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5、藤野誠一という青年

 沙代は泉から渡された服に着替え、休憩室に連れてこられた。自動販売機から出てきた冷たいお茶を両手で受け取る。一口飲むと少しだけ心が落ち着いた。泉はお茶を三口ほど飲み、近くにあったテーブルに置いて寄ってくる。

「少しはまともに喋れる状態になった?」

「……はい。ご迷惑おかけしました」

「私も悪かった。ついかっとなって手まで挙げて。――人が撃たれるのを見たら、誰だってしばらく放心状態になる。私もそうだった」

「泉さんも?」

「昔の話ね。けど当時の私と比べて、貴女には立ち止まっている時間はない。二週間切ったんでしょう、例の式典での披露会。上層部で警備計画がまとめられ始めている」

 沙代はこくりと頷き、お茶が入った容器を握りしめた。

「あと二週間です。お恥ずかしながら、まだ実験まで辿りついていないんです。今日、必要な物を揃えてから行おうと思っていたのですが……」

 藤野が撃たれる光景を思い出して、歯を噛みしめる。

 泉は肩をすくめ、沙代のすぐ横に座り込んだ。そしておもむろに質問を投げかけてくる。

「……そういえば、藤野に研究所出身だって聞いたの?」

「はい……。今日移動しているときに」

「ああ、なるほど。だから冷静さを失ってあんな道を通ったのね。色々と繋がったわ」

 泉は軽く頷きながら、一人で納得した様子を見せていた。まったく理解ができない沙代は首を傾げる。その様子に気づいた泉は沙代の横顔を見た。

「貴女、今、十八歳よね?」

「はい。この前、高校を卒業したばかりです」

「あの子と同じ、ちょうど藤野と三歳差か。彼が面倒見たくなる歳ね……」

「どういうことですか?」

 泉は難しい顔をしながら何度か口を開いたり閉じたりする。やがてその様子をじっと見つめていた沙代に観念し、彼女は溜息と共に口を開いた。

「私が知っている範囲の話よ。――実は彼の三歳下の妹が三年前に事故で亡くなっているの」

「それってつまり藤野さんが研究所に入った頃ですか?」

「察しがいいのね、その通り。藤野はその事故がきっかけで深川原研究所をやめて、警察官になったのよ」



 * * *



 藤野も名の知れた高校の出身で、文武共に優れている少年として注目を浴びていた。特別な研究成果はなかったが、自力で勉強して深川原研究所に入ることができた。静山谷研究所にも入れる能力はあったが、妹が先方の研究所と共同研究していることもあり、深川原研究所に決めたのだ。

 彼の家は研究者一家で、妹が研究者の両親の血筋を色濃く受け継いでおり、幼い頃からその片鱗を見せていた。高校に入るなり、早速研究所と共同研究をし始めたほどだ。それを藤野は羨みもしたが、妹は天才と割り切って自分は努力し続けた。

 深川原研究所に入った当初は雑用ばかりであったが、それでも最先端の技術を間近で見られて、日々目を輝かせながら過ごしていた。数年は勉強しつつ、下積みをし、やがては実験に取り組む日を心待ちにしていた時だった。

 異変が起こったのは夏の始まり。藤野の妹が体調を崩しがちになったのだ。

 貧血から始まり、食事をなかなか取らなくなる。起きている時間も減っていき、高校や研究所に通うのも困難になり、やがては病院に入院してしまう状態になった。

 急激に衰弱していく妹を見て、両親と藤野はただただ戸惑うばかりだ。

 病名もわからないのが、さらに困惑さを増す要因となり、訳がわからぬままに夏の半ばに妹は十五歳という若さで亡くなった。

 突然の死に誰もが驚くばかりで、葬式ではたくさんの人の涙が見られた。高校の友人はもちろん、共同研究をしていた深川原研究所も何人か列席していた。

 そんな中、藤野は研究所の所長と間近で顔を合わした。人の良さそうな穏やかなおじさんで、彼はハンカチで目元を拭いながら妹の死を悼んでくれた。

 だが離れる際に見た笑みを浮かべた口元が、しばらく脳裏に引っかかっていた。



 葬式からしばらくして、藤野は妹から死に際に受け取った鍵を使って彼女の机の引き出しを開けた。そして中にあった紙のノートを見て、衝撃が走ったのだ。

 それは毎日どのような薬を飲んだかというメモノートだった。

 風邪薬や頭痛を和らげる薬といった、簡単に手に入る市販のものから、血糖値を左右させる薬、そして精神安定剤など、彼女にとって到底必要のないものがたくさん羅列されていたのだ。

 一部には妹が研究していた薬もあったが、それは早急に頭痛を治めるものであり、実際に飲んだとしても体にはあまり害のない薬だった。

 それらの内容から考えられるのはたった一つだった。


 藤野の妹は研究所でいいように使われて、その結果死に至った――と。


 だがその推測に至ったとしても、証拠がなかった。

 妹がメモしたノートでは物的証拠にはならない。深川原研究所での薬の在庫や、いつどこで使用したかなどのデータがなければ、表沙汰にすることはできない。

 そこで藤野は表では駆け出しの研究者として過ごし、裏では研究所の秘密を暴くために隠れて調べ始めたのだ。だが一向に証拠は掴めず、とうとう藤野の動きに不審に思っていた所長に呼び出された。

