7、空に華を
希野市誕生式典当日、空はどこまでも澄み渡る晴れやかな青空だった。美しい青色の中に所々白い雲が浮かんでいる。夏の暑い日であるが、風が吹けば心地よさすら感じる爽やかな日だった。
式典は二日間に渡って行われる。主会場では、初日の午前中に開会式が、午後は学生たちによる様々な発表会が行われ、夕方から夜にかけて、若手研究者の発表が行われる。二日目は会議が合間にありつつ、音楽の演奏会等が開かれ、午後は各研究所で最も力を入れている新しい技術の披露会となる。
若手研究者の発表の場は、どちらかと言えば式典を盛り上げるための一つの行事であるため、技術自体は重要視されていないが、そこでの印象が翌日の各研究所の披露会での雰囲気を決めると言っても過言ではない。だから若手研究者の披露会も力を入れているところが多いのだ。
静山谷研究所での発表者を沙代に選んだことは果たして良かったのかどうかはわからないが、全力で今日という日を過ごそうと決めていた。
沙代は眼鏡を外して目をこすりながら、研究所の控え室にあるテレビに映っている開会式の中継をぼんやりと見ていた。
「もう少し寝たら?」
男性の護衛と交代した泉が肩をすくめながら現れ、沙代の隣の席に座り込む。凛とした雰囲気を漂わす茶髪の女性はどんな時でもかっこいい。癖毛を直そうとせずに、ただ伸ばしっぱなしの沙代とは大違いだと自分自身思っていた。
「明け方に仮眠はとりました。大丈夫ですよ……、研究者に徹夜は付き物です」
「あれからほとんど自宅に帰らないで、ここで寝泊まりしているのよね。護衛している身としては動き回らない方が目が行き届きやすいし、追っ手も危険を冒してまで研究室に入ろうとしないみたいだから、比較的護りやすかったけど……少しは女として気を使ったら?」
「そうですね、努力はします……」
顔を腕の中に埋めると、眠気が徐々に襲ってくる。ここで少しだけ寝て、それから――。
「藤野、今朝方退院したよ」
その名前を聞くなり、沙代は勢いよく顔を上げた。視線を横に向けると、口元に笑みを浮かべている泉の顔がある。
「意外と可愛いところあるじゃない。気があるの?」
「ち、違います! 誰だって自分のせいで傷ついた人のその後は気になるじゃないですか!」
「退院したときについでに貴女のこと言っておいた。藤野が怪我した途端、顔つきが変わったって」
「な、何を勝手なことを!」
「本気で受け取らないで、言っていないから」
沙代は口をぱくぱくしながら、再び顔を腕の中に埋めた。今度は顔が赤くなっているのを隠すためだ。泉と歳が離れているとはいえ、こうも簡単にからかわれるのは癪である。同時に勝手に表情に出てしまう自分が嫌だった。
「本当に面白いのね……。そういうことに免疫がないとは思っていたけど、それ以上だわ。藤野とはただの同僚だから、何か知りたいことがあれば気を使わずに言ってちょうだい」
泉がさりげなく机の上に置いた左手の薬指にはささやかだが煌めくものあった。説得力があるものを見られて、沙代はその言葉を素直に受け入れることができた。
開会式が無事に終わると、テレビ中継はまた別の角度を映し始める。沙代は欠伸をしながら立ち上がった。泉が軽く首を傾げている。背を向けて髪を軽く手でとかした。
「……部屋に戻って、シャワー浴びて着替えてもいいですか? さすがにこれでは人前にでられないので」
「もちろん。女は着飾ってこそ魅力がでるものよ」
泉に軽く肩を叩かれると、沙代は僅かに微笑んでいた。
* * *
若手技術者による披露会は予定通りに始まった。幸か不幸か沙代の発表は十番目、つまり最後になった。その前は深川原研究所の丹波の発表。直前で素晴らしいものを見せつけられるだろうが、今はただ自分らしい発表をしようと沙代は思った。
控え室では発表の原稿を読み返す人や、落ち着きを払いながら自らの発表を待つ者、今発表している人の様子を見るために外に出て眺めている人などがいる。各研究所で有名な若手研究者たち。終われば是非とも声をかけたいところだった。
沙代は外の様子を見るために控室から出た。そこで腕を組んでいる泉と藤野と目があった。藤野は何ら変わりなく立っているが、おそらく服の下ではまだ包帯が巻かれているのだろう。
「藤野さん、お久しぶりです。お体は大丈夫ですか?」
