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4、親しみ始めた中での不和

 それから藤野が沙代を護衛する日々が始まった。

 家に送り届けてもらう最中、人が少ない道を通るため、気を紛らわせるために思わず話しかけてしまうが、その他は基本的には遠くから見守ってもらっている状態である。研究室にいる時も、図書館で調べ物をしている時も、隣に座りはせず、少し離れたところから見ていた。その方が気は散らないし、あらぬ疑いもかけられにくいため、沙代としては助かっていた。

 部屋で襲われた翌日には隣の部屋を借りることができたらしく、部屋へ送り届けるという名目がなくとも、一緒にアパートに入っている。

 また何かあった場合のためと言われ、二つのボタンが入った小さな腕輪を渡されていた。ボタンの一つは藤野のみに危機を知らせるもので、もう一つは通常の防犯ブザーと同じ、大きな音をけたたましく鳴らすものだ。これらを使わないことを祈りながら、腕時計の隣へと腕輪を付けた。

 一方、藤野は読書家のようで、沙代の部屋の中にあった古い小説に興味を示していたので、それを渡したら彼は嬉しそうに受け取っていた。科学技術書も読んでいいかと言われた時は、彼が研究所出身だと知らなければたいそう驚いたことだろう。

 藤野が護衛についた翌日以降、有難いことに直接襲われたことはない。時折彼の姿が消え、襟を整えながら路地裏から現れたのを見ると、裏で彼が対処していると察することができた。

 非常に優秀な護衛がついたことに感謝しながら、沙代は今日も図書室の端で紙に理論を書き散らしていた。直接紙に書いた方が自由に思考を展開できるため、デジタル化が当然の社会でも未だに紙とペンを持ち合わせている。

 残り二週間。理論を書くだけでなく、実証段階に移るにはぎりぎりのタイミングだった。いや、はっきり言えば遅すぎる方だ。失敗を繰り返したら、あっという間に当日を迎えてしまう。だが焦り過ぎれば、良い結果もでないのは経験上知っていた。

 沙代は逸る思いを抑えながら、研究室内で準備できるものと、新たに買い足さなければならないものを書き分けていった。新たに買う物の大半は量販店で得られるだろう。

 たった一つを除いては。

 それは街外れにある小さな店兼工場(こうば)に行かなければ得られない代物で、沙代が考えている実験で鍵となるものだった。

 非常に人気が少ないところを通るため、行くのには気が引けていた。また誰かに狙われかねない。

 そっと視線を、本を読んでいる青年へと向けた。だが彼がいれば――おそらく大丈夫だ。

 ペンを置き、持ってきた蔵書の中から、借りるものと返すものを分ける。

 ふと一冊の古びた蔵書を見て手が止まった。光の色を鮮やかに発する方法はないかと探しているうちに発見したものだ。それはかつて盛んに行われていたものらしいが、いつしか廃れてしまった技術である。

 衰退原因としては大きく四つあり、危険性がある、採算が取れなくなった、製造技術を継承する人がいなくなった、そしてそれらの影響により興味を向ける人が急激に減少してしまったというものだった。それの認知度の減少とは逆に、様々な色合いの光を発する技術が著しく発展したのも、隠れた要因としてあるだろう。

 過去に衰退してしまったこの技術も、本を良く読み込めば一つの科学要素を使いこなしているとわかる。だが誰もがあっと驚く技術かと言えば、首を傾げざるを得ない。

 ただもしかしたら何かの参考になるかもしれないと思い、沙代はその本も借りる本の山に積み上げた。



 沙代は藤野を連れて、人通りが少ない道を進んでいた。なるべく日が当たっているところを通っているつもりだが、日なたも日陰もたいして変わらないように見える。重い蔵書を一度研究室に置いてから行けば良かったと思いつつも、とにかく前に向かって進んでいた。

 不気味なくらいに静かだ。心拍数が上がりそうである。沙代は気を紛らわそうと、少し下がって藤野と並んだ。

「すみません、こんなところに来るのは危険だってわかっていますが……」

「いい発表をするためだろう。別に構わない」

「あの、藤野さん、科学とか研究とか好きですよね」

「興味はある」

 即答されて、ずっと疑問に思っていたことを思い切って口に出した。


「なら、どうして研究所をお辞めになられたんですか?」


 藤野の目が大きく見開かれる。そして眉間にしわを寄せながら沙代のことを見下ろした。

「誰から聞いた、そのこと」

 きつい口調に思わず後ずさり気味になる。

「い、泉さんから……」

「あの女、余計なことを……」

 藤野の気配に圧倒され、たじろぎながらどうにか答える。あからさまな舌打ちをした彼は大股で進み始めた。沙代も慌てて早歩きをする。

「藤野さん、すみません。聞いてはいけなかったことだったんですね。気が利かなくて本当に――」

「別にお前が謝ることじゃない。気になることを聞いてしまうのは人の本質だろう。気にしていない」

「なら、どうして怒っているんですか?」

「自分に対して苛立ってしまう忌まわしい過去もあるんだよ」

 吐き捨てるように言いながら、路地裏へと入っていく。その道を抜ければ目的の場所へといち早く出るが、狭い道を通るため沙代は敢えて外そうとしていたところだった。だが藤野は進んでいく。息を深く吐き出して、肩の緊張をほぐしながら彼の後を追った。

