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三.一人にしないで

「あ、わたし、お手洗いに行ってきますね。あ、マリアさんも一緒にいかがです?」


 化粧室に付き添えは女である自分しかできないので、マリアは口を尖らせ、渋々といったように席から立ちあがった。


「レオ様、わたくしが目を離したすきに、リコリスさんの魅了の魔法にかからないでくださいませ」


 マリアは、あまりの念の押しように、さすがのレグルスも呆れたようなため息を零す。目線ですぐさま行くように促した。


「それじゃあ、レオさん。マリアさんを借りますね。そうそう、ちゃんとリコちゃんから目を離さないでくださいね。これ、雇い主命令です」


 心花は仁王立ちしながら、器用にも、目の上下の筋肉を使って片目を閉じてウィンクを飛ばしてみせる。心花は、マリアの背中をぐいぐい押しながら人混みの中に呑まれていった。レグルスは、店内の天井からぶら下がる化粧室の看板を眺め、不思議そうに首を傾げた。


「気を使ってくれたんだと思うわ」

「そうか……」


 沈黙の帳が二人を覆う。大型街頭LEDビジョンに、COSMAPのコマーシャルが放送される。スプーンで、生クリームに埋もれていたレッドパールをすくい取り咀嚼する。やはり、外の人の出入が多いこの区域は、目まぐるしく人が移り変わっていく。


「ここでは、誰もリコを敬わないな」

「そりゃあ、そうよ。ただのリコリスだもん。心花と違って養子だしね。気楽よ。昔とは大違い」


 店内のアクアリウムの中で、ゆらゆらと金魚たちが泳ぐ。本当の海も川も知らない水槽の中の魚をぼんやりと眺める。


「昨日、急に倒れたとき、心配した。考えなく、聞いて済まない」


 リコリスはパフェグラスにブラックベリーを置き去りにしたまま、スプーンを置く。


「いいよ。あたしも、レオくんに生存報告すらしなかったしね。いろいろあったの。再会するとは思わなかったのよ。それで、レオくんはいつこっちに来たの」

「検閲をクリアするのに二週間。それまでは缶詰め状態だった。おかげでこっちにもってきていた書類は全部、片づけられたよ。先輩たちの言っていたことが分かった気がしたよ」


 昔と違って今は戦える文官といったイメージが騎士にある。テーブルの下で足を組んで、テーブルの上に肘をつく。


「あー、無駄に長いものね。うちの船長は、そこらへん凄く厳しいわ。心花に万が一が、あったらどうするってね。そう思うと、目に見える範囲で他に護衛がいないということはレオくんたち、信用されているのかな」

「船長と顔合わせしたよ。噂に違わず優秀な人だというのが言葉の端々、身のふるまいから感じられたよ。船長だというのに荒事にも十分対応できそうなほどに鍛え上げられているのが服の上からでもわかったよ」


 リコリスは、船長の外面にすっかり騙されているレグルスの話をにやにやと見守る。


「一応、船長ってあたしのお父さんになるのよね」

「そういえば、飛って名乗ってたな。驚いたよ。なぁ、リコ、他にニライカナイの生き残りを知っているか」


 首を静かに振る。レグルスは、予想していた反応に静かに瞼を降ろす。


「時々思うわ。あたしがニライカナイをあんなふうにしたんじゃないかって」


 レグルスは、目を剥く。


「リコ、そんなこと思っていたのか。ずっと?」

「たまに。だって、あたししか生き残ってないもの。レオくん。あたしがさ、ニライカナイが滅ぼされたとき、どこかで、ホッとしたっていったら怒る?」


 レグルスは何も言わずに次の言葉を待つ。頬杖をやめて、椅子に背をもたせかけた。リコリスは視線をさまよわせながら言葉を選ぶように、ゆっくりと唇を動かす。


「神子。今は魔女や穴倉娘なんてよばれてるけど、ニライカナイではずっとそう敬われていたことを、レオくんは憶えているよね」


 レグルスは、底にクレッセント(三日月)が残るカップを静かに置き、神妙に頷いた。リコリスは、視線を揺らす。もう何年も閉じ込めていた心の醜い部分を封じていた蓋が、どこかに飛んで行ってしまう。あまりにも遠くに行ってしまったみたいで回収するにはもう少し時間がかかりそうだ。


「もうだれにも、生贄であることを……世界のために死ぬことをだれにも強要されなくて済むんだって、信者たちが殺されていくたびに思ってしまったの。……あたしは、そんな、悪い子だったのに、一人だけ惨劇から逃されてしまった」


 誰かが殺されるたびに、生まれたときから束縛していた鎖が一つずつ壊されていくみたいで、どこかで喜んでいる自分がいた。死への恐怖と普通の人間として死ねる幸福に馬鹿みたいに酔いしれていた。泣くのは卑怯だとわかっているのに、見開いた目からぼろぼろと透明な滴がこぼれ落ちる。


「リコ。ごめんな。俺が……俺が、神子という使命だけしか知らなかったリコに、普通の人間の幸せを教えたせいで、苦しませた」


 中途半端な希望がお前を苦しませた。苦々しく、レグルスが謝罪する。憐れむような目に思わず立ち上がり、レグルスの服の襟首を衝動的につかみ上げた。フロールガーデンテーブルの上で、グラスが横転する。