駆け寄ると、同じぐらいのタイミングで歓声が上がった。今の発表者が何か華々しいことでもしたのだろう。
藤野は沙代の顔を見るなり、目を大きく見開いていた。
「あ、ああ。激しい動きをしなければ特に大丈夫だ」
「どうかされたんですか? いつもより歯切れが悪いような……」
視線を逸らそうとする藤野に泉が背中を容赦なく叩いた。疑問符を浮かべる沙代の前に一歩飛び出る。
「藤野さん……?」
「別人かと思った。古田沙代でいいんだよな」
「あ……」
沙代は声を漏らすと、後ろでにやけている泉と視線があった。僅かにこぼれている髪を耳の上にひっかける。
二週間前の沙代を見た者ならば、おそらく見間違えてもしょうがないだろう。
後ろ髪は綺麗にまとめあげ、それをバレッタで止め、眼鏡は外してコンタクトをつけている。服は黒いスカートと、大人っぽいレイアウトのシャツ。化粧もしており、いつもよりも肌が明るく見えていた。
「人前にでるので、少しは見栄えのいいものを着なさいと、研究室の人たちに言われまして……」
「研究室の人と一緒に作り上げたって聞いた。距離があったのに自分から詰めたのか」
「そうなりますね……」
あの時は無我夢中だった。
これから映し出される光景を、藤野を含めた多くの人に見せるために、何をするべきか――。それを考えると、自分が勝手に作ってしまった確執など気にしている暇がなかった。
昨晩先輩研究員から「頼ってくれて、ありがとう」と言われた。
それを聞いて、意固地になっていた自分が急に馬鹿らしくなった。偶然の産物で入所したのならば、それをすべて受け止めて前に進み、新たな環境で頑張ればいい。結果は所詮過去の話だ。それにしがみ付いても何も変わらない。
沙代は過去の研究にあまりにも固執しすぎていたということを、ようやく実感したのだった。
「藤野さんと泉さんは舞台の脇から見るんですか?」
「そうなるわね。まだ護衛依頼の解除されていないし。披露会が終わるまでは何が起きるかわからないでしょう」
「すみません、ありがとうございます。……きっとここからでも充分綺麗なものが見えますので、安心してください」
会場からアナウンスが聞こえる。六番目の発表者の名前が呼ばれている。そろそろ最終確認をしたいと思い、沙代は深々と二人に対して頭を下げた。顔をあげると、二人とも穏やかな表情を浮かべている。
「どうかしましたか?」
今まで見たことのない二人の表情に沙代はきょとんとする。
藤野は前に出て、沙代の頭に軽く手を乗せた。
「いい表情をしているな。――頑張ってこい」
「はい!」
元気よく返事をすると沙代は背を向けて一歩前に出た。だがふと思いつき、背中越しから藤野のことを眺めた。
「藤野さん、私はあることがきっかけで、無我夢中ですが前に進むことができました。――貴方にも今回のことが良いきっかけとなれば幸いです」
軽く目を伏せてから、沙代は今度こそ振り返らず前へと進み、控室へと戻っていった。
藤野が目を丸くしているのにも気づかずに。
「余裕だな、古田」
丹波が背中を壁につけて腕を組んでいる。その様子を見て、沙代は不敵な笑みを浮かべた。
「余裕なのは丹波の方でしょう。ここに入ってから、一度も原稿を読んでいないじゃない。私なんて心配性だから最後まで原稿は手放せないのよ」
「しばらく徹夜続きだって聞いたぜ。男の為とはいえ、無理しすぎじゃねえか?」
丹波は沙代のことを怒らせるために、わざと誇張して言っている。そのような挑発的な問いに引っかかるつもりなどない。澄ました顔で首を軽く傾げた。
外での歓声が一際激しくなる。丹波はその歓声を聞きながら鼻で笑う。
「たしか今の奴は超小規模発電しているんだろう。たしかに凄いものだけどよ、たかがしれている発電だよな。しかも既に知られている内容だしよ。こんなところで発表してどうするつもりだ?」
「家庭でもそういう発電ができるようになるっていうアピールを改めてしたんでしょう。少しでもエネルギーの自給自足を促進させるために」
「つまらねえな。こんなにも大勢の人間に対しての発表会だぜ。新しいこと発表しねえと、面白くも何もないだろう」
「そうね、一人でも多くの人を惹きつけられる内容を披露するべきだと思うわ」
