係を見て盛大に疑問符を頭上に浮かべた。


「めっちゃ混んでたトイレから戻ってきたら誰もいなくて驚いたんだけど。カフェの美麗ちゃんに聞いたら、海賊にリコちゃんが攫われたっていうから『連続失踪事件』に巻き込まれたかと思ってびっくりだよ。もぉ、心花ちゃんは、ぷんぷんなんだけどぉ」


 ちらりと事情を知っていそうな上弦に視線を送る。


「そこの坊主が、はた迷惑なひったくり犯を捕まえた。お嬢を一人置き去りにしてな。それを、俺が拾った」


 上弦は、端的に状況を説明する。心花は、ぴんとしっぽを逆立てて、狐面をかぶったリコリスがどうして、おとなしく恥ずかしい恰好をしているのか、正確に理解した。


「リコちゃん! ごめん。本当にごめん」


 心花は上弦によってゆっくりと近くのベンチに降ろされたリコリスに抱き着いて謝り倒す。


「わたくしにも、わかるような説明が欲しいんですけれど。レオ様は、犯罪者を逮捕したのでしょう? 被害者の女性のアフターケアをしっかりとしましたのよね。騎士としてきちんと任務を果たしたように思えるのですが?」


 犯人を、華麗に捕縛したレグルスは称賛ではなく、まさかのお叱りにマリアは戸惑っていた。マリアは、豊満な胸を押し上げるように腕を組んで、悩ましげなため息を溢す。


「ああん、ふざけてんじゃねぇぞ。お前らの任務は何だ。そこのお坊ちゃんが、護衛対象であるお嬢を置いていった。これのどこが、騎士としての任務を果たしたっていうんだよ。ひったくり犯程度なら、警備ロボでもな、ものの数分で、捕まえられたぞ」


 ぎろりと音がなるほど強くレグルスをにらみつける。レグルスは、睫毛を伏せる自分の行動を振り返る。レグルスは、マリアにちらりと視線を向ける。それから心花を見てもう一度視線を戻す。


「たまたま、俺がいたからよかったものの何かあったらどうする。特に今は、いろんな思惑の人たちがこの船に集まってきている。こいつらの身の安全には気を使わなきゃいかん。ここは、住民区画じゃなくて、外交区画なんだぞ」


 上弦の鋭い言葉は、レグルスの耳に痛かった。冷静になれば幾らでも自分の不手際が見えてくるのには、正直落ち込まざるを得なかった。心花がくいくいっと上弦の黒いコートの裾を引っ張り、耳打ちする。


「上弦、レオさんに言ってないから。だから、あんまり怒るとかわいそー」


 頭をかき、溜飲を少しだけ下げる。


「ああん。そういう重要なことは先に言えよ。ちゃんと話しとけよ。まぁ、でも、それとこれとは話が別だ。坊ちゃん、後悔したくないなら……失いたくなかったら、今を大事にしろよな。それから、優先順位をちゃんと立てることを進めるぜ。今度、お嬢を泣かせたら、一発ぶん殴らせろ」


 上弦の言葉にしっかりと心花はうなずく。再度、レグルスを睨めつけ、それからマリアの方をじっと見る。


「な、なんですの」

「心花、こいつは、もしや例の」


 上弦は顎に手を置き、マリアを穴が開くほどじっと上から下まで視線を滑らせる。心花はにやりと上弦の方を向き直り、親指を突き出す。


「ほぉ……、宇宙『竜宮城』の医務室長、上弦=村雨だ」

「火星騎士団所属マリア・ハワードですの?」


 マリアは突然のことで語尾を思わず上げてしまう。それを上弦は気にするそぶりも見せず、医療鞄を手に取る。


「そんじゃあな。坊主が、助けたらしい妊婦の様態も気になるから行くな。連続失踪事件の被害者宅に経過診断にもいかなきゃならねぇし面倒だな。まったく。お嬢、無茶だけは済んなよな」


 リコリスはうなずき、心花と一緒に手を振る。だんだん小さくなって人ごみに紛れていく上弦を唖然とした表情で見送る。


「あの人、医者だったんだな。人は見かけによらないというが……マリア、なんだったんだ。今のは」


 マリアも上弦の態度が腑に落ちず、小首をかしげる。


「んー、マリアさんとは個人的に仲良くしたいってことだよ。あ、そうそうちなみに本物の船長は今日、赤いマントにふわふわファーを付けた王道な王様の格好をしていたよ。そんでもって、お母さんは、踊り子の衣装を着てる。コンセプトは、王の愛妾だってー」