「レオくん、あんただけはそんなことを言うことをゆるさないよ」


 睨みつけるように激情のこもった目をレグルスに向ける。


「今いるあたしを否定なんかさせない。あたしは、レオくんに感謝しているのよ。レグルス。あなたが、あたしに二度目の生を受け入れる力をくれたの。惨劇についてはブレインプロテクトに抵触するせいで、詳しく話せない。でもね、ニライカナイの惨劇の時、あたしは人形じゃなかったから、死にたくないっていう欲があったの。だから、こうして今生きている」


 思わず立ち上がって声を上げたリコリスは、テラス席とはいえさすがに目立ったらしく周りの目が痛い。本当はこんな話をするつもりじゃなかった。それでも、芽生えた勘違いがレグルスをこの先、苦しませることだけは阻止したかった。


「確かに嫌なことばかりよ。目の前で知り合いがむしゃむしゃペロリってされるシーンを気が遠くなるほど見せられたわ。故郷が亡びたわ。地位も名誉も何もかも、なくなったわ。痛い想いも、苦しさも、怒りも憎しみも、目まぐるしい勢いで体験した。でもね、何一つ、あたしの人生で無かった方がよかったなんて思えるものはないの。そういう過去があったからこそ、いまのあたしがいるの」


 リコリスは周囲にお騒がせしてすみませんと頭を下げる。レグルスが、騎士としての営業スマイルで追随して謝意を示す。まばらな客たちは、肩をすくめ、わずかに文句を言いながらそれぞれの話に戻っていく。


「レオくんは、今のあたしが嫌い?」


 リコリスは、自分が恥ずかしくてたまらなく嫌いだった。でも最近、すこしだけ自分を好きになってもいいかなと心花やみんなのおかげで思えはじめたところなのだ。


「好きだ」

「でしょう。あたしは、あたしが誇れる自分になるために頑張って自分を磨いたもの。守りたいものもできた。あたしはここが大好き。だから、今度は鬼に譲ってあげられないわ」


 リコリスは、過去の弱くて甘ったれた自分に今の姿を見せてやりたいと自嘲的な笑みを浮かべる。誰かを不幸にするだけでなく、誰かを幸せにあたしだってできるんだってことを生涯かけて証明するのだと、あの惨劇の日、後悔とともに決意を固めたのだ。


「鬼?」

「ええ、鬼。人間の理解も力も及ばない化け物のこと」


 務めて冷静に、言葉を選んでレグルスは問う。言葉を間違えた瞬間、それをこたえようとしたリコリスの身にとても恐ろしいことが生じる様な予感がした。

 チクリと脳にとがめるような痛みが走る。顔をしかめ、これ以上は話せないと首を横に振る。


「ブレインプロテクトは、誰にされたんだ」

「んー、一人一人の名前は忘れた。嘘、覚えている。忘れられないもの。一度見たものわ。そういう風にできているもの。たぶん、何人かはあそこにいるんじゃない」


 リコリスは、議会の様子が生中継されている街頭テレビに視線を向ける。口の端を吊り上げて、わざと明るい口調で言い切る。


「誰が、何の目的で、神子であるリコにそんなふざけたことを?」


 リコリスの顔から表情が抜け落ちた。ぼっかりと眼窩にはまるガラス玉のような目に、ぞくりとしたものがレグルスの背に駆け巡る。


「目的はね、あたしが虚言吐きだからだって。惨劇のことを正直に話したら、そう断定された。広めないようにって罰ゲームの様な処置をされた」


 リコリスの目が元の生気のある目に戻り、レグルスは肩を降ろす。


「あたしは、ここでの生活に口や手を出されないならもうどうでもいいわ。それに、公的な場所で名乗ることを禁止されても、力までは取り上げられない」

「そうか」


 再び落ちた沈黙を壊すように、感情全てを重たい靴底へと籠めたような足音が、ティータイムに急ぐ兎のように妙にせかせかした様子で通り過ぎる。レグルスは何かが気にかかって、オーストコピーに視覚・聴覚の強化を命じ、男をそれとなく追跡した。


「どけどけ、とろとろ歩くんじゃねぇ」


 黒い目だし帽のわずかな隙間から見えた落ち着きのない視線、首筋に滝のように流れる汗、腕に大事そうに抱えられたパステルピンクのクラッチバッグ―――随分と先の方で誰かの悲鳴が上がった。ばっと、レグルスはテラス席から立ち上がった。


「レオくん」


 リコリスは風で乱れた髪を掻き上げながら、続くように椅子から腰を上げる。着物をたくし上げて、歩き出したレグルスの後を付いていく。


「あの男、警備ロボットの追跡を振り切るためだけに、人を突き飛ばしているのか」


 リコリスは、神の目を起動し、レグルスの視線の先をトレースした。男がおなかにふくらみのある女性を突き飛ばす様子が飛び込む。


「危ないっ」


 助けようと早めた足がもつれて、転倒する。神の目では、間近に見えたものの実際の距離は、すでに百メートルほど離れている。


「リコ、そこにいてくれ」


 レグルスは、騎士服の上着の裾をめくり、腕輪に巻き付けていたワイヤーのアンカーを発射する。レグルスは、ふっと、足を一度浮かせると、強く床を蹴り上げ一直線に走りだした。


「レオくん待って!」

「すぐ戻る」


 それは本当に一瞬の出来事で。とっさに伸ばした、利き手が宙を泳ぐ。


「レオくん。お願い待って。行かないで……あたしを、一人にしないでっ」


 新たな被害者を出さないためにひったくり犯を追い詰めることに気を取られていたレグルスは、悲痛な声で叫ぶリコリスに気が付かなかった。次の瞬間には、転びそうになった女の人をすんでのところでレグルスが支えていたけれどもその姿はもうリコリスの瞳には映ってはいなかった。



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