 もはや埒があかないと思い、彼は単刀直入に質問を切り出した。

「所長、妹を死に追いつめたのは貴方ですか?」

 所長は何も答えず、ただ背を向けて、振り返った時ににやりと笑みを浮かべただけだった。

 その翌日、藤野は何の前触れもなく、人事整理の関係という意味のわからない内容で解雇された。



 * * *



「その後、藤野は大学に途中から入って早期卒業して警察官になった。頭がいいだけでなく、腕っ節も強いから、文武共にいい成績だったらしい。良いわよね、何でもできる人は」

 泉は立ち上がり、お茶を一気に飲み干す。沙代は顔を上げると率直な疑問を言葉にした。

「……どうして警備課に?」

「さあ、わからない。若手のうちは数年で異動するのが習わしだから、ものの試しに入っただけだと思うけど、もしかしたら妹を救えなかった代わりに、他の人を救おうとも思ったのかもしれない。……とりあえずはっきり言えることとしては、未だに妹の死は認めきれていないということかしら」

「どういう意味ですか?」

 泉は空になった容器をごみ箱に捨てた。

「葬式後、墓参りに一度も行っていないらしい。それと今も妹の影を追っている雰囲気がある」

 背を向けて、泉はあからさまに肩をすくめた。

「警察官になれば隠された真実を暴けるかもしれない、と思ってなったかもしれない。でも現実はそこまで甘くない。暴ける保証はどこにもない。それにどこか自分を恨んでいるようにもみえるのよ。自分が妹の異変に気付くのが遅かったから、あんな結果になったとでも思っているんじゃない? ……そんな思考を巡らしても、妹は戻ってこないのはわかっているはずなのに、いったい何をしているのかしらね。しっかり供養して、次の段階に進むべきだと思わない?」

 泉の言葉を聞いて、沙代の目は大きく見開いた。


「供養……。それは魂を在るべきところに送る儀式」


 沙代の呟きに泉は怪訝な表情をする。だがそれに構わず沙代は自分が持っていた鞄から大量の本を出し、その中から一冊の古びた蔵書を抜き出した。そして勢いよくページをめくり、あるページで手を止めた。そこにあった題名を優しくなぞる。

「――泉さん」

 突然呼ばれ、泉は驚きつつも言葉を返した。

「何?」

「残り二週間の私の護衛はどうなるんですか?」

「それは――」

「藤野誠一さんの関係者の方ですか?」

 泉が口を開いている途中で看護士が休憩室に顔を出す。沙代と泉は揃って首を縦に振ると、看護士は表情を緩めた。

「藤野さんの麻酔が取れて、目が覚めましたよ。短時間だけですがお顔拝見しますか?」

 その言葉を発している最中に沙代は自分の鞄を抱え込み、泉と共に看護士のあとを足早に追った。



 藤野はベッドの上で点滴を打たれながら横になっていた。目はうっすらとだが開いている。沙代と泉は静かに病室へと踏み入れた。彼の瞳が沙代を捕らえると僅かに見開いた。だが沙代が真っ直ぐ視線を返すと、彼は口を開くのをやめて、目元を腕で覆って肩をすくめた。

「あれだけ俺のことは放っておけって言ったのに……。何やっているんだ……」

「藤野、その言い方はないでしょう。沙代がすぐに駆け寄って周りに知らせなければ、出血多量で危なかったかもしれないのよ? いくら防弾チョッキを着ていたからって、強力な弾を何発も撃たれて何事もなかったかのように終わるわけないでしょう」

 泉に鋭く言い放たれた藤野は言い返しもせず、その場で黙り込んだ。沙代は一歩前に進んで、藤野の傍に寄った。

 彼の瞳が向かれ、沙代の瞳と混じり合う。沙代は握りしめた右手を胸の前に置いた。

「藤野さん、二週間以内に退院できますか?」

「……退院するさ。こんなところで油を売っている暇はない」

 力強い言葉を聞いて、沙代の表情は若干緩みつつも、再び引き締めた。

「二週間後の式典での披露会、絶対に来てください。藤野さんに見せたいものがあります」

 藤野の目が細くなる。

「何を披露するのか決めたのか?」


「はい。――私は私のやり方で、式典での披露会にいらした人たちの心に想いを届けたいと思います。素晴らしい技術を提供する以上のものを」


 自信を持って言い切ると、沙代は一礼をし、踵を返して藤野の病室から出ていった。呆気にとられていた泉も慌てて後を追う。

 病室から出た沙代は鞄から髪をまとめるための空色のバレッタを取り出した。そして無造作にまとめた後ろ髪をそれで止める。

「沙代?」

 顔を全面に出した沙代に疑問の声を投げかける。それに対して視線を逸らすことなく、口を開いた。

「泉さん、先ほどの続きになりますが、私の今後の護衛はどうなるのですか?」

「ああ、それね。しばらくは私とこの前部屋に一緒に来ていた男性二人と交代で護るわ。乗りかかった船だから」

「わかりました。……あの夕暮れ時にすみません。行きたいところがあるので、行ってもよろしいですか? 時間がないんです。お願いします」

 沙代に深々と頭を下げられ、泉は返答に窮してしまう。だが窓の奥にいる青年のことを軽く見て、表情を緩めた。

「わかった。上には適当に連絡しておくから、今から行こう。どこ?」

「ありがとうございます! ……さっき藤野さんと一緒に行こうとしたところです。あそこのおじさんなら、おそらく私が考えていることに最も近いことを行っていますので……」

 泉はもう何を言っても動じなくなったようだ。沙代を追い越して、視線でさっさと来て、指示するよう促してくる。

 沙代は目を見開きつつも、すぐに足を前へと踏みだし、泉の傍に駆け寄っていった。

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