 異世界に迷い込んだような気分に少し、二人の騎士はなっていた。


「リコ、転んだ時に足に怪我をしなかったか?」


 リコリスはこくりと頷き、あいまいに笑う。そこには、護衛の任務を途中放棄したことになるレグルスを責める色を見つけられなかった。


「そうか。足が痛いようならいつでも言ってくれ。今度は、置いていかない。背負っていくからさ」


 諦めることに慣れ過ぎたもの特有の顔で頷くリコリス。その有様に、マリアの心に不協和音が響く。花弁が萎れるように、生気の薄いリコリスの姿と記憶の中の寝込む妹のぐったりとした姿が重なる。


「リコリスさん、大丈夫ですの? ……目が赤いですわ。もしかして、レオ様においてけぼりを食らって泣かれたのですか?」


 マリアは悪そうなニヤニヤとした笑みを意識して浮かべ、リコリスの肩になれなれしく手を置く。ドンマイとでもいいたげなその手は力ない手で振り払われた。


「本当に、どうしましたの? ……それにしても、驚きましたわ。あなたが、男の腕の中にホイホイと身を寄せるような尻軽女だったとは」


 マリアは、内心の心配とは裏腹に出たあんまりな言葉がつい出てしまい、己の左足をぐりぐりと踏みつける。こういうつむじ曲がりの性格が、実の妹との仲をこじらせている原因なのだ。


「マリア」

「マリアさんっ。リコちゃんのことを何も知らないでそんな風に悪く言わないでください」


 二人の咎める声を表面上は涼しい顔で、受け流しつつ、マリアは挑発にも、口を開かないリコリスにやきもきする。海賊帽に手を掛けたリコリスに、ため息交じりに、チクリと嫌味を口にする。


「自分から抱き着いていたではありませんの。やはり、噂通り魔女なのですわね」


 醜態をほじくり返されたリコリスのこめかみがぴくりと引きつる。幻惑の魔女という御大層なあだ名は、魔法のように変身できるCOSMAPを開発するところからくるのだ。指を白くなるほど握りしめる。性悪女みたいな使い方でその呼び名を使われるのは腹が立った。唸るようにして声の調子を確かめる。


「……が、っ。人が反論しないのをいいことに、随分と言いたい放題言ってくれるわね。あたしは泣いてないわよっ! そんでもって、マリアの魔女認識は間違っているのよ」

「あら、ようやくだんまりをやめましたのね」


 リコリスの怒りの叫びに、心花は感極まる。傍にいたマリアを、レグルスの方に押し飛ばして抱き着く。


「リコちゃーん。リコちゃん、リコちゃーん。もう一人に絶対しないからぁ」

「心花、心配かけてごめん」

「ああ! もう、さっきからそれ何なんですの。二人でイチャイチャしながらレオ様の不手際を遠まわしに攻め続けていますわよね」

「違うってば。ふん、もう、おうち帰ろー。リコちゃん。今日は、父さんがかぼちゃ料理のフルコースを作るって張り切ってたの。カボチャのピューレに、濃厚クリーミーなパルメザンとベーコン添えパンプキンスープ、あじとかぼちゃの南蛮漬け、酸味と旨みが詰まった豚ロース肉のカマンベール包みの赤ワインバターソース」


 すらすらとよどみなく心花の口から聞くだけでよだれが沸いてきそうな料理名が飛び出してくる。こうして一日動き回った後だと、食欲がそそられる。気のせいか、道行く人の口元にきらりと光るものが見える気がする。


「食後のデザート。それはね、ほろほろかぼちゃのモンブランタルトとパンプキンアイスだよ!」

「食べたい」


 リコリスは、好物の名前に目を輝かせる。


「あ、レオさんもリコちゃんの昔なじみとして一緒にどうです? お母さんが、さっきぜひうちに呼んで来いって。イケメンを見て英気を養うのと、新たな美男子と夫である王との間で揺れる女っていうのをやりたいみたいなんです……ほら、別に責めてなんかないでしょう?」

「いいのか。本当に」


 失態を気にするレグルスに、あっけからんと一応被害者となるリコリスは告げる。


「来なよ。どうせ、ボスのことだからレオくんの分まで作っているわ。それに、昨日も今日もあんまり、お話しできてないでしょう? おばさんやおじさんのことも聞きたいし、ね」

「一人だけ、仲間外れは悔しいですの。新手の飯テロですわ」



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