 暗い路地裏を通ると、藤野と出会った時のことが思い出される。

 あの時は移動時間を短縮するために、抜け道としてその道を利用していた。だがそのおかげで事件に遭遇、そして藤野と劇的な出会いをした。

 あの日から何かが緩やかに変わり始めている――。

 それ以前とは違った緊張感を持って過ごしているからか、より自分の立場を明確にしたからか、それとも他の何かが変わったかはわからないが。

 沙代は彼のすぐ後ろに付くように寄ると、転がっていた瓶に躓き転んでしまった。

 先を歩いていた藤野だったが、その音にはさすがに気づき、元来た道を戻って手を差し伸ばしてくる。だが彼の目の色が変わるなり、沙代の上に覆い被さった。

 直後空気が抜けたような音がし、藤野の呻き声が漏れた。

 それが五発続く。

 視界が藤野の体で隠れているため、何が起きたのかすぐに察することができなかった。くぐもった低い声が囁いてくる。

「――逃げろ」

「え?」

「すぐそこが通りだ。そのまま目的の場所に行って買うもの買ってこい。そして代わりの護衛を寄越すまでその店から絶対に出てくるな」

「ど、どういう意味ですか、それ!」

「お前は研究に集中しろ。絶対に騒ぎ立てるな。――それが俺の望みだ」

 液体がコンクリートに落ちる音がした。藤野の体がずるりと沙代の上からずり落ちる。彼の背中と落ちた液を見て、思わず悲鳴を上げそうになった。だが藤野が睨みつけてそれを阻止し、言葉を飲み込んだ。

「ふ、藤野さん……」

 彼の服から五発の穴が空き、二カ所だけだが血が滴りでている。

「防弾チョッキ着ているから……大丈夫だ。早く行け」

「で、でも……」


「行け、古田沙代!」


 藤野に追い立てられるようにして沙代は立ち上がる。そして涙で顔をぼろぼろにしながら走り始めた。弾が何発かコンクリートの上を踊る。それを見て肩を震わせながら進む。

 十秒もかからず裏路地を抜けられるはずだ。

 藤野の言うとおり早く――。

「くそっ……、かなり殺傷性の高い奴使ってやがる。あいつまで殺す気か?」

 壁伝いに立ち上がった藤野が上空を見上げながら、後ろ歩きで進んでいく。だが一発腹に打たれると、彼はその場に倒れ込んだ。

「藤野さん!」

 もはや言われたことを忠実に実行している考えなど持ち合わせていなかった。

 沙代は踵を返して藤野の元に戻る。そして彼からもらった腕輪を外し、ボタンを強く押して、頭上に放り投げた。けたたましい音が周囲に響き渡る。それが鳴った途端狙撃は止んだ。

 沙代は滑り込むようにして藤野の傍に座り込む。先ほどよりも銃創が増え、血が流れ出ている。震える手で着ていたカーディガンを脱いで傷口に押しつけた。すぐに真っ赤に広がっていく。

「い、嫌だ。死なないで、藤野さん……」

「死なねえよ……。先に行けって言ったのに……何勝手なことしているんだ……馬鹿が……」

 文句を言いつつも、藤野の口元は笑っていた。

 だが出血は止まらない。沙代は何度も呼びかけたが最終的には言葉を返さなくなった。

 それからしばらくしてようやく救急車のサイレンの音が聞こえた。



 * * *



「安心して。少し出血が多いだけよ。防弾チョッキを着ていたんだから、致命傷ではない」

 手術室の前の椅子に座り俯いていた沙代は凛とした女性の声を聞き、ゆっくりと顔を上げた。パンツスーツを着た赤毛の泉が腕を組みながら立っている。

「酷い顔。それに手も服も汚れて。代えの服を持ってきたから、着替えなさい」

 紙袋を突き出されたが、沙代は立ち上がりもせずに泉から視線を逸らした。泉は溜息を吐いてすぐ傍にまで近づく。

「その格好目立つのよ。いつまでも泣いていないで、切り替えなさい。それが藤野の望みでしょう」

 静かに諭される。それに対して沈黙のままでいると、急に泉が沙代の胸倉を掴み、無理矢理立ち上がらせさせたのだ。そして状況が掴めないまま、乾いた音と同時に沙代の頬に痛みが走り渡った。

 胸倉が離され、沙代は半歩下がって呆然とイルマを見上げた。叩かれた頬がひりひりとしている。泉は口を一文字にしたまま、紙袋をきつく突きつけた。それを受け取りぎゅっと腕で抱きしめた。

 そのままじっとしていると、手術中のランプが消え、ドアが開いた。沙代は立ち上がり、その先から現れる人物を心待つ。先に執刀医が出てきて、穏やかな笑みを浮かべた。

「手術は無事に終わりました。もう大丈夫です。あとは傷が塞がるのを待つだけです」

「あ、ありがとうございました……」

 へなへなと座り込みそうになるが、泉が腕を持って、それを押さえ込んだ。

 後ろから藤野を乗せたストレッチャーが出てくる。目を閉じているが、胸が上下に移動しているのを見て、安堵の息を吐いた。

「麻酔が効いているため、眠ったままです。病室に連れて行きますので、目覚めましたら後ほど伺うようにしてください」

「本当にありがとうございました」

 泉が深々と頭を下げると、沙代もそれに従って礼をした。そして藤野と医者たちを見送った。

 静寂が戻り、泉がじろっと沙代を横目で見る。それに促されて自分の全身を見ると、思わず苦笑した。

「着替えてきます」

「着替え終わるまで待っている。貴女に話したいこともあるから」

 きょとんとしつつも、沙代は化粧室を見つけるなり、一目散に飛び込んだ。

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