八番目の人が呼ばれる声がする。それを聞いて、丹波はひらひらと手を振った。次の発表者は会場のすぐ傍で待機するのだ。
「古田の発表楽しみにしているぜ。まあせいぜい頑張れよ」
丹波が部屋から出て行き、沙代だけが残された。静かな部屋の隙間から喧噪が漏れ込んでくる。
八番手の人の発表は生物学関係の研究のはずだ。鮮やかな色の生物でも紹介しているのだろうか。
心拍数が徐々に上がっていく。深呼吸をして、少しでも平静になろうとする。それおw何度か繰り返した。
やがて八番目の人が終わり、係員から声をかけられると、沙代も部屋の中から出て行った。
外にでて感じたことは熱気だ。
会場にはたくさんの人がいるということや、まだ日中は暑いと聞いていたため、ある程度の熱気は覚悟していたが、ここまで暑いとは。持っていたハンカチで軽く汗を拭った。
「――それでは九番目、深川原研究所の丹波秋介さん、お願いします!」
軽やかなアナウンスと共に一際大きい歓声が耳の中に飛び込んでくる。高校時代から研究だけでなく幅広い面で有名であったため、名が知られているのだろう。
丹波が立っている壇の上を、沙代はちらりと見た。彼がマイクを握って壇の中央にでている。
「皆さん、こんばんは! 本日はお集まり頂きありがとうございました。時間もないので、早速僕の研究発表をさせていただきましょう。――さあコリー、こっちに来い!」
丹波が呼びかけると、沙代がいる舞台袖の逆方向から人型のロボットが歩いてきた。彼よりもやや背が低く、銀色のフォルムが光っている二足歩行型のロボット。一目でロボットだとわかるが、その動きは非常に滑らかなものだった。
丹波がロボットのことを早口で説明しつつ、それに従うかのようにロボットが動いていく。軽く飛び跳ねしたり、緩いキャッチボールをしたりと、その動きをする度に観客たちにどよめきの声があがる。
さすが丹波だなと沙代は思う。何をすればより短時間で注目を得ることができるかを熟知しているからだ。動きをつければ、後ろにいる人にも見えることができるし、機械がより強固なものでできているかがよくわかる。
最後にロボットは、人間でも行うのが難しいバク転を連続して行い、その場を締めた。
大きな拍手と共に大歓声が上がる。
負けたとか、勝ったとかは、今の沙代の脳内には流れてこなかった。
凄いものを見たな――という、素直に賞賛する言葉しか出てこなかった。
「では最後に静山谷研究所の古田沙代さん! お願いします!」
名前を呼ばれて、沙代は一息深呼吸をしてから、背筋を伸ばして壇へと上った。
まず感じたのは照明による眩しさ。太陽が落ち、月がのぼり始めている時間帯だが、強力なライトの光によってまるで昼間のような感覚だった。
目が慣れてきたところで、目の前に大勢の人がいることに気づく。あまりの多さに怖気づいて思わず引き返したくなったが、それは冷静な自分が押さえ込む。
マイクスタンドに顔を近づけると、ある人たちを思い浮かべながら口を開いた。
「――今晩はお集まりいただきありがとうございます。さて皆さん、想像してください、空に華のようなものが浮かんでいます。それはどのようなものですか?」
観客席がざわめく。唐突な質問なのだから当然だろう。それを見越した上で沙代は言葉を重ねる。
「かつてこの国では、空に浮かぶ華と捉えられるような美しいものが夜空に打ち上げられていました。しかしそれを作るための技術はいつしか衰退し、私たちはそれを見ることができなくなりました。――しかしそれも昨日までです」
マイクを持っていない手を挙げると照明が消え、背後からぴゅーっという音の後に破裂音がし、鮮やかな橙色を主体とした大輪の華が咲き、すぐに重力に従いながら消えていった。
突然の音に耳を押さえる者もいたが、ほとんどの人が呆然としてその光景を眺めている。
沙代はマイクをスタンドから離して前へと躍り出た。
「これは“花火”と言われるもので、火薬と金属の粉末を混ぜ込んだものに火をつけ、燃焼や破裂する時の音や火花の色、そして形を鑑賞するものです。金属は燃やすとそれぞれ別の色を発する傾向があります。それを踏まえているのが、花火というものなのです」
間を取ったのと同時に背後から五発連続で花火があがる。緑色、赤色、黄色、紫色、紅色と、鮮やかな色の華ができあがり、その場で散っていく。
「まるで夜空に浮かぶ大輪の華のように見えませんか? 花火は別名“fireworks”と呼ばれますが、私はこの光景を見て、次のように呼ぶのも良いのではないかと思っています。一つとして、空に打ちあがる火として、sky fire。そして――」
腕を伸ばして前から横へと広げた。
「sky flower――空の華と」
違う色が混じった花火が三発放たれる。それを境に五種類の花火が連続して打ち上げられていった。観客たちの視線は上空へと釘付けになる。
尾を引かずに色や光の点で形を描くもの。尾を引きながら、長く垂れ下がるもの。内側に芯となる花火が打ちあがり、二重の同心円になるもの――など、花火と一括りで言っているが、様々な形が放たれていた。
連続して打ち上がったところで、沙代は両手でマイクを握りしめた。
「さて、こんなにも素晴らしい鮮やかな光と音を放つ花火の歴史を読み解きますと、意外にもただこの風景を楽しむものだけではありませんでした。他にも様々な意味合いを持って打ち上げられていたそうです」
ざわめいていた観客の視線が再び沙代の元に集まる。
「その一つが魂の鎮魂です」
観客たちの多くが一瞬で静まりかえる。一番前の席に座っていた市長の目が大きく見開いていた。壇上の傍で待機している藤野も例外ではなかった。
「遥か昔この国では大飢饉や疫病などで大勢の人間が亡くなった年がありました。志半ばで亡くなり、さぞ魂が荒ぶったことでしょう。そのような死者の魂を慰めるという祈りをこめて、打ち上げられたそうです。――そういう意味合いもあると考えると、また違って見えませんか?」
原稿で用意していた文章はここまでだ。手を大きく振り上げれば、長い最後の連続花火が打ち上がる。だがまだ上げることができなかった。
沙代は両手でマイクを握り、僅かに俯いていた視線を真っ直ぐ向けた。
「私は同時に思います。慰霊だけではなく、生きている私たちのことも慰めるものではないかと。周りがその死を引きずっていたら、果たして死者の魂は満足に鎮魂されるでしょうか? ――すぐに踏ん切りは付けられないでしょうが、今回のことをきっかけとして少しでも未来へと目を向けてくだされば私としては嬉しい限りです」
穏やかな表情で言い切り、手を大きく振り上げる。
途端に多数の破裂音が響きわたり、夜空には色鮮やかな火が多数華を開く。観客たちはそれを歓声をあげながら見つめ続けていた。
ある者は祈りを捧げるかのように、そしてある者は目から涙をこぼしながら――。
沙代は壇の端によってその様子を眺めていた。
視線を下に落とすと、市長が立ち上がって、静かに微笑んでいるのが見えた。そして隣にいた秘書らしき人間へとぼそっと話しかけると、彼はすぐさま会場から出て行った。沙代の発表から少し休憩を挟んでから、市長のコメントと最優秀賞の発表だと記憶している。だが沙代にとってはどうでもいいことだった。
これが新技術だとは言えない。過去に忘れられていた産物を掘り起こしただけで、新規の技術開拓の観点から見れば決していい評価は得られないだろう。
だがお祭りという華々しい時こそ、技術開拓ではなく、このような大規模的で、多くの人が楽しめるものが必要だと沙代は思うのだ。
花火の玉を天日で乾燥させる過程において、沙代が発見した光を使うことで大幅に時間を短縮することができたが、それ以外は一人ではできないものだった。
店の主人が快く作り方を教えてくれなければ、そもそも作るということまでできなかっただろう。また研究室の人たちの力がなければ、ここまでたくさんの花火を作り上げることができなかった。
さらに言えば藤野が身を呈して守ってくれなければ、ここに立つことさえ叶わなかったのだ。
顔を軽く横に向けると藤野が表情を緩めていた。彼と視線が合うと途端に頬が赤らむ。すぐに逸らして、頭上へと視線を戻した。
この花火を打ち上げられるまでに借りた多くの人に感謝をしながら、沙代は夜空へと放たれる華を最後まで見つめ続けた。
祈りと願いを込めながら――。
了
お読みいただきありがとうございました。
本作のSFの略
・Science Fiction
・Sky Flower、Sky Fire(自分なりの解釈で花火)
・その他:古田沙代、藤野誠一、静山谷研究所と深川原研究所等